138:見てみて~的な?
頭に浮かんだ疑惑を振り払うように、北条は首を横に振った。
「わかった……」
『ああ、それとね雪村君』
「なに?」
しばらく応答がなかった。
「……冴子?」
『私達、友達よね?』
「何よ今さら、そうよ。違うとでも言って欲しいの?」
『そう思ってるのは、実は雪村君だけだったりしてね』
冴子の笑い声が聞こえる。
「何言ってんのよ……!! あんたはアタシの友達で仲間よ。初任科を出たばっかりの頃に、言われたのを忘れたの? 署長は父親、副署長は母親……署員は全員、家族なんだって」
どうして今になってそんなことを?
胸のざわつきがひどくなる。
「忘れてないわよね? 服務の宣誓。お互いにもう長い間、警察官やってるけど、アタシは一日だって忘れたことはない。あんただってそうでしょ、冴子?」
【服務の宣誓】
それは警察官であれば全員が空で言える、文字通りの誓いである。
『私は、日本国憲法及び法律を忠実に擁護し、命令を遵守し、警察職務に優先してその規律に従うべきことを要求する団体又は組織に加入せず、何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、良心のみに従い、不偏不党かつ公平中正に警察職務の遂行に当たることを固く誓います』
「ひよっこ達を教えるようになって……思い出したのよ。自分が初任科にいた頃。あんたと一緒にここで勉強してた頃のこと」
どうしてこんなことを口にしているのだろう?
北条は自分でも不思議な気分だった。
ややあって、
『じゃあね』
冴子の方から電話を切られた。
※※※※※※※※※
北条が戻ってきたのを確認してから、和泉はふと思い出したことを口にした。
「そういえば聡さん、尾道であの子供の遺体が発見された時……朝早くに電話がかかって来たと言っていましたよね?」
「ああ……公衆電話だったがな」
「何か特徴を覚えていますか?」
聡介はしばらく考えていたが、やがてわからない、と首を横に振る。
「まさかお前、それもリョウの仕業だと?」
「確信はありませんが。彼はIT系の技術に長けていたといいます。聡さんの携帯番号を抜きとるぐらいのこと、訳もないと思いました」
父は黙り込んでしまう。
「でもなぜ、何のためですか?」
守警部の質問に全員が顔を上げる。
「どうも和泉さんの口調だと、そのリョウという人物はまるで、意図的に高岡警部に近づいたような印象を受けます。もし、我々警察の動きを察知したかったのだとしたら、なぜ選ばれたのが……」
「それは、恐らく……」
「優しそうなオジさんに見えたからでしょう。僕もリョウと名乗る男が、聡さん……高岡警部に話しかけている場面を見たことがあります。まるで父親かのように、古くからの知り合いのように……そう、とても懐いていました」
恐らく、だが。
リョウは聡介の【事情】を深く把握していた。依頼があってもすぐに実行へはうつさず、入念な調査をするとあのサイトに書いてあった。
山西亜斗夢の殺害依頼があった時、彼とその親族についてもよく調べたに違いない。
そうして聡介に辿り着いた。
彼と、山西の家に絡んだ数々の因縁。
百獣の王であるライオンが猫科であるという事実を考えると、猫は元々、狩猟動物である。
作物に害をなすネズミなどの小動物を駆除するために飼われ始めたというぐらいだ。飼い猫であっても、時折本能的に『捕まえて』来た獲物を主人に見せにくる、と聞く。
もっとも聡介は依頼主でも何でもないけれど。
ひょっとすると。よくやった、と是認して欲しかったのかもしれない。
長い間、聡介とその娘達を苦しめてきた一族。
末端だけど、始末してみせたよ、と。
父がそんなことを望んでいるはずもないのに。
「ああ、そうだ。思い出しました。『黒い子猫』の発信元……その闇サイトが利用していた回線を契約していた人物を特定することができたのですが、長門大輝となっていました」
守警部の発言に和泉を除いた全員が、えっ、という顔をする。
「彼もまた【黒い子猫】の一味だったと、そういうことか……?」
問いかけたのは聡介である。
「一味、という表現がしっくりくるのかどうかはわかりませんが、協力者であることは間違いないと思います」
「長門ですが……」
聖が口を挟む。
「世羅で事件を起こしてワイナリーを退職した後、暴力団に身をやつし、刑務所に入っていたことは間違いありません。そうして相馬が彼の身元引受人となった事情ですが……初めは、ワイナリーの経営者夫妻がその役目を引き受けるつもりだったそうなのです」
「その経営者は何という名前です?」
「雨宮……雨宮夫妻です」
「雨宮?」
北条が眉根を寄せる。
「ああ、だからですか。シャトレーゼレインパレスって、そう言う意味だったんだ」
と、守警部。
「どういうことです?」
「いたってシンプルな話ですよ。雨のレインに、宮のパレス。ひょっとして社長さんの名前かと思っていたんですが……」
ふと和泉は北条の様子が変わったことに気づいた。
「いかがなさいました?」
「……なんでもないわ、続けて」
「ところがその夫婦は、開発事業により経営権を失って以来、あらゆる不幸が重なりました。まず社長夫人には重度の病が見つかり、治療をする間もなく亡くなってしまった。社長もまた、体調を崩して入退院を繰り返すような状況なのだそうです。そんな訳で、個人的に親しくしていた相馬要に、身元引受人を代わってもらうよう依頼した……」
「その社長夫妻と、相馬要はどうして……」
その時、応接室にまた先ほどの学生がやってきた。
「北条教官、あの……長野課長と仰る方は?」
「ワシじゃが」
いつものふざけた行状はなりを潜め、長野は真面目に答える。
電話だと言われた彼は部屋を出て行く。
そしてすぐに戻ってきた。
「……遅かった」
「どういう意味です?」
「その、富士原っちゅう教官の家が……爆破されたらしい」
※※※
その場にいた全員が急いで車に乗り込み、現地へ向かった。
富士原の自宅は市街地から離れた住宅街にある。
一応既婚者だが、妻とは離婚調停中であり、別居しているため実質1人暮らしということだ。
和泉達が到着した時には既に消防団が消火活動を終えており、残っていたのは、消し炭と化した梁の一部のみであった。
狭い敷地に無理矢理詰め込んだかのような新興住宅地と違い、そこは古くからの農家が多く、比較的家と家の間隔は空いていたので犠牲は富士原1人で済んだそうだ。
焦げた臭いが鼻をつく。
規制線の向こうで野次馬と制服警官が押し合いへしあい、怒鳴り合っている。
和泉は一番近くにいた若い地域課の警官を捕まえて詳細を聞きだした。
「ものすごい爆発音みたいなのが聞こえて、焦げ臭いにおいがしたって消防に通報があったんです」
知りたいのはそこじゃない。
和泉が焦りを覚えて、周りを見渡した時。
真っ青な顔で震えている男性を見つけた。
「あなたは? 私は、捜査1課の和泉と申します……」
「……まさか……」
男性はフラフラと左右に揺れ、地面に膝をついてしまう。
「大丈夫ですか?!」
「まさか、あいつが……」
「あいつ?」
「宅配便を装ってやって来たのが、2課にいた頃の同僚だったので、油断してしまいました……」
彼は北条の姿を見つけると、
「申し訳ありません!!」
と、土下座せんばかりの勢いで謝罪を口にした。
後で聞いた話だが。
北条は引続き、富士原の身辺を警戒するよう手配していた。
その中には非番の警官も含まれていたそうだ。
全員が、北条の命令によって動いてくれる私設の特別チームである。
午後7時頃、宅配便を装って富士原を訪ねてきた男がいた。顔見知りの同業者だったため、少しも警戒せずに中へ通した。その数分後だ。
中から爆発音が響いたのは。