135:生きていたのか?!
目が覚めたら知らない場所だった。
どこかの物置きだろうか。暗くてヒンヤリしている。
今、何時だろう?
谷村晶はボンヤリする頭で周囲を見回した。
ピリピリピリ、と自分のスマホが着信音を知らせる。手を伸ばしてつかみ、応答ボタンを押す。
『目が覚めた?』
昼間の男の声だ。
友人達と買い物に出かけた先で、ナンパしてきたあのチャラチャラした男。
『今ね、午後7時過ぎ。今から学校に戻っても中には入れてもらえないだろうね』
しまった!!
と、同時になぜこんなことになっているのか、という疑問も湧いた。
そうだ。今日の昼、友人達と一緒に買い物へ出かけた。そうしたら突然、連れの1人に声をかけてきた若い男がいた。
彼女は何度も断っていたが、男はしつこく、なかなかあきらめない。
そこで自分が男の肩をつかんで、交番に突き出そうとしたのだ。
交番までの道のりの途中で男が急に言い出した。
「お姉さん、とても綺麗だね」
初めてだった、そんなことを言われたのは。
「僕、声をかける相手を間違えちゃったな。お姉さんの方がずっとタイプだよ」
にわかには信じられなかったが、そんなことを言われて嬉しくない訳がない。
「ねぇ、これから一緒にどっか行こうよ。素敵なデートスポットをいろいろ知ってるから」
気持ちが揺れた。
「実は僕、車があるんだ。ちゃんと家まで送るから」
車と聞いてふと思い出した。
「運転は上手?」
「まぁ、運転には自信はあるよ?」
疑う気持ちは少しも芽生えなかった。
実際、男は言葉通り、見事な運転技術を披露してくれた。
教えて欲しいと頼んだら、すんなりOKしてくれる。もしかしたら本当に少なからず自分に好意があるのでは?
やや小柄で細めの体つき。だけど身体のバネは強そうだ。
よく考えてみたら好みのタイプではないか。
谷村晶はすっかり浮かれていた。
車の練習がしたいなら、最適な場所があるよ。
そう言われてわりと長時間かけて到着した先は山奥だった。途中で標識を見たところ、帝釈峡と書いて有ったような気がする。
アスファルトで舗装された県道が走っているが、車が一台やっと通れるかどうかという狭い道だ。
すぐ目の前に山肌、そしてポツリポツリと民家。稲を刈り取った後の田んぼがどこまでも広がる田舎の小さな集落だった。
他の車がないから練習には適しているかもしれない。
ただ少しだけ時間が気になった。門限までに間に合うだろうか。
それに、どうしてこんな場所なのだろう? 少し不思議に思ったが、
「ここ、道幅も狭くてカーブも多いから、かなりのテクニックが必要だよ」
そう言われて闘志に火がついた。
あの女にできて私にできないはずがない。
何か1つでも自分より優れたものがあるなんて、絶対に認めない。
「お疲れ、そんなに根詰めちゃダメだよ。これでも飲んで休憩しよ」
差し出された飲み物を何の疑いも持たず口にして、その結果、いつの間にか眠りこんでいたようだ。
そうして目が覚めたらどこかの物置きだったなんて。
「てめぇ、何のつもりだ?! どういうことだ!!」
『女の子がそんな口のきき方するものじゃないよ』
「黙れ、ここはどこだ!?」
谷村晶は物置の扉に手をかけた。鍵がかかっている。
「出せ、今すぐに出せ!! チクショウっ!!」
『だからさ……』
「ふざけるな、てめぇは誰だ?! こんなことして、タダで済むと思うなよっ?!」
『……お姉さん、確か警察学校の学生さんだって言ってたよね? それじゃまるでヤクザだよ』
力の限りに取っ手を動かしてみる。
『そんなだから男にモテないんだよ。ちなみにモテる女の子って、決して顔立ちじゃないんだって知ってた? 愛嬌だよ、愛嬌』
「うるせぇっ!! いいからここを開けろ!!」
『いいよ』
あっさりと解錠の音が聞こえた。
急いで外に出ると、目の前に軽自動車が置いてあった。
『それ、僕の車。乗って帰っていいよ。ナンバーを調べたら、僕が何者かってわかるはずだから』
話が上手すぎることに、必死だった彼女はまったく気付いていない。
だからほんのわずかでも、爪の先ほどもそんな可能性は浮かばなかった。
ブレーキに細工がしてあったなんて。
急いで学校に戻らないと。
今日の当番は確か富士原教官だ。門限には間に合わないけれど、きっとあの人なら大目に見てくれる。
仮に難癖をつけてきたとしても、こちらには取引材料がある。
あのゴリラみたいな男。
とにかく北条のことと、彼が可愛がっている藤江周が気に入らなかったらしい。そして痛めつけるターゲットとして選んだのは当然、弱い方。
単純に力で抑え込んでも面白くない。
もっと陰湿で心を抉ることのできる方法がいい。あのゴリラはそう言っていた。
そこで谷村が提案した。
藤江周を窃盗犯に仕立て上げたらどうか、と。
それは谷村が小学生の頃に使用したのと同じような方法である。同じクラスに、どうしても気に入らない女の子がいた。彼女を追い出すにはどうしたらいいか。
そこで思いついた。
彼女を泥棒に仕立ててやろう、と。
当時、クラスの女子達の間ではキラキラ光るラメ入りのものが流行っていた。
髪飾りやアクセサリー、筆入れからペンなど。
ターゲットになったその女子は、どちらかと言うと貧しい家庭の子で、流行りものなど一つも持っていなかった。
そこで谷村は体育の授業で教室から人がいなくなる瞬間を狙い、友達のカバンから筆入れを盗んだ。盗んだ筆入れをターゲット女子のカバンに入れたのである。
筆入れがなくなったことに気づいた友人に、誰かが盗んだんじゃないのか、とアドバイスしたのはもちろん、自分だ。
初めはまさか、と思われた。でも。
持ち物検査をすればいい。そう強く主張したところ、上手く運んだ。
盗まれたはずの筆入れがターゲット女子のカバンから出てきたのだから、弁明のしようもない。そもそも小学生の女の子が『誰かにハメられた』なんて考えられるはずもないだろう。
その少女は転校して行った。
その後も谷村にとって気に入らない子は何人かいたけれど、その内、自分がイジメに遭うようになった。
だが。
クラス替えをきっかけに事態が少し落ち着くと、彼女はあることを悟るようになった。
やられる前にやればいい。
そう気がついてからは、常にターゲットを探し続けた。
警察官になろうと思ったのは、権力が欲しかったからだ。
一般市民に対して常に攻撃態勢でいられる。それも優位な立場で。
同じような考え方をしているあの教官に会えたのが、彼女にとって幸運だったのかどうか。いずれにしろ、互いに同じような空気を感じたのと、同じ学校の卒業生であり、通っていた柔道場の門下生だったことからすぐに打ち解けた。
藤江周に対する陰謀について、谷村の提案は採用された。
その際、倉橋を利用してはどうかと言い出したのは栗原の方だった。
あの2人は仲が良い。友人を庇って身を乗り出すであろう彼を、何か理由をつけて虐待すればいい。
栗原は全然、変わっていない。
彼もかつて同じ柔道場に通っていたので、学校は違ったが顔見知りだった。その頃から、表向きは清廉潔白を装ってるが、内側には醜いものを飼っていることに気付いていた。
どうしても勝てないライバルに、秘かに嫌がらせをしていた場面を見たことがある。
そんな彼は特殊捜査班HRTへの入隊を希望していた。
エリートしかその門をくぐることができないと言われる部署だ。その隊を率いるのが、あの北条雪村警視であると知った時、彼は熱心に自己アピールを始めた。
が、その努力は実らなかった。
教官の関心は主に藤江周にしかない。
あいつさえいなければ。
何を勘違いしているのだろうかと思ったが、谷村は黙っていた。
仮に藤江がいなくなったところで、その席は永遠に回ってなどこない。あの部隊に入るには強靭な肉体に加え、優れた頭脳も必要なのだ。
座学はいつも合格ラインギリギリの点数しか取れないくせに。
夢を見るのは勝手だ。そんなことを考えながら谷村は、高速道路に向かって山道を急いだ。
今までは上り坂だった。峠を越したようで、今度は下り坂だ。
その時になって彼女はようやく気がついた。
ブレーキの効きが甘い。
強くペダルを踏んでいるが、急勾配に差し掛かるとますます加速していく。
そして。気がつけばガードレールが目前に迫っていた。
自分で書いててなんだけど……最悪ですね、こいつ。
この、物の考え方といい根性といい。