133:振り返ってみれば
和泉は何を考えているのか、ずっと一点を見つめたまま黙っている。
「ねぇ、和泉さん……」
周がおそるおそる声をかけると、
「周君。ここ最近、校内で何か変わったことなかった?」
そう訊ね返してきた彼の表情は真剣そのものだった。
変わったことなら山ほどある。
どれから話していいのか周が迷っていると、
「ぶっちゃけた話、教場の中でイジメはなかった?」
「……あったよ」
「詳しく教えて。誰が、どういう理由で?」
周は上村の顔を見た。
彼は小さな声で、
「全部話した方がいい」と言った。
遡ってみれば何週間か前に、亘理玲子が物置に閉じ込められていたことだとか。抜き打ちの服装検査の折り、ボタンを盗まれたことだとか。
それと……自分のことを話せばきっと心配するか怒り狂うだろうから、本当は言いたくなかったのだが、今は正直に打ち明けるべきだ。そう思った。
そこで周はここ最近、自分の身に起きたことも話した。
友人である倉橋が盗難騒ぎの犯人に仕立て上げられたこと。それを庇った自分が【特訓】という名目の元、ほぼ虐待のような指導を受けていたこと。
和泉は初め、黙って聞いていたが、段々と表情が強張って来た。
「あ、で、でも……俺の場合はほら、あいつがさ、仇をとってくれたって言うか。日下部さんと一緒に。だから、別にその……」
急に立ち上がった変人は、ウロウロと歩き回りだす。
「和泉さん?」
「その、富士原っていう教官のデスクはどこ?!」
「確かそこの2つ右隣……」
飛びつくように富士原のデスクに近づいた和泉は勝手に引出しを次々と開け始める。
その形相に驚き、周は声を失った。
何を探しているのだろう? やがて、
「……あった……」
和泉が手にしていたのは、真っ黒な葉書サイズの紙。
その時だった。
「和泉さんっ!!」
初めて見る顔の男性が教官室に飛び込んできた。
スーツにネクタイ、そしてメガネ。
真面目なサラリーマンのような。
「判明しましたよ、石塚円香さんのご遺族について。それがですね……」
彼が和泉の耳にこそっと耳打ちすると、顔色が変わる。
そして彼の手にあった葉書がはらり、と床の上に落ちる。
周はしゃがんでそれを拾い上げた。裏も表も真っ黒な葉書。白抜きの文字と、猫のイラストが目についた。
『生きる資格なし』
なんだこれ。
ゾッ、と背中を悪寒が走った。
※※※※※※※※※
寮内が随分と騒がしい。
倉橋は今日一日を実家で過ごした。引き取った猫が可愛かったので、つい長居して遊んでしまった。
学校に戻ったのは門限ギリギリ。
周は部屋にいるだろうか。
一緒に風呂へ行こう、と友人の部屋を訪ねるため廊下を歩いている時だった。
談話室にやたら大勢が集まっている。
話の中によく知っている名前が出てきて、倉橋は思わず足を止めて彼らの会話に耳をそばだてた。
「実はあの2人、できていたとか?!」
「マッチョ同士でお似合いじゃん!!」
「一番見たくないケースのBLっぽいよな」
「なんだよ、BLって」
「知らんのか? ボーイズラブの略じゃろうが。もっともボーイちゅうには、どっちもしっくりこんけどのぅ」
「実は秘かに付き合っていた2人、愛の逃避行かのぅ……?」
何の話をしているのだろう。
その時、
「マモルくん?」
背後からなぜか、男性の声でファーストネームを呼ばれた。
「……はい?」
振り返ると、周の親しい刑事がそこに立っている。
「ちょっと聞きたいことがあるんだ、いいかな?」
確か名前は和泉だった。そうだ、つい今年の夏、一時的に教官としてやってきたことを思い出す。
何だろう? やや不安を覚えたが、倉橋は大人しくついて行った。
到着したのは教官室の隣の応接室。担当教官はおろか、他に誰もいない。
倉橋は余計に不安を煽られた。
和泉が問いかけてくる。
「昨日、もしかして八丁堀にある猫カフェに行った?」
「はい。それが何か……?」
「猫を引き取ったって聞いたけど、本当?」
「……そうです」
喉が渇いてきた。
「ごめんね、君がどうこうって言う話じゃないんだ。今、ちょっと調べていることがあって、正直に答えて欲しい」
真剣な目で見つめられ、倉橋は思わず息を呑んだ。
「ここ最近、いつもと違うことがあったよね? 詳しく教えてもらえないかな」
いつもと違うこと。
盗難騒ぎが起きたこと。
濡れ衣を着せられたこと。
そして、特訓と称してほぼ虐待のような授業を受けていたこと。
自分を助けようとしてくれた周が、あんなひどい怪我を負わされる羽目になったこと。
「……何からお話ししたらいいんでしょうか。あの、確か和泉教官は北条教官と親しくしておられるんですよね? 何も聞いておられないのですか?」
「もう今は、教官じゃないよ。質問を変えよう。あの富士原っていう教官が来てからのいろいろな変化を、君なりに気づいたことを教えてもらえないかな?」
そういうことなら。
倉橋は後期が始まり、教官たちの顔ぶれが変わってからのことを打ち明けた。
亘理玲子の受難、そして。
盗難騒ぎの挙げ句に周と自分が受けた虐待の数々。
話しているうちに、思わず涙が出そうになってしまった。
「……以上が、土曜日の朝までの話です」
和泉は黙って聞いてくれたが、段々と顔が強張っていくのがわかった。
「……そんなことが……」
「あ、周は……俺、自分を庇って……だから……」
「辛い思いをしたね」
そう言って、和泉は優しく肩を抱き寄せてくれた。
「でもね、自分を責めたらダメだよ。そんなことをしたら周君が悲しむから」
「……はい……」
「君も逃げないでよく頑張ったね。偉いよ」
きっと誰かにそう言ってもらいたかったんだと思う。
胸が熱くなって、倉橋は思わず鼻をすすった。
「ところでね。あの猫カフェに行くことになったきっかけっていうか、そう。その前後にあったことを詳しく教えて?」
記憶を辿る。
このままじゃ周が殺される。
そう本気で思った倉橋は、教官室に飛び込んだ。
そこにいたのは助教の雨宮冴子教官。
「……猫は好き? って、訊かれました」
和泉の顔色が変わる。
「周を助けてくれるなら、捨て猫でも野良猫でも、何でも拾うからって答えて……ここじゃ飼えないから、実家で飼うことになって……」
「それで、猫をもらったんだね?」
はい、と倉橋は頷く。
「周も、同じ店の割引券を雨宮教官からもらったって、それであの日……外出許可が出た時に2人で一緒に行きました」
「ありがとう。話してくれて……」
しかし、かく言う彼の表情の方がやや青ざめているように思えた。
「あの……?」
「指示があるまでは、寮で待機していてくれるかな?」
※※※※※※※※※
倉橋を解放してやり、和泉は教官室に戻った。
頭の中に『もしかしたら』という、一つの推測が浮かんでいる。
「いかがでした?」
つい先ほどここへ到着した守警部が、心配そうに問いかけてくる。
「案の定、ですよ。黒い葉書が届く訳だ」
周から聞いた話を倉橋の供述がしっかりと裏付けてくれた。
和泉がそう言うと、
「いつか、こんなことになるんじゃないかって思っていましたけどね……」
「そう言えば、守警部は富士原と同期だって仰っていましたね」
ええ、と彼は溜め息交じりに答える。
「学生だけじゃありませんよ。今まで奴と関わって大変な目に遭った人間は数えきれない」
「でも……今このタイミングで、ということは。原因は学校内で起きたことにある、と考えられますよね」
するとその時、
「和泉警部補に、守警部ですか?」
男性の声がした。入り口のところに、薄い色つきサングラスをかけた人物ともう1人、髪の長い女性が立っている。
「あなたは……確か」
名前は忘れたが顔は覚えている。
「北条警視と、あとお二方いらっしゃると聞いておりますが」
「2人?」
「長野捜査1課長と、高岡警部と仰る方が。全員が揃ったら話を始めましょう」