132:門限は守らなければ
『もしもし……?』
「……すみません。貴重な情報をありがとうございます」
先ほどまでのやや浮ついた気分が一気に消し飛んだ。
「和泉さん……?」
「あ、ごめんね。そろそろ帰ろう」
広島への帰り道、反対車線に見覚えのある制服姿の仲間がチラホラと見えた。高速道路を担当する交通課の隊員たちだ。
「何か、事故があったみたいだね」
周が呟く。
「そうみたいだね……」
和泉も横目でちらりと反対車線を見る。
「交通課は大変だよね。盆も正月もなく事故は起きるんだから」
「……刑事だって同じだろ。今日は日曜日なのに、和泉さんだって働いてるじゃないか」
「僕は半分デートのつもりだから」
周が鼻で笑う。
「今、鼻で笑ったね……?」
別に、と彼は目を逸らす。
それから急に、
「そう言えば……昨日のあの猫カフェでの出来事って、何だったの?」
なぜそんなことを思い出したのか、周が急にこちらを振り返る。
「考えちゃダメだよ、そのことは」
必然的に長野のことを思い出すことになるから。あの変人と親戚と言う事実はなるべく伏せておきたい。
それにしても。
山西亜斗夢の父親が述べた家庭教師、それは昨日、猫カフェで北条に絡まれていたあの男性と同一人物なのだろうか。
そして尾道の事件で逮捕された長門。
闇サイトの回線契約者はその男の名義だった。
その身元引受人としてやってきたのも、同じ人物。
どういう裏があるのだろう?
※※※
警察学校の駐車場に到着した。
「ごめんね、あちこち連れ回して」
「ううん、久しぶりに気分転換できて良かった」
「周君。僕も北条警視に用事があるから中に入るね。で、手をつないで……」
「却下」
負けるものか。
門限まであと10分だ。
手をつなごうと和泉が右手をのばしかけた時、周に声をかけてきた女子学生がいた。
「あ、藤江君!!」
「どうしたんだ、何かあったのか?」
「……雨宮教官も北条教官もいなくて、誰に相談しようかと思って……これを見て」
キャッチ!! 上手く手をつかんだはいいが、周は彼女が差し出してきたスマホを両手で受け取り、即座に逃げられてしまう。聞こえないように舌打ち。
「なんだこれ……」
「どうしたの?」
「あ、和泉教官……」
「元、なんちゃってだけどね」
「晶さんが帰って来ないのよ。もう時間なのに、大丈夫かなって。今日は私達が当番なんだから」
そう語る彼女はどちらかと言うと心配というより怒っているように見えた。
今夜は練交当番なのに、片割れがいないと私だって叱られてしまう。そんなところだろうか。
周の手元を覗き込む。
スマホの画面には乗用車を前に立っている、男か女かやや判別のつきにくい人物が映っていた。
『ちょっとドライブしてきます』
とのメッセージが書かれている。
「これ、誰?」
「谷村……俺達の教場仲間だよ」
周の口調からしてなんとなく、彼がこの女子学生に良い感情を抱いていないような気がした。
「あいつ、今日はどこで何をしてたんだ?」
「私を含めて4人で、紙屋町へ買い物に出かけたの。そしたら基町地下街でナンパにあってね」
ナンパされたことが少し嬉しかったのか、そう話す彼女は少し自慢げだ。
「断ったんだけど、しつこくて……そうしたら晶さんが交番に突き出してやるって言ってその男性を連れて2人でどっか行ったの。しばらくして彼女からRINEがきて、思ったより長くかかりそうだから先に帰れって言われました。それが今日の1時頃だったかなぁ? 私達は買い物をして、それからここに帰ってきたんです。でももう、門限が近いでしょう? いくら遅くなりそうだって言っても変だなって……」
「この時間に帰って来ないってことは本当に、何かあったのかもしれない」
周は真剣な顔で言う。
まさか。
和泉の中で嫌な予感が浮かんだ。
「ねぇ、君。その晶さんとかいう生徒のところに……最近、黒い猫の書かれた葉書が届かなかった?」
「え? あ、そういえば……葉書じゃなくてメールですけど、妙なメッセージが来るって言ってました」
予感的中だ。
「……彼女、どういう人?」
「え、どういうって……えっと……」
女子学生は言い淀んでいる。
するとそこへ、
「およそ他者や弱者への思いやりに欠けた、あまり警察官に相応しいとは言えない人物です」
そう言っていきなりあらわれたジャージ姿の学生。なぜか、和泉は名前と顔をしっかり覚えていた。上村だ。
「そう断言できる理由は?」
「……お話しするとなると長くなります。彼女が自分の意志でこの時間になっても戻らないのであれば、すなわち退職の意志があるのかもしれません。ですが。もし何者かによって身動きが取れない状態にあるのだとしたら……」
「どっちにしても、北条警視に連絡しておくよ」
和泉はスマホを取り出した。
長い間電話はつながらなかったが、1分ぐらいあきらめないで呼び出していたら、やっとのことで応答があった。
『……何?』
寝起きだろうか? やや不機嫌そうだが、そんなことを言っている場合ではない。
「今、警学にいます。実を言うと1人、門限を過ぎても帰って来ない学生がいるんですよ」
『え……』
「ちなみに該当の女子学生の元に、黒い子猫からメールが届いたそうです」
『誰っ?! 女子学生って!!』
急に口調が変わった。
「えっと……」和泉は周の顔を見た。小さな声で、
「谷村だよ、谷村晶」
「谷村晶さん、だそうです」
『すぐにそっちへ向かうから、学生達を寮に待機させておいて!! それとあんたはそのまま教官室にいて!!』
たぶん、もう遅い。
和泉はそう思ったが口にはしなかった。
「俺も、部屋に戻った方がいいかな?」
不安げな顔で周が見上げてくる。
「ううん。いろいろ訊きたいことがあるからここにいて。君も、上村君も……」
しばらくして、
「どういうこと? 雪村君は何て?!」
制服姿の女性教官が怒りをあらわに入って来た。
北条のことをそう呼ぶということは、かなり親しい間柄なのだろう。
「藤江君、あなたなら知ってるでしょう?」
「いえ、自分は何も……」
「失礼いたします。私は捜査1課強行犯係、和泉と申します」
周を庇うように立ち、和泉は女性教官に話しかける。
「学生が1人、門限を過ぎても戻って来ないという事態が発生しています」
すると彼女は鼻を鳴らして、
「あら、それじゃデートが長引いちゃってるのね。男子の方でも1人、帰って来ないのがいるのよ」
「だ、誰ですか?」
「栗原よ」
周の顔を見る。しかし彼は不思議そうな顔をしていた。
「あの2人、意外と仲良さそうだったし。どうせ叱られるなら2人揃って一緒ってことなんじゃない? もういいから、あなた達は部屋に戻りなさい。それと……」
すると。和泉は上村の表情が変わったことに気づいた。
「君、何か思い当たることがあるんだね……?」
「谷村巡査にしろ、栗原巡査にしろ……」
「上村君!! あなたも、藤江君も。さっさと部屋に戻りなさい!! それと、彼が何を言ったのか知らないけど、後は我々の仕事です。それとも捜査1課って、そんなに暇なんですか?」
「今、なんて言いかけたの?」
和泉は女性教官に背を向け、上村に声をかける。
「いえ……あの」
どういう訳か、彼は口ごもってしまう。背後で女性教官が睨みを効かせているからだろうか。
「教えてくれないか。もしかしたら、救える命があるかもしれない」
すっ、と人影が傍を通りかかる。
和泉は咄嗟に上村の肩を抱き寄せ、音もなく彼の右に移動した彼女を見つめる。
恐らく手を挙げようとしたのだろう。
「これはれっきとした事情聴取です。ジャマをしようというのなら、捜査妨害と言うことで報告を上げますよ?」
何も言えなくなったのか、女性教官はカツカツと靴音を鳴らして去っていく。
その後ろ姿を不思議そうに見つめているのは周もそうだが、上村も怪訝そうな顔をしていた。
『なんちゃって教官』とは?
前作を読むといい……!!
ファザコン警部補とシスコン巡査の愉快な非日常~県警警察学校第50期生備忘録~幽霊騒ぎの後始末~昨日の友は今日の敵?!~繰り返す3年前の悲劇と包ヶ裏海岸に消えた愛と殺意の行方!!
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