129:帰って来たさば
というか、何をしに来たんだ。
「ねぇねぇ、モミじー1号」
「なんだい2号」
「昨夜ね、ゆっきーが、何かえらいもんつかんだらしいよ?」
「へ~、あの人無敵だもんね~」
「運も強いしね」
聡介はふと顔を上げた。
「……何かえらいもの、って何ですか?」
するとその時。
何か小さくて黒っぽい塊が、部屋の入り口から入ってくるのが見えた。
小動物のように思えたが、まさかこんなところに。
課長のせいで少し目がおかしい。
と、思ったが。
「捕まえてください!!」
と、若い男性の声。
え? 聡介は立ち上がった。
「うわぁああーっ、猫―っ?!!」
黄島が大きな身体を震わせながら、椅子の上に立ちあがる。そのバランス感覚はさすがというかなんというか……。
猫と思われる黒っぽい物体はしばらく走りまわっていたが、やがて部屋の隅で動きを止めた。それからぴょいぴょい、と近くの椅子を足がかりにし、机の上に広げてあった書類を蹴落としつつ、壁際のキャビネットの上に上って行く。
止まったらハッキリと姿が見えた。
確かに猫だ。
ある日突然いなくなってしまったサバトラのような気がした。
そして首にかけてあるリボンには見覚えがある。
「……さば?」
聡介が呼びかけると、さばと思しき猫はぴく、と耳を動かす。
「……おいで」
手を差し伸べる。
すぐに反応はなかった。辛抱して、じっと待つことにする。
やがて。猫はいったん机の上に飛び降り丸くなる。
聡介が近づいても逃げることなく、頭を撫でると、嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
抱き上げると甘えたような声で「にゃー」と鳴いた。
「……どうして、猫がこんなところにいるんだ……?」
「つまり、北条警視のつかんだ『すごいもの』がこれだと言う訳ですか?」
駐車場の一番隅にライトバンが停めてあるらしい。ブルーシートで覆ってあり、今は検証中だと、聡介と長野も外から見守っているだけだ。
「昨夜、何があったんです?」
「……詳しいことはワシも知らんのじゃけど、なんかあったらしいよ」
適当だな……さすが和泉の親戚だけある。
「ところでのぅ、聡ちゃん。さっきからさりげなく……そのにゃんこは何じゃ?」
「あ……」
気がついたらずっと、さばを腕に抱いていた。
「これはその、そうだ……確かこのライトバンに積まれていたと……以前、私が拾った猫に似ている気がして……」
その時、ブルーシートがめくれ、中から鑑識員が出てきた。
「お疲れ様です」
「これが昨夜、押収されたって言うライトバンじゃな?」
「ええ、もう作業は終わりましたので、中に入っても大丈夫ですよ」
さばが腕から降りて、ライトバンに近づいていく。
「待て!!」
聡介が後を追うと、後部座席のドアに描かれたロゴプリントが目に入った。
【あなたの町の便利サービス 猫の手】
まさか……。
※※※
なんとかリョウと連絡を取れないだろうか。
聡介はタウンページをめくった。
どの項目に掲載されているのだろう? 隅々まで探してみたが、該当する電話番号も店名も見つからない。やはりインターネットを利用するしかないのか。
「おい、彰彦!!」
いつもの癖で和泉に呼びかけたが、息子の姿はない。
そうだ。今日は本来、休日だったのだ。
「何かお手伝いしますか?」
と、黄島が言ってくれた。
「それじゃあ、頼む。何とか先生って言うので『猫の手』っていう代行サービス会社を検索してくれないか」
承知しました、と彼はパソコンを操作する。
「幾らか該当が出てきましたけど、どうします? 全部プリントアウトします?」
「いや、たぶんそれじゃキリがないから、あとは自分で何とかする」
今年の誕生日プレゼントだと、娘達がプレゼントしてくれたのはブルーライトをカットしてくれて、文字が大きく見えるルーペであった。
そのルーペをかけてパソコンの画面をのぞきこむ。
似たような名前の店や会社が複数出てきたが、どれが探している情報だろう?
そうだ、車のナンバー!! 証拠品として押収されたライトバンのナンバーを辿れば身許が割れるはずだ。
でも……と思う。
彼がいったい何をしたのだろう?
聡介は初めて出会った時のことを、いろいろと思い巡らしていた。
電車の中で声をかけてきたのは向こう。そして尾道で再会した。
これから仕事なんだ、と言っていた。
何の仕事なのか、深くは訊ねなかった。
だが、その翌日に山西亜斗夢の遺体が発見された。
まさか彼が何か関係しているのだろうか?
そもそも何の事件の証拠品なのか。北条が抑えたと言っていたが、警察学校の教官である彼がいったい、何の目的で? 何を調べていたのだろう?
ああ、そうだ。さばも返しておかなければ。一応『証拠品』扱いなのだから。
聡介は再び、鑑識課のドアを叩いた。
「ごめんな、さば……」
本当は家に連れて帰りたいがそうもいかない。
しかし聡介のそんなしんみりした感情とは裏腹に、扉を開けた途端、さばは古川に向かってまっしぐらに走って行く。
「にゃ~ん」
なんだかな……と思いながら聡介は、若い鑑識員に疑問を投げた。
「何の事件の証拠品なんだ?」
「自分は、詳しいことは何も聞いていません」
若い鑑識員の男性は申し訳なさそうに答える。
それに対して女性の鑑識員……確かうさこの友人……はなぜか不貞腐れたように、
「知りませんよ、そんなこと。突然、あのパンクロッカーが鑑定して欲しい物があるって持ちこんできたんですから」
パンクロッカー……彼か。
「さば、ここで大人しくしていてくれよ」
猫の首を撫でていた古川は、
「え……この猫って、高岡警部の?」
「飼っていたはずが突然、行方不明になって……ここで見つかった。なんでだろうな?」
「帰りたくなったんじゃないですか? 飼い主のところに」
古川の台詞に猫が笑ったような気がした。
それからふと、聡介には思い出したことがあった。
「そうだ。古川君、似顔絵を作成してもらえないか?」
「お安い御用っすよ」
彼は机に立てかけてあるスケッチブックを片手でつかみ、鉛筆を取った。
「まず、輪郭は?」
輪郭、額、眉毛や目元などの細かいパーツを覚えている限り答え、それを聞いた古川はさらさらと鉛筆を紙の上に走らせていく。やがて、
「……こんな感じっすか?」
女性の似顔絵ができ上がる。
「いや、もう少し目が吊り気味で……唇はもっと厚い……」
ふーん、と彼はさらに線を書き加えた。
そうして聡介が黙ってその様子を見守っていると、
「あ……」
古川が怪訝そうな顔をした。
「どうしたんだ?」
「いや、なんか知ってる顔のような気がしてきたんですよ……これでどうです?」
スケッチブックに作成された似顔絵は間違いない、おおみやという居酒屋と先ほど猫カフェで見かけた女性だ。
「そう、これだ!!」
コピーを取らせてもらい、聡介はそれをクリアファイルに入れて持ち出そうとした。
「……あの」
足を止めて振り返ると、なぜか古川は表情を曇らせ、言いにくそうにしている。
「この人が何か疑わしいんですか?」
「……いや、それはまだ何とも言えない」
そうだ。ただの勘であり、根拠はない。
「君の知っている人か?」
「ええ、まぁ……」
どうしたものか。悩んだ末に、と言った感じで彼は答えた。
「こないだ警部に鑑定をお願いされたチラシにも、どういう訳かこの人の指紋がついてたんですよ」
「この人って、似顔絵のこの女性か? 前科でもあるのか」
すると古川は首を横に振る。
「指紋を取られるのは前科者ばっかりじゃありませんよ。俺達だって、警察学校に入った時に全員、とられたじゃないですか……」
と言うことは身内か。
何だか嫌な予感がする。
「ありがとう。時間を取らせてすまなかったな」
「……俺がここに来る前」
古川の声が背中で聞こえた。
「海田北署地域課で世話になった主任です。雨宮冴子って言う、今は確か……警学で教官やってるはずです」
聡介は振り返って彼を見た。
「すごくお世話になった人です。姐さんって感じで、面倒見が良くて。皆に慕われていました」
「そうか……」
ただ、と彼はなおも続ける。
「プライベートではいろいろ、大変なこともあって。でもそんなの、全然表に出さないで……ホントに立派な人だと思います」
「生きていれば本当に何かいろいろ、があるものだな」
さばはアモロが好き……と(笑)