128:にゃんこ大脱走劇
気がつけば夜が明けたらしい。窓から差し込んでくる光が目に眩しい。
ちらりと時計を確認すると、なんと正午が近い。
昨夜は徹夜だった。
終わりの見えない作業にウンザリする。
次から次へと事件は発生するし、頼まれることも多くなる。が、郁美は溜め息をつくのだけは我慢した。
というのも古川のせいだ。
職人気質のあいつは、文句ひとつ言わずに黙々と、ひたすら作業に打ち込んでいる。
ここで溜め息を漏らしたりしたら、何を言われるかわからない。
顔を洗ってこよう。
郁美は立ち上がって洗面所に向かった。眼の下のクマがひどい。こんな顔の時に、好きな人には会いたくないものだわ。
髪を梳いて結び直し、鑑識課の部屋に戻る。すると。
見覚えのある金髪頭がこちらに背を向けている。
「何か?」
「あ、お疲れっす~」
振り返ったのはやはり、友人の彼氏だ。
「良かった、誰もいなかったからびっくりしました」
古川はどこへ行ったのかしら? 後でしっかり咎めておかないと。郁美は自席に腰かけた。
「ご用件は?」
我知らず、口調が剣呑になっている。
「いろいろ鑑定してもらいたいものがありまして」
「そこにある書類に記入して、それから適当にそこに積んでおいてください」
別に彼に何か罪があるわけではないが、どうもツンツンしてしまう。
要するに友人が羨ましいのだ。同期で、容姿だって身長以外はそれほど大差ないと思っているし、女子力だって似たようなもの。
なのに。
どうして私じゃなくて、あの子なの?
……と言っても、仮にこの男性が自分に好意を持ってくれたとして、果たして……?
顔は悪くない。
特殊部隊に入れるぐらいだから、頭だって決して悪くないはずだ。
郁美はハッと我に帰った。
私ったら、何を考えてるのかしら……?
「あの……?」
「あ、えっ?! 記入終わりました?! それで、物は……」
「外なんですよ。一緒に来てもらえます?」
立ち上がろうと郁美が腰を浮かせた瞬間、全身に電気が走った気がした。
「……!!」
「ど、どうしたんですか?」
「な……何でもありませんっ」
長時間座っていたから、急に立ち上がった瞬間、腰にきた。
ビリビリとしびれるような痛み。これは少し、まずいのでは……。
「何やってんすか、郁美センパイ」
どこへ行っていたのか、古川が戻ってくる。
「あ、あんたね……どこに行ってたのよ?!」
「どこって、そこにちゃんと書きましたけど?」
「そこってどこよ?!」
彼の指さした先は、自分のデスク上のモニター。右上の端っこに付箋が貼ってあった。
『煙草休憩に行ってきます』
「ちゃんと、口で、言いなさいよ……!!」
「だってセンパイが先に休憩出ちゃったもんだから。俺だってけっこう、我慢したんっすよ? というより……大丈夫っすか?」
「見てわかる、でしょ……?」
大丈夫ではない。
生まれたばかりの小鹿が立ち上がろうとしている図に見えるだろう。
「じゃあ、俺が行ってきます。案内お願いします」
なんて奴なの?!
そこはお姫様抱っこの上で、医務室へ連れて行ってくれるとか……もっと他に何かあるでしょ?!
郁美は胸の内で呪いを吐きながら、部屋の隅にあるソファーに座りこんだ。
それからしばらくして、部屋には様々なものが運び込まれてきた。
掃除道具一式、それも業務用と思われる、に加え、土のう、スコップ、そして剪定用ハサミ。かなり大きめの紙袋。コートなどを買った時に入れてくれる大きさだ。
何が入っているのか、かなり膨らんでいる。
「それじゃ、お願いします」
友人の彼氏はそう言い残し、去って行く。
「……何? それ」
郁美は古川の背中に話しかけた。
「何でも昨夜、抑えた物証らしいっす」
それから彼は運びこんだ道具を見回し「便利屋ってのはホントだな」と呟く。
「便利屋?」
「どういう事情か知りませんが、車ごと抑えたみたいっす。ライトバンのボディに【あなたの町の便利サービス猫の手】って書かれてて、ググってみたんすけど、掃除とか草むしりとか、電球の付替えとか、雑用全般を引き受ける会社です」
ふーん、と郁美は気のない返事をした。
「あ、忘れてた。これもそうです。後部座席に積まれていたんですけどね……」
その後しばらくして、金髪頭が戻ってきた。その手には旅行カバンぐらいの大きさの籠がぶら下がっている。
そしてなぜか、中からニャーニャーと猫の鳴き声が。
「……猫?」
「まさか猫の手って、そう言う意味で……?」
「違うと思いますよ」
そんなに即座に否定しなくてもいいじゃないの!!
友人の彼氏は籠を机の端っこに置いて、去って行った。
腰の痛みは気になるが、猫は見たい。よいしょ、と声をかけて郁美は立ち上がり、猫の籠に近づいた。
なんと、3匹も入っている。
「可愛い……」
「郁美センパイ、間違ってもフタを開けないでくださいよ?」
誰がそんなことするもんですか、と反論しかけてやめた。
そう言われると開けて触ってみたくなるのが人情というものだろう。
「え、これって……!!」
その横で紙袋の中身を確かめていた古川が驚きの声を上げる。
彼が取り出して広げて見せたその布、形状に、郁美は見覚えがあった。
「せらやん……じゃないの」
「せらやんって、例の?」
「例のもへったくれもないわよ、世羅高原のゆるキャラよ」
郁美は半身を起こした。
「ねぇ、もしかして頭部とか脚部も入ってるんじゃない?!」
何かトンデモない予感がする。姿勢を正すと腰が悲鳴を上げた。
「いったぁあああ~いっ!!」
あまりの痛みに郁美は思わず、捕まるところを探してフラついた。咄嗟に掴んだのは机の角。
そして机全体が揺れる。
その振動で猫の入っている籠が床に落ちた。
「あーっ!!」
ガシャンっ!!
ふたが開き、猫達が一斉に飛び出していく。
「あ、コラっ!! ちょっと待って!!」
待てと言われて猫が言うことを聞く訳もなく。
ちょうど薄く開いていたドアの隙間から、3匹とも走って逃げてしまった。
「何やってんすか、センパイ!!」
「あんたがあんな場所に置くからでしょ?!」
「置いたのは金髪さんです。ちなみに、ちゃんとドアを閉めていかなかったのも」
おのれ、パンクロッカーに足つぼめ!!
古川は急いで部屋を出、猫達を追いかけ始めた。
郁美は、と言えば。
腰が痛くて走れないし、とりあえず急いでせらやんの鑑定にとりかかることにした。
※※※※※※※※※
ビアンカと別れて聡介はそのまま職場に向かった。
歩きながら今までの事を振り返ってみて1人であれこれ考えてみる。
さっきの女性、確実に見覚えがある。
顔を隠すようにしていたが、あの声や話し方は比較的記憶に新しい。坂町の【おおみや】という店で話しかけてきた女性に違いない。
店長は、オーナーは? と店員の女性に詰め寄っていたのはどういう理由だろう。
和泉がいたら2人でディスカッションもできたのだが。今日はどこでどうしているのか知らないが、彼もマイペースにいろいろ動いているに違いない。
昨日はそれなりにいつもの顔ぶれが揃っていた捜査1課の部屋だが、今日はほとんど人気がなくてしん、としている。
そこへ、
「お疲れ様です。昨夜はどうも、ご馳走様でした」
と、黄島が入って来た。今日は彼が当番らしい。
ああ、と短く答えてパソコンの電源を入れる。
それにしても。昨夜のことを思い巡らす。
あの不真面目の権化みたいな長野課長に、そんな過去があったなんて。
いつもの態度はフリだったのか。
やはり和泉の親戚だ。考えること、やることが似ている。
長野はもしかすると、あの【おおみや】の主人を疑っているのではないだろうか。
娘から何もかも奪って行った女に恨みを晴らそうとした、と。
妻ばかりでなく娘まで亡くした孤独な男の心情はいかばかりか。
あの時、自分がちゃんとホシを挙げることができていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。長野課長はそう考えて自責の念にとらわれているに違いない。
そう考えたら、目の前で再びゆるキャラ達による小劇場を繰り広げられても、文句は言えない……だろうか。
猫は【器物】扱いなので、証拠品となるんだエビ。
エビ太も備品だもんね(^^♪