124:次はオマエダ
それは今日、夕方のことだった。
警察学校へ戻った北条は富士原が喫煙所にいるのを見かけた。そしてその指が黒い葉書のようなものをつまんでいたのも。
奴はライターの火を、煙草だけでなく葉書にも近付けた。
『待ちなさい!!』
北条は急いで走って行き、それを奪い取った。
『これ、いつ届いたの?!』
富士原は不思議そうな、かつ非難がましい顔でこちらを睨む。
『ついさっきですわ。通信に届いとるちゅうて……何なんじゃ?』
北条は葉書の中身を確かめた。
間違いない。
黒い子猫からだ。
『……あんた。死にたくなかったら今日は真っ直ぐ帰って、外出は控えることね』
無駄かもしれない。
そう思ったが、言わずにはいられなかった。
『あんたに私生活まで指示されとぅないわ』
富士原は鼻を鳴らしつつ大股で喫煙所を出て行く。
北条はすぐにHRTの部下を招集し、奴の行動確認を命じた。真っ直ぐに帰宅したまでは良かったが、その後、飲みに出かけたという。
こうなることは想定内だった。
なんて、考えごとをしながら闘って勝てる相手ではない。
敵は小柄で細身だがそれだけに動きが素早く、一撃のダメージはそれほど大きくなくても、回数を重ねることで確実に相手の体力を奪っていく。
隙を見て早めにケリをつけなければ。
だがそんなこちらの思惑を嘲笑うかのように、相手は攻撃の手を休めない。
動きに一切の無駄はなく、次に来るであろう相手の一手を読む能力にも長けていると感じた。
確か自衛隊には接近戦を専門とする特別部隊があると聞いたことがある。恐らく、そこにいたのではないだろうか。
自衛隊に入る人間には二通りしかない、と昔、誰かが言っていた。
1つは心から『国を守りたい』と思う、純粋な気持ちで入隊する者。
そしてもう1つ。
ただ単に暴力を好むだけの人間。
目の前で警棒を振り回すこの若い男は、明らかに後者だと思う。
瞳の輝きが異様だ。
闘うことを楽しんでいる。
突然、空の様子が変わった。
強い風が吹き始め、星の瞬いていた空が突然、黒い雲に覆われ始める。
その時だった。
向かいから一台のバイクがこちらに向かって走ってくる。
それは恐らく相馬だろうと、北条は直感で悟った。
バイクに乗ったかつての友人はすれ違いざま、半田遼太郎の身体を抱え上げて後ろに乗せる。
それはまさに曲芸のようだった。
「隊長?!」
部下の呼ぶ声が聞こえる。
北条は急いで車に乗り込んだ。
赤色灯をともしてサイレンを鳴らす。
相馬と思われる男と半田を乗せたバイクは自動車工場の脇を通り抜け、そのまま真っ直ぐに広島湾へと向かって走り続ける。
彼らが制止の呼びかけに応じる訳もなく、ついに行き止まりまで追い詰めた。
そこから先は海だ。
約2メートルの堤防が立ちはだかっている。
バイクの二人はこちらに背を向けたまま、堤防の前で停まっていた。
車を停めて北条はドアを開けた。
上着の下に隠してある拳銃の存在を手触りだけで確認しつつ、
「……そこまでにしておいて」
ゆっくりと近づいていく。
ところが。
バイクは突然激しい排気音を鳴らしたかと思うと、こちらへ向かって急発進してくる。
咄嗟に北条は身をかわした。受け身を取って、急ぎ立ち上がる。
しかし、こちらが次の行動にうつるよりも前にバイクは急旋回し、再び海へと向かう。
猛スピードに乗って堤防に乗り上げ、そうして文字通り宙へと舞い上がり、バイクは乗っている人間ごと海に飛び込んだ。
激しい水しぶきと大きな音を巻き散らしつつ、2人の姿は夜の海に消えたのだった。
「……まさか……」
車から降りてきた部下が隣で呟く。
北条は後を追うことを考え、上着のボタンを外しかけた。アルコールなんか飲むんじゃなかった。
「ダメです、隊長!! 上空をご覧ください」
深夜のためわかりにくいが、雨が降り出しそうな天気ではある。
「今夜はこれから海が荒れる予報です。捜索隊を手配するにしても、二次災害の恐れがありますので、明朝以降でなければ恐らくは……」
「そうね……」
恐らく死にはしない。
あの男達は【海の男】なのだから。
根拠としては弱々しいかもしれないが、北条は自分の中でそう結論付けた。
それよりも先ほどの現場に戻らなければ。あの男が乗っていたバンを証拠品として回収しなければならない。
「北条警視、少し休まれた方が……」
そんなにひどい顔色をしているのだろうか? 連れてきた部下が気遣わしげに声をかけてくる。
「そうね、少し休ませてもらうわ。捜索の手配はあんたに任せてもいいかしら」
「承知しました」
多分、頭痛を覚えたのなんて生まれて初めてだ。
北条は少しフラつきながらパトカーの助手席に乗り込んだ。
※※※※※※※※※
目が覚めたら、すぐ隣に和泉が横たわっていたという悪夢のような寝起き、再び。
「……なんで?」
「だってここ、僕のお家だもん」
そう言えばそうだった。
周は目を擦りながら半身を起こした。
「おはよ、マイハニー周君。昨夜はよく眠れた?」
ああ、そうか。
今日は朝食の前に走らなくていい日なんだ。
夜中、雨風の音がうるさくて時折目が覚めたが、寝不足と言う感じでもない。カーテンを開けると快晴だった。
「あ、布団はそのままでいいよ? 朝ご飯の用意できてるから、リビングに来てね」
「そんな訳にはいかないだろ」
いつもの癖で、隅々までキチっと綺麗にたたんで押し入れにしまう。それから周は顔を洗いに洗面所へ向かった。
服を着替えてリビングに行くと、コーヒーの芳しい香りがする。
「ねぇ周君。今日の予定なんだけどね。門限までにはちゃんと寮に送るから……デートしよっ?!」
食パンを片手に、嬉しそうに和泉は言う。
「……どこへ?」
「岡山方面へ、きび団子を買いに。あとはほら、日本三大名園って言われてる後楽園って知ってる? 行ったことある?」
何かある。
ただの観光な訳がない。
昨夜、電話で話していたことと関係があるのだろうか。
周はじーっと和泉の目を見つめた。
「……なに? そんなに見つめられたら恥ずかしいよ」
まぁいい。
朝食を摂った後は軽く掃除機をかけてから2人は外に出た。
和泉は車を発進させ、岡山方面へと走らせる。
ふと周はサイドミラーに映る自分の顔を見た。出かける前に鏡を見た時、昨日よりは少し顔の痣も薄くなっていて、痛々しい様子はやや解消したように思えるが。
車は山陽自動車道に入る。
和泉もただのドライブ……のつもりはないだろうが、絶好の日和ではある。
めったに岡山方面に行くことはないので、周は車窓からの景色をしっかりと眺めておくことにした。
高速道路と並行して見える瀬戸の海は煌めいていて、幾らかの小さな島々が視界に入ってくる。
もしかするといつか、あの小島で駐在所勤務を命じられることがあるのだろうか……。
ふとそんなことを考えたりもした。
標識に【福山出口2キロ】の表示が出たあたりで、和泉がなぜか急に頬を緩めた。
「どうかした?」
「いや、今ほら……ラジオからね、福山のバラ園の話が聞こえたでしょ」
そう言われてみれば。秋は秋でまた春とは違った種類のバラが咲くのだ、という話をしている。
「バラ園には行ったことある? 周君」
「たぶん、子供の頃に何度か……」
あまり覚えていないが、父は元気だった頃、休みの日にはよくあちこちに連れて行ってくれた。
『今は品種改良が進んでいて、紫のバラも本当に咲くようになったんだそうですよ~』
女性のパーソナリティが楽しそうに語る。
いつになく、和泉も柔らかい表情をしている。
「何かいい思い出でもあるの?」
「まぁね。初めて女の子とデートした、思い出の場所だから」
「……え、誰?」
別に誰だっていいじゃないか。ふとそう思ったが、遅かった。
和泉は嬉しそうに目を輝かせてこちらを見つめている。
しまった……。