12:手取り足とり、時折セクハラ
女性にしては比較的ハスキーな声が命令を下す。
「射撃線つけーっ!!」
一列に並んだ学生の人数は現在、27人。
周はイヤープロテクターを装備し、射座に置いてある38口径銃を手に取った。
拳銃の授業は今でも緊張してしまう。心臓がどくどく、早鐘を打っている。
「銃を出せ」
サックから銃を出して上に向けて持つ。
「弾を抜け」
執行実包を抜く。
「弾倉あらため」弾倉を開いて中を確認する。
「銃をおさめ」サックに入れる。
「銃を出せ」再び、サックから出す。
「弾倉を開け、弾を5発こめ」
訓練弾を弾倉にこめて、弾倉をはめる。
「銃をおさめ」
教官に命じられる通り、一連の動作をこなす。今まではそれだけで精一杯だったが、今は少しだけ慣れた気もしている。
「訓練開始。右よーい、左よーい、撃ち方よーい、撃ち方、はじめっ!!」
発砲音が響く。
教官の目は既に標的の方を見つめていた。
標的は15メートル先。直径8・5センチの黒い丸に弾が当たれば10点。それより大きい的に当たっていれば9点。的を外していれば当然、加点はされない。
周の撃った弾は5発中、2発だけが辛うじて9点の的に当たっていたが、それ以外はあらぬ方向に突き刺さっていた。硝煙の匂いが鼻につく。
まだ数えるほどしか拳銃の授業を受けたことはないが、あまり進歩がない。
はぁ……と、周がガッカリして項垂れているところへ、次の指示がくる。
その通りに一連の動作をこなした後、再び的に向かって銃を構える。
「撃ち方はじめっ!!」
やはり銃は怖い。
「……あんたは、力を入れ過ぎなのよ」
振り返らなくても声としゃべり方で、担当教官の北条だとわかる。周は目だけでそっと背後の様子を伺った。
「最初の頃に比べたらだいぶマシになったけど、まだ少しビビってるわね」
突然、背中に温もりを感じた。筋肉のゴツい感触も。
北条の右手が後ろから回ってきて、周の手に銃を持たせ、そのまま腕を持ち上げる。ついでになぜか腰にも、太い左腕がしっかりと絡まっている。
あの、なんでそんなに密着しなきゃいけないんですか?
周は胸の内で質問を投げかけた。
「いい? この角度でこの態勢よ。真っ直ぐ的を見つめて……そう」
み、耳に吐息がかかるっ!!
「だから、力抜けって言ってるでしょ?!」
無理です。
いいからその手を離してください。
「いずれはあんたをHRTに引っ張ってもいいと思ってるのよ。しっかりしなさい」
それもごめんだ。
自分の希望は刑事課で、いずれは捜査1課です、などと言える雰囲気でもない。
周の目に涙が浮かんだその時、発砲音が響いた。
弾はまっすぐ的の中心に穴を開けていた。
※※※
「……今の感覚を忘れないようにね?」
今の感覚って、どの感覚?
わかんねぇよ!! と、胸の内で文句を言っているとすぐ隣で、
「すごいわね、上村君」
と、北条ではない教官の声がした。
「45点。やるじゃないの」
「恐れ入ります」
すぐ隣に立っている上村は、微かに頭を下げる。
「皆、見てごらんなさい」
的を指差し、そう語るのは先日の異動で新しく赴任してきた教官の一人、雨宮冴子巡査部長である。彼女は周達にとって副担任に当たる女性警官だ。
すらりと背が高く、年齢不詳だが見た目は随分と若々しい。
「これぐらいできるようになれば一人前ね、みんな、頑張って」
彼女の台詞に学生達の反応はバラバラである。
周のように単純にすごいな、と思う者。そして。
内心で舌打ちしつつ苦々しく思う者。
上村と言えば、座学では他に並ぶものがいないほど優秀だが、それ以外……格闘技全般及びランニングなど、体力勝負では皆の足を引っ張ることが多い。今まではそうだった。
最近は少し改善されてきたが。
そんな彼の意外な特技が【射撃】でもあると判明したのはつい先日である。それまでは拳銃の出し入れ、構えなどの基本動作ばかりで、実弾を使って撃つことはなかった。
いざ、本当に銃を撃つことになった時。
皆が少なからず音や硝煙の匂いに恐怖を感じている中、上村だけは淡々としていた。
おまけに命中率が高い。
こうしてまた、彼に対する教場仲間達の反感は高まった。
何しろ上村は他人に対する態度があまりにも不遜だ。言っていることは決して間違ってはいないが、その言い方が厳しいせいである。
協調性なし。
いつも彼は周囲から浮いている。
しかし。周に言わせれば彼はただ、不器用なだけで、きっと打ち解ければもっと普通の人間なのではないかと思っている。
彼を見ていると時々、亡くなった兄を思い出す。
辛いこと、悲しいことがあまりにもたくさんあって、他人とどう接していいのかわからなくなってしまった……そんなただの哀れな迷子のような。
そんなことを考えている内に、授業終了のチャイムが鳴った。
「なぁなぁ、上手く撃つコツ、みたいなのが何かあるのか?」
次の授業の為に教室移動している間、周は上村に話しかけた。
「……そんなもの、正しい撃ち方をすれば自然と当たる」
「そんなこと言ったって、その正しい撃ち方がなかなかできないから訊いてるんだろ?」
卒業を間近に控えた頃、拳銃検定があると聞いている。
初級、中級、上級とあるらしい。いずれは上級を目指したいところだが、今のところ周は銃をまともに構えるのだけでいっぱいだ。
そう言えば、和泉は拳銃に関してどれぐらいの腕前なのだろう?
昔、特殊部隊にいたことがあると聞いたから、相当なものに違いない。
※※※※※※※※※
「ああいうやり方は感心しないわね、冴子」
「あらそう? どうして、雪村君?」
教官室には今のところ、北条ともう1人……雨宮冴子しかいない。拳銃の授業が終わった後、2人は向き合って立っていた。
「……あんなふうに他の学生の前で1人だけを褒めたりしたら、たちまち全員から嫉妬の的だわ」
北条は長い前髪をかき上げながら言った。
「いいじゃない。皆が足の引っ張り合いをしてる、そういう組織でしょ? 現場に出れば人前で恥をかかされることの方が多いのよ。今だけ、そんなことがあったっていいじゃないの」
冴子もまた、耳にかかる髪を後ろに流しながら答える。
それに、と彼女は続けた。
「雪村君だって1人だけ特別指導してたじゃない。名前、なんだっけ?」
「藤江周」
「あ、そうそう。その子!! 噂は聞いてるわよ。今年のホープだって……そう言えば……」
黙っていると彼女はいつまでも話し続ける。
北条はキリのいいところでストップをかけた。
「あんたって、昔からちっとも変わってないわね……冴子」
「雪村君もね?」
秋の人事異動で警察学校にやってきた新しい助教、雨宮冴子は北条にとって、古くからの顔馴染みであった。遡れば大学生の頃からである。
彼女とは警察学校でも同期生だった。
サバサバと竹を割ったような性格の冴子とは、大学に入って出会い、すぐに打ち解けた。
彼女と目指す就職先が同じだったせいで、剣道及び射撃サークルにも一緒に所属し、同じ時間を過ごしたものだ。
お互いに全然気を遣わなくて済む。
そんな関係性が心地良く、長い間親交は続いていたが、まさか彼女がこの学校に教官としてやってくるとは予想外だった。
「ねぇ、雪村君。今夜って何か予定ある?」
「今日はちょっとムリね」
「じゃあ明日、久しぶりに飲みに行こうよ、2人で。ね?」
冴子はパン、と胸の前で手を叩く。
「……旦那はいいの? 放っておいて」
彼女に3歳年上の夫がいることは知っている。結婚したのは確か、もう20年近く前のことだ。
「いいのよ、もういないもん」
「え? どういう……」
「あの人、突然、出て行っちゃったの。今頃、どこかで他の女と暮らしてるんじゃないかしら?」
驚いて北条は言葉を失ってしまった。
大恋愛の末に結ばれた、おしどり夫婦だったはずなのに。
「ま、ホラ。その辺はその時にじっくり話しましょ? 私ね、実はこの近辺の所轄にいたことがあるんだ。だから安くて美味しい店を知ってるのよ」
あっけらかんと語る彼女の笑顔は、昔のままだった。