117:リユニオン2
毒入りの餌を食べさせたのはおそらく心ない学生の悪戯だろう。元々野良猫だったということもあり、学校側はこの件をあまり大きな問題としては扱わなかった。
いろいろな憶測が飛び交い、そのうち犯人は特定された。
同じ学部のとある男子学生だった。
単位を落としそうになってムシャクシャしていたから、と悪びれもせずに答えたという。そして。
野良猫を殺した犯人である男子学生がバイクで事故を起こし、半身不随になった結果、中退したという話を聞いた。
当時、学生達の間では猫の呪いだと話題になったものだ。
北条はもちろん、そんなことを本気にしたりはしなかった。だが。
今なら思う。
もしかして相馬の仕業ではないだろうか。
彼はバイクや車などのメカニックに関し、並みならぬ知識と技術を持っていたからだ。
北条も乗っていたバイクを彼に直してもらったことがある。
自分の大切なものを傷つけられた。
それが理由で加害者を制裁する。
先日、都築と言う自衛隊員から聞いた話のせいで、学生時代にまで遡ってそう推測したのであった。
相馬要と言う男。
自分は彼の、表面しか見ていなかった……。
何も知らずに友人の顔をしていたのか。
※※※※※※※※※
「あの、なんで北条警視と長野課長がいらっしゃるんでしょう……?」
守警部がひそひそと話しかけてくる。
「わかりません。北条警視の方はともかく、長野は……ただのアホです」
和泉は応えながら、じっと北条の顔を伺った。
「そんなことより、先ほどの男性がこの店のオーナーでしょうか? 登記では責任者が『相馬要』氏となっていましたが」
「さっきの男が、相馬要よ」
守警部はびくっとしている。彼は知らないのだろう、北条の異様なまでに発達した聴覚を。
「そ、そ、そうなんですね?!」
そこへ、
「お待たせしました。皆さん、コーヒーで良かったですか?」
「……カプチーノが良かったのぅ。髭ミルクするけぇ」と、長野。
「では、淹れ直してきましょう」
放っておけばいいのに。
「おい、ジジィ。何しに来たんだよ?」
和泉は長野に訊ねた。
「にゃんこと触れ合う以外、猫カフェにくる理由があったら教えて欲しいのぅ?」
のぅ? と彼は北条の腕にがっちりロックされている周の隣に腰かける。
そしてなぜか、
「ユーもにゃんこ?」と周に問いかける。
「……違います」
「違うって、彰~!! 残念!!」
何を言っているんだ、このオヤジは。
お待たせしました、と相馬要が戻ってくる。
「それで、雪村。僕に話って何?」
相馬はよじ登ってくる猫を抱きながら、北条に話しかける。
「お願いがあるのよ」
「お願い?」
「この子、見て」
そう言って彼は周の頭から帽子を取る。そして、顔を無理矢理に顔を上げさせた。
和泉は驚きに思わず声を失った。
周の顔は怪我だらけだった。
目のまわりが黒くくすんでおり、あちこちに紫色の痣が浮かんでいる。
先ほどは他のことに気を取られていて全然わからなかった。
「え、ちょっ……何すんですかっ?!」
すると今度は周の着ている服の裾をまくり上げ、腹部の肌をあらわにする。そこにも多数の痛々しい痣が発見された。
つけられたのは恐らくここ最近に違いない。
「アタシね、今、警察学校の先生やってるの」
いったい誰が周をこんな目に遭わせたのか。
そんなこと、問うまでもない。
あの時、周に因縁をつけていたなんとかというゴリラみたいな教官だ。
「この子、大のお気に入りなんだけど……多分そのせいね。他の子が嫉妬しちゃって、ひどいイジメに遭ってるのよ」
「ちが、違います……そんなん……っ!!」
否定しようとした周の口は、北条の大きな手によって塞がれる。
「それはそれは酷いものよ。武術訓練っていう名目にかこつけて、皆で寄ってたかってこの子ばっかりに暴力を振るうの。見咎めるとなんて返答すると思う? 『これは立派な授業の一環であり、彼自身が望んだことです』ってね……」
無駄な抵抗だとわかっているのかいないのか、周はジタバタと全身を動かしている。
「絶対に許せない、そう思ったわ。でも。そうかと言ってアタシがこの子のために、犯人に報復したりできないじゃない? すぐにバレるしね。日本の警察が優秀なの、知ってるでしょ?」
ねぇ、と北条が自分達を見つめてくる。
相馬の表情が変わった。
というよりも、今まで営業用の笑顔を貼りつけていたのが、無になったというべきだろう。
北条は続ける。
「仮にバレたらどうなるか……今ある地位も何もかも全部失ってしまう、なんてこと言うまでもないでしょ。そんなのごめんだわ」
それから彼は真っ直ぐに相馬の目を見つめた。
「それでね。代わりに誰か、この子を傷つけた加害者に手を下してくれる人を探してるのよ」
その時、やや乱暴に店のドアが開いた。
「要さん、貸切って何?!」
若い男性が怒ったような口調で飛び込んでくる。
その男性に和泉は確かに見覚えがあった。
猫のような眼、聡介ぐらいの年代に言わせれば『チャラチャラ』した、若い世代には『Bボーイ』と認識させるスタイル。
「……あれ? 確か、こないだ聡介さんと一緒にいた……」
こちらを覚えていたらしい。
和泉はどうも、と会釈をするに留まった。
「何かあったの? 要さん」
おそらくこの男が、先日あの自衛隊員が言っていた、相馬要の元上官で間違いない。
「……いくら払える?」
相馬は再び笑顔を浮かべて返した。
「雪村はお金持ちだし、可愛い子のためならいくらでも惜しまないだろうね」
すっ、と北条が本気の怒りを覚えたのを和泉は肌で感じた。
「なんて、久しぶりに会ったっていうのに……どうして突然、そんな物騒な話を持ち出すんだい? だいたい、今の俺はただの猫好きなカフェのオーナーだよ」
「表向きは、ね?」
和泉は猫目の若い男が不穏な動きをしそうになるのを咄嗟に感じ、席を立った。
もちろん自分よりも北条の方がはるかに強い。それでも身体が勝手に動いた。
しかし、予想したようなアクションは起きなかった。
「にゃ~ん」
突如として乱入した人間の声に、一気に場の空気が変化する。
「のぅのぅ、今度の譲渡会っていつ~? 今日はもう終了なんじゃろ~?」
仰向けに寝転がっている長野の腹に、肩に、足元に、猫達が群がっている。
「わしものぅ、そろそろ今後のことを考えたら、1人でおるのも寂しいかのぅって……猫でも飼おうかと思っとるんじゃ」
「そうですか……詳しいことは、そこにあるパンフレットに書いてありますのでどうぞ」
相馬は1枚、ラックからチラシを取り出して長野に渡した。
それから笑って、
「雪村も、どうせ独りなんだろう? 人間の可愛い男の子がいいのかもしれないけど、猫だって可愛いよ? うちの子は皆いい子だから1匹ぐらい連れて帰ってよ」
北条は周を道連れに立ち上がる。
「お断りよ。猫も、可愛い男の子も好きだけど。ここでもらった猫なんて、身体のどこかに盗聴器でも仕掛けられてるんじゃないかって思うわ」
※※※※※※※※※
「……何なんですか、いったい……」
店を出て周を解放してやると、彼は困惑を顔いっぱいにあらわし、こちらを見上げてくる。
「あんた、どうして今日ここに来たの?」
「どうしてって、猫が好きだから」
「そんなこと知ってるわよ。1人で来たの?」
「いや、初めは護……倉橋巡査と一緒でした。彼が今日、譲渡会があって猫をもらいに行くって言うから一緒に来たんです」
「倉橋が……?」
「実家で飼うそうですよ。それと……割引券もらったから」
「誰に?」
「……雨宮教官に。この店のオーナーと友達だからって」
冴子が?
別にそのこと自体は不思議でもなんでもないが。
なぜか妙に引っかかる。
「ねぇ、どうして急にそんな話になったの?」
「そんな話って、どの件ですか?」
「倉橋が猫を引き取りに来たっていう経緯よ」
周は首を傾げている。
「詳しいことは知りません。でもなんだか、彼自身も不思議そうっていうか……なんて言うのかそうしなきゃ、みたいなことを言っていました」
「そうしなきゃ……?」
義務ということか?
あるいは何かと引き換えに?
「あの、そろそろ帰ってもいいですか?」
「どこへ帰るの?」
「寮ですけど」
「……待ちなさい。今日は特別に、違う所へ泊まって」
周は不思議そうな顔をした。