114:週刊真実
店を出てからふと、和泉は疑問を口にした。
「そう言えば、どうしてだろう?」
「……何がです?」
守警部は胃の痛そうな顔をしている。
「なんで帝釈峡だったんだろう? 御堂久美は何をしに、そこへ行ったんだろう……?」
「実は僕、ずっと気になっていたんです」
そしてもう1つの疑問が浮かぶ。
「それに……改めて考えてみればあの日、結婚式場に新婦の側の親族も誰一人姿を見せなかったのはどういうことでしょうか? 友人……というか同僚たちは、自らの意思でボイコットしたと確認は取れていますが」
「事前に、新婦の父親に逮捕状が降りたことを聞いていたのではありませんか?」
守警部は何気なくそう言ったが、あり得ない話だ。
それが事実だったとしたら立派な情報漏洩である。
しかしそれ以外に考えにくい、
「……まさか、本当に情報が事前に漏れた……あるいは誰かが故意に流した?」
「故意って……誰が、何のためにです?」
ふと和泉はつい先ほど、あのマザコンが長野の名前を出していたことを思い出した。
「まさか、あのゆるキャラ親父が?!」
「長野課長ですか? まさか!! 第一、捜査2課の事案ですよ。1課長が情報を得るなんていうことは……」
「でも守警部、奴は大宮桃子さんと親しかった。彼女のためにも、その結婚を阻止してしまいたかった」
「そ、それは動機としては成立するかもしれませんが、課長がどうやって情報を得たというんです?」
「あいつが日頃から、本部の中をウロチョロしているのをご存知でしょう? あるいは2課に子飼いの部下が……」
守警部は急に黙りこんだ。
不思議に思って和泉は彼の横顔を見る。
「長野課長が本当に、そんなことをなさると思いますか……?」
彼は真剣な、悲しそうな顔でこちらを見つめてきた。
そうだ。かつてコンビを組んだこともある仲だと聞いている。親しい相手を疑われて良い気分がする訳がない。
「……すみません」
和泉は素直に謝って頭を下げた。
「いえ。でも確かに、誰かが事前に情報を漏らしたと考えるのは自然だと思います。誰が何のためにしたのか、現時点では不明ですが」
「2課か……前は知り合いがいたんですけどね」
この件はひとまず置いておくことにしよう。
暗黙の内に2人は了解していた。
「この後、どうします?」
「八丁堀に向かいましょう。大宮桃子さんの遺品にあったという猫カフェ……たかがチラシをわざわざ大切に保管しておいたぐらいですから、何かあるに違いありません」
そうしましょう、と2人は車を停めた場所に向かった。
※※※※※※※※※
既視感というのは何と言うか、いっそ笑いをもたらすものだな、と聡介は思った。
刑事部長に呼び出された時点である程度、予感はしていた。きっと良いことではないだろうと。
そうして応接室で自分を待っていたのは、かつての義母だった。
しかしなぜだろうか。以前は元気いっぱいで、漲るばかりのエネルギーに溢れているように見えたが、今回はやや憔悴しているようだ。
そしてやはり挨拶も抜きに開口一番、
「……これ、あなたの仕業?」
彼女はテーブルの上に置いてある週刊誌を指差す。それはゴシップ記事ばかりで有名な雑誌であった。
聡介は不思議に思い、雑誌を手に取った。
表紙に書かれている煽り文句が注意を引く。
【あ然!! 『僕のじぃじは警察幹部で、ばぁばは教育委員会なんだぞ?!』あきれた理由で教師を抑圧していた問題児への報復とその顛末!!】
ペラペラとページをめくる。
問題の記事が出てきた。
≪先日、広島県尾道市で遺体となって発見された小学3年生の男子児童。山西亜斗夢君の殺害事件について。彼をよく知るクラスメート達は語る。「友達に乱暴したり、先生の言うことを聞かないばかりか、ひどい時には気に入らない子の上履きに悪口を落書きしたりしてたんです」と、語るのは被害者のクラスメートAさんだ≫
≪お祖父さんは警察の偉い人で、お祖母さんは教育委員会に名前を知られてるってことで、先生たちも遠慮してたみたいです。子供達も空気を読むっていうんですか、あの子にだけは逆らったら行けないって肌で感じてたみたいです。(クラスメートの母親Bさん)≫
そうして読み進めて行くと。
結論として、山西亜斗夢は祖父と祖母の立場を鼻にかけてやりたい放題、問題のある生徒だったと。特に最近ターゲットになっていたのは、父親が外国人と思われる同じクラスのK君である、とも。
ああ、そうだ。
尾道へ行った時、その場面を見た。
見たのはしかし、自分だけではない、ビアンカだってそうだ。
あの幼い子供は外国人を毛嫌いしていた。彼女に対してだって「気持ち悪い」などと暴言を吐いていたぐらいだ。
「あなたが出版社に、こんなくだらないネタを持ちこんだんでしょうっ?!」
以前に再会した時には眉間に皺を寄せ、額に青筋を浮かべ、反論は認めないというぐらいの勢いだったのに。今日はなぜだろう、少しばかり元気がない。
ひ孫を失ったショックだろうか。
あるいは何かこの記事に書かれていることに、思い当たることがあるのだろうか。
「失礼ですが……」
聡介は静かに答えた。「私にそんな暇が、あると思いますか?」
刑事部長はぎょっとする。
ここは黙って何もかも認めた上で、申し訳ございません、と頭を下げて欲しかったのだろうか。そうすれば丸く収まるから。
そんな訳にはいかない。
「もし、私の仕業だとあくまでも主張なさるのなら、物証を提出してください。可能であれば私としてもその上で撤回し、謝罪でも何でもいたします」
「た、た、高岡君……っ!!」
かつての義母が気圧されているのを感じた。
「なお、失礼ですが。私はもう、山西の家にも……彼女のことに関しても一切、何の関心も持ち合わせておりません。あしからず」
お話がそれだけなら失礼いたします、と聡介はドアノブを回した。
しかし誰の仕業だろう?
今度は逆にそちらが気になり始めた。
確かに、あの山西亜斗夢の事件でクローズアップされたのは、通り魔の被害に遭ったかわいそうな幼い子供、という側面だけだ。何の罪もないのに、不条理によって殺された悲劇の主人公として。
まさかビアンカが、あの時目撃した場面をリークしたりはしないだろう。彼女はそういう人間ではない。
聡介は頭の中で、尾道へ行った時のありとあらゆる記憶を探った。
山西亜斗夢に関係した様々な人間達の言い分。
『熊谷君のこと、いつもキモいってバカにしてた』
『お父さんのことを知って、相談に乗ってもらえないかって……』
『正義ってあるんですねぇ』
まさか……!?
イジメの被害に遭っていたクラスメートの母親だろうか。
そう考えたらやるせない気持ちになってしまった。
※※※※※※※※※
突然、外出許可が出たとは言っても……。
今、この怪我だらけの身体で、しかもこの顔で姉に会う訳にはいかない。
とりあえず周は食堂にある公衆電話から、美咲に電話だけしておいた。
かなり心配していたらしい。最初の一声だけで彼女は既に泣きそうな声をしていた。
手紙と写真の礼を伝えると、近い内に学校へ様子を見に行ってもいいかと言い出すので、卒業式までに必ず一回は宮島に戻るからと、どうにか必死で宥めたのだった。
やれやれ。
周が電話を切って溜め息をつくと、後ろに倉橋が立っていた。
「周、あのさ……」
彼は既に私服に着替えている。
「前に行ったあの猫カフェ、また行かないか?」
「行く!!」
周は即答した。
そう言えば。いつだったか雨宮教官からもらった割引券があったはずだ。
「俺もちょうど声かけようと思ってたんだ!! 割引券持ってるんだ」
猫に会える。
まだ道着姿だった周は、るんるんと浮足立って、自分の部屋に戻った。