11:僕にだって苦手なものがあるんだよっ
そう言えばあの騒動の時、花嫁が突然、ばたんと倒れて意識を失ったことを和泉は思い出した。
慌てて式場スタッフが救急車を呼び、病院へ運ばれて行ったのだけは見届けた。
その後、彼女は病院を抜け出して移動したということか。
しかしなぜまた帝釈峡などと言う遠い地へ?
「守警部は……1課の刑事ですよね?」
探るような目つきで和泉が念のため確認すると、
「そうです。よって、自分はインサイダー取引等、経済事犯についてはタッチしておりません。あくまで御堂久美さんの事故死に関してのみ、調査したいと考えています」
思わずにっこり笑ってしまった。
経済事犯に関しては専門外ということもあり、こんな言い方は不遜だが、正直言って食指が動かない。
だが、殺人事件の可能性があるかもしれないとなれば、話は別だ。
守警部は続ける。
「実は亡くなられた御堂久美さんの叔母さんが、私が前にいた部署の上司の顔見知りでして……脅迫状の件も併せて、もっと詳しく調べて欲しいと頼まれたそうなのです。それで私も、詳しい前後の状況などを伺ったのですが……やはり【事故】と断定するのは少し、早計な気がしたのです」
彼も決して暇だと言う訳ではないだろうに。
しかも亡くなった女性と、直接の知り合いではないようではないか。
それでも、もしかするとその【事故】の裏に何か悪意が渦巻いているのではないか、とそう考えた彼はまさしく骨の髄まで『刑事』なのだ。
真相をうやむやにしたまま、見過ごすことなどできないと……。
そう考えたら、一見するとただの人の良さそうな目の前の男性が、ものすごく偉大に思えてきた。
長野は机の上のモミじー人形をいじりながら、何か考えていたが、
「いっちゃんがそう感じるっちゅうことは、間違いなく『何か』があるんじゃ」
元々はコンビを組んでいたというぐらいだからそうなのだろう。
キャラクターや人間性はともかく、この課長の刑事としての能力を、和泉は決して侮っていたりはしない。
「……とにかく現場百篇じゃ。一度、ワシも現場を見てみたい。いっちゃん、案内してくれるかのぅ?」
長野が立ち上がる。
「僕も!!」
思わず和泉は手を挙げた。
「なんじゃ、お前もか」
「文句あるか?」
1課長はニヤリと笑い、
「……聡ちゃんに許可を得てから、の?」
わかってる、と答えてからまず、和泉は捜査1課の部屋に戻った。
※※※
帝釈峡のある庄原市は広島県と島根県とのほぼ県境で、中国山地の真ん中に位置する。
県警本部を出発して中国自動車道に乗る。
しばらく東に向かって車を走らせ、庄原インターで一般道に降りた。
高速道路を降りると片道1車線の狭く、カーブの続く山道を上ったり下りたりして、どんどんと山奥に入って行く。
「……守警部」
「なんでしょう?」
運転中の彼に話しかけるのは悪いかと思ったが、気になったので和泉はつい声をかけた。
「その……何て言うんですか、被害者……というか、御堂さんでしたっけ?」
「ガイシャ、で問題ないと思います、便宜上」
「彼女、どういう人なんですか?」
守警部は少しあきれたような声音で、
「……結婚式に呼ばれたのではありませんでしたか?」
「代理で、ね。このクソジジィの代わりに」
和泉は横目で長野を睨んだ。
「だってぇ~、モミじーとせらやんのコラボが……」
「黙れ」
「実を言うと私も、それほど良く知っている訳ではないのですよ。一度お会いしたことがあるかどうかというところで……」
和泉は亡くなった花嫁を、遠目にパッと見ただけだが、別れた妻に似ているような気がした。
つまり鼻持ちならない、高慢が服を着て歩いているような。
結局、この話題はこれと言った結論を得ることもなく終了した。
道路標識に【帝釈峡】の文字があらわれた。
「もうすぐ到着します」
カーブの続く山道の運転に疲れたのか、守警部が少しホっとした顔で告げる。
ようやく事故現場に到着した。
平日の昼間ということもあって、すれ違う人も車もほとんどない。
周囲には何もない。
時々ぽつんぽつん、と民家があるが商店などは一切、見当たらない。大きく成長した杉の木が存在を主張し、すっかり色あせたガードレールの向こうは、生い茂った木々の為に昼間だというのに薄暗い。
「ここをもう少し北上すると、観光客用のドライブインなどがあるようですが」
守警部が言い、和泉も北方向に目を向けた。
「目撃情報は?」
「……県外ナンバーの軽トラックを見た、という話でしたが、はっきりしていません」
和泉はガードレールを跨いで雑木林の中に足を踏み入れた。
「滑りますから、足元に気をつけて」
そろそろと慎重に足を動かす。
落葉を踏みしめつつ、きっと鑑識がくまなく検証したであろう場所を入念に見回す。
確かに急斜面だ。足を踏み外してしまったら、まさに奈落の底だろう。被害者はこの付近から転落し、湖に浮かんだということか。
既に鑑識がくまなくチェックしているだろうが、和泉はキョロキョロと辺りを見回した。
ふと、気になることがあった。
一本の杉の木の幹に抉れたような跡がある。刃物で傷をつけられたようだ。
和泉は手を伸ばし、めくれた表皮に触れようとした。
「何じゃ、カブトムシでも探しとるんか?」
やはりガードレールをくぐって付近を探っている長野が声をかけてくる。
「誰が!?」
「ひゃはは、彰はカブトムシ苦手じゃもんね~」
「……思い出した……」
「何を?」
「僕がカブトムシを嫌いになった理由……」
それは和泉がたぶん小学校低学年ぐらいの頃だ。仕事で留守にすることが多い母の代わりに、よく面倒を見に来てくれたのが、遠い親戚に当たる長野であった。
夏休みのとある日、和泉は彼にプールへ連れて行ってもらって帰宅し、疲れたので昼寝をしていた。ふと目が覚めた時、なぜか鼻先にかなり大きなカブトムシが乗っていた。
昆虫と目が合った瞬間、食べられてしまうのではないかという、ただならぬ恐怖心を覚えた和泉は大声で泣いた。
それが長野の仕業だったと分かった時の怒り。
いま思い出しても腹が立つ。
「お前のせいだ、このクソジジィっ!!」
「今頃、子供の頃のことを掘り返すなんて大人のすることじゃないど!!」
「やかましい!!」
「だいたい、あの後ワシも、綾乃さんにめっちゃ叱られたんじゃけぇの?!」
「自業自得だボケ!! だいたい、僕の母親の名前を気安く呼ぶな!!」
ガードレールに手をついて、守警部があきれ果てた顔でこちらを見ている。
はっ、こんなことをしている場合ではない。
和泉はスマホを取り出し、気になる部分を撮影した。
他にもあるだろうか。
もう少し周辺を探ってみる。
すると他にも2箇所、別の木にそれぞれの傷跡を見つけた。
何が原因でついた傷なのか、なぜか和泉はひどく気になった。
もう一度足元を見回す。そして木のまわりも。すると、葉と葉の間に残っていた、プラスチックの欠片のようなものを発見した。
オレンジと黄色の中間のような、明るい色。和泉はそれをハンカチで包み、持参したポリ袋に入れてポケットにしまった。
広島に帰ったら鑑識に回そう。