106:え、この人たち誰だっけ……?
誰からの電話だったかって……こんなオチで、なんかごめんなさいエビよ……。
あと。
こいつら誰だっけ? と思ったあなた、シリーズ最初から読みましょう。
それが面倒なら13話の後書きにある図を参照しましょう。
正直言って今はもう、誰とも話したくない。
だが、緊急事態の可能性も考えられるので、北条は仕方なく着信を押した。
「はい……」
『あ、ゆっきー? ワシじゃよ、ワシ』
よりによって今は一番聞きたくない、長野の声だ。『なんか明日、警学の方で外出禁止令が出たって聞いたんじゃけど、ほんま?』
「アタシは命じてないから知らないわ」
どうせ富士原だろう。
冴子からは何も聞いていないが、誰かがまた奴の機嫌を損ねたのだろうか。
あるいは、あの盗難事件が未だに尾を引きずっているのだろうか。
しばしの沈黙の後、
『……ゆっきー大丈夫? なんか、えらく元気ないのぅ……』
放っておいてくれ。
そう口にすることさえ面倒だった。
「何の用?」
あのな、となぜか長野は声を潜めて、
『午前中に特別講義の時間枠を設けて欲しいんよ。捜査1課から2人、刑事を遣わすけぇな』
ふーん、と北条は気のない返事をした。
現場の刑事に経験談でも語らせるのだろうか。
『まぁ、ちょっとしたイベントちゅうか、学生達にとっても息抜きになるじゃろうかと思ってのぅ。ゆる~くかる~く考えておいて欲しいんじゃ』
あのゆるキャラ親父が固くて重いことなど考える訳がない。
『ちなみに今の校長はワシの後輩でのぅ、話は既に通してあるけぇな』
「……なんだかよくわからないけど、わかったわ」
ほんならおやすみ、と電話はきれた。
※※※※※※※※※
「はいお弁当。あとこれ、周君への差し入れね?」
「……遊びに行く訳じゃないんだが……」
「絶対に写真撮ってきてよ、お願いね? あ、大変。忘れるところだったわ」
駿河は溜め息をつきたいのを必死で堪えた。
周のこととなると、こちらの話をまったく聞かなくなるほど夢中になるのが少し妬ける。
美咲は着物の袂から封筒を取り出す。
「猫ちゃん達の写真と、周君に宛てたお手紙。渡すの忘れないでね?」
「……わかった」
今日はイレギュラーな仕事だ。昨夜、長野捜査1課長から連絡があった。明日土曜日の午前、警察学校に出向いて特別に剣道と柔道の授業をして欲しい、というものである。
専任の教官がいるだろうに、と思ったがちょうど良い機会だとも思った。
義弟の様子を見て来られる。
それにしても。通常、土曜日は学校も休みのはずだ。
誰かが何かやらかして外出禁止令を喰らったのだろうか。
まさか、周が原因ではあるまいな……と少し不安になる。
フェリーに乗って宮島口に到着すると、同じ班の仲間である日下部の車が待っていた。聞けば彼も長野課長から、学生達に柔道を教えてやるように命じられたそうだ。
昨日の夕方、そのことを知って彼の車に乗せてもらうことになった。
「別にいいけどよ、何だって急に……」
ハンドルを指で叩きながら日下部が呟く。
「そうですね」
「ま、どうせ教えるんなら強い奴に教わった方がいいよな? 駿河、お前って柔道何段?」
「……残念ながら、初段止まりです」
警察学校で取得して以降、段位は上がっていない。
「マジかー?」
「日下部さんは確か、黒帯でしたね?」
「おぅよ。俺が唯一、和泉の奴に勝てる要素だって」
そう言えば。同じ班の仲間内で最も不思議なあの人は、かつて特殊捜査班にいたという経歴があるぐらいだから身体能力は高いに違いないが、武術関係の実力は知らない。
ちなみに周が県警に入ることを決めた時、ほとんど柔道の経験がなかった彼に、個人的に稽古をつけてやってくれと日下部に頼んだのは和泉らしい。
なお彼も、和泉に頼まれたからではなく、周とは顔見知りだから引き受けてやると、何度となく強調していたことを思い出した。
和泉と日下部は同期同士で仲が良い。と、駿河は思っている。
果たして本人達がどう考えているかは知らないが。
「そういや……ちらっと小耳に挟んだんだけどよ。今、警学で武術専任やってる富士原って奴……相当な悪党だぜ? 俺も一時期、所轄で一緒だったことあったけどさ」
突然、日下部が言い出した。
「悪党?」
「新任潰し、ってあだ名がついてるらしい。今まで、奴のパワハラ被害に遭って何人か退職したって」
ただ世代が異なると言うだけで舌打ちしたり、目の敵のように接してくる人は今までもいた。少し前まで【ゆとり】とひとくくりにされ、見下されていた後輩もいた。
「大丈夫かな、あの子……ほら、お前の義弟」
「……そう簡単に、心折れるような子ではないと思います」
「ま、そうだよな」
美咲には絶対、聞かせられない会話だ。
昨夜。明日は警察学校に行って周の様子を見てくると彼女に告げたところ、自分も一緒に行くと言い出したので、駿河は大いに冷や汗をかいた。
なんとか宥めて1人で出かけることに成功したが。
急に、ものすごく不安になって来た。いろいろな意味で。
※※※※※※※※※
満身創痍というのはまさに、今の自分達のことだろう。
身も心もボロボロだ。
今日も早朝5時から起床し、特訓と言う名目で倉橋は周と2人、道場に召集されている。
週末は全員が外出禁止令をくらった。理由なんて特にない。
ただ、富士原の機嫌が悪かっただけだ。
お前のせいだぞ、と仲間達の無言の視線が突き刺さった。
さっさと辞めてしまえ。
一刻も早く消えろ。
結局、盗難事件の真相は有耶無耶のまま、自分が犯人扱いされている。
周だけが自分を信じてくれた。
でもそれが、彼に余計な【重荷】を背負わせる結果になってしまったのだが。
先日の逮捕術の授業の際、周がひどい目に遭ったと聞いた時が、一番辛かった。
自分のせいだ。
『そう言う考え方は彼にとって負担になる』
上村はああ言ったが、彼にこちらの気持ちなど理解できるはずもない。
ひたすら周に対する申し訳なさと、いたたまれなさと。
それでもここで逃げてしまったら、それこそ彼を傷つけてしまう。そんな葛藤。
倉橋は視界に入る異様な光景を、悪い夢でも見ている気分でボンヤリと眺めていた。
何度も投げられ、畳の上に叩きつけられ、それでも立ち上がろうとする友人。
『倉橋、お前はそこで正座して見とれ』
そう命じられて、手も足も出せずにいる。
初めに声をかけたのはどちらだっただろうか?
周とは席が隣同士で話しやすかった。
入校したての頃、緊張しっぱなしだった自分を励まし、支えてくれた友人。
いつの間にか、いつも一緒にいるのが当たり前になっていて、それがとても心地よかった。
周の顔見知りが教官としてやってきた時も、彼が特別に可愛がられているのを見ても、不思議とそれほど嫉妬は覚えなかった。
今ならその理由がわかる。彼はそういう恵まれた要素の上に胡坐をかくことなく、一生懸命に努力しているから、だから尊敬できるのだと。
警察学校の同期は、その後もずっと付き合いの続く強い絆が結べる。
そう父親が言っていたのは本当だと思う。ここを出てそれぞれバラバラになっても、周とはずっと親しくしていたい。
そうだ、だから。
今、自分にできることを。
「おい、どこへ行くんじゃ!? 倉橋!!」
倉橋は道場を出て走りだした。
向かうのは教官室である。
「教官、北条教官!!」
命令違反だ、と後で叩かれようが殴られようが、どうなってもいい。
今は助けを呼ぶのが最善だ。
このままでは本当に、周が死んでしまうかもしれない。
しかし部屋には誰もいない。
誰か、当番の教官はいないのか。倉橋は必死でまわりを見回した。
「……あら、倉橋君」
後ろから聞こえてきたのは、副担任の雨宮教官である。
「助けて、周を助けてください!! このままじゃほんとに……!!」
すると助教は、
「もしかしなくても、富士原ね?」
「そうです、早く来てください!!」
反応がない。
「教官!!」
苛立ちを覚えて倉橋は思わず、大きな声を出してしまった。
雨宮冴子はスマホを取り出す。
「……雪村君を呼ぶわ。それと。ねぇ、倉橋君って猫好き?」
「な、何を言ってるんですか、そんなことよりも……!!」
「猫、好き?」
質問の意図がわからない。
「捨て猫を飼えっていうんなら、何匹でも飼います!! だから早く周を……!!」