104:まとわりつく猫のような
慣れた手つきで北条は手当てをしていく。
「脱臼とか骨折とかね、日常茶飯事だから……慣れてるのよ」
そんなものに慣れたくはない。和泉はそう思ったが黙っておいた。
1人で住むには広すぎるであろう、マンションの一部屋。しかも高級住宅街と呼ばれる地域である。さすが『警視』だ。独身貴族の称号に相応しい。
チンピラに襲われていた男性が救急車を呼ぶなと頑なに拒んだため、彼を北条の自宅に運び、手当てをした。
自衛隊員の男性……あとで名前を聞いたら都築といった……は、巨体に見合わず、グスグスと泣き出してしまった。
「まさか、まさかソウマさんが……?!」
ソウマ?
和泉は頭の中の記憶を探ってみた。基本的に人の名前が覚えられないので、日常的に聞く名前でない限りは引っかからない。
「あなたの知っている相馬要は、今はもう別人かもしれないわ」
北条は患部へ丁寧に包帯を巻きながら言った。
どうやらその【ソウマ】なる人物は彼の知人のようだ。
「今日、アタシと会うことを誰にも知らせていなかったってことは。もしかしてアカウントを乗っ取られたのかもしれないわね。本来なら、誰にも見られることのない遣り取りを盗み見られたかもしれない」
すると、どの単語に反応したのか、都筑はパッと顔を上げた。
「……それともまさか……あの人が?」
「あの人?」
「いえ、あの……」
北条は真剣な顔でその自衛隊員の手を握り、真っ直ぐに見つめる。
「お願い、相馬はアタシの友人でもあるの」
驚いたのは和泉もそうだ。
そんな話は今、初めて聞いた。
「だからあいつが何かおかしなことを仕出かそうっていうのなら、止めないといけない。本気でそう考えているの。だからお願い、あなたの知っていることを教えてちょうだい!!」
だからなのか。
先ほど見せた、憂いを帯びた瞳。
おそらく先ほどの話に出てきた闇サイトを運営しているのが、彼の言う【ソウマ】という人物。
北条はそう疑っているのだ。
少しの沈黙の後、自衛官の男性は口を開いた。
「相馬さんは本当に、皆から慕われる……カッコ良くて優しくて良い先輩でした。階級はそれほど高くなかったけれど、隊の中で一番、後輩からも上官から頼りにされていたと思います」
「その頃の上官って、なんて言う人物?」
「……半田さんです。半田遼太郎……」
北条の顔が強張った。
「そう。そいつについて知ってることを教えて?」
「相馬さんが海上自衛隊を辞めたのと、ほぼ同時期にいなくなった、2等海佐です……」
「どんな奴?」
「身長は……170ちょっとぐらい。猫みたいな目で、髪は天パです。ちなみにすげぇ頭が良くて、IT系の技術もたいしたもんでした」
なるほど。
先ほど、誰かにメールを盗み見られたかもしれない、と北条が口にした時、恐らく彼はその男のことを思い出したのだろう。
「もっと外見について、詳しいことを教えて」
「えっと……あ、そうだ。それと……私服が自衛隊員にしては意外とお洒落っていうか、いわゆるBボーイってやつですか、身体が柔らかくて、よく宴会でその手のダンスを披露していました。ものすごく器用な人でした」
その話を聞いていて、和泉の頭に浮かんだ人物がいた。
名前は知らない。だが、確実に何度か見かけた。
尾道でも、先日立ち寄ったサービスエリアでも。
聡介に向かって親しげに『おじさん』と呼びかけていた、その人物ではないだろうか。
「半田っていう人は、どうして辞めたの?」
「……相馬さんが辞めるって聞いたから……」
「相馬が辞めるから? 本当なの?」
「……半田さん、ものすごく相馬さんのことを買ってたっていうか……あれじゃ立場が逆だなって、皆が言ってたぐらい……いつも傍にくっついてました」
黙りこんだ北条に代わり、和泉が質問を投げかける。
「他に覚えている特徴はありますか?」
都築はしばらく考えていたが、
「あ、そうだ。確かアーチェリーが得意だって言ってたような」
「アーチェリー……」
「とにかく遠くの目標を見定めるのが得意っていうか……以前何度か俺も、宴会芸でダーツの的役をやらされたことがあったんですが……でも、一度も外したことなかったです」
確か。御堂久美の遺体発見現場付近で拾ったプラスチックの欠片は、アーチェリーの矢だったはずだ。
まさか……。
ところで、と再び北条が彼に話しかける。
「どうして急に、アタシに連絡くれたの? 前は何も話せないって言ってたわよね」
自衛官は目を逸らし、それから少し間を置いて答えてくれた。
「……ニュースを見て、気になったんです」
「ニュース?」
「尾道で小学生の子供が殺された事件、逮捕された男を見た時に……思い出しました。過去に何度か、相馬さんと会っていたのを……見たことがあるんです」
和泉と北条は顔を見合わせた。
身元引受人だと名乗ったのだから、当然と言えば当然かもしれないが。
「どういう知り合いか、聞いたことはありますか?」
「いえ、そこまでは……ただ、随分と親しそうにしていました。だから、まさかあの事件に相馬さんも何か関係してたりしないだろうかって、不安になって……それで俺、あなたに連絡したんです」
彼の判断は間違っていない。
だからこんな目に遭ったのだ。
「あの、刑事さん。まさか、相馬さんや半田さんが……俺のことをチンピラに襲わせたりしたんですか……?」
再び泣き出しそうな顔で彼は問う。
「し、信じられません!! すごく良くしてくださって、親切で……だから俺、あの人が辞めた時はショックで……」
もしその疑惑が真相なら。
善意の第三者である彼を、それもかつては自分を慕っていた後輩を、チンピラを使って口封じしようとするなんて。一度見かけただけの、その相馬や半田という人物に対し、和泉は悪寒と怒りを覚えた。
北条は慰めるように、その鍛え抜かれた肩をさすりながら、
「……相馬が自衛隊を退職した理由は?」
「そ、それは……」
「お願いよ、詳しいことを話して」
自衛官の彼は少し迷ったようだが、そもそも今日会ってくれるつもりだったのだから、話すつもりはあったのだろう。
「3年前です……自分がいた部隊でトラブルがあったのは」
「トラブル?」
「……自殺者を出してしまうほどの、パワハラ騒動があったんです……そのことに怒った相馬さんは、上官を殴った挙げ句……犯人達をリンチして……自主的に退職してしまいました」
名前を明かすことはできないから仮に被害者の頭文字をとって【I】として、と彼はその騒動の詳しい内容を明かしてくれた。
相馬要と言う人物は一小隊を預かる身であり、特に可愛がっていた部下がいた。それがIである。
Iはどちらかと言えば大人しくて、いつもみんなの影に隠れてひっそりしているタイプだったらしい。
それがイジメの原因になったかもしれない、と彼は言った。
海上に出てしまえば艦隊の中、そこは巨大な密室である。海に逃げ場所はない。
閉鎖された空間に閉じ込められると、確かにストレスが溜まる。
拳や蹴りなど、暴力による虐待は日常茶飯事。顔を合わせる度に舌打ちする、彼の使ったペンやその他の備品をつまみ、病原菌がうつる、と悪口を言う。Iは子供の頃、皮膚病を患っていた過去があったのだそうだ。
それでもIは相馬に打ち明けなかった。心配かけたくない、迷惑をかけたくない。ただそれだけを考えて。
そして痣は、常に服で隠れる場所に限定してつけられていた。
遺書をのこしIが自殺した時、初めて相馬は気がついたのだと言う。
Iの遺族は訴訟を起こしたが、自衛隊側は一切の黙秘を貫いた。証拠隠滅の噂も流れたらしい。
すべてを知った相馬は、のらりくらりと責任の追及を交わしていた上官たち、及び直接暴行を加えていた隊員達に【私刑】を科したのである。
その後、雲隠れするかのように隊を去ったのだと言う。
自衛隊の人のファッションは独特らしく、通称『自衛隊カジュアル』略してジエカジというそうな……。