102:哀愁の背中
「……で、何を企んでいるんです? 北条警視」
運転席の和泉は後部座席に向かってバックミラー越しに目を合わせ、問いかけた。
しかし返事はない。
聞こえないフリか。
北条は窓から外をボンヤリ眺めている。
「企んでいるっていうか、何か重要な情報をつかんでいるんですよね? 聖さんでしたっけ、監察課の。あの人と一緒に組んで刑事ごっこですか?」
「刑事ごっこ……ですって?」
聞こえていたとは!!
和泉は息を飲んだ。忘れていたが、この人は異様に聴覚が優れていたのだ。
「い、いやほら、あの……聡さんと噂してたんですよ。北条警視はHRTの隊長と、警察学校の教官に加えて、いったい何足のワラジを履いたら気が済むのかなぁって」
「人のことをムカデみたいに言うんじゃないわよ」
結局痛い目にあった。
和泉は片手でハンドルを握り、患部を擦った。
「……あんたと、守さんだったかしら。2人でいろいろ調べているらしいことはアタシも聞いてるわ」
それはそうだろう。
隠すつもりもなかったが、和泉はこの際、彼にいろいろ打ち明けようと考えた。
「実はですね……」
奇妙な結婚式に端を発し、帝釈峡で遺体となって発見された御堂久美の事故死。そして五日市埠頭で転落死した女性3人組。先日、尾道で発生した小学生男児殺人事件。
いずれも共通していた【黒い猫のイラストが書かれた葉書が届いたこと】について。
最初の2件は事故として処理されているため、守警部と非公式に真相を探っていたことについて話した。
いずれの被害者に対しても強い怨恨を持つ人物がいることが判明したこと。
「ちなみに女性3人組のところには【ブラックキティ】と名乗る人物からメールが届いていました。葉書とまったく同じデザインのサイトからです。これはまだ、僕の推測なんですけど。ひょっとして愉快犯っていうか、サイコパスって言うか……嘱託殺人を請け負う闇サイトなのではないかと……北条警視?」
様子がおかしい。
いつもと違う。
「教えてください。何をご存知なんですか?」
ふと気がつけば呉市内に入っている。
目的地はれんが通り。地図を見る限り駅に近いので、駐車場を探すのに時間がかかるだろう。聞き出すなら今がチャンスだ。
しばらく車中を沈黙が包んだ。
やがて、
「あなたの恨み、晴らしてみせます……」
不意に先輩刑事は妙なことを言い出した。
和泉は黙って視線だけで彼の表情を見守った。
「御用名は黒い子猫まで。そのサイトにそんなこと、書いてなかった?」
気がつけば停車していたらしい。後ろからクラクションを鳴らされ、和泉は我に帰った。
「まさか、それ……」
左側に空きのある駐車場を見つけた。急いでウインカーを出し、左折する。
適当な場所を見つけて車を停めると北条はさっさとシートベルトを外して車外に出てしまい、スタスタ歩きだしてしまう。車に鍵をかけ、和泉は急いで後を追う。
「待ってください、それは……!!」
前方から北条がスマホを投げて寄越す。万が一にも落として壊したりしたら、後で理不尽な文句をつけられるに違いない。和泉は細心の注意を払ってキャッチする。
すると。
真っ黒な画面に赤い文字で【ブラックキティ】と書かれており、黒い葉書にプリントしてあったのと同じ猫のイラストが見えた。
やっぱりか!!
和泉は指を滑らせ、サイトの中に入ろうと試みたが、それ以上は先に進めなかった。
他人のスマホだが勝手に操作して、スクリーンショットでも残っていないだろうかとあちこち探ってみる。そして見つけた。
そこに書かれていたのは、法律では解決できない恨みを、あなたに代わって裁いてみせますという内容だ。
要するに嘱託殺人を依頼するためのサイト。
尾道での事件は明らかに殺人だったが、他2件はいずれも【事故】だ。
しかしそれはおそらくそう装ってこのサイトを運営する者が上手く『始末』したのだろう。
ターゲットの元に届いた殺人予告があの、黒い葉書。
自分の推測は間違っていなかった。
このサイトの管理人は誰だ?
その時、和泉の中で閃くものがあった。
もしかして北条の知っている人物ではないだろうか?
だから尾道の事件の時、恐らく被害者のところへ黒い葉書が届いたとどこから聞いて、そうしてやって来たのではないか。
彼なりにどこかから、恐らくあの監察官から情報を仕入れ、そうして……。
確かめに来た。
そうだ。尾道の事件の折り、容疑者として出頭してきた男の身元引受人。
あの男性がやって来た時の彼の様子はただごとではなかった。
知っている、というよりもむしろ親しい人物と考えて差し支えないのでは?
和泉がスマホ画面から顔をあげると、気のせいだろうか。日頃は自信に満ち溢れ、堂々としている北条の背中から哀愁のようなものを感じた気がした。
だが今は、何を聞いても詳しいことは話してくれないだろう。この人も他人を頼ることはしないタイプだ。決して人前では弱みを見せない。
それは彼が特殊な任務に就く部隊を率いる立場だから余計だろう。
動揺や不安を表に出せば全員の士気に関わる。
彼の指示一つに誰かの命がかかっている、そんな状況に身を置くことだって少なくない。
和泉はスマホをポケットにしまい、北条の隣に並んだ。
筋肉質なその広い背中にそっと触れる。聡介だったら、周だったらきっと、そうしてくれると思ったから。
※※※
そう言えば今日は金曜の夜だった。れんが通りはたくさんの人で溢れかえっている。
すれ違う人の幾人かは既にでき上がっていて、千鳥足でいずこへともなく歩いている。
和泉が黙って北条の後をついていくと、彼は全国的に有名な居酒屋チェーン店の入り口で足を止めた。
「ここが約束の場所ですか?」
すると。
何の前触れもなく、北条が急に走りだした。
「えっ? ちょ、どこ行くんですか?!」
彼は人波を上手くかきわけ、どんどん商店街の奥へと走って行く。
きっと何か【聞こえた】のだろう。和泉も後を追いかけた。
やがて。店と店の間、狭い路地裏の一画に辿り着く。
和泉の耳にも聞こえてきた。ほんの数メートル先で罵声と怒声。
そして、誰かが殴られ、蹴られる音。
警告も前触れもなく、北条はこちらに背を向けてはいるが、服装や髪形からして明らかにチンピラだとわかる男に向かって、走ってきた勢いそのまま飛び蹴りを喰らわした。
ごげえっ?! と、謎の悲鳴を上げてチンピラの身体は吹き飛んで行く。
「何だ?!」
チンピラが3名。いずれも武器を所持していた。
答える義務はない、と言わんばかりに無言で北条は1人の顔面に右ストレートを叩きこむ。チンピラAはやはり宙に舞いながら、背中から地面に着地した。
いきなり2人がノックアウトされてしまったことで、残りの2人は怯えた様子を見せた。
しかし。その内の1人は……弱そうに見えたのだろうか。北条ではなく、和泉の方に向かって鉄パイプを振りかざし、襲いかかってきた。
和泉がそれをかわすと、ぶんっ、と空を切る音が響いた。
チンピラは躍起になって再び鉄パイプを振り上げる。そこに大きな隙ができた。
右足を振り上げ、相手の腹部に思い切り蹴りを食い込ませる。
ふげえっ!! やはり謎の悲鳴を上げてチンピラは仰向けに倒れた。
残りの1人は「ひぃ~!!」と顔を真っ青にして逃げようとする。
が、北条はそれを許さなかった。
先回りして胸ぐらをつかむ。その形相は、チンピラよりもずっと恐ろしかった。
「誰に頼まれたの?」
「し、し、知らない……!!」
「答えろ」
ぐえっ、と苦しそうな音。
「は、ハンドルネームじゃったけん、ほ、本名は知らない……ほんまじゃっ!!」
「なんて?」
「く、黒猫……」
「黒猫?」
「いや、あの、黒い子猫じゃったかもしれん……」