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「ちなみに聡さん、大宮桃子さんの手帳の中身は見ました?」
シートベルトを締めながら和泉は父に訊ねた。
「ざっとだけどな。ほとんどが仕事の予定みたいだった」
「それと、チラシって言うのは、何のチラシです?」
「喫茶店のチラシだった。あと、捨て猫の里親募集」
行方不明になった猫のことを思い出したのか、父の表情が翳ってしまう。話をなるべく逸らそう。
「喫茶店……なんて言う店です?」
「何だったかな、確かお菓子みたいな名前の……」
この年代はカタカナにあまり強くない。彼の記憶を頼るよりは、鑑識課に行って現物を見せてもらった方が確実だ。
捨て猫の里親募集と聞いて、ふと和泉は思った。
大宮桃子は結婚したら猫を飼うつもりだったのかもしれない。彼女の実家は飲食店だから、飼いたくてもなかなか難しかっただろう。
いや待てよ、と記憶を巡らす。
彼女の父親を訪ねた時、確か黒猫がいた。黒猫……黒い葉書に書かれた猫。
「そもそものきっかけは何だったんだ?」
不意に話しかられ、和泉の思考は中断した。
「何がです?」
「お前が、守警部と一緒に非公式で捜査を始めたきっかけだ……」
「前にお話し、しませんでしたっけ? あのゆるキャラ親父の代理で出席した結婚式に、招待客が誰1人としてあらわれず、新郎さえ姿を見せなかったっていう喜劇のこと」
聡介は苦い顔をする。
真面目な彼は【喜劇】なんて言うなと叱りたいところだろう。
「……そのすぐ後ですよ、花嫁が帝釈峡で事故死した、と聞いたのは」
本当に事故だったのだろうか?
と、遺族の親戚が守警部に話を持ちかけてきた。
そしてまた、茶番と言うにはあまりにも異様な事態に、何かあるのではないかと和泉も考えた。そうして御堂久美の周辺を調べているうちに、いろいろときな臭い事態が判明し出した……。
和泉はこれらの内容をまとめて説明した。
「ということで、これからも守警部を巻き込んで、捜査をこっそり続けようと思っています」
すると。聡介は妙なことを言い出した。
「課長は……どうするんだろうな?」
「なぜです? そもそもあのゆるキャラじじぃが僕に、守警部と一緒に、事故扱いになっている御堂の娘の事件を調査しろって言ってきたんですよ?」
「そうだったな……」
「その途中で尾道の事件が発生して、中断していましたが」
言いながら和泉は思い出したことがあった。
帝釈峡の事件、五日市埠頭の転落事件、そして尾道での殺人事件。
すべてに共通しているのが『黒い葉書』の存在。
ひょっとして、北条はその葉書を出した人物に心当たりがあるのではないか?
何となくそんな気がしてきた。
「そう言えば聡さん、警学の近くに用事って何です?」
「……【おおみや】っていう、居酒屋があるだろう?」
「ああ、その店なら僕達も行きましたよ。帝釈峡女に恋人を奪われた、大宮桃子という女性の実家でしょう。彼女のお父さんはでも、取り付く島もありませんでしたよ」
幸いなことにその親族で、和泉の檀家となってくれた井出から情報を得ることはできたが。
「帝釈峡女って……きちんと固有名詞で話せ」
「その方が通じやすくていいじゃないですか」
聡介は溜め息をつく。
「……その亡くなった御堂久美と言う女性は、実にえげつない方法で同僚から、彼女の恋人を奪ったらしいな」
「ビアンカさん情報ですか?」
前回、話を聞いた時にはそこまで突っ込んだ話は出なかったので、俄然興味を引かれた。
聡介の話によれば。
御堂久美は元々、大宮桃子のことを良く思っていなかったらしい。なおかつ彼女のフィアンセだった男性に好意を持っていた。
大宮桃子の方がその彼と交際を始め、婚約したとまで聞いた彼女は、相当荒れていたらしいと。
しかし。
2人の顔色は次第に反比例していく。
幸せいっぱいで笑顔だった大宮桃子は日ごとに暗くなり、それに対し、御堂久美の方はニヤニヤ楽しそうだったと。
やがて。婚約解消の報せを聞いた同僚たちはどよめいた。
大宮桃子と親しくしていた女性から聞いた話では、彼女の自宅に連日、誹謗中傷の手紙やメールが届くようになったのだそうだ。挙げ句、10年前に彼女の家族が遭った強盗事件のことが、間違った形でフィアンセに伝わったそうだ。
殺害された母親が実は強盗達と裏でつながっていて、保険金を目当てに夫を殺そうとしたが、間違えて自分が刺されてしまったと。
その上、店の経営が苦しくなったために桃子が風俗店で働き始め、常連客を捕まえた……など。
フィアンセの男性は最初、まったく信じなかったそうだ。
でもある日突然、彼は掌を返したように態度を変えた。その理由は未だに不明だ。が、おそらく御堂久美に良いように言いくるめられたのではないか、というのが同僚達の見解である。
ただ、と父は続ける。
「その、強盗事件は未解決なんだ……」
「そうらしいですね」
井出氏からもそう訊いている。
「長野課長が、海田北署で刑事課長をしていた頃だがな」
「……え?」
青信号なのに思わずブレーキを踏んでしまいそうになった。急にスピードを落としてしまったせいで、後ろの車が抗議のクラクションを鳴らす。
「なんだ彰彦、知らなかったのか?」
「そんなことあのゆるキャラじじぃ、一言だって言いませんでしたよ?! それに店のご主人だって!!」
「言えなかったんじゃないのか……? 俺だって言いたくない」
それはそうだ。長野にだって刑事としてのプライドがあるだろう。
それからふと、いろいろな疑惑が頭に浮かんできた。
尾道での殺人事件。あっさりとあんな形で捜査が打ち切られ、捜査本部が解散した件について、長野は黙っていた。
部下である刑事達が全員、納得のいかない顔をしていたにも関わらず、だ。
あの北条警視も文句を言っていたがそれすらも受け流していた。
何か隠しているのではないだろうか。守警部もそう言っていた。
……が。ゆるキャラ親父が何を考えているのか、それは後でいい。
「……それで、聡さん。おおみやのご主人に会って何を聞くつもりですか?」
聡介は車窓から外を眺めて口を閉じている。
「あのご主人が、御堂久美を殺害したと考えているのですか? 我々もそう疑って念のために確認しましたが、残念ながら動かせないアリバイがありましたよ」
「それだけじゃない、いろいろとな……」
無駄だと思う、などとは口にしなかった。
あの男性は完全に心を閉ざしていた。でも、同じような年代の彼にならもしかすると何か話してくれるかもしれない。
警察学校のある坂町へ到着した。
正門前、道路を挟んで向かいには、世界的に有名なファストファッションのチェーン店がある。北条はその店のすぐ前に立って待っていた。
「あら、聡ちゃん」
車のドアを開けた彼は、助手席にいる聡介を見て少し驚いていた。
「少し、調べたいことがありまして。場所はこの近くだったな? ここで降りるよ」
「どこへ行くの? 聡ちゃんは」
「おおみや、という店です」
「……ああ。アタシも行ったことあるけどいいお店よ。ま、聡ちゃんは飲みに行く訳じゃないでしょうけど」
「彰彦、帰りはタクシーを捕まえるか何とかするから、俺のことは気にしないでくれ」
父はシートベルトを外して車を降りた。
そうだった。初めは聡介が一緒に来てくれたら、この鬼から自分を守ってくれると思って喜んだのだったが。そう言う訳じゃなかった。
「れんが通りにやってちょうだい」
れんが通りとは読んで字のごとく、レンガを敷き詰めた通りの商店街で、呉市の繁華街である。
後部座席からタクシー運転手に行き先を告げるがごとく、北条は気軽に言う。
ムっとしたが、文句は言えない。
「ひょっとして、こないだの自衛官の彼ですか?」
「会ってくれるって約束取りつけたのよ」
それって脅したんじゃ……?
とはいうものの、和泉は言われるまま呉方面に車を走らせた。




