1:詳しいことは署の方でうかがいましょうか
結婚式場と言うのはたいていどこも、西洋の城のような外観をしているものだな、と車を降りて上方に視線を向けた和泉彰彦はそう思った。
城のまわりを囲む庭園は水と緑がバランスよく配置された、言ってみれば南国リゾートのような、いかにも若い女性が喜びそうな造りになっている。
ご祝儀、ちゃんと入ってたかな。
ジャケットの内ポケットに触れてその存在を確認する。
しかし。
一歩、建物に足を踏み入れた時、和泉はある種の【違和感】を覚えた。
なぜだろう?
不思議に思いながら、また一歩、一歩と歩き進めて行く。
だが、歩き進めれば進めるほど、何かがおかしいと自分の中で囁く声がある。それは長い刑事生活で培った【第6感】がそうしているのだろうか?
何か間違えただろうか?
改めてポケットから招待状を取り出し、日付と時間を確認する。間違いない。
10月12日 午前10時より。
アーキ倶楽部迎賓館、希望の間。
思ったよりも道路が混んでいたため、予定より到着時間が遅れ、時計の針は既に午前9時45分を指していた。
他の招待客は既に集まっていることだろう。
だが、歓談の声が少しも聞こえてこない。
向かうべき会場を間違えたのだろうか?
まさか、と思った時に聞こえてきたのは、
「いったい何がどうなってるっていうのよ?!」
と、いう女性のヒステリックな叫び声だった。
「何かあったのですか?」
和泉は受付の近くにいた困惑顔の女性に声をかけた。
この結婚式場のスタッフであろう彼女は、話してよいのかどうか迷っている様子だ。
「今日は確か、田端家と御堂家の結婚披露宴が午前10時から予定されていたはずですよね? 僕は招待客の1人なのですが」
招待状を取り出して広げて見せる。
「ええ、それが……」
「他の招待客は? 予定通りに式は行われるのですか?」
決して詰問したつもりはなかった。
だが、応対した女性は泣きそうな顔になる。
すると。
「何がどうなっとるんじゃ?!」
腹立たしげな男性の怒鳴り声が聞こえてきた。
和泉が振り返ると、頭の禿げ上がった脂っぽい壮年の男性が、礼服の裾を翻しながらドタドタとこちらに走ってくるのが見えた。
少し離れた場所で、式場スタッフ達が顔を見合わせ、ひそひそ話し合っている。
「おい、誰か田端に連絡せぇ!!」
「あなた……!!」
「誰かおらんのか、誰か?!」
礼服に身を包んだ夫婦と思われる男女が、顔を真っ青にしてウロウロしている。
ビジネススーツにひっつめ髪……恐らくこの式場の従業員で、それなりの立場にあるであろう……女性がバタバタと走ってきた。
「御堂様、お電話でございます!!」
今時、携帯電話でもスマホでもなく、コードレスの子機を持ってきて手渡すとは。
「おい、何をやっとるんじゃ?! どういうことじゃ!! ……なに?」
和泉は興味深く男性の顔色を伺った。
額に汗を浮かべ、彼の声は次第に小さくなっていく。
「……まさか……」
ガタガタと全身を震わせ、ついには床の上に膝をついた。
「……あなた、あなたどうなさったの?!」
黒留袖の中年女性が走ってくる。
「そんなバカな……!!」
※※※
何がどうなっているのか、誰に訊いたら答えてくれるのだろう?
和泉の疑問に対し、答えてくれそうな人物は現時点では見当たらない。式場スタッフと思われる人達は真っ青な顔で右往左往している。
しかし。漏れ聞こえてくる会話から察するに、どうやら予定通りに結婚式が執り行われる可能性はかなり低そうだ。
何か手違いか、トラブルが発生したらしい。
※※※※※※※※※
一方花嫁は、扉の外で起きていることに、まだ気付いていない。
鏡を見ながら何度も自分に微笑みかけてみせる。
とても綺麗……と。
私はいつだってヒロインだけれど、今日は特別。
皆の視線を一身に集めて。
そう。
たくさんの人から祝福と、羨望の眼差しを一身に受けて微笑む花嫁。
それが私。
友人代表のスピーチはきっと、私のことをベタ褒めに違いない。
新婦から両親への挨拶は、会場にいる全員の涙を誘う自信があるわ。
今日、この日のためにどれだけの努力をしたと思っているの?
高いお金を支払って、ブライダルエステにも通ったのよ。
完璧だわ。
しかし花嫁はふと、扉の向こうから大きな騒ぎ声が聞こえてきたことに気がついた。
まさかあの女の父親だろうか。
つい先ほどまでうっとりと微笑んでいた彼女だが、一瞬だけ、新郎にはとても見せられないであろう歪んだ表情を鏡に映した。
だが彼女はすぐ、真顔に戻った。
私は何も悪くない。
彼があの女じゃなくて、私を選んだ。
ただそれだけのことよ。
誰かに文句を言われる筋合いなんてない。
その時、扉をノックする音が。
「はい」
「あの、たいへん恐れ入りますが……」
笑顔でエスコートしに来るはずだった式場スタッフは、どういう訳かひどく青ざめていた。
※※※※※※※※※
それはまさに『阿鼻叫喚』と表現するのが相応しい、と和泉は思った。
それぞれが責任のなすり合いを始め、誰が悪いのか、誰に責任があるのか、とりあえず今の怒りをぶつける相手を吊るし上げようとしているらしい。
控室から出てきた花嫁の姿も見える。
顔が真っ白なのはメイクのせいではないだろう。
ワナワナと全身を震わせているのは、怒りなのかそれとも……。
「いったい、何がどうなってるんだ?」
「連絡の不備か?」
「まさか!! 招待状にはきちんと今日の日付と時刻が記載されていました!!」
「田端様はどうした?! 連絡がつかんのか!!」
「お電話がつながりません!!」
電話がつながらない。
上手い投資話を持ちかけてきた会社の電話番号にかけ直したら『おかけになった番号は既に使われれおりません』となった……そんなよく聞く話が頭に浮かぶ。
結婚式が予定されていた午後10時から既に30分以上が経過している。
それなのに。
会場にいるのは花嫁とその家族、そして招待客は和泉ただ1人だけ……。
慌てふためく式場スタッフ。
詐欺で決まりだな。
そう思ったが、さすがにそれを口に出すほど和泉も無神経ではない。
さっさと帰ろうかなとも思ったのだが、もう少し成り行きを見守っていたいという野次馬根性もあり、和泉はロビーにあるソファに腰を下ろした。
やがてスタッフの1人がこちらに気付いて、声をかけてきた。
「あの、招待客の方ですか?」
「ええ、まぁ。代理出席ですが」
努めて真剣な顔で和泉は答える。絶対に笑ってはいけない。
「……何かご存知ではありませんか?」
スタッフの女性は縋るような目で見つめてくるが、和泉は首を横に振り、
「こちらが教えてもらいたいところですよ。他の招待客が誰もいないどころか、どうやら花婿さんまで姿を見せてないだなんて……」
そうですか、と彼女は泣き出しそうな表情を残して去って行く。
泣きたいのはこっちだって同じだ。
誰か何とか言って慰めてほしい。
貴重な休みの日だというのに、見ず知らずの人間の結婚式に、それも代理出席する羽目になった自分のことを。
それだけじゃない。
こんな面倒くさい事態に居合わせてしまった不運について。
そこへまた別の式場スタッフが封筒を手に走ってくる。
「電報が届いています!!」
奪い取るようにして封を切ったのは誰だっただろう。
カードを開けば、流れてきたのは葬送曲。
『ご愁傷様』
黒い用紙に白い文字。
そう書かれていた。
「……ふざけやがって!! 何の真似だっ?!」
ひたすら当たり散らす新婦の父親、泣き崩れる母親。
会場スタッフはどよめき、互いに顔を見合わせながら、今度はこの場をどうしのぐのかを考えているようだ。
するとそこへ。
この場にもっとも似つかわしくないであろう、黒いスーツの集団が近づいてくる。
新婦の父親は彼らを追い払おうと、大きく口を開きかけたが、声が発せられることはなかった。
「御堂会長。我々、県警捜査2課の者です。インサイダー取引法違反及び、贈収賄疑惑の件で逮捕状が出ています。署の方へご同行願えますでしょうか」