「…決めつけないでよ」
遊び惚けてるだけだからストレスがないとか。何処にも出かけないから暇だとか。外の人と会わないから対人ストレスがないとか。僕のことを勝手に決めつけないでよ。僕は、こういう生活を送りたくてこういう生活を送ってるわけじゃないんだ。僕のしたいことはこうじゃないんだ。別に、一日中ゲームして過ごしたいとか、そう思ってるわけじゃないんだ。
僕にとって生活のすべては、肉体の維持とアウトプットのためのインプットで、ルーチンに貶めた食事や生理や睡眠はもちろん、傍目には遊んでいるだけに見えているであろうゲームや読書やテレビだって、ぜんぶぜんぶぜんぶ、ただのインプットなんだ。楽しいからやっていることなんて、何もない。いや、何もとまでいうと少し誇張が過ぎるけれど、アウトプットのための材料という前提でしかない。
僕にはまだ、楽しいということがよくわからない。自分の楽しいと思うことがなんなのか。だから、面白いと少しでも思えることを探して、それで分析して考えるんだ。楽しいとは何なのか。楽しい以外も考えている。怖いとか、寂しいとか、腹が立つとか、嬉しいとか、好きとか、嫌いとか、恋しいとか、愛しいとか、アウトプットに必要そうなものはぜんぶ考えている。しっくりくる結論は、まだ全然出ていないけど。
"普通の人"はそんなこと考えるまでもなくわかることなのかもしれないけど、僕にはわからない。わからない。私には、わかっていたのだろうか?僕には、知りようがないけれど。
僕は、しなくちゃいけないと感じることの内で、今できることをしている。ぜんぶ、ぜんぶ、そうなった。最初は、したくてしてたこともあったかもしれないけれど、今の僕にはそうだ。僕には、したくてしていることは一つしかない。アウトプットだ。アウトプットがしたいから、アウトプットのために、それが自分の思いを正しく表せるように、インプットをするのだ。インプットしなくてもそれができるのなら、僕は延々アウトプットだけをしているだろう。そんな、何かを作り続けるためのプログラムになれたら素敵だろうとすら思う。でもインプットなしにアウトプットはない。だから僕は生きている。
僕は、自分の感情がよくわからない。客観的に、他人事のように、分析することしかできない。でも、だからといって、そのよくわからない感情を、ため込み続けても自分が壊れてしまうことはわかっているので、アウトプットに混ぜ込むのだ。
きっと僕はずっと、心のどこかで死にたいと思っているのだ。そして、理性で死んではいけないと思っているのだ。だから、僕は、"僕の子供"たちに、死にたいと、死を示唆させることを言わせて、他の子たちに、死んじゃダメだとか、あなたが必要だとか言わせるのだ。誰にも言えないから。誰も言ってくれないから。いいじゃないか。救いの言葉を求めたって。許しの言葉を求めたって。それが別の僕からの言葉でも、それで、死にたい僕は、辛い僕は、救われるのだから。
僕は、理性だ。分析して、理解しないと、動けない。わからないと、アウトプットできない。行動できない。どうすればいいかわからないと、フリーズしてしまう。いや、フリーズしているのは、外から見える行動だけだ。行動に回す思考リソースを抑えて、その分すべて注ぎ込んで、起こしうる行動と、起こりうる事象をシミュレートしている。全部シミュレートして、それで一番良いものを選ばないと、自分からは動けない。だから、僕は突発的なことが苦手だ。だから僕は、自分で最初から考えていたこと、ルーチンから外れたことをすると、それが本当にベストだったのかをシミュレートしなおしてしまう。そして他にベターを見つけて後悔するのだ。
ちゃんと自分でアウトプットするには、インプットして、インプットしたものを一度じっくり色んな方向から見て、考えないといけない。僕はいつも、インプットの傍らで過去にインプットしたもののことを考えている。そうすると時々、過去にインプットしたもののことがすとんと腑に落ちて、筋の通ったアウトプットができるようになるのだ。だから、僕はインプットしてすぐのことには大して感想を持てないし、特に何も言えない。よくわからない。沢山インプットして、組み合わせて、比べて、考えて、それでやっと何かを"思う"ことができる。何を言われても、そのことについて考えたことがなければふーん、としか思わない。だから後から考えて、怒ったり喜んだり悲しんだりすることもある。多分何も感じていないわけではない。後から返事した時に、今更?と言わないでほしい。僕は、言われたことをちゃんとわかって、自分の言葉にするのに、今までかかったというだけのことなので。