8、リッケとお小遣い稼ぎ
森には外の情報が一切入ってこない……なんてことはない。
週に一度、過去一週間分の新聞が巨大な鷲によって届けられるのである。
今日はその日であった。
リッケは小屋の前の広場で大鷲を待つ。
「あ! 来た来た! おーい!」
リッケは大きく手を振る。
別にそんなことをしなくても、そいつは実に正確に時間を守るし、迷いもしないのだが、リッケはこの大鷲のことがとても好きだったからつい出迎えてしまうのだ。
大鷲はリッケの姿を見つけると、大きな翼を優雅に羽ばたかせ、ひらりと目の前に降り立った。
リッケは新聞を受け取るより先に大鷲の頭をよしよしと撫でる。
「おはよう。デューク。今週もご苦労様」
リッケはふわふわした羽毛を楽しむように撫で続ける。
デュークも満更でもない様子でそれを受け入れていた。
すっかり締まりのない顔になっているが、どこか気品のある大鷲だった。
「ねぇ、この間の話、どうなった?」
「キェー、キェー、キェー」
「……うんうん。えー! そうなのー!? よかったじゃん! デュークー!」
「キェー、キェー」
「いいよいいよ、お礼なんてー。気にしないでー」
新聞を受け取ったリッケだったが、なにやらデュークと楽しそうにおしゃべりしている。
おしゃべりである。
ロランはそんな様子を井戸の辺りから目撃していた。
「なにしてるんだろう……?」
だが、はたから見るとそれはとてもおしゃべりには見えなかった。
大鷲がキェー、キェーと鳴き、リッケが頷いたり、笑ったりしているだけに見える。
「独り言……かな……? リッケは本当に動物が好きだよなぁ」
結局、そんな感想を持っただけだった。
――ロランは朝はアーシュの朝練に同行し、その後食料調達や自由時間、昼過ぎにカサンドラと詠唱魔法の訓練、その後リッケのお手伝いと、だいたいの生活リズムが決まりつつある。
そして、その合間に時々、アーシュと組手の練習をさせてもらっていた。
きっかけは、ある夜のこと。
ロランは請われるがまま、リッケとカサンドラに魔法教国と魔法学校のことを話していた。
すると当然、学校生活のところでロランの口調は覚束なくなった。そして、やがてリッケの追求の手が及び、ロランのいじめ問題が露呈した。
ロランはろくな攻撃魔法が使えず、しかも純血な貴族ではない。
父親は街で輸入雑貨店を営む小売の商人で、母親のレナはさる由緒ある家柄の生まれらしかったが、とっくの昔に勘当されたということだ。
しかし一応は魔法が使えるということで「下級貴族」としてロランは魔法学校に入学を許されていたのである。
自分達と違うやつがいる。
その噂は当然のごとくすぐに広まり、ロランはたちまち無邪気な子供達の差別の対象となった。
それでもロランは両親のことが大好きだった。
二人から継いだ自分の血にも誇りを持っている。
だから、無理に魔法学校に通わなくてもよいと思っていた。三人で普通に暮らせれば、貴族じゃなくても、魔法が使えなくても……。
けど、レナは辞めたいと言うロランに対し、断固として退学を許さなかった。
「いい? ロラン。辛いこともあるだろうけど、今は耐えなさい。大丈夫。いつかきっとうまくいくわ。それに、あなたの魔法は将来、きっと誰かを助ける力になる。だから、ね? これはお母さんからのお願い」
レナは一度、ロランにそんなことを言った。まだずっと幼かったロランはよくわからないまま、ただ頷いたことを覚えている。
けど、耐えても耐えても、うまくいく日は訪れなかった。
それどころか、体が大きくなる度、みんなの魔法も強くなって、実戦練習もいよいよ耐えきれないものになっていった。
そして、ある時から実戦テストを休むようになった。
学力テストは優秀な方だったロランだったが「実力主義」を掲げる魔法学校の理念において、そんな姿勢は周りの嘲笑を買った。
「あいつ、魔法の使いのくせに、戦闘もできないってよ」
「うそー。超ださくない?」
「しかも、混血だし」
「何しにここに来てるの?」
「見栄張りたいんだろ? 貴族の学校に通ってるって。偽物のくせに」
ロランはそんなことを言われても、ただ机に座っているしかなかった。
自分には力がないから。それに、仮に力があったとしても何ができる? ここで喧嘩騒ぎでも起こしたら、それこそ退学だ。母さんのお願いを裏切ることになる。
見返すならテストしかない。
それか、実戦練習で見せつけるしか。
けど、そんなことはできそうになかった……。
「なによそれー!」
ロランがつらつらと話すとリッケが拳を振り上げ言った。
「すっごく腹立つー! 今から私が行って、がつんと言ってやるんだからっ!!」
「い、いいよいいよ! そんな……もう、そこまで腹立ってないし……」
「もー。よくないよー。そういうのはね、一度ビシッとやっておかないと、どんどんつけ上がるんだからー! ね? カサンドラちゃん?」
「そうね。なんなら、私が学校ごと吹き飛ばしてあげてもいいけど?」
カサンドラは言う。口もとは笑っているが、目は半分本気だ。
「そ、そんな乱暴な……」
「いいえ! そうよ、そのくらいやっちゃった方がいいのよ! こうやって! こうやってー!」
リッケは拳を振る。
すっかり戦闘態勢だ。
ロランは二人の気持ちはすごく嬉しかった。けれど、そんなことをしても何の解決にもならないとわかっていた。
なぜならこれは周りの問題以前に「自分自身の問題」だからだ。
自分がどう思い、どうするかという課題。
「二人ともありがとう。僕なら、大丈夫だから……」
「はぁ……ロランは優し過ぎるよ……ねぇ、アーシュもそう思うでしょ? 」
リッケはアーシュに聞いた。
アーシュはとっくにベッドの上で寝ているものだと思っていたが、どうやらずっと起きていたらしい。
「ケッ……くだらねぇ。俺は弱いやつは嫌いなんだよ」
アーシュは言った。
「弱いやつ」とはきっとロランのことだ。
ロランはいざそう言われてみると、なにか胸に棘が刺さったみたいな気持ちになった。
「そ、そうだよね。僕もそう思う……」
「あ……こら、アーシュ!? そんな言い方ないんじゃない?」
リッケは食ってかかる。
それをロランが止めようする。
「けど……」
が、アーシュは続けた。
「弱いものいじめはもっと嫌いだ」
と。
「アーシュくん……」
ロランはアーシュの方を見る。
アーシュは相変わらず不機嫌そうに天井を見つめていたが、しばらくするとロランの顔を見て言った。
「おい」
「は、はい……」
「明日の午後、暇あるか?」
「あ、あるよ! もちろん……たくさんある!」
「ちょっと面貸せや」
「う、うん! わかった!」
「ちょ、ちょっとこら、アーシュ?」
そんなロランとアーシュのやり取りを見て、リッケは咎めた。
「ロランに何するつもりよ!」
「うるせぇな。いいだろ? こっからは、男の問題なんだよ」
「説明になってないー」
「やられっぱなしなんて男じゃねぇって言ってんだよ」
リッケはまだアーシュにガミガミ言う。
けど、ロランはアーシュのことをだんだんわかりつつあったから心配などしていなかった。
――こうして始まったのが、組手訓練だ。
アーシュは体をほぐすと言った。
「要するによ。お前は魔法に固執し過ぎなんだよ。気に入らねぇなら、ぶん殴ればいい」
「そんなことしたら退学だよ……それに、みんな魔法を使うんだよ? 接近するのは無茶だよ……」
「魔法を使うってんなら、当たらなきゃいい。当たらなきゃ魔法なんてただの手品みてぇなもんだ。そしたら好きなだけ、がら空きの顔面に拳を叩き込める」
「僕はアーシュくんじゃないんだから避けられないよ! それに何回も言うけど、拳を叩き込んだら退学!」
「実戦練習ってのが、あるんだろう? そりゃ言ってみりゃタイマンみてぇなもんだろうが。そこで叩き込めばいい。実戦に、魔法も素手もねぇ」
「そ、そりゃ……そうだけど……」
ロランはがっくりと、うな垂れた。
魔法学校の実戦練習で、魔法を掻い潜り、顔面に拳を叩き込む魔法使い……?
(そんなの見たことも聞いたこともない……絶対、変人扱いだよぉ……)
「前代未聞だ……」
「前代未聞? 結構じゃねぇか! お前、差別されてんだろ? なら、そのくれぇのことしねぇと、今の状況をひっくり返せねぇ。違うか?」
「そ、それは……」
全然違わない。そうかもしれない。
「ほら。おしゃべりはお終いだ。まずはお前からかかってこい」
アーシュはくいっくいっと手招きする。
ロランはかかってこいと言われても、喧嘩なんてしたこともないから、どうしたらいいかわからなかった。
「こ、こうかな……?」
「構えなんてどうでもいい……とにかく思い切り殴りかかって来い。戦い方は、やりながらその都度教えてやる」
「わ、わかったよ……じゃあ、行くよ?」
「ああ。いつでも来い」
ロランは慣れないことをしている興奮を、深呼吸で抑える。
そして、キッと前を睨むと、
「やーーっ!!」
と、アーシュに殴りかかった。
それをアーシュはひらりと避け、カウンターでロランの腹にパンチを叩き込む。
ロランが覚えているのはそこまでだった……。
――パシャっ。
と、顔に水をかけられて、ロランは目を覚ました。
「おい、大丈夫かよ……」
アーシュだ。
ロランは地面に倒れていて、アーシュが心配そうに覗き込んでいる。
ロランは自分の状況を理解して答えた。
「う、うん……大丈夫。ちょっと痛いけど……」
「やれやれ……」
アーシュは呆れたようにため息をついた。
「ひょろいとは思ってたが、まさかここまで脆いとはよ……こりゃ、組手の反撃はしばらく寸止めだな。あと、今日から筋トレだ」
「ごめん……よ、よろしくお願いします」
こんな感じで組手訓練は、前途多難な感じで始まった。
――そんなこんなで、ロランのスケジュールは多忙になりつつある。
全ては自分が望み、進んでやっていることだけれど、体の状態は素直だ。毎日とても重い。
「成長の証だ」
「成長の証よ」
とアーシュとカサンドラは口を揃えて言うが、そこから早く持ち直して欲しいとは思う。頑張れ、僕の筋肉。
「というか、休息日ってないのかな?」
ロランはふと思い、あの二人を思い出す。
自らの課題にストイックに打ち込む二人の姿を。
(ないな……あの二人は休まない……)
ロランはとりあえず少し横になろうと、詠唱練習終わりの体を引き摺り、小屋に入った。
すると小屋に入った瞬間、リビングのテーブルで何かを読んでいたリッケが、
「きゃーーー!」
と叫び声をあげた。
ロランはびっくりしてドアに張り付く。
(な、なんだなんだ? 何事だ……? 僕か? 僕が原因?)
ロランは目を白黒させる。
が、すぐにそうではないことがわかった。
リッケがロランの存在に気がつくと、一枚の紙を手に近寄ってきたからだ。
ロランはリッケが差し出した紙を見る。
それは何の変哲もない、新聞に挟まっているチラシだった。
おそらく、今朝来たものだろう。
全面に美味しそうなケーキの写真が載っていた。
「ついに出たの!」
リッケは鼻息荒く言う。
が、ロランには何のことかさっぱりだった。
「な、何が……?」
「新作だよ!」
「新作……?」
「そう! アスラ王国の首都アスラの名店『熊の王冠』の誇る天才パティシエ、ウェイランの新作ケーキが!!」
「ケ、ケーキ……?」
ロランはチラシを受け取った。
けど、目を通す暇も与えてくれず、リッケはさらに話し続ける。
「ウェイランさんの作るケーキはねぇ……もうこの世のものとは思えないくらい美しくて……そして美味しいの……! ああ……一度おばあさまの贈り物として届いてしまったことが、私の運命を変えてしまったのね……? もう、ウェイランさんのケーキ以外は、食べられない! そんな体になってしまった……!」
やけに芝居がかっていた。
ロランは若干引いている。
リッケは元々賑やかな女の子だが、さすがにこんなに取り乱すのを見たのは初めてだ。
ロランは空中を見つめるリッケを心配しつつチラシを見る。
確かにそこには見たこともないくらい、見事な色彩と細工の施されたケーキが載っていた。それでいて、見るものの食欲もそそる。見事なデザインだ。
「確かに……美味しそうだね……」
ロランは言った。
が、そんな感想もケーキの値段を見て吹き飛んだ。
「ケーキ1カット、6500エリス!? えっ……? ほ、ほんとに!?」
これは高過ぎるとロランは思った。
例えば、ロランの父親が輸入雑貨店を営み、ひと月で得る利益はだいたい25万エリスくらいである。そして、これはほぼ平民の平均月収だ。
そこから家賃や学費を出してもらっていて、さらに生活費と考えると……どう考えても一切れ6500エリスのケーキは贅沢品だった。
「ぼ、ぼったくり?」
ロランはつぶやく。
そんな呆れ顔のロランからリッケはチラシを取り上げた。
「ぼったくりじゃないの。そのくらいの……いいえ、それ以上の価値がこのケーキにはあるのよ。並ばなきゃ買えないんだから」
「へぇー。そうなんだ……」
「ねぇ、ロラン。興味出てきたでしょ?」
「いや……僕は特に……」
ロランは目を逸らす。
リッケの顔がいつになく怖い。
「一緒に買いに行こうよ」
「ぼ、僕……そんなお金持ってないよ……」
「……全然?」
「うん……」
リッケは顎に手を当てて考え始めた。
「そっか……半分ずつ出し合えばいけると思ったんだけどなぁ……」
(そういうつもりだったのか……)
「うーん……よし! なら、久しぶりにお小遣い稼ぎでもしてみようかな」
「お、お小遣い稼ぎ……?」
「うん。もちろんロランも手伝ってくれるでしょ?」
ロランはぎくっとした。
なんで僕が……?
けど、そんなことを言えそうな雰囲気でもなかった。
「うん。もちろんだよ……! 友達だし……」
「やったね! ありがとう、ロラン! 大丈夫。きっとあのケーキを食べたら、世界が変わるよ!」
どうやらロランもケーキを食べる前提らしい。
もう、どうにでもなれとロランは思った。
リッケは小屋を出て、森に入る。
ロランも重い体を引き摺り、続いた。
竹籠を肩に下げながら。
今日は寝るまで横になれそうにないなとロランは思った。