39、躍進のロラン
――テスト二日目
朝、各学年の教室前の廊下には昨日の「基礎魔力測定」の結果が張り出されていた。
上位20名の名前である。
数値は本人にしか知らされないため、書かれていない。
そして、そこにはロランの名前もあった。
〈一位 ロラン・アトール、二位 マーキス・レイノット ……五位 イツキ・カリナ〉
当然、廊下は大騒ぎになっていた。
――その頃、ロランは朝一で保健室に呼び出されていた。
だから、そんな騒ぎになっていることも、自分が基礎魔力測定で学年一位の数値を叩き出したことも知らない。
ミレーヌは黒いタイツを履いた脚を組んで言う。
「なんで、呼び出されたか聞いてるぅ?」
「い、いえ……何も……」
ロランはミレーヌに向かい、腕を差し出しながら答える。
ミレーヌ曰く、採血を行うらしい。
なぜ、そんなことをしなければならないのか知っているか? というミレーヌの質問だったが、ロランは校門で待ち受けていたジャンに「教室に行く前に保健室に行け」と言われて来ただけだったから、知るはずもなかった。
困惑するロランの顔を見て、ミレーヌは簡潔に教えてくれた。
「ドーピング検査だとさ」
と。
「ド、ドーピング……検査?」
ロランはオウム返しをしてしまった。
余りにも突飛な話だと思ったからだ。
しかし、よくよく考えてみれば、それも理解できる気がした。
なにせ、昨日はやり過ぎた。
そんなつもりはなかったけれど、どうやらロランの魔法力は半年前とは、比べものにならないほど成長しているらしい。
ならば、急成長の原因を疑い、ドーピング検査をしたくなる学校側の気持ちもわかる。
「ま、まぁ、心当たりはありますが……」
「えっ!! まさか、本当にクスリを!?」
「いや、そっちの心当たりじゃなくて!!」
ミレーヌの心配をよそに、あまり深刻そうではないロラン。
そんな様子にミレーヌはため息をついた。
「はぁ……お前は受けてもいいと思ってるみたいだけど……なぁ、ロラン? いくら学校の上層部からの指示って言ったって、お前にも拒否権ってやつがある。私だって、この手の検査に関してはプロのつもりだ。だから、ちょっと腕とか胸を触れば、危ない薬品を使っているかどうかくらいわかる。で、お前は完全に白だ。魔力を増幅させる薬特有の感じがひとつもしてこない」
ミレーヌはそこで言葉を切って、憂鬱そうに髪を搔き上げる。
「なのに、血を採れって言われたら、私の立場上、上の意向には逆らえない……けど、お前たち生徒は違うんだぞ?」
ミレーヌは少し悔しさを顔に滲ませていた。
たぶん、わざわざそんなことをロランに告げること自体、本当はダメなことなのだろう。学校のことはよくわからないけれど、ミレーヌの顔を見れば容易に想像できた。
それもこれも、以前アーシュから魔法学校の「裏の顔」について、少しだけ教えてもらっていたからだ。その知識があるだけで、学校への見方が随分と変わる。
特に、顔の見えない「上層部」とかいう人たちについては。
「……大丈夫ですよ」
しかし、ロランは言った。
ミレーヌは思わぬ言葉に眉をひそめる。
「僕のことなら気にせず、血を採ってください。僕もその方が疑いが晴れていいですし」
「……いいのか? ロラン。無理してないか?」
「はい。むしろ、自分で色々説明しても、誰も信じてくれないでしょうから。だから、学校側が、僕がズルをしていないことを証明してくれるのであれば……」
「そ、それはそうかもしれないが……」
なおもミレーヌは迷う。
そんなに血を採るとは重大なことなのだろうか? そういえば、以前、カサンドラからも冗談で血を求められたことがあった気がする。
が、もし仮に良くないことだったとしても、こんなことでミレーヌに迷惑をかけることをロランは望んでいなかった。
「ほら。先生。早くしないとテスト開始に遅れちゃいます! 最後にもう一度ノートを見直したいんですから!」
ロランはもう一押しする。
それでミレーヌは腹が決まったらしく、手に構えかけていた注射器を、机にパシッと音を立てて置いた。
「ダメだ。やっぱ、止めーた!」
ミレーヌはまるで無邪気な子供のように言い、頭の後ろで腕を組んだ。
ロランは驚いて、目をパチパチする。
「え……? 止めた……? な、なんでですか?」
「私のポリシーに反するからだ」
「そ、そんな! だって、そんなことをしたら、先生に迷惑が……」
「知ったことか。上には適当に所見をまとめて提出しておく。お前に断られたとか、なんとか言って誤魔化せば済むことだ」
「そ、そんな……だって、そんな簡単に誤魔化せないから、先生は僕を呼んだんじゃないんですか?」
そう言われるとミレーヌはちらっとロランを見た。
なかなか勘がいい。
それともロランはもしかしたら、何か知っているのだろうか?
この魔法学校の本当の目的について。
(いや、まさかな……)
しかし、なら尚のことロランを深入りさせるわけにはいかない。
この子は陽のあたる場所を歩くような子だ。
まぁ、遅かれ早かれいつかは知らされるのだが、今の年齢で気づくのは、きっと辛いことだろう。
「大丈夫だよ。何年ここに勤めてると思ってるんだ? 私が誤魔化せると踏んだんだ。あとは任せておけ」
「で、でも……」
「それとも……私が信用できないか?」
「そ、そうじゃないですけど……」
「ふふっ。ほら、なら行った行った。テスト勉強するんだろう? 補習になっても知らないぞ?」
そう言うと、ミレーヌは立ち上がりロランの背中をぐいぐいと押しやった。
「うわっ……ちょ、ちょっと……」
ロランは出入口まで無理やり連れて来られる。
「朝から呼び出して悪かったね」
「先生……」
「そんな顔をするな。じゃ、頑張っておいで」
「…………はい! その……ありがとうございます」
ロランは何を飲み込んだ後、頭を下げた。それから廊下を階段方向へ歩き始める。
その背中を見送り、ミレーヌは
「……じゃあ、ちゃっちゃと書類を作っちゃおうかね」
とつぶやいた。
――筆記試験後半が昼過ぎに終わり、昼休憩に合わせて昨日の測定結果が各生徒に配られた。
ロランとエイコも今日は筆記の自己採点を後回しにし、測定結果を見せ合う。
基礎魔力の数値は、完全なる個人情報だが、友達同士見せ合うのは通常のこととなっている。
と言っても、結果を見せ合いっこするなど、ロランは初めて(いつもは後ろから覗かれて笑われるだけだった)なわけだが。
「持久力 5、瞬発力 3、精度 4 、破壊力 5、範囲 2 ……!? す、すごい! アトールくん!」
エイコは興奮して言った。
確かにこれはすごい数値だとロランは自分でも思う。全て5段階評価で、高等部でもなかなか出ることのない「5」という最高評価の項目が二つもある。
ちなみにエイコは、持久力1、瞬発力 2、精度 3、破壊力 1、範囲 1 という結果だった。それでもエイコは初めて3を取ったと喜んでいる。
「そうだね……でも、ちょっと出来過ぎかな……?」
ロランは言う。
本人もそんな気持ちなのだから、クラスの疑いの目はすごいものだった。
ロランが朝早く、保健室に入って行ったのも目撃されている。
しかし、昼を過ぎても学校は測定結果の発表の張り紙を修正に来ない。
それが、暗に「ロランがドーピングなどのズルをしていない」と学校側が確認したという事実を示していた。
そこまで来て初めて、ロランにも称賛の声がチラホラと聞こえ始めている。
「すごいじゃん、ロラン」
「本当にびっくり……休んでる間に何があったの?」
「マジかよ……5とか初めて見たし……」
「なぁ、あのホーリーランスって魔法、今度また見せてくれよ?」
みんなロランのところに来ては声をかけてくれた。
調子のいいやつらだとは思う。
けど、ロランはそんなことよりも、単純に嬉しかった。
みんなが、普通に話しかけてくれ、対等な笑顔を見せてくれることが。
なんだか、ペア戦でみんなを見返してやろうと思っていたことすら恥ずかしくなるくらいだ。
しかし、今まで何年も悩み続けてきたことが、こんなにもあっさりと目の前から消えてしまうなど、誰が想像できただろう。
もちろん、まだ確証はない。
いつまた元の状態に戻るかもわからない。ロランにとっては、それが普通だったから、簡単に安心はできない。
でも、今はこの空気を噛み締めてもバチは当たるまい。
ロランはうっかり涙ぐみそうになるのを堪え、エイコと話す。
「出来過ぎ……というか、簡単にとれる評価じゃないですよ! 5を二つも取れば即『特魔』でもおかしくないです!」
「えっ……? そ、そうなの……!?」
特別魔法クラス。
全校生徒の中から7人までしか選ばれないという高度専門魔法教育クラス。
そんなところには一切縁がないとロランは思い込んでいたから、エイコの言うような具体的なことは全然知らなかった。
ロランは照れ臭そうに頭を掻く。
そんな様子を面白くなさそうにマーキスは自分の席から見ていた。
手元には自分の測定結果が。
「持久力 3、瞬発力 4、精度 3、破壊力 4、範囲 4」
これはかなり誇れる結果だった。
少なくともロランがいなければ、学年一位は確実だっただろう。
しかし、蓋を開けてみれば、ロランが一位。
しかも、ぶっちぎりの一位だ。それほど4と5の評価の間には大きな隔たりがある。
(あのサンドバック野郎が……この俺を差し置いて特魔入りだと……?)
マーキスは悔しさに通知用紙をぐしゃぐしゃに丸めて捨てたくなる。
が、そんなことよりも、もっと先にするべきことがあった。
なぜならまだテストは終わっていないからだ。最終結果が出るまでに、いくらでも巻き返せる。
(そのためには……)
マーキスはおもむろに立ち上がると、友達と談笑しているイツキのもとへと向かった。
イツキは話を止め、え? と顔を向ける。
「何か用?」
「ああ。少し、話がある」
――午後の実戦魔法テストは、くじ引きで決まった相手と遠距離から魔法を打ち合うテストだ。ロランにとっては因縁のテストである。
(マーキスくんと当たりませんように……)
ロランはやはり苦手意識があるのか、そう思いながら引く。
結果、ロランはマーキスの取り巻きその二の、ユーゾ・アルフォンスと対戦することになった。
ユーゾはいつもなら「よっしゃ!」と両手を突き挙げるところだが、今日はその手も半ばまでしか上がらず、
「あ、あのさ、ロラン。あの槍だけはやめてくれよな……」
と言ったのだった。
で、ロランはその約束を律儀に守った。
ユーゾとの対戦が始まると、ユーゾの放つ雷属性魔法をマジック・ディフェンスで防御。
観客席では、それを見たマルクが
「出たよ! お得意のマジック・ディフェンス!」
と野次っているが、ロランは構わず使い続ける。
そこへ、魔法の防御壁を破ろうと
「『サンダーアロー』!」
ユーゾの持つ一番強い魔法がきた。
それを狙っていたロランは、すかさず
「リフレクト!」
と放出魔法で、弾き返す。
「なっ……!?」
ロランの右手に現れた鏡状の聖属性魔法によって反射されたサンダーアローはさらに速度を増し、ユーゾに襲いかかる。
その予期せぬ反撃にユーゾは避けるどころか、動くことすらできなかった。
「ぐああああああっ!!」
自分の魔法が直撃し、倒れこむユーゾ。
審判をしているジャンが、
「そこまで!」
と笛を鳴らす。
決着は一分ほどでついてしまった。
――「おいおい……ロランのやつ、また新魔法かよ」
マルクは言う。
その隣にいるマーキスに聞こえるように言ったつもりだが、マーキスは無反応だ。
「相手の魔法を反射して返す……結構厄介そうね?」
そう言ったのはイツキだ。
彼女もマーキスの横でテストを見学していた。
「……いや、もっとデカイ範囲攻撃をすれば問題ないだろう。体全体を囲うほど展開されたら、それこそ厄介だが、それはできなそうな気がするからな」
イツキの言葉には反応するマーキス。
珍しい光景だが、それには訳があった。
二人は急遽、ペアを組むことになったのだ。
「範囲攻撃か……私、苦手なのよね……」
「それも問題ない。俺の風でお前の炎を燃え広がせればな」
マーキスは頭の中でシミュレーションしながら言う。
それを聞いたマルクはうんうんと頷き、
「そうだよ! マーキスくんの風魔法と委員長の火魔法が組めば、向かうところ敵なしっしょ!」
と言う。
マルクは本来ならマーキスとペアを組む約束をしていたが、直前になって断られていた。
そして、イツキとペアを組むはずだった子と組むことになったのだが、そんなことは気にせず、心からマーキスを応援する。
「このままロランの独走を許すのは面白くないっしょ! またあいつ、調子づいて『特魔』とか言い出すかもしれないし」
「……特魔」
その言葉には反応するマーキス。
(……ふざけるな。次に特魔に入るのはこの俺だ。特魔は……あんなやつが入るようなところじゃない)
思わず拳に力が入る。
テスト会場では、次の生徒が呼ばれていた。
「じゃあ、私はこの次だからもう行くわ。マーキスくんたちも頑張って」
立ち去ろうとするイツキの背中にマーキスは
「カリナ。このテストが終わったら、テラスに集合だ。もう一度明日の作戦を練り直す」
と声をかける。
イツキは歩きながら応答する。
「はいはい。でも、他の子たちの偵察はいいの?」
「他のやつらなんて眼中にない。俺とお前が組めば、やられる要素がない。ただ一人、あのサンドバック野郎を除いてな」
「了解。しかし、随分ご執心みたいね。そんなにロランくんが帰ってきて嬉しい?」
「……お前の目は腐ってるのか? 別になんとも思っていない。ただ俺は、今回こそ本気で一位を狙ってるんだ。そのための障害になるあいつを気にするのは当然のことだろうが」
「はいはい。当然のことね」
そう言うとイツキはくすくす笑いながら去って行った。
マーキスはロランを観客席から見下ろして、思う。
(何があったか知らないが……アトール。俺は実戦では負けるつもりはない。必ず叩き潰して、二位以下に沈めてやる)
こうして学年度末テストは、本命の最終日を迎える。