37、リベンジに向けて
――ペア結成翌日の朝。
ロランとエイコは早朝の川沿いに集合していた。
もちろん、走りこみのためである。
ロランは無理強いはしなかったが、エイコは是非一緒に走りたいと言ったので来てもらった。
「おはよう」
「お、おはよう、アトールくん……」
「ふーっ、今日は一段と冷えるね……大丈夫? 寒くない?」
「ちょ、ちょっと寒い……けど、頑張ります!」
まぁ、走れば温かくなるからと、二人は準備体操をして、ゆっくり走り始めた。
エイコは昨日の泣き顔が嘘のように、晴れやかな顔になっていた。
なぜだかはわからないが、良い傾向だとロランは思う。それに、暗い顔をしているより、明るい顔をしてくれている方がずっと嬉しい。
エイコの走るスピードは「運動が苦手」と自称する通り、物凄く遅かった。
しかし、フォームはなかなか良いので、運動が苦手という自己評価はおそらく正しくないのだとロランは思う。本人がどこまで望むかはわからないが、きっと特訓をすればもっともっと速く走れるようになるはずだ。それは自分の経験から知っていた。
ロランはそんなエイコにペースを合わせて並走する。
ロランが早朝のランニングを始めた当初、アーシュもこんな気持ちだったのかな? などと想像しながら。
「キツくなったら言って? 初日だし、無理は禁物だから」
「は、はい。でも、まだ大丈夫です、から」
ロランは体力的に余裕があるからか、もしくは女の子と一緒に走っている状況の恥ずかしさに、今更気づいて余裕がなくなったのか、少しずつエイコに話しかける。
そして、色々と聞いているうちにわかったのは、どうやらエイコはクラスの女子、ナタリー・ウィンクを中心としたグループ4、5人から目をつけられていることがわかった。そして、そこにはマーキスも間接的に絡んでいるのだとか。
その辺りはロランにも、薄っすら想像できた。
というのも、ナタリーがマーキスに対して一方的に好意を抱いているのは誰の目にも明らかであり、周知の事実だったからだ。
はっきりとしたきっかけは、エイコにもわからないらしい。
しかし、一度だけマーキスと学校で話しをしたことがあって、おそらくは、それをナタリーに見られたことが直接の原因なのではないかとエイコは語った。
「えっ? た、たったそれだけのことで!?」
「はい。たぶん……わからないですけど」
「えっと……もしかして……エコーズさんも、レイノットくんのこと……?」
「えっ……? あ。ち、違います!! それはないです!! 絶対にっ!!」
ロランの質問を、エイコは全力で否定する。
そんなエイコを見てロランは
(そ、そんなに大きい声も出せるんだね……)
と思う。
「マ、マーキスくんとは、幼馴染で……その……あ、そもそもレイノット家とエコーズ家は昔から交流があって、親同士が仲が良いんです。だから小さい頃からよく知ってて……でも、マーキスくんはあんな感じにツンケンしてるから、私たちは特に仲が良いってわけじゃないんですよ? 学校でもお互いに知らないふりだし……」
エイコはぶつぶつ言う。
なぜか不機嫌だが、それよりもロランはそんなことは初耳だったので驚いていた。
確かに、エイコとマーキスが話をしているところなんて見たことがない。むしろ、よく今まで気づかせなかったなと感心するくらいだ。
ずっとマーキスに、バカにされ続けてきたロランが思うのもおかしな話だが、余程苦手意識があるのか?
「でも、その時は話しをしたんだ?」
「はい。と言っても、マーキスくんが、向こうのお母様から私に伝言を頼まれただけで、ちょっとした連絡だったんです。でも、私はつい癖で馴れ馴れしくしちゃったんだと思います……」
「エコーズさんが、レイノットくんに馴れ馴れしく……?」
全然想像がつかなかった。
大体、その二人の組み合わせからして違和感が拭えないのに。
その翌日からあからさまな嫌がらせや、ハブり、無視が始まったのだと言う。そして、それはあっという間にクラス全体に広まり、暗黙のルールになった。
ロランが森に行った一ヶ月後のことだそうだ。だとすると、結構長い間、尾を引いていることになる。
だがその話からすると、ロランがいなくなったことがエイコに対するいじめの引き金となったわけではなく、たまたまロランという「いじめの代表格」がいなかったことが、間接的にクラスメイトたちのタガを外れやすくしということか?
なんにせよ、エイコにとってはタイミングが悪かった。
「でも、それでレイノットくんは誤解を晴らしてくれなかったの?」
「はい。完全に知らぬ存ぜぬです。たぶん、めんどくさいから関わりたくないんだと思います。アトールくんなら、わかりますよね?」
「う……ま、まぁね……」
それはロランにもわかる。ロランだって、なんだかかんだでマーキスとは長い付き合いだ。まぁ、いじめられているのだけど。
「それに、マーキスくんは弱い人には容赦ないですから。私のことも本当は嫌いなんだと思います。……ナタリーもあんなやつのどこが良いんだか……いつも自分が一番みたいな顔をしてるカッコつけの」
マーキス関連になると途端に強気発言を連発するエイコ。
昨日めそめそ泣いていた彼女はどこに?
この調子なら自分でなんとかできたのではないだろうか……。
「けど……そうは思っても、私じゃナタリーには勝てません……彼女は火属性と水属性の混合タイプ。私の風属性魔法とは相性が悪過ぎます……それでなくとも、私の振動魔法は力が弱いですし……」
そう。結局はそうなのだ。
これが現実だった。
ここでは、全てが魔法力の後ろ盾によって成立してしまう。
どんな理不尽だって。どんな横暴だって。
それが、この国、ひいては世界の縮図だと言われれば否定できないかもしれないが、せめて自分の手の届く範囲くらいは、真っ向から否定したい。
ロランはそんな姿勢を、この半年間で、主にアーシュの背中から学んでいた。
「大丈夫だよ、エコーズさん」
ロランははっきりと言う。
「エコーズさんと相性が悪いなら、そこは僕が補うよ。そのためのペアじゃない」
「ア、アトールくん……」
「それに言ったでしょ? エコーズさんの魔法はすごいって。これから特訓すれば、きっともっと良くなるから」
「う、うん! ありがとう……えへへ……なんだか……」
(アトールくんと話してると……勇気が出てくるよ……)
最後は言葉にならなかった。
――昼は学校で勉強とペア練習。その後また放課後に二人は集まった。ロランの家だ。
「ただいまー」
「お、お邪魔します……」
「はーい。おかえりなさ……ん?」
レナは飲んでいた紅茶を置き、リビングのドアの前を素通りするロランと、その後ろでペコっと会釈をした女の子を唖然として見送った。
(ロランがうちに女の子を連れてきた? 女の子を!?)
レナは慌てて席を立つと階段下に行き、二階を見上げる。
そこには確かに廊下の壁の陰に消えていく、女の子の姿が。
見間違えなどではない。
(女っ気のひとつもなかったうちの子が……しかも、まだ再登校二日目よ!?)
変化するにしても劇的過ぎやしないか。
恐るべし、モリエール先生。
やはり、たった半年だけでも、ロランには「劇薬」だったか……。
レナはまだ混乱していた。
だが、ここは冷静にならねばと深呼吸する。
そして、
「て……偵察よ! ここは偵察しないと! 男の親として!」
と決意し、部屋に行く口実のためのお菓子の準備に取り掛かった。
――そんな母の気持ちを知らず、ロランはエイコをベッドに腰掛けるように促した。
他に座るところといえば机の椅子しかないから仕方がないが、エイコの方はドギマギする。
(アトールくんて、もしかして天然なのかな……?)
エイコの疑問はもっともだった。
しかし、ロランは森の小屋で、リッケとカサンドラという女の子といつも同じ部屋で暮らしていたから、何ら疑問に思わない。これが普通だった。
ところで、ロランがわざわざ自分の部屋にエイコを連れて来たのは、魔法の特訓のためだった。
これからロランがエイコに、少しだけ教えようとしていることは、万が一にも他人の耳に入れてはマズイことだ。なので、二人きりになる必要があった。
とは言っても、ロランはカサンドラのように魔書を所持しているわけでも、ましてや読みこなしているわけでもないから、エイコに強力な風の詠唱魔法を教えることはできない。
一応、『ウインドカッター』という小規模な風の詠唱魔法をカサンドラから教わってはいるが、そもそも魔法教国内で詠唱魔法を教えることこそ「危険なこと」かもしれない。
ロランにもまだ、どの程度「危険なこと」なのかはわからなかったが、それでも未知のリスクを、何も知らないエイコに負わせるわけにはいかなかった。
それに『ウインドカッター』はそんな無茶をしてまでも覚えるべき魔法ではない、低威力の魔法なのだ。
でも、かと言って全部を隠していてはいられない。魔法力を高めるためにはある程度の説明は必要不可欠だった。
なのでロランはまず、主に基礎の魔力を上げるための知識と瞑想のやり方をエイコに教えることにした。
それならば室内でも事足りるし、エイコが他言しなければ問題ない。はずだ。
「えっと……今から教えることは、二人だけの秘密ってことにしてね?」
「……??」
そんな意味深な前置きをし、ロランは話し始める。
自分がカサンドラから教わった魔法貴族の使う魔法の「本当の姿」。そして、ドゥンから教えてもらった精霊とマナと魔力、それらの関係性と内なる力を高める瞑想のこと。また自分自身が詠唱魔法や属性放出魔法を覚える過程で体得した感覚について。
なるべく、順序立ててわかりやすく。
そういうことはロランは得意だった。
それでも、全て説明し終わるのに30分以上かかった。
初め、メモを取りながら聞いていたエイコだったが、途中からは手を止め、目を丸くし、話に聞き入っていた。
ロランの話が終わって、初めてエイコは質問を口にする。
「そんなこと……聞いたことないです……ほ、本当なんですか?」
「まぁ……信じられないこともあるかもしれないけど、全部本当のことだよ。例えば……ちょっと見てて?」
ロランは手のひらに意識を集中し、リフレクトの魔法を無言で出して見せた。
「ね? 昨日も今日も、これを使ってエコーズさんの『ハウリング』の魔法を弾いてたんだよ」
「す、すごい……こんな魔法、初めて見ました……で、でも私の風魔法は無色透明なのに、どうやって……?」
それはさっき説明した魔力の気配でわかるよとロランは答える。
エイコはもやは、話について行けずに、ただただ感嘆している。
ロランはそんなエイコの眼差しが、なんだかくすぐったかった。
なぜならば、これらの知識は全て森で教えてもらった完全なる「受け売り」だったからだ。
でも、ロランはそれが誇らしかった。もしかしたら、自分が褒められたり、認められたりするよりも、間接的に森のみんなが褒められることの方がもっと、ずっと。
「わ、私にも使えるようになりますか!?」
「うん。もちろんだよ! そのために、これからテスト当日まで一緒に頑張ろう?」
「……! は、はい! よろしくお願いします!」
エイコは大きな声で返事をした。
ロランはよーしと気合いを入れる。
「じゃあ、まずは体の中の魔力の感覚を掴むところから始めよっか。ここに座って?」
エイコは、はいと言い、床に座る。
そうして脚の組み方をロランから教わり、瞑想の準備に入った。
「こ、こうですか?」
「そうそう。そんな感じだよ。あ、もっと肩の力を抜いて……」
と、ロランがエイコの肩に両手を乗せた時、まるでタイミングを見計らったかのようにレナが勢いよくドアを開けて部屋に入ってきた。
「いらっしゃい。ロランの母です。いつもロランがお世話になっております」
びっくりして固まる二人に対し、レナはにこやかに言った。
「か、母さん……?」
なおも動けないロラン。
しかし、エイコの立ち直りは早かった。
エイコは一旦、脚を解くと立ち上がり、一礼、
「お、お邪魔しています。アトールくんのクラスメイトのエイコ・エコーズと申します。こちらこそ、アトールくんには……えっと……その……」
が、なんと言えばいいかわからない。
なにせ、昨日仲良くなったばかりだ。
でも、ここは女の嗜み! ロランの母には良い印象を残したかった。
レナはそんなエイコをさり気なく観察する。
(な、なかなか可愛い子ね……)
が、そんな感想はおくびにも出さない。
「ふふふ……そんなに畏まらなくていいわよ? ちょっと言ってみたかっただけだから。だって、ロランが家に『お友達』を連れて来るなんて初めてのことですもの。ねぇ? ロラン?」
「う、うん。そ、そうだっけ?」
ロランはたじたじになる。
なんだか、母の様子がいつもと違う。それになんで『お友達』を強調したのだろうか?
(そんなに、僕は友達がいなかったかな?)
まぁ、事実、いないのであるが。
「はい。急いで用意したから、こんなものしかないけど」
レナは机にお菓子と紅茶を置く。
こんなものとか言いながら、明らかに手作りの焼き菓子だ。めちゃめちゃ気合いが入っている。
「ロランも呼ぶなら先に言ってくれなきゃ……」
「あ、あの……ありがとうございます! けど、お構いなく……わ、私が無理に付き合ってもらってるだけなので……」
レナはその言葉に耳をピクッと動かした、ように見えた。
「へぇー……そう」
さすがのロランも何か不穏な空気を察した。
だから、口を開こうとしたが、
「ま、とにかく。ロラン? 焦っちゃダメよ。他所様の大事なお嬢さんなんだから」
と先に言われてしまった。
「ちょっ!? な!なな、何に言って……!」
「はいはーい。じゃあ、お邪魔しました〜。どうぞ、あとはごゆっくり〜」
ロランが文句を言う前に、言いたいことだけ言って、さっさとレナは退散した。
一気に静かになる室内。
部屋に残された二人をこれまではなかった、微妙な雰囲気が包み込む。
エイコは耳まで真っ赤になって俯いている。
が、
(か、母さんめ……エコーズさん、嫌がってるじゃないか……)
残念ながらロランはアホであった。
可哀想なエイコ。恥ずかしがり損である。
「と……とりあえず、特訓の続きをしようか?」
「へっ? あ、う、うん。そ、そうしましょうか……」
こうして、二人は朝は走り込み、昼間の学校では筆記の勉強とペア実戦の打ち合わせ、夕方はロランの部屋で瞑想の特訓をすることになった。
――そして……
あっと言う間に年度末テスト1日目を迎えた。




