35、実戦練習
ジャンと別れたロランはドキドキしたまま教室に戻った。
その様子を興味ありげにクラスメイトたちは見つめ、囁き合う。
別に悪気のある生徒ばかりではないのだろうが、直接ロランに声をかけてくる生徒は一人もいなかった。
何か言いたいことや聞きたいことがあるなら、直接来て言ってくれればいいのに。
そういう意味では、なんの躊躇もなく話しかけきたイツキやマルク、あのマーキスでさえも、ロランにとっては貴重な存在かもしれなかった。
ロランが居心地悪そうに席に座っているとほどなくして、イツキが両手に紙束を抱えて教室に入ってきた。
続けて、先ほど別れたジャンも。
イツキはジャンと二言、三言会話をすると手際よく紙を配り始めた。
ジャンが言う。
「おはよう。では、今日も張り切っていこうか?」
――授業はロランの出欠の有無に関わらず、いつも通り、滞りなく進んだ。
『魔法史』『世界史』から始まり、『地学』『工学』『国語』『算学』と年度末だからか、授業がびっしりと詰め込まれている。
全ての教科書を持ってきていて良かったとロランは思った。
が、当然のことながらついていけない授業もままあった。
特に『工学』『算学』といった教科書を読んだだけでは、なかなか追いつくことができないものは厳しかった。
しかし、ロランは物覚えも理解力も、決して悪い方ではない。
だから、昼休みを挟んで午後3時まで続いたこの長い長い座学の授業を、最後までしっかりと集中して聞くことができたのだった。
――授業が終わり、休憩の時間。
クラスのみんなは、これから夕方まで行われる『実技授業』に向けて制服から運動着に着替え始めている。
男子は教室で、女子は更衣室へ。
しかし、ロランはまだ授業内容をノートにまとめる作業をしていた。
授業中はしっかり聞き、その後思い出しながらノートにまとめるのがロランのやり方なのだが、さすがに新しく覚えることが多過ぎてなかなかまとめきれないのだ。
「おい、ロラン。早く着替えないと遅れるぞ? それとも、苦手な実技はサボりか?」
クラスの男子の誰もが思っているであろうことを代弁するようにマルクが言ってきた。
クスクス笑う声が複数聞こえる。
けど、当のマルクに悪気はないみたいだ。思ったことをすぐに口に出すやつというだけで。
「いや、行くよ! これ以上単位落とせないし……」
ロランはそう言うと急いでペンを走らせ、ノートにひと区切りをつける。それから、いそいそと制服を脱ぎ、裸になった。
すると、それを見た男子生徒全員が、ぎょっとした視線をロランの上半身に向けた。
なぜならばロランの腹や背中、そこかしこに大きな傷跡があったからだ。
まるで大きな魔物に噛み付かれたような痛々しい傷跡や、ナイフで切られたような見るも生々しい切り傷の跡。
完治はしているのだろうが、それらは凶悪な牙や武器を連想させるのに十分なものだった。
目を背けたいのに、目が離せない。
ロランの体の傷跡は、妙な禍々しさを持っていて、生徒たちの眼前に迫った。
しかも、その傷のついたロランの体つき……。
とても半年前と同じ人物とは思えない。
まるで鋼のように鍛え上げられていた。
今度はマルクすら何も口にすることができなかった。
が、ロランはそんなクラスメイトたちの様子に全く気づくことなく、せっせと着替えを続けている。
ロランはズボンを脱ぎ、短パンを履く。
そして、革靴から運動靴に履き替えてた時に、ふと背後から
「アトール。その傷……ちゃんと治癒魔法は使ったのか?」
とマーキスから声をかけられた。
「へ? ……き、傷?」
ロランは一瞬何のことかと眉間に皺を寄せたが、すぐに体の傷のことだと思い当たると
「あ、ああ! これ? う、うん。一応は全部ヒーリングをかけたんだけど、間に合わなかったやつもあって……」
と言って頭を掻いた。
「ヒーリングをかけても治らない傷……そんなもん、どうしてついたんだ?」
「えっ? さ、さぁ……正直、どの傷がどの時についた傷だか、僕もあんまり覚えてなくて……」
あははは、とロランは誤魔化すように笑った。
実際、毎日生傷が絶えなかったので、正確には覚えていなかったし、それにこれ以上深く突っ込まれたくなかったからだ。
「……ふーん」
マーキスは睨みつけて言う。
ロランはまだ愛想笑いを浮かべていた。
「……まぁ、いい。どうせ次の授業で見させてもらうからな」
そう言うとマーキスは教室を出て行った。
それを合図にしたのか、マルクや他の生徒たちも次々と教室を出て行く。
最後に残ったロランはマーキスたちを見送った後、運動靴の紐を調整しながら
「見させてもらうって……どうする気だろう……」
と、不安そうにつぶやいた。
――『実技授業』。
とは言っても、生徒それぞれの魔法特性が違うため、基礎の筋トレを別にすれば、基本的に『実戦練習』の繰り返しに終始した。
『特性別の授業』は然るべき先生が、然るべき生徒たちを集め、週に二度ほど行なっているのだが、ロランのように『聖属性』などの珍しい特性を持つ生徒には、その然るべき先生がいないのが大きな難点となる。
だからロランにとって実技授業とは即ち、実戦練習の繰り返しのみを意味していて、そして「有効な対人攻撃魔法」を持たなかったロランにとってみれば、苦痛以外の何ものでもなかった。
(でも、それを克服するために半年間頑張ってきたんだ。今日はみんなにも、僕の成長を見せないと……!)
でも、そんな半年前までとは違い、ロランは意気込んでいた。
「では、各二人一組になって練習を始めなさい。いつも言うようだが、なるべく苦手な相手と練習するんだぞ? 一時間後にはペア戦を行うからそのつもりで」
ジャンは言うと手を叩いた。
始まりの合図だ。
生徒たちはダラダラと動き出す。
まぁ、いつもと同じ内容だし、何年も同じ学年にいれば、全員の魔法特性も知り尽くしている。もちろん、どの生徒が自分よりも強くて、どの生徒が自分よりも弱いかもだ。そして、その順位はそれほど劇的に入れ替わるものでもない。みんな同じ努力をしているわけだし、それに魔法とは生まれつきの才能が大きく優劣を分けるのだから。
よって、自然と組む相手はいつも決まってくる。
そして、当然のようにロランはその輪からあぶれてしまった。
ただっ広い演習場でひとりぽつんと佇むロラン。
理由ははっきりしていて、試験当日ならいざ知らず、練習の場でわざわざ『クラス最弱』……いや、『学年最弱』とも名高いロランと最初から組もうと思う物好きは、そうそういないのである。
まぁ、最初はいつもこんなものだ。
その内に、負けるのに飽きた連中が憂さ晴らしのためにロランに声を掛けにやってくる。
(それまで待ってるか……)
そう思い、壁に寄りかかるロラン。
とそこで、すぐ近くの壁にロランと同じように輪から外れ、ひとり寄りかかっている女子がいることに気がついた。
半袖の体操着とハーフパンツ、運動靴を履き、俯き加減で床を見つめている、華奢で小柄な女の子。
茶色い髪の毛が眉を隠し、どこか寂しげな印象をロランに与える。
もちろん、クラスメイトなので、彼女の名前も魔法特性もロランは知っていた。
彼女の名はエイコ・エコーズ。
特殊な風属性魔法を使うことで有名なエコーズ家の末っ子。
そして、彼女もまた「有効な攻撃魔法」を持たないクラス最弱候補の一人だった。
しかし、ロランよりマシなのは、相手に幻聴や吐き気を催す魔法をかけられるから、少しは抵抗できる点だろうか。
ロランは声をかけようか迷った。
が、意を決して
「あの……エコーズさん」
と話しかけた。
エイコはちらっとロランの方を見てくれた。
きょとんとした目、小さい鼻に、小さい口。
いざこちらを見られるとドギマギした。が、ロランは動揺を無理に押さえつけて話を続ける。
「あ、も、もし、相手がいないなら……僕と一緒に組んで実戦練習しませんか? 僕じゃ相手にならないかもしれませんけど、このまま何もしないのも暇、ですし……」
はっきりした声で言ったつもりのロランだったが、反対に声は尻窄みに小さくなっていく。
やっぱり自信というものは一朝一夕で身につくものではないらしい。いくら森で頑張っていたからといって、この学校ではまだ何も示せていないのだから。
ロランに声をかけられたエイコは意外そうな顔をして、目をキョロキョロとさせた。
迷っているみたいだ。
思えば声を掛けたのもこれが初めてだった。
それに、エイコが迷う理由もよくわかった。
そりゃ、誰だっていじめられっ子に関わったら、ろくなことにならないことくらい経験則で知っている。
逆に言えば、エイコの迷いはそのまんま、エイコの優しさを示しているということにもなる。
普通ならあっさり断るか、無視する場面だろう。
ところが、エイコは
「う、うん。こちらこそ、私で良ければ……」
と、迷いながらも了承してくれた。
「えっ……?」
その返事にむしろロランが意外そうな声を出す。
でも、その態度はあまりにも失礼だと自覚し、すぐに撤回するように首を振る。
それからロランはエイコに笑顔を向け、
「ありがとう! じゃあ、あのコートを使おうか!」
と空いているところを指差した。
ロランとエイコは少し距離を開けつつも、一緒にコートまで歩いていく。
その光景に練習を止め、思わず見入る生徒もちらほら見受けられた。
何を思っているのか知らないが、皮肉な笑みを浮かべてるクラスメイトたち。「除け者の、最弱同士お似合いだ」とでも思っているのだろうか?
でも、ロランは気にせずに歩く。
そんなことよりもエイコが誘いに乗ってくれたことの喜びの方が優っていた。
コートは12×12メートル四方の狭めのものが空いていたので、二人はそこに入る。
実戦練習のルールは簡単で、とにかく魔法でも体術でも武器でも、なんでも使っていいから相手に効果的な一撃を与えること。
ただし、効果範囲の大きい魔法や、致命傷を与えかねない魔法は禁止だ。それと、武器は模擬刀などの備品の中から選ぶこと。素手で致命傷を与えるのも、もちろんなしだ。
だが、それでも厳格なルールや線引きはないので、白熱してくると簡単に破る生徒もいる。そんな時は治癒魔法のエキスパートである保健室の先生が控えているので、まぁ安心と言えば安心だ。
ロランとエイコは所定の位置につくと、よろしくお願いしますと言って、構えた。
ロランはなんとなく両手を前に、エイコは腰を落とし、手を下に構えている。
合図はない。
だから、どちらかが動いたら開始なのだが、お互いに初めて戦う相手なので様子を見ていた。
特にロランは女の子相手に、どう手加減しようかを迷っていた。
初めから手加減することを前提に考えるのは失礼なのかもしれないが、それでもロランは女の子に「手加減をしない」なんてことはできそうにない。
(とりあえず、痣とかがつかなそうなところに軽くトンと拳を当てよう……)
そう結論すると、先にロランが動いた。
が、エイコにはロランが動いたことを認識するのに少し時間がかかった。
なぜならば、エイコにはロランの動きが追えず、突然消えたようにしか見えなかったからだ。
「えっ……?」
エイコは思う。
しかし、彼女の防御本能は危険を察知し、ほとんど無意識で魔法を詠唱する。
「『ハウリング』!」
すると、今にもエイコの背後に迫ろうとしていたロランの頭に妙な振動が伝わってきた。
(なっ……?)
思わずバランスを崩すロラン。
それで初めて背後を取られていることに気がついたエイコは体を捻り、距離をとった。
ロランも頭に手を当て、一旦距離をとる。
(な、なんだ? 頭が揺れて気持ち悪い……それに、この耳鳴りは?)
それがエイコの魔法の効果だった。
彼女の操る風魔法は空気を振動させることができるのだ。
が、その振動数は微々たるもので、このようにせいぜい足止めにしかならない。
それでも、このエイコの特殊な才能は、長いエコーズ家の歴史においても極めて珍しいものなのだが、そんなことはロランは知らない。
(魔法で、体内に干渉してる……? なら!)
ロランは頭の中に意識を集中する。
そして、属性放出魔法の要領で、エイコの魔力を見つけだすと、それを自分の聖属性の魔力に乗せて
(ていっ!)
と外に追い出した。
「な……?」
その初めて感じる手応えに、エイコはびっくりする。
まるで自分の魔法が、手からすっぽ抜けるみたいに消されてしまった。
けど、驚いている暇もない。ロランはすでにまた動き始めている。
「……! 『ハウリング』! 『ウインドウォール』!」
エイコはまた揺さぶりをかけつつ、風の壁で防御を固めた。
が、ロランに二度同じ魔法は通じない。
ハウリングによる風魔法の気配を感じ取ると、ロランはそれが耳から体内に入る前に右手で弾き飛ばし、そのまま突進。さらに左手で風の壁もあっさり突き破った。
「え……」
今度は驚いている暇もなかった。
ロランの手がエイコの首筋の前でピタリと止まっている。
何も当てる必要はないとロランはわかったのだ。
要は決着がつけばいい。これは練習なのだ。
「ま、参り……ました……」
エイコは言う。
ロランはそれでようやく息をふーっと吐き、手を下ろした。
「はぁ……ありがとう。久しぶりだから緊張したけど、楽しかったよ。にしても……変わった魔法だね? びっくりしちゃった」
ロランは笑って言う。
が、エイコはまだ口を聞けなかった。
それに、周りの雰囲気。
ロランはやっとその異様な空気に気がつき、辺りを見回した。
誰もが自分たちの練習を中断し、ロランたちを見つめていた。
それはそうだ。
いくらエイコ相手とはいえ、ほとんど一瞬で勝負がついたのだから。
しかも、ロランは一切魔法を使っていない。
実際には手や体に魔法を放出し、まとっていたのだが、それはここでは魔法を使ったことにはならない。
側からみれば圧倒的な体術で、ロランがエイコをねじ伏せたように見えただろう。まぁ、それは間違いではないのだが。
と、そんな視線にロランが戸惑っていると、
「う……う……」
突然、エイコがぽろぽろと涙を流し、泣き始めてしまった。
「えっ……」
これには、さすがのロランも呆気にとられた。
さらに輪を掛けたような冷たい視線が、演習場中から矢のようにロランに突き刺さる。
「あーあ、泣かしちゃったよ……」
「ロランのくせに、最低……」
「まぁ、そりゃロランに負ければ、誰だって泣きたくなるわなぁ」
「しかも、エコーズだし」
「にしても、魔法が使えないからって、体術鍛えてくるとはよ……ここは魔法学校だぜ?」
だんだん笑い声も混じってきた。
ロランは自分が悪いのか? と、思わず拳を握る。
けど、泣いているエイコを見ると、そんな怒りも吹き飛んでしまった。
ロランが途方に暮れていると、イツキがやって来て
「ロランくん。なんともないと思うけど、一応保健室に連れてってあげな。このままここにいても、気まずいだけでしょ? 先生には私から言っておくから」
と言ってくれた。
ロランのその言葉に甘えることにした。
「ありがとう。委員長」
「いいって。それより、落ち込まないでね。エイコのことも、頼んだよ?」
うん、と返事をし、ロランはエイコの顔を覗き込むように中腰になった。
「ごめん。大丈夫? 一緒に保健室に行こう」
そのロランの言葉にエイコは頷いてくれた。
それから二人は並んで演習場を後にした。