34、久しぶりの登校
翌朝になった。
ロランは少しでも出席日数を稼ぐべく、登校の支度をする。
冬用のブレザーに着替え、時間割もわからないから一通りの教科書を鞄に詰め込み、玄関で革靴を履く。
馴染みの深い格好だが、森の生活に慣れ過ぎたために違和感がすごい。それと、案の定日の出と共に起きてしまい、朝から街中の川沿いを二時間も走ってしまった。これから夕方近くまで授業があるというのに……。
父であるゴード・アトールとも昨晩、久しぶりに顔を合わせた。
で、初めて知ったのだが、どうやらロランを森送りにしたのは母の独断で、母が戻るまでの約一ヶ月、父は事情を知らず本気で心配したらしい。
なんとも気の毒な父である。
しかし、
「まぁ、元気そうならそれでよし! はっはっはっはっ!」
と、会えば何事もいつも通り気さくに笑い飛ばしてくれる。ロランはそんな父が大好きだった。
今朝も父は「仕入れがあるから」と、ロランが学校に行くよりも早く、店へと出掛けて行った。
ロランは玄関まで見送りに来たレナから、
「はい。ハンカチ。忘れてるわよ」
と忘れものを手渡される。
「あ、ありがとう」
「……ロラン。久しぶりだからって気負わないでね?」
「大丈夫だよ、わかってるつもり」
「そう。なら、気をつけて行ってらっしゃい」
「うん。じゃあ、行ってくるね」
そう言うとロランは玄関を出、通い慣れた道を歩き始めた。
――ロランの実家から学校までは徒歩で25分程の距離だ。
近いと言えば近いし、遠いと言えば遠い。実に微妙な距離である。
街の中心に見える校舎に近づくにつれ、魔法学校の制服がちらほらと見え始めた。
みんなどこか誇らしげに制服を着こなしているは、この制服を着ている=魔法貴族だからであり、魔法貴族=この国の中心だと自負しているからであるが、ロランにはその感じがいつもどこか居心地が悪かった。
と、
「あれ……もしかして、ロランくん!?」
後ろから声がした。
女の子の声だ。しかも、この強い火属性の気配は……。
ロランは振り返る。そこには予想した通り、ロランのクラスメイトであり、学級委員長でもある女の子、イツキ・カリナが立っていた。
イツキは今日も半年前と変わらず、長い黒髪に大きなリボンをつけ、大きな瞳で真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
「あー! やっぱり!」
イツキは大声で言い、ロランの顔を指差した。
ロランは早くも遭遇してしまったクラスメイトに、たじたじになりながら
「お、おはよう。委員長」
と挨拶をする。
「おはよう、委員長……じゃ、ないわよ! 今までどこで何してたのよ!? いきなり休学なんて。少しは私の立場も考えてよー。ロランくんが休んじゃった原因とかあれこれ考えたり、ロランくんがいなくなった分の発表の割り振りをやり直しとかさぁ、色々大変だったんだよ?」
「う……ご、ごめん」
ロランも一方的に休まされた側なのだから、半分くらいは濡れ衣なのだが、それでもイツキに何の連絡も入れずに休んでしまったのは、動かしようのない事実だ。
なので、しょんぼりして謝った。
すると、イツキはすぐにトーンダウンしてくれ
「ふーっ。ま、事情は人それぞれだし、過ぎたことだからいいんだけどね? とにかく、こうしてまた学校に来る気になってくれたんだから」
と、あっさり許してくれた。
ロランはほっとする。
「そ、そう言ってくれると助かるよ……」
「うん。でもクラスに行って、みんなに何て言われるかまでは知らないわよ? 私もなるべくなら守ってあげたいけど、委員長だからっていって過保護にするのも、それはそれでフェアじゃないしね?」
「だ、大丈夫。そこまで迷惑をかけるつもりはないから……」
「んー、ほんとかなー……?」
イツキは怪しそうな目でロランを見る。
今までの経緯からして、ロランが戻ればまたクラスメイトたちから、いじめのターゲットにされるのは目に見えていたからだ。
でも……
(僕はアーシュくんに「負けない」って誓ったから)
ロランはそう決意を新たに、前を向いて歩く。
その横顔の変化に、イツキは敏感に気がついたが、
(そんな顔をしてたら、余計に気に食わないって言われそうかも)
と、それはそれで頭を悩ませるのだった。
――結局、ロランとイツキはそのまま一緒に並んで登校した。
二人は魔法学校の立派な校門を通り、校舎の中へ入る。
ロランとイツキのクラスは三階だ。
でもイツキはその前に
「私は先生のところに行って、配布物をもらってくるから。ロランくんは先に教室に行ってて」
と、教員室の方へ行ってしまった。
二人で一緒に教室に入るのもちょっと気が引けていたロランは
「わかった。じゃあ、また」
と手を振り、一人で広い階段を登り始める。
多くの上級生たちが上へと登っている。
初等部、中等部、高等部と一貫制のこの学校は、上級生になるにつれ、教室が上階になっていくのだ。
三階に着き、ロランは左へ曲がる。
そちらにロランのクラス『中等部2期第2クラス』があった。
中等部2年目のクラスは第1から第4まである大所帯だが、この順番に特に優劣はない。
高等部に入る際には『振り分け試験』が行われ、きちんとクラスの順位付けがなされるが、中等部ではまだそれはなかった。
例外として学校全体から最大7人まで選ばれる『特別魔法クラス』、生徒間では通称『特魔』と呼ばれるエリートクラスはあるが、そこに入るには魔法教国内全体から見ても「特別だ」と思われる魔法、もしくは才能が、国家上層部の会議によって認められなければならない。
なので、最大定員7人とされるクラスにも関わらず、現在『特魔』に所属している生徒はわずか5人しかいない。
まぁ、ロランには無縁なクラスである。
そんなことよりも、ロランは1日でも多く学校に来て、一点でも多くテストの点数を取り、なんとか卒業までの道筋をつけねばならない。
ガラガラっと横開きのドアを開けロランは教室へと足を踏み入れる。
当然ながらそこへ教室中の視線は一点集中した。
「おい……ロランだぞ」
「アトール、辞めたんじゃなかったのか」
「えっ? 私は病気だって聞いたけど……?」
「私は家の用事だって」
「いやいや、やっぱりあのマーキスとの一件だろう……」
急にざわざわとし出す教室。
ロランはかなりのやりにくさを感じたが、動くに動けない。
なぜなら席替えがあったのか、自分の机の場所がわからないからだ。
(しまった……委員長に聞いておけばよかった……)
知っていて教えてくれなかったイツキもイツキだが、彼女にはしっかりしているように見えて、どこか抜けている部分がある。
ロランが困り果てていると、
「おい、ロラン。お前の席ならここだぞ。ここ」
と教えてくれる男子がいた。
かなり太めの彼は、土属性魔法を得意とする、マルク・ロロ。
ロランに最初に話しかけてくれた彼だが、何を隠そうマーキスの取り巻きの一人である。つまり、ロランをいじめていた側の生徒だ。
しかし、マルクには気が小さいところがあって、ロランと一対一で話す分には普通に接してくれる。
けど、マーキスが来た瞬間に態度を豹変させるのであるが……ロランはそれを知りつつも、どこか憎めないマルクに促され、教えてもらった席に腰を下ろす。
ロランの新しい席は教室のほぼ中央だった。
「ありがとう、マルク」
「いいよ、気にすんな。それより、半年もどうしたんだよ? 長めの夏休みか?」
「ま、まぁ……そんなところかな……」
マルクは茶化して言ったのだろうが、当たらずも遠からずである。
「へー?のんきなもんだよなぁ。こっちは年末テストとか体育祭とかてんやわんやだったのにさ」
「そっか」
「それに、ロランがいない間、マーキスくんの機嫌が荒れに荒れて……ストレスの行き場がないとこっちも困るわけよ」
「そ、それって僕に言うこと? 筋違いな気も……」
「しー! バカ! そんなこと口が裂けてもマーキスくんの前で言うんじゃないぞ!」
とマルクが口に手を当てた、その時。
「俺が、なんだって?」
と、教室の入口から声がした。
ロランは声のした方を見る。
そこには茶色いウェーブした髪を真ん中から分け、制服を着崩した男子が扉にもたれ掛かるように立っていた。
半年前よりもまた背が伸びたらしい、スラッとしたシルエット。
教室は一瞬で静まり返った。
彼がロランと『実戦魔法テスト』を戦った相手、マーキス・レイノットだ。
風属性魔法を代々得意とするレイノット家の長男で、このクラスの成績最優秀者。学年でも常に三位以内は譲らないという、強い魔法力を持つ生徒である。
「マッ、マーキスくん、ちーす! ほらほら、入んなよ。今日は朝からおもしろいやつが来てるよ?」
シーンとする中、相変わらずの変わり身でマルクはマーキスに手招きをする。
ロランは
(出たよ……マルクめ……)
と思い、首をすくめた。
けど、マルクが声を上げたことにより、教室にまた話し声が戻ったから、そういう意味では良いタイミングだったとも言える。
ロランとマーキスの目がばちっと合った。
マーキスはちょっと眉を上げ、顔を背けたが、その真意はわからない。
それから、ロランの方に歩み寄って来た。
「マーキスくん。ほら、ね?」
マルクがロランの席に手をついて言う。
が、マーキスはまだ黙ってロランを見下ろしていた。
だから、ロランも黙ってマーキスを見上げる。
一触即発の雰囲気に、またもや教室が静かになる。
けど、そんな雰囲気を察してか、マーキスが先に口を開いた。
「来たのか、アトール」
「う、うん……久しぶり。レイノットくん」
「……テストがあるからか?」
「そ、そう。さすがにそろそろまずいらしくてさ……」
「……ふーん」
そこで言葉を切ると、マーキスは何か言いたげに咳払いした。が、
「そうか。まぁ、せいぜい今度は俺と当たらないことを祈るんだな」
と、それだけ言うとマーキスはさっさと窓際にある自分の席に行ってしまった。
「あ、あれ? ちょっと待ってよ、マーキスくん!」
マルクもそれについていく。
ロランと教室の面々はふーっと息を吐いた。
とりあえず、最初の関門は突破したらしい。
(よ、よかった……なんとかこの調子で、登校初日さえ乗り切れれば、後はなんとなく馴染んでやっていけるかもしれない……)
ロランは淡い期待を胸に抱く。
と、今度はそこへ。
「おい。アトールはいるか?」
と、教室に担任の教師、ジャン・アロンドが現れた。
金髪にセーター姿でだるそうな目つきをしているが、頭はお堅い先生である。
始業まではまだ時間があった。
ということは、ロランに直接用事があるということか。
そう言えば、先生にも何の連絡も入れずに、登校してしまっていたことにロランは今更ながら気がつく。
それでも、ジャンがここに現れたのは、きっと配布物を取りに行ったイツキから聞いたからに違いない。
「あ……はい! ここに」
ロランは慌てて立ち上がった。
それを認めると、ジャンは
「ん。ちょっと、こっちに来なさい」
と言う。
初日から次から次へと……しかし、無視されるよりはマシだと、喜ぶべきところなのだろうか?
――ロランとジャンは教室を離れ、人気のない階段の踊り場で足を止めた。
ジャンは早速、口を開く。
「お母さんからは聞いている。なんでも、他所で魔法の修行をしていたそうだな?」
「は、はぁ……そ、そうです……」
ロランは正直に答える。
母はそこまで話していたのかと意外に思うが、言ったということは、別に話しても差し支えないことなのだろうと判断したのだ。
しかし、
「魔法の修行をするのに、この学校以上に適当な場所があるとするならば……それは問題だな?」
ジャンは重たく言った。
「えっ……?」
ロランは絶句する。
が、すぐに
「と、とんでもないです!! この学校以上に素晴らしい場所はないと、それを再確認しただけで、決してそんなっ、変なところには行っていませんよ!? はいっ!」
ロランはしどろもどろになり、訴える。
ジャンは表情を一切変えずにロランの様子を見ていた。
何を考えているのかわからない、ジャンの目。
(まずい……! 絶対に何か疑問に思ってる……! でも、ジャン先生の目を誤魔化すことなんてできないし……)
抑えようと思っても汗を止められるものではない。
むしろ焦れば焦るほどロランはびっしりと汗を掻いた。
すわ、ここまでか……?
と、
「……うむ。それがわかればいいんだ。アトール、今日からまた心を入れ替えて『ここで』頑張りなさい」
「……へっ?」
ジャンは言うと、踵を返した。
そして、階段を下り始める。
ロランは一瞬何が起きたかわからなかった。
けれど、ジャンに「見逃してもらえた」ことを理解すると、
「あ、ありがとうございます! 頑張ります!」
と大声で答えた。
それにジャンは振り返らずに、手を上げて応える。
口元に苦笑いを浮かべて……。
ジャンは階段を降りながら思う。
(感謝されたら苦しいなぁ……。ま、しかし、魔法学校以外となると、「在野の魔女」か「新興結社」くらいしかない。が、どちらもこの国では接触することすら禁止事項……まさか、そんな危ない橋を渡ってることを、わざわざ知らせてくるとはな……担任としては荷が重い)
けど、どんな時も生徒を守るのが担任なのだ。
前回の試験の時はロランのためと思い、敢えて厳しくしたが、それが裏目に出てしまった。
それを彼なりに反省していた。
(上層部はすぐにでも動くだろうか? それとも、まだ様子見か? どちらにしろ私の力でどうにかなるとも思えないが……今度こそ力になってやらないとな)
ジャンはやめているタバコの代わりに、ガムを食べる。
そして、学校の階段の窓から見える街並みを
(『魔法教国』、か……)
と複雑な気持ちで眺めた。