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31、アーシュの旅立ち

アーシュは極端に早くベッドから起き出した。


昨晩は一睡もできないと思ったが、少し眠れた。けど、それはかなり浅い眠りで、結局はこのように朝早く起きてしまったのだった。


アーシュは、あらかじめまとめて置いた荷物を持ち、そっと二段ベッドの階段を降りる。


といっても、大した荷物はない。

アーシュはこの森に身一つで転がり込んできたのだし、必要な物も当面の着替えとナイフが一本、リッケから貰った軍資金の10万エリス、それと夜歩き用のランプとマッチくらいのものだ。

それに加えて大事なものは、首から下げた精霊石のペンダントと、指にはめた指輪だけだから荷物にはならない。

全部まとめても小さな布袋ひとつに満たなかった。


アーシュはベッドを降りると、下の段で寝ているロランの顔を見る。


寝ているんだか、起きているんだか。


どちらにしても、昨夜の内に全員と別れの挨拶は済ませていた。

だから、これ以上話をしても未練を募らせるだけだと思い、アーシュは無言で部屋を出た。


(じゃあな……ロラン。また、会えるといいけどな……)


音もなく静かにドアが閉まる。


それからアーシュの足音が廊下に消えると、ロランはそっと体を起こした。


同様に、リッケとカサンドラも。


三人は互いに顔を見合わせる。


追いかけようかどうか……。


けど、そっと旅立とうとしているアーシュを追いかけるのが、果たして正しいことなのか、三人にはうまく判断ができなかった。



――アーシュがリビングに入ると、当然のようにおばあさんが安楽椅子に腰掛けていた。


アーシュはおばあさんと目が合うと、気まずさに目を逸らしたくなるのをグッと堪え、


「今まで、お世話になりました。ありがとうございました」


と、深々と頭を下げた。


おばあさんは無言で頭を下げ続けるアーシュを見つめる。


そして、おもむろに立ち上がるとアーシュに


「顔をお上げ」


と言って近づいた。

それから、顔を上げたアーシュの頭をグシャグシャと力強く撫でる。


「良かったねぇ、アーシュ。お前さんはまた、自分の運命に立ち向かえる……その機会をあの子たちから貰えたんだよ」


おばあさんの唐突な言葉にアーシュは、ピクッと肩を揺らした。

アーシュは少し考えた後、


「ばあさん……俺は……ちゃんとこの機会を活かせると思うか……?」


といつになく弱気を見せた。

けど、そんなアーシュの弱気をおばあさんは笑い飛ばす。


「はっはっはっ、そりゃ、私に予言しろっていうことかい? でも、そりゃ残念だが無理な相談だね。私が言えることはただひとつ……そりゃ、アーシュ。これからのお前さん次第ってことだね。少なくとも、そんな弱気じゃいけないんじゃないのかい?」


おばあさんは言う。

それについてもアーシュは考えた。


「……けど、俺はいつも強気で失敗ばかりしてきた」


「まぁ、それはそうさね。どちらか片方に偏って、物事がうまく進むはずはないよ。慢心も謙遜も……行き過ぎは自分の目を曇らせる。だからねぇ、アーシュや、まずは自分の目でしっかりと物事を見ることだよ。そこからまた始めなさい。本当の自信を身につけるのさ。自分を信じられる力を。そうすりゃ、お前さんは、きっと今よりもっといい男になる」


「……別に、俺はいい男になんぞ……ただ俺は目的を……」


「目的もまた、目を曇らせるだけなのさね」


おばあさんはぴしゃりと言った。


アーシュはその語気に思わず背筋を伸ばす。


「いいかい? 過去に対する気持ちがお前さんの支えになっていることはわかる。それが心と体を奮い立たせていることもね。けれど、お前さんはまだ若いんだよ? これから先のことの方がずっと長いんだ。ならば、アーシュ。お前さんは本当は未来を向いていかなきゃならないんだ。今の目的よりも先を見据えていかなければ、本当の強さは身につかないよ? そのことをしっかりと覚えておきな。それと……お前さんを支えているものは過去だけじゃないんだ。この森でもう一つ増えたってこともねぇ」


「ばあさん……」


言われ、アーシュはギュッと拳を握った。


「……わかった……覚えておく。そうすれば、きっと、俺は……?」


「……ああ。きっと、次は活かせるさね」


おばあさんがやっと笑顔を見せて頷いてくれた。


それで、アーシュも自然と笑みがこぼれる。


なぜだろうか……本当におばあさんと話していると、迷っていたことがすーっと晴れていく気がする。けど、きっとその気持ちすらも、おばあさんは「勘違いだ」と否定するだろう。


全ては自分の目で確かめるのだ。

そして、自分で決めるのだ。

この気持ちは他人に否定されたとしても「自分だけは信じる価値があるのかどうか」それらも、全部含めて。


「……チッ。ばあさんは、いつもいつもすげぇ難しいことばかり言いやがる。言うのは簡単だがよ……」


アーシュが頭をグシャグシャと掻いて言うと、またおばあさんは笑って


「はっはっはっ、しかし結果が全てではないからね。そこに向かおうという意思もまた、大事なんさね」


と付け足した。


「ま、そういうことなら、少しは気が楽なんだがな……」


言うや否や、アーシュは荷物を改めて肩にかける。

もう行くということだ。

アーシュはおばあさんの前を横切り、小屋の出入口であるドアのノブに手を掛けた。


約一年半慣れ親しんだドアの感触。


アーシュはなんと言って開けようか迷った。

けど、きっとこれしかないと思い、ドアを押す。


「じゃあ……行ってきます」


「ああ……行ってらっしゃい」


アーシュはドアをくぐって外に出る。


その数秒後、自動的にドアは戻ってきて、パタンと閉じた。



―――


冬の森の寒さは険しかった。


コートを着込み、一人腕を擦りながらアーシュは歩く。


(……はぁ、やっぱりばあさんに魔法陣を描いてもらえばよかったか?)


そんなことも思うが、アーシュはもう自分の足で歩くと決めていた。

それに、途中で調べたいこともある。


でも、とりあえず今は考えることは何もない。

いや、考え出したらキリのないことばかりだから、敢えて考えないようにしていた。


と、そこへ。


「おーい!! アーシュくーん!!」


と聞き覚えのある声が背後から聴こえてきた。


アーシュは軽くため息をついた。


やっぱり起きていたのか。

せっかく、気持ちを断ち切れたと思ったのに。


振り向くとロランが息を切らして走って来ていた。他の二人はいない。

たぶん、ロランが代表してここに来たのだろうことはなんとなくわかった。


「アーシュくん……よ、よかった……間に合った……」


ロランは苦しそうに言う。

起きてすぐの全力疾走なら、納得だ。

それよりも、よくアーシュの居場所がわかったものだ。


「なんで、ここを歩いてるってわかったんだ?」


「えっ……? そ、それはわかるよ。だって、精霊の気配を探れば……」


ロランは簡単に言うが、アーシュはまたまたため息をつく。

精霊や魔力の気配を読むのは、かなりの高等技術だ。つい最近まで何も学んだことのなかったロランがそれを使いこなせるようになっているなんて。


「……ったく。やっぱり身近に良い競争相手がいるっていうのは、捨てがたいな……」


アーシュは小声で言う。

が、ロランはそれを聞き取れなかったようで、首を傾げた。


「な、なに?」

「なんでもねぇよ。それよりも、どうしたんだ? 何か用か?」

「あ、うん……用ってほどのこともないんだけど……やっぱり寂しくて……」


こいつは……何回ため息をつかせるつもりなのか。

アーシュは首を振って言う。


「子供か、てめぇは」

「えっ、だ、だって……アーシュくんは寂しくないの?」

「……んなの。当たり前だろ」


そんなの……聞くまでもない。


「それよりも、その手に持ってる包みは何なんだよ?」


アーシュは先程から気になっていたので聞く。

言われるとロランは慌てて、その包みをアーシュに差し出した。


「そうだった……! これはリッケから、お弁当。途中で食べてって」

「ん。ありがとうな」


正直、これはかなり有難い。今日辺りは狩りでもしようかなと思っていたところだ。


「それと、カサンドラさんからは伝言……その……『少しは強くなってきなさいよ』って……」


ロランが言いづらそうに言うと、アーシュはへへっと笑った。

カサンドラらしいと言えばらしい。要するに帰ってくる前提で言っているのだから。


「ま、そのつもりだって、伝えてくれや。次は必ず勝つってな」

「う、うん! 伝えておくよ」

「で?」


アーシュは言う。


「ロラン、お前からは何かないのか?」


と。

ロランは少し面を食らった。


けど、言いたいことは色々あるが、最初からひとつに決めていたから、すんなり口から出てきた。


「あるよ……絶対に、またこの森で会おうねって……! 僕からは、それだけ!」


ロランは手を差し出す。

アーシュは今度こそ大爆笑し、子供かよとまた言った。


「くっせぇ、セリフ。けど、まぁ……概ね同感だ」


アーシュはロランの手を握った。

ロランは強く握り返す。それに応えるようにアーシュはさらに強い力で握り返した。


「元気でね」

「ああ」

「し、死んじゃったりしたら、やだよ?」

「へっ、誰に言ってやがる。大丈夫だよ」


しばしの沈黙。


やがて手をそっと離したのはアーシュだった。


「じゃあな、ロラン。お前も、負けんなよ……頑張れよ!」

「うん……! 頑張るよ、僕! 今まで以上に! 次にまた会える時まで、アーシュくんの友達として……恥ずかしくないように!」

「……ったく、大袈裟なんだよ。どいつもこいつも……」


アーシュは何かを断ち切るように、駆け出した。


「じゃあな」


手を振るのが見えた。

けど、その次の瞬間には、アーシュは過ぎ去っていく風のように森の先へと姿を消していた。


「……じゃあね……アーシュくん」


ロランの瞳からせきを切ったように涙が溢れた。


そうして、いつまでもいつまでも、アーシュの見えなくなった方角を、ロランは見つめ続けていた。


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