30、誕生日会
―――1月20日の夕食。
リッケ、ロラン、カサンドラの三人によって綺麗に飾りつけされたリビングのテーブルに、アーシュはもじもじと落ち着かない様子で座っている。頭には無理矢理かぶらされた、とんがり帽子。肩からは赤いマントを掛けられている。
それほどアーシュのことを祝っているというのもあるが、半分はおふざけだ。けど、アーシュもそれはわかっていて、最後には抵抗を止めて為すがままにされていた。
ロランでも抵抗があるであろうことを、あのアーシュがである。
それは照れ臭いながらも、内心喜んでいる証拠なのだろうが、それを指摘するときっと怒られるから、ロランは何も言わずにこっそり笑った。
みんなアーシュがいる目の前で、着々と食卓に料理を並べていく。
もともと告知済みの誕生日会だ。サプライズも何もないのだから、どうせなら全部見せちゃえという腹づもりだ。
実際、次々と運ばれてくる料理にアーシュは目を奪われているから、どうやら一定の演出効果はあったようだった。
全員がいつものように席に着き、おばあさんが挨拶をした後、黙祷を捧げるまでは一緒。
その後、リッケが立ち上がって
「それでは……アーシュ、誕生日おめでとう!!」
と言うと、みんなはそれぞれ手に持った飲み物を掲げ、
「おめでとうーー!!」
と乾杯する。
賑やかな誕生日会が始まった。
―――
まず、真っ先にからあげに手を伸ばしたのはカサンドラだった。
飲み物を置くや否や、素早い動きで数を確保に入る。それに、ほんの一瞬遅れてアーシュが手を伸ばす。
「あっ! おい、てめぇ……遠慮ってもんが、微塵も感じられねぇな! 始まって一秒も経たずにそれか!! 今日は俺の誕生日会じゃねぇのかよ!?」
「そうよ。けど、そのくらいで私がアーシュに何か遠慮すると思った?」
両手に骨付きからあげを複数個持ち、カサンドラは言う。
アーシュもそれと同じ数を咄嗟に確保し、舌打ちする。
「……そのくらいって……クソッ、てめぇ相手に油断した俺が悪かったか……」
その様子を見ていたリッケは優しく微笑み、
「ふふっ、大丈夫だよアーシュ! まだまだたくさん作ったから、心配しないで? はい、これも食べて食べて」
と、アーシュの大好きなレフナントカボチャのクリーム煮をよそってあげた。
それをアーシュは受け取りながら、
「お、おう……ありがとうな……」
と照れ臭そうに言う。
(な、なんだかんだで、リッケのやつはいつもと様子が違うな……これはこれで調子が狂うが……)
(ふふふっ……そう。たくさん食べなさい? いつもの倍くらい作ったんだから。そして、もう食べられないくらいお腹いっぱいになったところで、ケーキが登場……そうなれば、私の取り分が自然と増えるって寸法よ……! ……ふふっ……にひひひひ)
「さ、アーシュ。遠慮しないでいいんだからね?」
そんなリッケの笑顔の奥底に、なにやら不気味な気配を感じとったロランは、ひとり呆れ顔でスープをすする。
(みんな食べ物のことになるとすごいなぁ……)
そう思いつつ、ロランもからあげに手を伸ばす。
まぁ、美味しいものをたくさん食べたいという気持ちは誰にも止められないのもわかる。たくさんあるとは言え、数に限りがあるのなら尚更だ。
目の前ではまだカサンドラとアーシュが言い争っている。
リッケはみんなにクリーム煮を配り終わると、おばあさんに料理を取り分け始めた。
そんな光景をぼんやり眺めながら、ロランは
(でも……アーシュくんが楽しそうなら、それでいいよね……)
と、頬をほんのり赤く染めたアーシュを見て思った。
きっと、カサンドラとガミガミ言い合っているのも、照れ隠しなのだとわかってしまうくらいには、ロランもアーシュとの付き合いが長くなったとうことか。
「ぷっ、ははは……」
「おい、ロラン。何笑ってんだよ。お前からもこいつに一言、言ってやってくれ」
「無駄。ロランは誕生日くらいで、私を裏切ったりしない」
「はっきり言ったな、おい。誕生日会で『誕生日くらいで』って……それこそ一番言っちゃいけねぇセリフだろうが、こら!」
「はははは」
「ロラン! だから、笑いごとじゃねぇんだよ!」
そんな中でも、カサンドラは手を休めず食べ続ける。
相変わらず、その小さな体のどこにそれだけ入るのかわからないが、とにかく食べる。あと、なぜそんなに食べているのに、一向に成長に繋がらないのかも謎だ。
「……ったくよ……お前らときたら……」
アーシュは諦めたのか、頬杖をついてからあげを食べる。
そして、心の中で
(はぁ……やれやれだぜ……本当……退屈しねぇな……)
と思い、そっぽを向いて微笑んだのは、できれば内緒だ。
―――
食事もひと段落したところで、誕生日ケーキが登場した。
リッケが予約して、朝早く買ってきてくれた三段重ねの白いケーキである。
丸く切り取られたケーキの側面には綺麗に並べられたイチゴの断面が、幾何学模様のように美しく配され、ケーキのてっぺんには見事な出来栄えの鳥の飴細工が飾られていた。
リッケの解説によると、なんでも風を象徴する伝説の鳥なのだとか。けど、リッケのケーキの解説はあまりにも長くなるため、今回はそれ以上は遠慮してもらった。
みんなはしばし、ウェイランさんのケーキの美しさを堪能する。
そうして満足すると、リッケはお湯で熱していた長い包丁を持ち出し
「うう……食べるためとはいえ、いつもこの瞬間が切ないのよね……」
と心情を吐露しつつ、慣れた手つきで綺麗にケーキをカットした。
ロランがそれを倒さないようにみんなの皿に乗せる。
今日は紅茶もコーヒーもポットでたっぷり用意した。
みんなに行き渡ると、特に挨拶もなく、それぞれに一口目を食べる。
ぱくっとケーキを口に含んだ瞬間、ロランは思わず目を見開いた。
(……! こ、これは……!)
からあげ以来の衝撃がロランを襲った。
すかさず、フォークを動かし二口目を食べる。今度は思わず虚空を見上げた。
なんだろう……空中に薔薇が見えた気がする。可愛らしい天使も横切ったかもしれない。
ロランは香りの良い紅茶を飲みながら、しばしその幸せに浸る。この時初めて、リッケがケーキについて語る時に虚空を見上げている理由がわかった気がした。
そのリッケはというと、先程からなぜかケーキと語り合っている。
傍目にはかなり危ない人だ。どうやら、リッケはロランの感じたものよりも先の段階に足を踏み入れているらしい。
(……本当に、何かイケナイものでも入ってるんじゃないかな……このケーキ……)
ロランはリッケを見て思う。
「……ん、確かにうまいな」
一方、アーシュは普通の反応だ。
もともとそこまで甘いものが好きではないアーシュだから、その言葉が出ただけで十分な評価なのだが、リッケは
「うまいなんてもんじゃないのよ……『未来永劫語り継がれるべき味』と言ってちょうだい」
と言って憚らない。
「おいおい……そりゃいくらなんでも大袈裟だろうが」
アーシュは食べながら言う。
リッケはそんなアーシュに「へっ」とした視線を送り、目を逸らした。
どうやら、アーシュは「違いのわからない男」としてリッケの中でカテゴライズされてしまったらしい。
が、やはりそんなことには気がつかないアーシュは
「ん? ま、うまいことはうまいけどな」
とケーキを食べる。
なにはともあれ、全員がケーキに満足し、誕生日会も無事、クライマックスに差し掛かった。
リッケの目配せでロランはタイミングを見計い席を立つ。
そして、台所に隠していたプレゼントの箱をそっと持ち出してきた。
「アーシュくん。最後に……これ。僕たち三人から」
「……えっ?」
コーヒーを飲んでいたアーシュは、その動きを止め、ロランから差し出された長方形の箱を受け取る。
「これ、俺に……?」
「当たり前」
「誕生日と言えば、プレゼントじゃない」
アーシュの疑問に、カサンドラとリッケは即答した。
そして、ロランは
「そうだよ。改めて……アーシュくん。お誕生日おめでとう」
と言った。
「お前ら……」
アーシュはちょっと感極まりそうになるのを我慢して、
「ありがとう……早速開けてみていいか?」
と聞いた。
「もちろん! どうぞ」
アーシュは丁寧に包装を解いていく。
リボンを外し、包み紙を取り……。
そうして、箱の蓋を取ると、中身の『風の精霊石のペンダント』を持ち上げた。
「それはね? 風の精霊石っていう宝石なんだ。なんでも昔の精霊の力が結晶したものらしいんだけど……だから、身につけると僅かだけど精霊術の力が上がるらしいんだ」
ロランの解説に感心したようにアーシュは頷く。
「……本当だとしたら、そいつはすげぇな。たとえ僅かでも精霊術の力を上げるってぇのは簡単なことじゃねぇからな」
「うん。でね、これはアーシュくんに『お守り』として持っていて欲しいと思ったんだ」
「お守り?」
精霊石をじっと見つめていたアーシュは、ロランの方に向き直って聞く。
「何のだよ?」
「アーシュくんの無事と願いが叶うようにって。そのお守り」
ロランが言うと、アーシュはハッと気づかされる思いがした。
そして、またじっとペンダントを見つめた後
「……付けてもらっていいか?」
と言う。
それにリッケが応え、付けてあげた。
「はい」
アーシュは自分の首に掛けられたペンダントを握り、目を閉じる。
「確かに精霊の気配がする……それも、とても力強い……今は薄れてしまったが、昔は相当強力な精霊だったんだろうな」
アーシュの言う通り、今もなお、その力を感じれるくらいの力の結晶ならば、その元の力はかなりのものだ。
ロランはアーシュに言われて初めて、深く考えた。が、考えてもわかるものではない。
「気に入ってくれた……かな?」
「ああ……最高のプレゼントだ」
それは掛け値なしの、アーシュの素直な言葉だった。
―――
誕生日会はこれでお開きとなった。
アーシュには先にお風呂に入ってもらい、他の三人が後片付けをする。
それもだんだん片付いてくると、ロランが二番目にお風呂に入らせてもらった。
そして、お風呂から上がると部屋に行く。
そこには既にベッドの上で瞑想をしているアーシュの姿があった。
ロランは瞑想が終わるのを待って、アーシュのところへ登る。それからアーシュに魔女の木の実を一つ手渡した。
「お。もうそんな時間か」
「うん。今日はちょっとお風呂の時間が遅かったからね」
言いながらロランもひとつ、魔女の木の実を食べた。
すると、アーシュはおもむろにシャツを脱ぎ出す。
知らずに見るとなにやら怪しい光景だが、いつもの痣を消す作業である。
アーシュはロランに背を向ける。
そこにある呪いの紋章は今ではすっかり薄くなり、消えかかっていた。
アーシュの首には裸になっても、しっかりとペンダントが掛かっている。やっぱり、すぐに身に付けてくれると、贈った側も嬉しい。
「じゃあ、始めるね」
「ああ。今日もよろしく頼む」
ロランは大きく深呼吸をし、アーシュの背中に手をかざした。
魔法の詠唱を始める。
その精度、魔力量ともになかなかのものになってきていると、カサンドラにもお墨付きをいただいたロランの解呪魔法。
そこに魔女の木の実の効果も足しての、今日までの成果だ。
(まさか……本当にこの痣を消せるかもしれないなんて……あの頃の俺は思いもしなかったな……)
アーシュは特にすることもないので、そんな想いに耽る。
近頃では解呪に伴う、体への負担も嘘のように軽くなっていたから考え事もできるが、最初の頃はひどかった。
まだまだ最近の出来事のはずなのに、懐かしさすら覚える。
アーシュは目を瞑る。
意識を背中に集中して。
少しでもロランをアシストするように。
けど、妙な気配は胸もとからやってきた。
(な、なんだ……?)
じんわりと温かいのでアーシュは目を開けてみる。
すると、その原因がすぐにわかった。
精霊石だ。
精霊石がアーシュの内側の精霊の力に反応したのか、ぼんやりと緑色の光を放っていたのである。
(増幅……? いや、解呪に伴い、俺の中から引っ張り出される力に反応してるのか……?)
アーシュは精霊石をぎゅっと握ってみる。
そして、そこに力を注ぎ込むように、流れを作り出す。
すると精霊石はぐんぐんとアーシュの力を吸い取り、中に溜め込んでいくのがわかった。
ロランはまだ詠唱魔法を続けている。
魔女の木の実によって、底なしになった魔力を全て出し切るように。
けど、しばらくするとそれも
「……えっ?」
というロランの唐突な声と共に止まった。
「ん? どうした? ロラン」
まだまだ続くと思っていた詠唱が終わってしまったので、アーシュは振り向く。
見るとロランはきょとんとした顔でアーシュの背中と顔を見比べていた。
が、やがて
「き、消えてる……」
と、つぶやいた。
「……はぁ? 消えてるって、何が?」
全然ピンと来ないアーシュは、ぶっきら棒に聞く。
「あ、痣が……」
「痣?」
「か、完全に……消えた。痣が、消えてるんだよ……!」
「……な」
ロランのまさかの言葉に、バカな、とアーシュは息を飲んだ。
消えかかっていたとはいえ、急過ぎる。
カサンドラの話ではまだ二週間はかかるという見込みだったのに。
ロランとアーシュはしばし見つめ合った。
そして、次に動いたのはロランで、アーシュの手を取り、硬く握ると
「お、お、おめでとう……! アーシュくん!」
と言った。
今日何回目の「おめでとう」だろうか。
どうやら、今日は本当におめでたい日らしい。
「お、おう……」
「あ、でも、念のためカサンドラさんに見てもらおうか! ちょっと待ってて! 呼んでくるから!」
ロランは慌ててベッドから飛び降り、廊下へと消えていった。
その後ろ姿をアーシュはなんとも言えない気持ちで見送る。
「痣が消えた……? 本当に……?」
まだ信じられない気持ちだった。
けど、ロランが言うのならほぼ間違いないのだろう。毎日毎日見続けてきた痣のことだ。その魔力の気配で消えたかどうかくらい、簡単にわかるはずだから。
「そうか……消えた、のか……」
アーシュはつぶやき、目を閉じた。
終わってみれば、あっけないものだ。
そして、
(やっと、俺はあいつの前に立てるのか……)
とも思う。
けど、そう思っても不思議と拳に力が入らなかった。
なぜならば、痣が消えたということは即ち……アーシュの旅立ちを意味していたから。
アーシュは「お守り」のペンダントを見つめる。
「アーシュの願いが叶うように」
あの時ハッとした言葉が、今またアーシュの胸に新たな選択を迫っている気がした。




