26、『竜騎士』来たる
年の瀬も迫った頃。
また森の前に一人の男の姿があった。
男は馬に跨っている。
若い男だ。
切れ長の目に、薄い顔。
髪は黒く、後ろでひとつに結わいている。
身には軽そうな甲冑、腰には一振りの刀。
彼は騎士であった。
それも神聖レフナント王国の『竜姫』に仕える騎士。
世間で言うところの『竜騎士』である。
男は地図と森を真剣な眼差しで見比べながら、馬を降りる。
そうして恐る恐る森に近づき、結界に弾き飛ばされると、感動のあまり涙を流した。
「や、やっと……やっと辿り着いたでござる……! 苦節、四ヶ月……呪いや幻覚魔法に騙され、何度も何度もぐるぐると同じところを彷徨い歩いたでござるが……ついに……ついにここまで……!」
男は腰の剣に手を掛ける。
そして、目にも止まらぬ速さで抜刀。
すると、結界はいとも簡単に切り裂かれた。
男はその隙間からするりと中に入る。
「見ていてくだされ、シェファ様。このカイゼン、必ずや不吉極まる予言の魔女を引っ捕らえて参ります」
――「……あれ?」
時刻はお昼過ぎ。
ロランはアーシュと組手をするために、二人で湖に向かっているところだった。
「今のは……?」
ロランは異変は感じ取ったが、意味がわかっておらず、アーシュに聞く。
だが、アーシュは事態を正確に把握していたから、険しい顔になっていた。
これで二度目となれば尚更だ。
「……行くぞ」
「えっ? い、行くってどこへ?」
その返事もせずにアーシュは駆け出す。
ロランは反射的について行く。
ロランもアーシュほどの速さとまではいかないが、アーシュが少しスピードを落とせば、ちゃんとついていけるようになっていた。
「も、もしかして……また誰か来たの?」
「ああ。そうだ」
「で、でも結界が破られた気配は一瞬したけど、その後は誰の気配も感じないよ?」
「だろうな。今度のやつはドゥンのじいさんと違って、慎重に気配を消してやがる……ロラン、くれぐれも油断すんじゃねぇぞ?」
「う、うん」
アーシュがそう言うと、二人は二手に分かれた。
さすがのアーシュでも気配が完全に消えてから数分経つと、居場所を見失ってしまうからだ。
ここからは目視で探す。
もし見つけたら、ロランは上空にホーリーニードルを、アーシュはかまいたちをわかりやいように打ち上げるという手筈になっていた。
――数分後、ふと立ち止まったのはロランだ。
ロランはアーシュみたいに目がよくないから、せめて頭を使わなければと思う。
(侵入者だとしたら、狙いは何だろう? やっぱりおばあさんかな? なんか、偉い人らしいし……でも、そうじゃなかったら? ただの迷い人……とか?)
迷い人が気配を消しているなんて思えないけれど、もしおばあさんが狙いの侵入者なら、間違いなく小屋を目指すはずだ。
(ドゥンさんは言ってたっけ、おばあさんの魔力は隠そうと思って、容易に隠せるものではないって。僕だって感じれるくらいなんだ。侵入者がわからないわけないよね……)
そう判断すると、ロランは来た道を後戻りし、捜索半径を狭めて、比較的小屋に近い森の周辺の警戒にあたった。
ロランは小屋の周囲の森をぐるぐると走る。
なるべく気配を消して、素早く。
そうすればいつか、発見できるかもしれない。
運の要素は大きいが、こうしておけば、アーシュが見つけられなかった時の保険にもなる。
首尾よくアーシュが発見してくれれば、なおよい。
そう勝手に役割分担を解釈した。
ロランは上空を注視しつつ、森を見て回る。
だけど、いつまで経ってもアーシュの合図はなかった。
そして、その時はやって来た。
「……ん?」
ロランは見つけたのだ。
小屋の住人ではない男の姿を。
男もロランのことに気がついているようで、その場でじっとロランの方を見て待っていた。
ロランは足を止め、男と対峙する。
男もこちらを見るだけで、まだ仕掛けてくる様子はなかった。
しばらく見つめ合う二人。
侵入者=ドゥンというイメージがあるロランは、その男の若さにまず驚いた。
ロランたちよりは年上だろうが、たぶん17、8歳くらいだろう。
そして、風変わりな髪型と顔。おそらく、この大陸の出身ではない。
しかし、そんな男が着ている甲冑には、神聖レフナント王国の紋章が描かれている。
どんな素性の人なんだ?
「あの……何かご用ですか?」
ロランは尋ねた。
無言には耐えられなかったし、もしかしたら話し合いで何とかなるかもしれないからだ。
「……貴公はここの住人でござるか?」
「……えっ? あ、はい……?」
ロランは戸惑った。
(ご、ござるって、なんだ?)
けど、本題はそこではなかった。
質問を質問で返された。
素直に答えていいものだろうか?
「えーっと……あ、は、はい。僕はここの住人で……ロラン・アトールと言います。あのー……あなたは……?」
ロランは素直に答えてしまった。
下手な嘘をつけないのもロランの長所であるが、短所とも言える。
「ロラン殿、でござるな? 拙者は神聖レフナント王国が騎士。カイゼン・ミノマルでござる。以後お見知り置きを」
カイゼンはお辞儀をした。
(レフナントの騎士……)
「こ、これはどうもご丁寧に……」
ロランも釣られてお辞儀する。
「いやいや。これは拙者の決まり事なので、恐縮する必要はないでござる。拙者の祖国では、果たし合いの前には、お互いに名乗っておくのが礼儀でござるからな」
「は、果たし合い……?」
話が急展開してロランは焦った。
なぜ、果たし合いの前に丁寧な自己紹介やお辞儀が必要なのだろうか? さっぱりわからない。
「それは僕とカイゼンさんの果たし合いですか?」
「……ん? はっはっはっ。おもしろいことを言うでござるな。他に誰がいるでござるか?」
「で、でも、僕たちに戦う理由なんてないんじゃ……」
ロランが言うと、カイゼンは首を横に振った。
「いや、そんなことはござらん。ロラン殿は先程言ったでござろう? 自分はここの住人だと。ならば貴公は拙者の目的を阻む主敵。それに……いつまでもこの周りをうろちょろされたら、邪魔でござるしな」
「……目的。だから、それはなんなんです?」
やっと最初の質問に戻ってこられた。
そうして、今度こそカイゼンは
「拙者の目的。それは不吉な予言の魔女を我が姫の前に差し出すこと……」
と答えて、刀に手をかけ、構えた。
これで、二人の対決姿勢は鮮明になった。
(魔女……! なら、やっぱりこの人は悪意ある侵入者だ!)
ロランも身構える。
カイゼンを排除するつもりで。
ここで、カイゼンから
「……降参するなら今のうちでござるよ? そうすれば何も命までは取らないでござる」
と最後通告が来た。
しかし、ロランは「はい、そうですか」と言うことを聞くつもりはなかった。
「すいませんが、降参はできません。あなたの方こそ、早くお帰りください。でないと、この森にはもっと恐ろしい人がいますよ?」
ロランはカサンドラとリッケを思い浮かべて言ったのだが、カイゼンはそれを「魔女を呼ぶぞ」という脅しと取った。
だから、余計にうずうずしてしまう。
「……はっはっは。それはそれは。望むところでござる……では」
カイゼンはさらに腰を落とし、
「いざ、尋常に……勝負!」
と、一瞬でロランとの間合いを詰め、抜刀した。
「居合い」というカイゼンの祖国の剣技。
刀の軌道は水平で、綺麗な半円を描くようにロランの胴に迫る。
「……! 速いっ!」
この速さは精霊術によるものではない。魔法によるものでもない。完全なる鍛錬によるものだ。
だから、そういった魔力などの気配で避けられるものではない。
が、ロランにはしっかりとその軌道が見えていた。
退がりながら身を捩り、ギリギリで斬撃を躱す。
(……な、ぬっ……!?)
これに、先程まで余裕を見せていたカイゼンは驚いた。
すかさず追撃する。
二撃、三撃、四撃。
だが、その斬撃のことごとくを、ロランは回避した。それも最短の、無駄の無い動きで。
魔法の気配もない。
精霊の気配もない。
完全なる体術。ロランのもまた、鍛錬の賜物だった。
ロランは思う。
(は、速い……けど、アーシュくんほどじゃない。あの速さに比べたら、まだまだ余裕がある……様子見かな? どちらにしろ、油断は禁物……)
だが、ここに至り、カイゼンは冷汗を掻いていた。
カイゼンは本気だったのだ。
カイゼンはロランから発せられる濃密な魔力を見て、ロランを魔法特化の「魔法使い少年」だと思い込んでいた。
だから、初手で勝負を着けるつもりだった。
だが、蓋を開けてみれば、得意の居合いがかすりもしない。
しかも、相手は魔法を使っていない状態。
ということは、魔法を使うまでもないということなのか?
(な、何者でごさるか……このロランという少年は……)
カイゼンは一転して慎重に間合いを取った。
ロランはそれを見て、次の攻撃が来ると読む。
だから、その前にこちらからも仕掛けてみることにした。
「……ここに来たるは、雷撃の一端。ただ立ち尽くし、そして眠れ」
口の中で詠唱していた魔法を解き放つ。
「ショック!」
いつも通り地面に手を着くと、次の瞬間には黄色い雷撃が、地中からカイゼンに襲いかかる。
「……なぬっ!?」
が、さすがの動体視力と反射神経で、カイゼンはショックの雷撃を刀で受け止める。
(雷属性!? そんな魔力の気配はしなかったでござるが……!?)
「チェストー!」
カイゼンはなんとかショックを切り裂く。
手にはまだ痺れが残っていた。
戸惑いも消えてくれない。
(適正属性外の魔法……ど、どうなっているでござるか? ……!)
しかし、考えている暇はなかった。
ロランは既にカイゼンに向かって来ていた。
「クリスタル・ディフェンス!」
ロランが唱えるとロランの左腕全体に半透明の壁が現れる。
それを盾にしての突進。
カイゼンは刀を構えて迎撃しようとした。
が、腕がうまく上がらない。
「……くっ!」
「てやーー!!」
ロランのタックルがカイゼンを真正面から捉えた。
「ぐあっ……!」
カイゼンは吹き飛ぶ。
でも、なんとか倒れずに足を踏ん張った。
(聖属性と、雷属性の魔法使いでござったか……!)
カイゼンは思う。
だが、そんな思いも裏切られた。
ロランは手甲から闇の靄を放出し、追撃をして来たのだ。
「なななっ!?」
今度は防御も間に合わないと踏んで、カイゼンは刀を振るう。
ロランはそれをなんなく掻い潜り、闇の靄で包まれた拳をカイゼンの顔面に叩き込む。
「たぁぁりゃゃぁ!!」
思い切り腕を振り抜くと、カイゼンはぶっ飛び、遠くの木に直撃して、そこで地面に突っ伏すように倒れた。
―――
ロランがすっかり忘れていた合図をすると、すぐにアーシュが飛んで来た。
ロランは経緯を説明して、気絶したカイゼンを見せる。
カイゼンの顔を見ると、アーシュは口をへの字に曲げた。
「げ……痛そうだなぁ、おい。ちっとは加減してやれよ、ロラン」
「か、加減なんてできるわけないでしょ!? 真剣を使ってくる相手に!」
ロランは必死に言い訳をする。
が、よくよく考えると、確かに可哀想になってきたのでカイゼンの顔にヒーリングをかけてあげた。
「ど、どうする? この人……小屋に連れてって寝かしてあげる?」
「はぁ……バカかよ、お前は。そんな物騒なやつをわざわざ小屋まで案内してやるわけにはいかねぇだろうが」
「あ、そうか……でも、じゃあ、どうするの?」
「まぁ、最終的には魔法陣でどっかに送っちまうしかねぇが……まだこいつには聞きたいことがあるからな。とりあえず……縛るか」
「し、縛る……」
こうして、カイゼンは二人の手によって、手頃な木の幹に縛りつけられた。
刀も念のため没収する。
それから二人は転移の魔法陣をおばあさんか、 カサンドラに描いてもらうために小屋に戻った。
ロランはちらっと縛りつけられたカイゼンを振り返る。
それでも、この気の毒な騎士はずっと気を失い続けていたのだった。