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21、背中の痣の長い話

―――


アーシュはオスロ帝国の『ナナ自治区』のとある村に生まれたと語った。


と言っても両親はどこの誰か、生きているのか死んでいるのかさえも不明であり、物心つく頃には村にいたというだけの話であって、正確な情報はないらしい。


オスロ帝国は地理的には、ロランの生まれた魔法教国より北、同じ大陸の中央部、山岳地帯に位置する。

国の大きさとしてはオスロは、アスラ王国に次ぐ、大陸二番目の国土を誇るが、経済的には大きく遅れをとっている。

しかも、その国土のおよそ半分は『ナナ自治区』と呼ばれる、山岳地帯に住む少数民族たちの土地を勝手に編入してしまったものに過ぎない。


オスロは大陸中央部に位置するが故に、常に国境争いをし続けてきた歴史を持っている。


そのため、オスロの国のかなめはいつも「軍事力」であり「他国の土地を奪うこと」もしくは「他国の侵入を許さないこと」に集約する。


オスロがナナ自治区を手に入れて、手離さないわけは、様々な資源が採れることや、国内情勢安定のため少数民族たちを支配し、差別の対象として利用するという目的もあるが、一番大きな理由は、ナナ自治区が北はアスラ王国と東は神聖レフナント王国に接し、国境の緩衝地帯かんしょうちたいになっているからに他ならない。


現在、オスロ帝国は、長きに渡っていた神聖レフナント王国との戦争を休戦している。

確か、今年で休戦15年目に入ったはずだ。

また、北のアスラ王国とも同時期に不可侵条約を結び、大陸には束の間とも言える平和な時代が訪れている。


だが、西は別で、オスロ帝国はこの隙にと西の『スシャール首長国連邦』との国境争いを激化させ、今も侵攻を進めている。


このようにオスロは宿命づけられたかのように、好戦的なお国柄なのだ。


ちなみにオスロは南には攻めて来ない。

なぜならそこには、オスロ帝国と同盟関係にある『サウザンランド』があり、さらにその南には中立国である魔法教国が控えているからである。


さて、そんな対外強行政策をとる軍国の、それも差別された土地で生まれたアーシュは、親もいないとあって、苦労の連続だった。


最初、アーシュが暮らしていたのは、とある『寺院』らしい。

村では孤児院というものがない代わりに、寺院がそういった役割を担っていたそうだ。


だからアーシュは記憶のある4歳くらいから、寺で坊主見習いをしていたことになる。

あのアーシュがお坊さんって……とみんな思うが笑わない。

だって、まだ4歳だったのだ。

生きるために他にどんな道があっただろう。


寺院は少数民族たちの独自の信仰を祀っていた。

今となっては詳しいことは忘れてしまったが、特訓の瞑想に近いことを毎日やらされたのを覚えている。どうりで、アーシュの瞑想が様になっているわけだ。


他には毎朝の掃除。それと、仲良くしていた他の子供たちのことも覚えている。


特に仲の良かったクロッソという男の子と、ニイナという女の子とは、いつも三人一緒に遊んでたらしい。

追いかけっこや、かくれんぼ、よく日が暮れるまで夢中で遊んでしまい、なかなか帰って来なくて、お師匠さまに怒られたと言う。

お師匠さまとは、その寺院の住職で、アーシュたちに読み書きを教えてくれた、優しいおじさんらしい。


―――


が、アーシュが6歳になった頃、最初の大きな転換が起きた。


寺院が帝国軍の焼き討ちにあったのだ。


罪状は、帝国に謀叛むほんを企てる僧侶の溜まり場になっているというものだった。


しかし、それは誤解だった。

確かに、一人、そういう僧侶が紛れ込んでいたらしいが、その男は最近寺院に来たばかりの新入りだった。その男の企てと寺院は何の関係もない。


だが、好戦的かつ差別意識の強い帝国軍に、一度罪状を突き付けられれば、それは即ち死を意味した。


アーシュたちに読み書きを教えてくれた住職はアーシュたちをこっそり逃してくれたという。


しかし、他はみんな灰になってしまった。

人も寺院も。


アーシュはこれで両親に次ぎ二度、家族を失ったことになる。


―――


寺院を焼き出された子供たちは、それぞれ別々の方法で生きる道を探った。


アーシュはクロッソとニイナと一緒に、初めは街まで出て、物拾いをしていたらしい。

しかし、それが盗みに変わるのは早かった。

いくら寺院での教えがあるからとはいえ、空腹には堪え難かった。


一度盗みの味を覚えると、アーシュたちは毎日毎日盗みを繰り返した。

しかし、当然のことながら、そんな無計画に調子に乗って犯行を重ねれば、捕まる時期を早めるだけだ。

もちろん、アーシュたちもその例外ではなかった。


アーシュたち三人は警備軍に捕まった。

罪状は窃盗。

しかし、アーシュたちはかなり幼い。

オスロでは犯罪者の量刑に年齢など関係ないという風潮があったが、6歳ではさすがに躊躇われ、警備軍はアーシュたちの引き取り手を探すことにした。


……のだが、ナナ自治区出身の子供を引き受けようなんて人はなかなか現れなかった。


そして、ようやく現れたのが、山賊の男、ノーマンだった。


ノーマンは、警備軍に対しては炭坑夫だと身分を偽っていた。

でも裏ではノーマンは正真正銘、この辺りの山を根城にする山賊のリーダーだった。


アーシュたちは、こうして坊主見習いから、浮浪児、泥棒を経て、山賊見習いになった。


アーシュはそこで基本的な戦闘技術を学び、ついでに初めて精霊術を使った。


ノーマンたちは驚いたそうだが、一番驚いたのはアーシュ自身だったらしい。

最初はなんでこんなことができるのかと困惑し、怖くなったそうだ。


でも、その精霊術の力のお陰で、山賊での仕事は捗ったし、クロッソとニイナのピンチも何回も助けることができたから、次第に精霊術への怖れもなくなっていった。


山賊の仕事は一言で言えば略奪である。


ノーマンは初め、アーシュたち三人を「無料タダでもらえる雑用係」くらいにしか思っていなかったが、三人の、特にアーシュの才能には目を見張るものがあった。


ノーマンたちは生きるためなら、罪のない村も襲うが、なるべくなら帝国軍の物資の輸送を狙った。

帝国軍を相手にするのは、かなりリスクが高いことは承知していたが、山賊の大半がナナ自治区の村出身であり、皆多かれ少なかれ帝国軍に恨みを持っていたから、異論は出なかった。


ノーマンたちは念入りに輸送ルートを下調べし、帝国軍の情報を集め、手薄そうなところを選んだ。

この時に得た知恵が後々までアーシュを助けることになるのだが、本当はそんな悪知恵などない方が良かったのかもしれない。


二度目の大きな転換は、そんな山賊団が壊滅したことだ。


待ち伏せだった。

帝国軍は度重なる山賊襲撃に業を煮やし、各所で網を張っていたのだ。

その一つにまんまと引っかかった。


奇襲が売りの山賊団は、奇襲が失敗すると、帝国軍の戦力の前にほとんど為す術もなく打ちのめされた。


が、ただ一人アーシュだけは違った。

9歳になっていたアーシュは、帝国軍の兵士を倒しながら逃げた。

それもクロッソとニイナの二人を連れて。


必死だった。

なりふり構わず、三人は逃げた。

何日も追っ手は追いかけてきた。

それでも、三人は命からがら、逃げ延びた。


―――


状況が落ち着くと三人はこれから先、どうやって生きていくか考えた。

その時、クロッソは言った。


「俺は帝国軍が許せない」


逆恨みな部分はあったが、「帝国軍憎し」という心はナナ自治区に住む者ならば、誰しも心の底に持っている。

ニイナは「これ以上危ないことはやめようよ」と言ったが、結局はクロッソの熱にアーシュが折れる形で方針が決まった。


新たな盗賊団を旗揚げする、と。


リーダーはクロッソがなるかと思ったが、アーシュがなることになった。

アーシュの力を前面に押し出した方が人が集まりやすいとクロッソが踏んだためだ。


そして、そのクロッソの予想は当たった。


試しに三人で、村で不当な取り調べをしていた帝国兵を懲らしめたところ、それを見ていた浮浪児たちが、自分たちも仲間に入れてくれと言ってきたのだ。


それが始まりになったから、アーシュたちは「盗賊団」というより、「盗賊団兼、少年少女有志義勇隊」のようなものになっていった。


人数が多くなるにつれ、決まりごとも作った。

まず、第一に罪のない者を標的にしたり、無意味な盗みはしない。

第二に仲間割れはしない。

第三に分け前は平等に。ただし、戦果が多い者には別に報酬を出すことにする。

第四に困っている村や人があったら、団の蓄えから援助をするが、それに文句を言うことは禁ずる。

最後に標的は帝国軍に限る。ただし、もし帝国軍以外の者が悪事を働いているのを目撃したならば、それも標的にしてよいこととする。


アーシュの持つ力と、団員への面倒見のよさから、この決まりを破る団員は一人もいなかった。

クロッソとニイナも副団長として、よく目をきかせていて、とてもならずものの少年少女の集まりとは思えないくらい、礼儀正しく、統率もとれていたらしい。


だから、アーシュたちの盗賊団は、ナナ自治区の村々では、大変に歓迎され、有名になっていった。


そんな状況をアーシュたちも団員たちもとても嬉しく思った。


また、はからずもその盗賊団が、身寄りのない子供たちの受け皿になっていったことに関しても、アーシュたちはとても満足していた。


寺院を焼き出され、山賊に身を落とし、今も盗賊団なんてものをやっているけれど、それでも自分たちのやっていることで、助かっている人たちがいるのならば、やってよかったのではと思えたからだ。


―――


が、しかしそんな盗賊団も今から2年ほど前に壊滅した。


きっかけはアーシュたちが手を出した帝国軍輸送部隊。その中に偉い退役軍人が混じっていたらしく、それを討ったことが帝国軍の逆鱗に触れた。


帝国軍はアーシュたちの盗賊団に対し、帝国軍本軍第一遊撃部隊を遣わせた。


隊長は皇帝付き騎士ヴァン・ダルディ。


魔法も精霊術も使わないが、剣の腕前は大陸一、二と言われる凄腕の剣士だ。


アーシュたちはたちまち危機に瀕した。

帝国軍は女、子供だからと容赦しなかった。

今度こそ本気だぞと、言わんばかりに盗賊団は徹底的にやられた。


アーシュはかつて自分たちを逃してくれたお師匠さまのように、団員たちを逃してやろうとした……守ってやろうともした。


けど、手も足も出なかった。


仲間の子供たちが次々に斬り捨てられる中、アーシュはヴァンを突破することができない。


目の前でニイナが捕まった。

それを助けようとしたクロッソが斬られた。

それでもアーシュはヴァンをどうしても退けることができなかった。


怒りに任せ、精霊術を全開にして突っ込んだが、今まで多くの帝国兵を倒してきたアーシュの術はヴァンの前では子供のお遊びにも劣るものだった。


アーシュは斬撃を避けたヴァンに打ち据えられ、あえなく気を失った。


―――


次に気がついた時には、アーシュはとある地方都市の地下牢に閉じ込められていた。


手足は鎖で繋がれている。


隣にはニイナがいた。

どうやら、副団長だから生かされたらしい。

けれど、ニイナは口もきけないほど、ひどく憔悴していた。

アーシュはクロッソがどうなったのか気になったが、とても聞く気にはなれなかった。


やがて、そこに二人の男がやってきた。


一人はヴァン・ダルディ。


改めて見ると、背がとても大きい。

年は40歳くらいに見えるが、実際にはもう少し年をとっているだろう。

細身、白髪混じりの黒髪で、髭はなく、精悍な顔立ちをしており、鼻には大きな切り傷があった。


もう一人はアテス・ドールと名乗った。


まだ20代そこそこの髪の長い男で、なんとなく陰気な顔つきをしている。


アテスは魔法教国から、帝国へ派遣されてきている魔法使いだと後にわかったらしい。

このように魔法教国は、中立をうたいながら、裏では各国に魔法使いを派遣して、報酬を得ているのだとか。

そんな話はロランは聞いたこともないが、魔法学校はそのための教育機関という側面もあるようだ。

だからアーシュは初め、ロランことも無条件に毛嫌いにしていたのだ。

そういえば、ロランもドール家という名前は学校内で聞いたことがある。



ヴァンはアーシュに近づくと、忌々しいという顔をして


「貴様が風など使わねば、この場で叩き斬ってやるものを……」


と言う。アテスは笑った。


「ヴァン様。お気持ちはわかりますが、これは決定なのです。どうか、お気持ちをお鎮めください。でなければ、私の立場がありません故」


「ふんっ。さっさと始めろ」


ヴァンが壁際の椅子に座ると、アテスはアーシュに歩み寄った。


そして、優しい声色で


「はじめまして。アーシュくん……で、よろしいんですよね? 私は城付きの魔法使い、アテス・ドールと申します」


と話しかけてきた。


アーシュは無言で睨みつける。

アテスは微笑みを絶やさぬまま続けた。


「君にいくつか質問があります。正直に答えた方が身のためですよ? ちゃんと答えていただければ、命までは取りません」


アーシュはよく言うぜ、と思った。

散々殺しておいて。


「うん。なかなか鋭い目つきだ……まぁ、質問は少ないから、是非一度冷静になって答えてくれたまえ? まず、君の両親は誰だかわかるかね? それと、君はどこで生まれた?」


アーシュは答える気はなかったので、黙秘する。

そもそもそんなこと、自分でもわからないのだが、それを教えることもしゃくだった。


そんなアーシュの態度を見ても、アテスはにこやかに笑っている。


だがやがて、立ち位置をゆっくりとアーシュの前から、ニイナの前に変えた。


アーシュは嫌な予感がして、口を開こうと思った。


が、それよりも一瞬速く、アテスはニイナの服を力尽くで破き、剥いだ。


「……えっ」


今までずっと俯いて黙っていたニイナは声を漏らす。

そこにアテスは思い切り蹴りを入れた。


腹部を思い切り蹴られたニイナは声も出せず、苦しそうに嘔吐する。


「……! やめろっ!!」


そこで初めてアーシュは声を出した。

鎖を引き千切ろうと全力で足掻く。しかし、精霊術を使ってもその鎖は切れなかった。


「やめる? 何も答えていないのに虫がいいですね。それに……君たちは今までに何人の帝国兵を殺してきました? 私たちは怒っているのです。にも関わらず、私たちは君と、このお友達のことを、返答さえくれれば助けると言っているのですよ? そのことをまだ君は理解できないのですか?」


アテスは今度はニイナの顔を蹴った。

ニイナは鼻と口から血を出し、涙を流していた。

ヴァンはそんな光景を苦々しい顔で見ている。自分の趣味じゃないんだがな、という感じで。


「やめろっ……! 俺に家族なんていない! 両親だってどこのどいつだかわからない!生まれだって正確には知らないんだ……俺は気がついたら一人で、寺院に預けられてた……」


「寺院? それはどこのですか?」


アーシュは六年前に焼き討ちにあった寺院のことを話した。

ヴァンは心当たりがあったらしく、

「ああ……あの件か……」

とつぶやく。


「ふむ。ありがとう、アーシュくん。正直に答えてくれて。では、次の質問だ。その精霊術は誰かに教わりましたか?」


アーシュはちらっとニイナを見る。

痛々しい姿にされ、泣いているニイナを見ると答えないわけにはいかなかった。


「誰にも教わってない。自己流だ」

「まったくの?」

「ああ。まったくの自己流だ」


アテスは初めてため息をついた。

そして、ヴァンに振り返る。ヴァンは首を振った。


「では、最後の質問です。あなたのその精霊術に関して、何か助言をしてきた人物はいますか?」


アーシュは思い出してみたが、そんな人は一人もいなかった。

なので首を振る。


「いいや……そんなやつはいない」


「そうですか。わかりました。ご協力、ありがとうございます」


そうアテスが言い終わると、ヴァンも立ち上がり側に来た。

そうして、何やら話し合うとヴァンは頷き、アテスは鍵を持って、ニイナの拘束を解いた。


ニイナは床に崩れ落ちる。


「ニイナッ!」


アーシュはすぐに駆け寄りたかったが、動くことができない。

かといって、まだニイナが無事に解放されるかわからない現状で、文句を言ったり、睨みつけたりすることさえ躊躇われた。

アーシュはこの時ほど自分の無力さを呪ったことはないと言う。


しかし、アーシュの心配を他所よそに、ヴァンは毛布を持ってくると、それをニイナに掛けて抱き上げた。

そして、アーシュを見て


「心配するな。これ以上殺しはしない。こいつは人質だ。貴様を素直にするためのな」


と言った。


「人質……だと? へっ、俺に何をさせるつもりだ?」


「それは俺の決めることではない。本来ならこの女の子は生かしても、貴様だけは俺がこの手で殺してやりたいのだからな……アテス、やれ」


「かしこまりました」


命令されると、アテスはアーシュに背中を見せるよう促した。

アーシュは抵抗せずに背を見せる。

すると、アテスは服を破り、背中に何やら描き始めた。


それは魔法陣だった。


アテス・ドールは今時珍しい『呪術師』だったのだ。


―――


この時に、アーシュは背中に帝国軍の紋章の形をした痣をつけられた。


この痣はヴァンやアテスなどの、帝国軍に刃を向けると発動し、アーシュの命を奪うと言う。


アーシュは試しに少しヴァンに逆らってみたことがあるらしいが、もう少しで死ねところまでいったそうだ。

だが、帝国はアーシュを死なせたくはないようで、懸命に措置し、お陰でアーシュは命を繋ぐことになった。


アーシュはそれから、帝国軍の兵として訓練を受けさせられた。

背中の痣の呪いと、ニイナをヴァンに人質に取られていることから、逆らうことはできなかった。


だが、一年ほど経ったある日、ついにアーシュは脱走した。


理由はアーシュの所属していた隊に、ナナ自治区に隠れているテロ組織の壊滅命令が出たからだ。


近年、オスロでは少数民族たちによる、帝国軍や帝国国民を標的にしたテロ行為が頻発していた。

そんな背景から出た、命令だった。


アーシュは迷った。

そんなことはもちろんしたくない。

しかし、ここで自分が逃げたらニイナはどうなる? きっと、今よりも酷い目にあうのではないか……。


当時、ニイナはヴァンの邸宅に住まわされ、それなりの待遇を受けていた。

が、それも自分を従わせるためのひとつのポーズだとは、アーシュもわかっていた。

だから、ニイナの待遇は全て、アーシュの行動いかんにかかっている。


しかし、そんなアーシュの迷いを断ち切ったのは、ニイナの言葉だった。


ニイナは隊の出発前日、邸宅を抜け出してアーシュに会いに行き、言ったのだ。


「私は大丈夫。だから、アーシュは自分のやりたいようにやりなよ。私のせいで、迷ったりなんかしないで。そんなのアーシュらしくないよ」


―――


ニイナの言葉をどう受け止めたらよかったのか……。

アーシュは今だにわからないと言う。


しかし、アーシュは結果的にはニイナの言葉に後押しされ、帝国を逃げ出した。


本当はニイナも一緒に連れて行きたかったが、ニイナは残ってアーシュを待つと言った。

それが呪いのあるアーシュの足手まといにならないように言ったのはすぐにわかった。

けど、アーシュにはどうすることもできなかった。


アーシュは一人で逃げた。

いつか、必ず戻ると誓って。


何日走り詰めたか……。

決して自分から手を出せない中、ひたすら追っ手から逃げる日々。


傷つき、疲れ果てたアーシュが辿り着いたのが、この森の入り口だった。


そこでアーシュはおばあさんに拾われ、一命を取り留め、現在に至ることになる。


―――


「その後、ニイナがどうなったかは聞いてねぇ……けど、聞ける相手がいたとしても、俺に聞く勇気があるかはわからねぇ……ただ、ひとつ言えることは、もしまだ無事なら俺はニイナを助けたいと思ってる。ヴァンの野郎をぶっ倒して、ニイナを自由にしてやりたい……でも、俺にはその力がねぇ。それにこの痣がある限り、帝国に近づけもしねぇ……」


アーシュが語り終わっても、ロランは何と声をかけたらいいかわからなかった。


アーシュの生きてきた環境とロランの育ってきた環境では差があり過ぎる。

だから余計に安っぽい同情だけはしたくないと思っていた。


ロランが言葉に迷っていると、カサンドラが先に口を開いた。


「大丈夫。そのニイナって子、十中八九無事だと思うわ。じゃないと、人質の意味がないもの」


それはロランも同感だった。

帝国はアーシュを生かしておきたいらしいから、そのために人質を有効利用しようとするのは当然だ。


「だといいんだが……」


アーシュは微妙な顔をする。


が、本当の問題はその先にあった。


「ところで、アーシュ。背中の痣のことはわかったけど……それをロランとカサンドラちゃんに消してもらったら、その後どうする気なの? ヴァンって人をやっつけて、ニイナちゃんを助けてそれでお終い?」


リッケが聞いた。

そこはロランも気になっていた。


「それは……俺が帝国軍に対して復讐をするのかってことか?」


「うん。そう。で、どうなの?」


リッケの問いに、アーシュはしばし考えた。


が、ずっと考え続けてきたことなので、すんなり答えを出すことができた。


アーシュはリッケに向かい、首を横に振る。


「いや。これは俺の単なる私怨だ。だから、今更帝国を潰そうとか、そんなことは思わねぇ」


アーシュは頭を搔きむしり、絞り出すように


「あいつらも言っていたことだが、俺らは帝国軍の兵士たちをたくさん殺した。もちろん、あいつらが自治区内でやっていることは、俺は今も許せねぇと思ってる。でもかといって俺たちも帝国軍と見れば無差別に襲ってたんだ……はっきり言って、それじゃあ、あいつらのやってることとあまり変わりねぇ。いずれ罰は受けて然るべきだったんだ。死んでいった仲間たちには申し訳ねぇと思うが、それが俺の今の正直な気持ちだ。だから俺は帝国に恨みはねぇ。あるのはヴァンとアテスに対する私怨だけだ」


と言った。

それを聞いてリッケは表情を緩めた。

ロランもほっとする。


「じゃあ、アーシュくんは、もう帝国軍の人を殺したりはしないんだね?」


「……ああ、なるべくならそうしたい。けど、保障はできねぇ。ヴァンをぶっ倒して、ニイナを助けるとなると必ず邪魔は入るだろうからな……」


「そっか……まぁ、たぶん、そうだよね……でも、僕はもうアーシュくんに、人殺しなんかして欲しくないな……」


ロランは言った。

そして、それは全員の意見でもあった。


「ロラン……」


アーシュはしばし黙り込んでから、ロランの言葉に応えるように力強く頷いた。


そんな二人を見てカサンドラは言う。


「そうね。私もロランの言葉に同感。だから、こうしましょ? 私たちがアーシュの呪いを解くのに協力する条件として『これ以上人を殺めないという約束をすること』を求めるわ」


カサンドラのその提案にロランは頷く。

リッケも同じ気持ちのようだ。


それを聞いたアーシュは微笑み


「ああ……わかった。約束する。俺はもう人は殺さない。私怨を果たしたら、もう人を憎んだりもしない」


と三人に約束してくれた。


こうして、この日からロランの日課に「アーシュの痣を消すための特訓」が新たに加わったのだった。


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