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17、聖属性+闇属性

ロランは「闇属性」ときっぱり言われた靄を見つめる。


火でも水でも風でも土でもなく、なんで闇?


ロランはまさかの魔導具の属性に愕然とした。

魔法学校の生徒、先輩後輩、教員も含め、魔法使いはたくさんいたけれど、闇属性の人なんてひとりもいなかった。


だから、全然イメージが湧かない。


(本当にこれで戦えるの? こんな靄で……)


ロランは思う。

そんな様子のロランを見て、ドゥンは笑った。


「ほっほっほっ。驚くのも無理はないわい。わしも久しぶりに見たからのぅ。このご時世、闇の魔力なんぞ、そうそう見られるものじゃない」


「は、はい……僕も初めて見ました。学校にも闇属性の生徒はいませんでしたし……」


「ほっほっほっ。そりゃ、そうじゃろう。生まれながらにして闇属性を使えるのは悪魔族だけじゃからのぅ。そんな人間がいたら、恐ろしいわい」


「あ、悪魔族だけ……」


悪魔族。

授業で習ったことはある。

かつて、この世界で大精霊たちと全面戦争をし、敗れた種族。

精霊の力やマナを必要としない、闇の力を操り、大精霊たちに代わり、この世界の覇者になろうとした者達だ。


「神話時代の話だと記憶していますけど……ま、まだ悪魔族なんているんですか?」


ロランが恐る恐る聞く。

その質問にドゥンは大きく頷いた。


「おるぞ。数は少ないがのぅ。まぁ、やつらもかつての勢力はくして久しいから、悪い奴ばかりではないぞ? 敵もいたが、共に戦った男もおる」


「じいさん……悪魔族にも知り合いがいるのかよ……」


アーシュは瞑想に戻りたいが、なかなか集中力が戻ってこない。

気になる話が多過ぎる。


「まぁの。じゃが、その話は置いておこう。それよりも、今はこのロランの手甲と闇の魔力の事じゃ。これには使い方があるから、しっかり教えておかんとな」


「使い方がある……?」


ロランはドゥンの方にしっかりと向きなおった。

もし、闇の魔力が危険なものならば、知識のあるドゥンがいる内に、ちゃんと聞いておきたいからだ。


ドゥンはロランの真面目な姿勢を見て頷く。


「うむ。よいか、ロラン。まず、その靄は闇の力の最初の形態なんじゃ。闇属性と一口に言っても、その靄をそのまま用いたり、複数の種類に変換できたりする。例えば、闇の炎、闇の雷などじゃ」


「闇の炎……闇の雷……?」


「そうじゃ。それはお主の意思でできるはずじゃ。やってみい?」


ロランは手甲から湧き出る靄を見つめる。


それを炎に変え、放つ感じ。


ロランは右手を前にかざした。

そうして、手のひらを上に向け、集中する。

炎の魔法なんて使ったことがないが、ずっと憧れは抱いていた。

クラスメイトの女の子が、強い火属性魔法の使い手だったのだ。

その子の炎をイメージする。

強く、猛々しい炎を。


すると……ロランの手のひら。

立ち昇る闇の靄が、微かに変わり始めた。


手のひらが熱い。本当に手が無事かわからないくらいに。

これが、闇の炎……?


「ほう……まぁ、そのくらいでいいじゃろ。放ってみい」


ドゥンに促され、ロランは少し離れたところの一本の木、そこを目掛けて右手を


「て……やぁ!」


と振るった。


すると、ロランの手から、

ボフッ!

と、どす黒い火球が勢いよく飛び出す。


火球は狙い通り木に真っ直ぐ向かい……着弾。


木は黒い炎にあっという間に包まれ、燃え上がった。


「あ……あわわわ……」


その余りの火の勢いに、ロランは慌てる。


だが、ドゥンが気合い一発。

拳を振るって、炎を掻き消してくれて事なきを得た。

ロランはほっと胸を撫で下ろす。


「ふーっ……あ、ありがとうございます……」


「ほっほっほっ。どうって事ないわい。それにしても、なかなかの威力じゃなぁ。やはり闇の魔力というものは……」


「はい……しかも、あんなに簡単に……」


ロランは思う。

詠唱魔法とも、短縮魔法とも違う。

ただ、イメージし、魔力を放っただけ。それであの威力……。

こんな道具があるのなら、詠唱魔法の特訓などバカバカしくなってしまうレベルだ。


「ふむ……簡単か……まぁ、ものは捉え方次第じゃがのぅ。ロラン、お主、身体は何ともないのか?」


「えっ? か、身体ですか……?」


そう言われて、ロランは身体を点検する。


「いえ……特になんとも……」


と言って、ドゥンに歩み寄ろうとした時だった。


胸が急に苦しくなったのを感じた。


「う……あ、あれ……?」


心臓を掴まれたような痛み。

目の前がチカチカと明滅する。


(な、なんだ、これ……なんで?)


ロランは自分にヒーリングをかけようとした。だが、うまく呂律ろれつが回らない。


ついには地面に膝をついた。


「お、おい……! ロラン!」


アーシュが瞑想を中断し、心配そうに駆け寄る。

続いて、ドゥンがロランの背中に手を置き、


「大地の加護をお主に……」


と、治癒をくけてくれた。

それで、ロランはようやく落ち着きを取り戻すことができた。


「はぁ……はぁ……すいません、何度も……ありがとうございます」


「いやいや、礼には及ばぬ。それよりも、どうじゃ? これでも簡単だと言えるか?」


「いえ、その……す、すごく苦しかったです。これはいったい何なんですか?」


「これが、悪魔族を封印した魔導具を使うリスクじゃよ。悪魔族の持つ、強力な闇属性の力を借りる代わりに、己の魔力を大量に奪われるんじゃ。使い過ぎると寿命が縮むぞい?」


ドゥンはさらっと言う。

ロランは初めてドゥンに恨みごとを言いたくなった。


「さ、先に言ってくださいよ……」


「ほっほっほっ。いやぁ、すまんすまん。じゃが、普通はこの手甲を身に付けた段階で、魔力を吸い取られ始めるのでのぅ。にも関わらず、お主は三日もこれを装備しておきながら、ピンピンしておったじゃろう? もしや大丈夫なのではと思ってのぅ」


「えっ? 身に付けた時から……そ、そうなんですか?」


ロランは手甲をまた怪しい目で見る。

さっきまで愛着があっただけに複雑だが、そうせざるを得ない。


「でも、僕はなんとも……」


「ふむ。それはお主の魔力が聖属性だからじゃろうなぁ……悪魔族にとって聖属性の魔力は猛毒みたいなものじゃ。そんなものを、いくら腹が減っていたからといって、チューチュー吸わんだろう」


「た、確かにそうですね……」


(でもそれって、一歩間違えばかなり危なかったんじゃ……)


ロランは生まれて初めて、自分が聖属性で良かったと心から思った。


「ほっほっほっ。まぁ、道具というのは、何でも使い手次第じゃ。先程は、一気に魔力を放出し過ぎたからのぅ。少しずつなら、負担は減らせるじゃろう。おそらく、闇の靄の段階から闇の炎へと転ずる時に、お主の中の魔力量のバランスが、聖属性から闇属性に一時的に逆転するのかもしれん。その時にごっそり持っていかれるんじゃろうて」


「ご、ごっそり……と、いうことは……変換せずに、この靄のまま運用すれば大丈夫なんですね? ……けど、これは何か役に立つんですか?」


「もちろんじゃ。それは、言うなればわしやアーシュが精霊の力を己の腕に宿している状態に近しい。そのまま、攻撃にも防御にも使えるぞい? 近接戦闘じゃがのぅ。まぁ、やり方は午後の組手の時にでも、教えてやるわい」


ドゥンは言う。


ロランは、やっぱりそう都合よく便利なものは手に入らないよねと思いつつ、また瞑想の修行に戻った。


(ひとっ飛びでアーシュくんくらいまで行こうなんて、それは無理な話だよな……)



――昼休憩を挟み、午後。


組手。


ロランはアーシュと向き合っていた。


この状況にお互い、不満が出る。


「おい、じじい。なんで、ロランが相手なんだよ? 俺はあんたとやりたいんだが?」


「そ、そうですよ。僕もお二人がやるのを見学に来たのに……」


「ほっほっほっ。まぁ、そう焦るでないわい。これは明日からの為に必要なことなんじゃ。明日になったら、わしはおらんからのぅ。そうなれば、アーシュの組手の相手をしてやれるのはロラン、お主一人だけじゃ。なれば、もう少し戦いがいのあるようにしておいてやらねばのぅ」


ドゥンは顎のタテガミを触りながら言う。

その言葉が気に食わなそうなのはアーシュだ。


「……ケッ。そりゃ、そうだがよ? いくらあんたがアドバイスするったって、ロランに相手に苦戦する俺じゃねぇぜ?」


「そうですよ……僕なんかじゃ……」


なぜかロランも肯定する。

それが悪い癖だとは知りつつも、やはり実力不足は否めないと思うからだ。


しかし、実はアーシュの中のロラン評も、ドゥンのロラン評も、その自己認識よりもずっと上にあるのは知る由もない。


「ほっほっほっ。謙虚なのは若いのに感心するがの。しかし、謙虚も過ぎると、正しい己を見誤るぞい? お主のその身体、魔法、装備を駆使すれば、お主は決してアーシュにも引けを取らん」


「えっ……」


ロランはドゥンの言葉に驚く。

そんなバカなと。


(僕が、アーシュくんと互角に戦える……?)


「……へへっ。大きく出たじゃねぇか、じじい。俺もナメられたもんだぜ」


「ほっほっほっ。果たしてそうかは、試してみるがよかろう?」


アーシュとロランは改めて向き合い、構えた。


いつもの組手特訓は純粋に体術のみでやっているが、今日は何でもありらしい。ただし、やり過ぎには注意だとか。


ドゥンはロランに耳打ちし、戦い方の方針を教える。


ロランはそれをじっくり聞き、そんな無茶なとつぶやいたが、ドゥンは大丈夫だと言う。


「……ケッ。瞬殺して、さっさとじじいを引き摺り出してやるぜ」


「こ、殺すのはやめて……アーシュくん……」


「ふむ。ではよいかの? ……始めぃっ!」


―――


ドゥンの合図とともに、アーシュは精霊術を全開にし、ロランに向かって突進する。


ロランはその突風のごとき攻撃を読んでいたから、開始と同時に後退しつつ詠唱していた。


「クリスタル・ディフェンス!」


左手で壁を展開。

アーシュの拳を受け止めた。


だが、アーシュは足を止めない。

左の壁は分厚く、広く防御されるので、素早く逆をつく。

右はガラ空きだ。


「もらった……!」


が、そちら側に移動し、拳を振るうと、やはり壁のようなものに阻まれてしまった。


それは右腕の手甲から溢れる、闇の靄だった。ロランは左側を防御魔法で固めたと同時に手甲に魔力を流し、右に靄の壁を作っていたのだ。


闇の靄は壁と違い、確かな手応えというものがなかった。が、拳はロランに届かず、空中で止まってしまう。


(チッ……どうなってやがる、こりゃ)


アーシュはまさか全力の二撃をロランに止められると思わず、少し動揺した。

だが、これ以上はない。

アーシュはさらに背後に回り込む。


(じゃあ、背中はどう守るんだ?)


アーシュは襲いかかる。


が、ロランの答えは簡単だった。


それよりも前に右に飛んでいたのである。


(何っ……?)


アーシュは驚く。

ロランのスピードは全く速くない。

しかし、アーシュの拳は空を切る。


(……ってことは、ここも読んでやがったのか?)


確かに、前左右を鉄壁に固められれば、残すは後ろか頭上だ。

予測はしやすかった。


ロランはアーシュの拳をギリギリでかわすと、振り向きざまにクリスタル・ディフェンスの壁を振るってアーシュに叩きつけた。

壁の範囲が広いため、アーシュは避けきれず、防御する。


「チッ…… 防御魔法で殴りかかるなんて、ありかよ……」


アーシュは弾き飛ばされた。


まさか、三撃をしのがれた上に、距離まで取られるとは……


(なら、これはどうだ!?)


アーシュは腕に練り込んだ風をかまいたちのように放つ。


淡い緑色に染まった風が、鎌のような形でロランに迫った。


ロランはそれを見るや、右手を振るう。


危ういところで、かまいたちを闇の靄で相殺した。


ロランは油断なく前方を警戒し続ける。

だが、アーシュはかまいたちと共に、突っ込み、既にロランの背後を取っていた。


(……手こずらせやがって!)


スピード自慢のアーシュが、二度も避けられるわけにはいかない。

アーシュは全力で拳を振るう。


それとロランが叫ぶのは、ほぼ同時だった。


「『ショック』!」


ロランは右手を左の手甲に添えて、唱える。

クリスタル・ディフェンスを出した直後から詠唱を開始していたのだ。

それがたった今完了した。


すると、ショックの雷は手甲を伝わり、ロランの体内へ。そこから、ターゲットに向かい放出した。

背後のアーシュへと……


「……!」


気づいた時には手遅れだった。

ロランの背中から出現した雷撃がアーシュを直撃する。


アーシュは戦闘時、常に全身を薄い風の膜で覆っているのだが、カサンドラ直伝の詠唱魔法の威力はその防御を、軽く貫いた。


「……ぐあああっ!!」


アーシュは雷撃を受け、思わず膝をつく。


勝負あった。


―――


「……はぁ、はぁ、クソッ……」


「ほっほっほっ。どうじゃ、わしの言った通りじゃろ? ほっほっほっ」


「嘘……勝っちゃった……」


一番信じられないのはロランのようだった。


アーシュは悔しさを滲ませながら、けどどこか納得したような目でロランを見る。

そして、訪ねた。


「お前……じじいにどんな助言をされたんだ?」


「え、えーっと……それは……始まったら後ろへ飛べ。それからすぐに右へ飛べって。それと……左手で防御魔法を使うなら、右手の防御は闇の魔力を常に使えってことと、詠唱魔法を使うならいつでも口の中で唱えておけってことかな……あとはそれらをうまく使いこなせって……」


それを聞いてアーシュはため息をついた。


「……動きはともかく……防御魔法を展開しながら、常に魔力を放出しつつ、詠唱魔法を使えって……? 無茶苦茶だな」


「うん、僕もそう思う……」


「ほっほっほっ。でも、ちゃんとできたじゃろうが。それがロラン、お主の実力なのじゃ。謙遜は時に自分の限界を押し下げてしまうもの。お主はもっと自分に自信を持った方がよい」


「ふぅ……ま、それに関しては俺も同感だぜ」


(これで、もう少し体術が身について、治癒魔法まで使われた日にゃ……いよいよ強敵になるかもな……)


「しかし、アーシュ、今回の敗因はどちらかというとお主自身によるところが大きいぞ? ロランを少し甘く見ておったから、勝負を焦った感がある。もっとじっくり戦えば、今の段階でお主が負けることなど、まずないはずじゃ」


それについては、アーシュ、ロラン共に感じていた。

いくら詠唱時間を与えたくないといっても、不用意に近づき過ぎだ。

それがなかったら、ロランは決め手に欠けていただろう。


「……へへっ。とにかく、これでじいさんがいなくなっても、退屈しなくて済みそうだぜ……というわけで、ロランよ?」

「えっ、な、何? アーシュくん」

「明日からの組手は魔法も使うぞ。もちろん、体術主体だが、両方使うスタイルが俺たちには必要みてぇだからな」

「う、うん! わかった! じゃあ、また明日からよろしくね!」

「……へっ。こっちこそ。明日は絶対に負けねぇからな」



そこから先は予定通り、アーシュとドゥンが組手をするところを、ロランは見学させてもらった。


アーシュはロランに負けた組手の反省をもう活かし、攻撃と防御のバランスをとっていた。

ドゥンの攻撃をやす々とは受けないし、その隙を見ては反撃する。

けど、やはりドゥンは圧巻だった。

力の差が歴然と言えばそれまでだが、それ以上に「ここまでは許容するが、ここから先は踏み込ませない」という防御の管理が徹底していた。

だから、アーシュがいくら攻撃を積み重ねてもダメージになっていない。決して相手を侮らないから、肉しか切らせない。

それで、あの自動治癒能力……タフにも程がある。


堪らずアーシュの振りが大きくなった。

決死の覚悟で、大きな風の太刀をナイフに乗せ、斬りかかる。

ドゥンはそれを精霊術で受けると思いきや、素早く避けた。

そして、カウンターに拳を叩き込む。

アーシュはナイフを落とし、吹き飛んでいった。



「今のは危なかったが、当たらねばどうということはない。アーシュ、お主はいつも真っ直ぐで、それが美徳とも言えるが、ちと工夫が足りないのぅ」


ドゥンは言う。

アーシュはさすがにロランにヒーリングをかけてもらいらながら、


「うるせぇ。小細工して勝てんのは、ある程度の相手までだ。俺が欲しいのは、本当の力なんだよ……」


と反論する。

ドゥンはその言葉に大きく息を吐いたが、思わず笑みがこぼれた。


「なるほどのぅ……それも道理じゃ。して、アーシュよ。お主はどのくらいの相手を想定しておるのじゃ?」


ドゥンは聞く。

アーシュはその問いに迷ったが末に、こう答えた。


「オスロの騎士、ヴァン・ダルディ……」


それを聞き、ドゥンは眉を上げた。


(なるほど。そうか……アーシュはヴァンにのぅ……)


「騎士ヴァン・ダルディって……あの?」


ロランはつぶやいた。

それにアーシュは頭を掻きむしって


「別に深い意味はねぇ。例えばってだけだ……」


と答える。


「でも、ヴァン・ダルディと言えば、帝国騎士団最強の騎士じゃあ……」

「……そうだよ。別に、騎士なんぞ目標になんてしたくもねぇが、そのくらいの強さは欲しいってんだ。ヴァンには小細工なんて、通用しねぇだろ?」

「まぁ、そうじゃのう……」


ドゥンは思う。

確かに、アーシュがヴァンを倒したいと言うのであれば、力を求めるのは当然だ。

やつの精霊や魔力の流れ読む目は世界一だから。正面から当たる他ない。


「しかし、ヴァンか……」

「なんだ、じいさん、知り合いかよ」

「知り合いもなにも、この顔の傷はヴァンにやられたものも多いからのぅ」

「ケッ……世間は案外狭いな。で、顔を斬られて負けちまったのかよ?」

「バカを言うな。ヴァンに負けたことなど一度もないわい。と、言ってもあの頃のヴァンはまだ若く、手のつけられないただの荒らくれじゃったからのぅ。今やったら、わからんかの」

「へぇ……」


アーシュは感心したように言う。

まさか、あっさりヴァンに勝ったなどという人物がいるとは思わなかったからだ。


(やっぱり、このじいさんは只者じゃないぜ……はぁ、世間は広いって訂正しておくべきか……)



――その後、夕方まで組手をし、小屋に帰ると、ドゥンはもう立つと言った。


「夕飯も召し上がっていけばいいのに……」


リッケが引き止める。

しかし、ドゥンはそれを丁重に断った。


「そうしたい気持ちも山々なのですがな、少し長居をし過ぎました。早く帰らねば、かえってモリエール様たちに迷惑がおよぶやもしれません。どうか、行かせてくだされ」


「ドゥンさん、ありがとうございました!」


ロランは頭を下げる。

その頭をドゥンは撫で、


「礼には及ばぬ。レナ殿によろしくな」


と言う。


「じいさん……色々とありがとな……マジで助かったぜ……」


アーシュは照れ臭そうに礼を口にする。

ドゥンはそんなアーシュの頭も撫でた。


「ほっほっほっ。その台詞はお主が目的を果たした時に、改めて聞こう。じゃが、遠い道のりじゃ。決して修練を怠るでないぞい?」


「わ、わかってらぁ……」


ドゥンはニコリと笑った。

それから、モリエールとカサンドラにも向き合う。


「大変お世話になりました。モリエール様、これからも変わらずお元気で」


「はっはっはっ。まるで今生の別れのようだね。……大丈夫さね。わしらはしぶとい。そうだろ?」


「ほっほっほっ。確かに。まぁ、またいつかお会いしましょう……お嬢ちゃんも世話になったのう」


「いえ。こちらこそ」


カサンドラは言った。


「あの、せめてこれ。途中で食べてください」


リッケはサンドイッチの入った包みを渡した。

それをドゥンはありがたくいただき、


「では、皆、達者でな」


と森の中へと姿を消した。


その見えなくなった後ろ姿を、5人はしばらくの間、黙って見送っていた。


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