14、三日だけの師弟
――朝
ロランがいつも通りの時間に起きると、既にアーシュの姿はなかった。
ロランは着替えて、外に出る。
そして、井戸のところでアーシュとドゥンが、並んで何やら話しているのを見つけた。
「おはよう。アーシュくん」
「ああ……おはよう」
「ドゥンさんも……おはようございます」
「ああ、おはよう。ロラン、すまぬが、今日から三日ばかりアーシュを借りるがよいかのぅ? ちと、厳しめになるやもしれんから、お主は連れていけんのじゃ」
ロランが近づくとドゥンは言った。
それに、ちょっと気まずそうな顔を、アーシュがする。
「すまねぇ。ドゥンさんがいる間は、特訓には付き合ってやれねぇ……」
そんなことを言うアーシュにロランは全力で首を振った。
「そ、そんな、いいよっ! 謝らないで。いつもアーシュくんに付き合ってもらってるのは、僕の方なんだから。それに、アーシュくんにとっては、またとないチャンスなんでしょ? なら、僕もそっちを頑張って欲しいし……」
「お前……」
「僕なら大丈夫だからさ。というか、そろそろ一人でもメニューをこなせるようにならないと……いつまでもアーシュくんに甘えるのも良くないかなって……」
「へへっ……何生意気言ってやがる……魔物が出たら、まだ震えるくせして」
「そ、それは、言わないでよっ……!」
「はははっ。まぁ、いい。ありがとな、ロラン。でも、無茶はするなよ? やばかったら、決めておいた合図を出せ」
「アーシュくん……う、うん! わかった! アーシュくんも頑張って!」
「ほっほっほっ。いや、若者はよいのぅ……ではロラン、行ってくるぞ。夕食には戻る。モリエール様の手料理、楽しみにしておると伝えておいてくれい!」
「はい! お気をつけて」
こうして、先に準備を終えていた二人は、森に入っていった。
ロランはそれを見送り、井戸で顔を洗う。
思わず、ほころんでしまうその顔を。
(アーシュくん……初めて僕のこと、名前で呼んでくれたな……)
――アーシュとドゥンはひと息で川を越え、広い湖の畔まで来た。
さらに奥を目指すらしい。
「この奥は一層、魔力が濃くなるからのぅ……そこの方が感覚が掴みやすいじゃろう」
ドゥンは湖を通り過ぎると、森の中に入り、適当なところで足を止めた。
アーシュはドゥンの横に立つ。
「ふむ。ここいらでいいかの。さて……早速だがアーシュよ。お主のその精霊術は自己流じゃな?」
「当たり前だ。俺はずっと天涯孤独なんだ。精霊術師だって、あんたを見たのが初めてだよ」
「……ふむ。まぁ、道理じゃなぁ……わかった。では、一から教えてやろう。まず……お主はこの森になぜ、こうも濃い魔力が満ちておるかわかるかの?」
ドゥンは聞く。
アーシュは首を横に振った。
「いや、わからねぇ。ばあさんの影響じゃないのか?」
「ほっほっほ。さすがのモリエール様にも、そんなことはできんわい。でも、当たらずとも遠からずかの? 答えは……この森に群生する、この木にある」
ドゥンは一本の木に歩み寄り、手を置いた。
なんの変哲もない木に見える。
「この木に? こんなの、その辺に生えてる普通の木じゃねぇのか? 何も実をつけねぇし……」
「そうじゃな。一見、普通の木に見えるが……これは『魔女の木』といってな。大気中のマナを吸い、魔力に変えるという、珍しい性質を持つ木なのじゃ」
「マナを……魔力に?」
その意味がピンと来ないアーシュは言う。
そんなアーシュを見て、ドゥンは頷いた。
「よいか? 魔法使いってやつはの、大気中のマナを体の中に取り入れ、それを体内で魔力に変換し、外に魔法として出しとるんじゃ。まぁ、簡単に言えば……それをこの木もやっとるというわけじゃな」
「魔法使いは、マナを魔力に……そして、この木も?」
「そうじゃ。そうしてマナを体内でたくさん練り、魔力に変換することで、体に溜め込めるマナと魔力の総量を増やすことができる。それが魔法使いの基礎的な修行方法のひとつなんじゃが……さらにこの『魔女の木』の放出する濃い魔力を日常的に吸い込んでおれば、飛躍的に効率が上がるというわけじゃ。まぁ、マナの代わりにマナと魔力の混じったものを体内に取り込むのじゃから……かなり体力は消耗するがのぅ」
なるほど。それでこの森にいると、やたらと疲れるし、腹が減ったわけか。
それとこの森の魔物がやけに強いのも、それで納得がいく。
「……じゃあよ、俺たちみたいな精霊術師も、やっぱり同じように修行すればいいのか? マナを体内で練って……」
「いいや。それはちと違うのぅ。なぜなら、わしらのような精霊の力を使うもんは、大気中のマナは使わないんじゃ」
アーシュの考えを、ドゥンは否定する。
が、その意味は相変わらず、アーシュにはわからない。
「どういうことだ?」
「そもそも、この世界のどこにでも満ちているマナは、元は精霊たちが生み出し、放出した力の結晶みたいなものなんじゃ。これがなければ、世界は均衡を保てないだろうと言われるほど大事なものであり、強いものじゃ。それを人間が勝手に利用し、使っておるのが魔法というわけだ。じゃが、わしらは違う」
「俺らは……違う?」
「そうじゃ。わしら『古き精霊との盟約の民』は大気中のマナを使わずとも、精霊から直接力を得ることができる。そして、その精霊から得た力を体内で練り、放出するのが、いわゆる精霊術なのじゃ」
「精霊から……直接? それは盟約の血を引いているから……というわけだな?」
「そうじゃ。血が続く限り、その一族の盟約は続く。わしは大地の民として、お主は風の民として、それぞれ別々の民族の血を継いでおるのじゃよ。それが……お主の精霊術の正体じゃ」
ドゥンは言う。
アーシュはそう言われても、いきなり過ぎて、まだ事態が飲み込めなかった。
けど、そんなことを言われたところで、生まれてこの方ずっと一人でこの力と向き合って、足掻いてきたのだという事実はひとつも変わらない。
アーシュはとにかく知ることができた。
ただ、それだけでいいと思った。
自分がどこのどいつだとしても、関係ねぇ。
「へへっ……なるほどな。理屈は理解できたし、事情も少しは飲み込めたぜ。で? 具体的には、俺はどうしたら、あんたみたいに強くなれるんだ?」
「……ほう?」
それを聞いたドゥンは大笑いした。
この少年、やはり肝が据わっておる。
「ほっほっほっ。威勢がいいのぅ。しかし、最初からわしを目標にするとは。わしゃ、こう見えても、世界でも指折りの使い手なのじゃぞ?」
「……ケッ。なら、なおさら願ったり叶ったりじゃねぇか。てめぇを越えれば、あっという間に俺もそいつらの仲間入りってわけなんだからよ」
「ふむ。道理じゃ。しかし、若いのぅ……」
そう言うと、ドゥンは地面に座った。
それを見て、アーシュもなんとなく真似をする。
たぶん、そういうことだろうと思ったからだ。
「さて、では……望みどおり、これから修行に入るが……先ほど言ったように、精霊術の修行は魔法のそれとは違う。魔法はひたすらマナと魔力を消費することが大切なんじゃが、精霊術はそんなことをするよりも、もっと『精霊と一体になること』ことの方が大切なんじゃ」
「精霊と一体になる……?」
ドゥンは足を組み、手をだらりと膝の上に乗せ、目を瞑る。
アーシュも真似た。
「そう。精霊の力をより引き出すために。より助力をしてもらえるように。そのために、こちらから歩み寄るのじゃ。つまり……精霊術の修行とは精霊への『祈り』に近い……」
「精霊への祈り……」
アーシュは目を瞑ったまま、意識を集中した。
が、どこにどう意識を集中し、何を祈ればいいのかわからない。
「アーシュよ。初めから精霊の意思には近づけん。そのためのこの森じゃ。まずは、魔力の気配を覚えよ。そうしたら、次にマナの気配を感じるのじゃ。そうすれば、精霊たちの意思へと道が続いておるはずじゃ」
「魔力、マナ、そして、精霊……」
アーシュは意識を集中する。
まるで、自分がこの森の一部になったかのように、静かに……。
結局、この日はこの瞑想の修行だけで、夕飯の時間になってしまった。
――「おかえりなさい! ドゥンさん! アーシュ! もう、支度はできてますよ?」
二人が帰宅すると、全員が出迎えた。
みんなで、食卓の準備をしていたのだ。
テーブルの上には既に、たくさんの料理が準備されている。
「ほう! これはうまそうじゃのぅ! もう、腹が空き過ぎて死にそうじゃ。のう? アーシュ?」
「ああ……何も動いてないはずなのによ……すげぇ疲れたぜ……」
「ほっほっほっ。それでいいんじゃ。それで」
アーシュが、そんなもんかねぇと思っていると、目の前をカサンドラが皿を運びながら通る。
それを見たアーシュはお化けでも目撃したかのような顔をした。
「お前が、手伝いなんて……どうしたんだよ?」
「おばあちゃんの指示だもの。仕方ないわ」
「アーシュくん! ドゥンさん。こちらへどうぞ」
ロランが二人のために席を引く。
そこへアーシュとドゥンは、ゆっくりと腰掛けた。
「さ。準備はいいね? では、黙祷を」
全員が着席し、おばあさんが言うと、みんなはいつも通りに、ドゥンも自然と合わせて黙祷を捧げた。
そして、全員が目を開けると、ドンチャン騒ぎの宴が始まったのだった。
――夜。
アーシュは疲れて果てて、早々に寝てしまった。
リッケはお風呂に入っていて、カサンドラは蚤の市で見つけてきた封魔書の封印を解こうと『封魔鍵』というアイテムを使って、机に向かい試行錯誤している。
『封魔鍵』とは、封魔書の封印を解くための必須アイテムで、封魔書と同様、かなり貴重なものらしい。
「そんな貴重なものを、なんで持ってるの?」
とロランが聞くと、カサンドラは
「ないしょ」
と答えた。
まぁ、そうだと思ったけど。
ロランはまだ早くて眠れないので、筋トレでもしようと小屋の外に出た。
すると、そこにドゥンの姿があった。
ドゥンは広場の真ん中に立って、夜空を見上げていた。
ロランが近づくと、ドゥンは気がつき、振り返った。
「おお、ロランか。どうした?」
「ちょっと……運動でもしようかと思いまして……」
「ほっほっほ。良い心がけじゃ。どれ、では、わし流のやり方を教えてやろうかいのぅ」
ロランは成り行きで、ドゥンに筋肉の鍛え方とストレッチのやり方を教わる。
それらはどれも、ゆっくりと身体を動かす動作の連続で、武術の型みたいなものだった。
ひとつひとつの動きは地味だが、全てが終わる頃には全身にびっしょりと汗を掻いていた。
これはもう一度お風呂に入る必要がありそうだ。
「はぁ……はぁ……あ、ありがとうございました……」
「ほっほっほ。最後までちゃんとついてこれたのぅ。見た目よりは体力があるわい」
そう言うドゥンは、全く息が上がっていない。 ロランは地面に寝転びながら
(おじいさんなのに、すごいなぁ……)
と思う。
「あの……ドゥンさんと、母さんはどういうお知り合いなんですか……?」
ロランは起き上がり、聞いた。
ドゥンは眉を上げ、微笑む。そして、ロランの隣に腰を下ろした。
「知り合いというかのぅ……レナ殿はわしの恩人でな? 昔、ひと時だけ、一緒のパーティーで旅をしておったんじゃ」
「母さんがパーティーを組んで、旅を?」
ロランは驚いた。
自分の知っている母は旅嫌いで、いつも父さんと家でお話したり、お茶したりするのを、何よりの楽しみにしていたはずだ。
「そうじゃ。かなり古い話じゃがな。確か、その時レナ殿はまだ14才とか、そんなものじゃったろう……」
(14才……今の僕と同じ年だ……)
「ほっほっほっ。想像がつかんか?」
「は、はい……まだ子供の頃の母さんも、そんな母さんが旅をしていたことも……全然……」
「まぁ、そうじゃろう。それでいいんじゃ。もう終わったことじゃしのぅ……とにかく、その時の旅でわしは、レナ殿に返し切れぬほどの恩を受けた。じゃから、お母さんのもとに帰ったら、伝えておくれ。わしは今でも、あの時のことを感謝しておると」
ドゥンはロランの手を取り、握った。
それは、最初に交わした握手と違い、柔らく温かかった。
ロランは今度こそ、ちゃんと握り返して、
「はい。わかりました。必ず、お伝えします」
と言った。
ドゥンはそれ以上はレナのことは話さず、ロランにこの森のことと、自分の武勇伝ばかり話した。
ロランはそれを楽しく聞く。
ロランには祖父母という者がいなかったので、余計に楽しく感じた。
こうして、ドゥン滞在一日目の夜は更けていった。