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12、獣人来たる

ロラン達三人がアスラの街へ出掛けていた、ちょうどその日。


魔女の森の入口に、一人の男の姿があった。


男はゆうに2メートルを越える巨体だった。

甲冑をまとった体は短い茶色の体毛で覆われ、手には鋭い爪。口には大きな牙、そして顔には大小様々な切り傷が刻まれている。

彼は獣人であった。

頭は獅子。しかし、年のせいか獅子特有のタテガミは、顎の部分を残しすっかり禿げ上がっていたから、知らずに見ると獅子というより、茶色い虎に見える。


「ここかの……あの時感じた場所は……」


男は禿げ上がって体毛だけになってしまった頭をごしごしと撫でて言う。

それは自分自身への確認でもあった。


おもむろに森の中へと歩を進めようする。

が、森に入る少し手前で男は、強力な結界に弾き返されてしまった。


それで男の予想は確信に変わった。


「この結界は……間違いないわい……」


男はまた森へ近づくと、今度は結界の前辺りで立ち止まり、瞑想を始める。


大地にしっかりと足を踏ん張り、うつむいて意識を集中して。


すると、男の体に薄く茶色い残像のようなものがだんだんとまとわり出した。


それは大地から足を伝い、全身へと広がっていく。


その残像が男の腕に達すると、筋肉質な男の腕は一層膨らみ、力を増したように見えた。


男は目を開ける。

それからその腕を一度は弾かれた結界に思い切り捩じ込んだ。

右手、左手、両手とも。

そうして無理やり、結界を左右にこじ開けたのだった。


「すまんが……少しだけ邪魔するぞ」


男は言って森に入る。


男が入ると同時に、結界はすぐに元のように修復された。


男は目を瞑り、気配を探る。

すると、それはすぐに見つかった。


やはり、森の魔力が強いとはいえ、結界の中では誤魔化しきれない。


あの方の魔力は……。


男は森の中を歩き出した。



――この異変に、アーシュはすぐに気がついた。


アーシュはいつものように森を駆けずり回り、特訓に励んでいるところだった。


そこへ突然、外の気配が入り込んだ。


それだけじゃない。

風の精霊たちがいつになくざわついているのだ。


「……チッ!」


アーシュは舌打ちをし、気配の方へと駆け出す。


こんなことは、この森に来て初めてのことだ。嫌な感じがする。


今日、ロランたちがいないのは幸いだった。

カサンドラはともかく、他の二人を気にかけている余裕は、どうやらなさそうだからだ。


「狙いは……ばあさんか……?」


アーシュはつぶやく。

だとしたら……絶対に近づけさせねぇ。



気配に向かって真っ直ぐ走る。


すると、やがてアーシュは視界に一人の男の姿を捉えた。


アーシュはとても目がいい。

かなり遠くからでも、その男を微細に観察することができた。


虎だ。虎の獣人族。

それも、かなりの巨体。

身に纏った甲冑は、おそらくどこかの軍のものだろうが、見覚えはない。

ということは少なくとも、この大陸の国の者じゃないということか?

だが、そんなことより……。


「あいつ……強ぇな……」


アーシュはその男から漂う歴戦の気配に、自然と体を震わせた。

こればかりは、自分で止めようと思っても止められるものではない。


本能が「やつとは戦うな」と言っているのだ。


「へへっ……けど、そうもいかねぇ時もあんだよな……」


それに向こうも、とっくにこちらの気配に気づいちまってるはずだ。


アーシュは意を決して、獣人の方へと加速する。


そして、その男の前の木の上に陣取り、立ち塞がったのだった。



――獣人はさして驚いた様子もなく、アーシュを見上げる。


が、アーシュの方は、いざ獣人と対峙してみると、如何にも頑丈そうな、その巨躯きょくに、思わず変な笑いがこみ上げてきた。


(へへっ……こんなやつに、俺のナイフが届くとは思えねぇな……)


よくて足止め……

相討ちすら難しそうだ。


アーシュはとりあえずナイフに掛けていた手を離し


「てめぇ、ここに何しに来た?」


と尋ねた。


まずは言葉で足止めを狙う。

そうすれば、もし俺が勝てなくても、ばあさんが何か動くかもしれない。


それに、まだこの男が完全に敵と決まったわけでもない。


こんなところに強引に入ってきたやつが、敵じゃなけりゃいったい何なんだとは思うが、その可能性はあるのだから、対話は模索はすべきだ。

アーシュは状況を見つつ、そう判断を柔軟に変化させた。


「何を……? ふむ……」


獣人はアーシュの問いに、顎のタテガミを撫でて真面目に考える。


「さて。確かに、わしは何をしに来たのかの……? まぁ……強いて言えば、挨拶かの?」


「あ、挨拶だぁ?」


アーシュはまた身構える。

挨拶とは、どういう意味だ?


「ほっほっほ。変な勘繰りをしておるようだの、少年よ。じゃが、わしが言っとるのは文字通り、ただの挨拶じゃよ。わしはモリエール様と事を構えるつもりはないからのぅ」


獣人は否定するように、手を横に振る。

アーシュは聞き慣れぬ名前に、首を傾げた。


「モリエール様……? それは、ばあさんのことか? あんた、ばあさんの知り合いか?」


「なんじゃ、知らんのか? おぬしはモリエール様の使いではないのか?」


「使いなんかじゃねぇよ。俺はただの、居候いそうろうだ」


「なに? 居候? ほほう……」


獣人はまた考えた。

今度はタテガミのなくなった、頭をごしごしする。


(もしや……この少年が例の……?)


だが、そんな疑念はおくびにも見せず、


「ふむ。どういうつもりかのぅ……ただ御隠れになったわけではなさそうじゃが……相変わらず、モリエール様の考えていることは、わしには深淵過ぎてわからんわい……」


と、獣人はお手上げだという感じで言った。


だからアーシュにも何のことを言っているのか、さっぱりわからなかった。


「……なんか、俺もよくわからねぇが、とにかく、じいさんよ。あんたは、ばあさんの敵じゃねぇのか?」


アーシュは率直に聞いた。

今の状況では、それが一番重要なことだ。


それと、正直少し気が抜けたのだ。


この獣人のじいさんの巨体と、そこから漂う戦いの気配は確かに尋常なものじゃない。

だが、一連の口調と態度を見ているうちに、どうも自分たちに害を為す者とは思えなくなってしまったのだ。


「敵……か。そうだのぅ……」


獣人はまたまた考える。

今まで紆余曲折あった自分とモリエールの関係を、どう言えばいいのか?


「モリエール様とは長い付き合いじゃがのぅ……少なくとも、個人で敵対したことは今まで一度もないの。じゃが、わしの国とモリエール様は昔からずっと敵対しておる。じゃから、国に仕える身としてのわしとモリエール様はいつでも敵同士じゃったし、それを抜きにすれば古い友人同士でもあるんじゃ……どうだ? これでわかってもらえるかのぅ……?」


「……いまいち、わからねぇが……」


アーシュは獣人の目を見る。

その目は嘘をついているようには見えなかった。


それを感じ取ると、アーシュはとりあえず木の上から降りた。


「……それで? 今日は個人的な用で来たんだろうな?」


アーシュは改めて問う。

その言葉を聞き、獣人もやっと顔をほころばせた。


「ほっほっほ。もちろんじゃ。先ほども言ったがモリエール様と争う気などない。それに、今日ここに来ることも誰にも言っとらんから安心せい」


「ふーっ……それを聞いて本当に安心したぜ」


(まぁ、警戒はするがな……)


アーシュは思う。

けど、ばあさんに会わせる分には問題ないだろうと判断した。


それに……


(俺もばあさんが、このじいさんとどんな話をするのか気になるしな)


「そうとわかれば、ついて来な。まぁ、あんたに案内なんて必要ないとは思うが」


「ほっほっほっ。いやいや、退屈しのぎには必要じゃ。ありがたく案内されよう」


こうして、二人はアーシュを先頭に森を歩き始めた。



――「ところで……自己紹介くらいはしておくかのぅ。いつまでも『じいさん』と『少年』では、味気ないのでな」


「ケッ……勝手にしな」


「ほっほっほ。では、年長者のわしからじゃな? わしは『ウェイクラット王国』の戦士で名をサハマ・ドゥンという者じゃ。近頃の若いもんは『ドゥンじい』などと気軽に呼ぶが、昔は『ウェイクラットの砂漠の牙』とよく怖れられたものじゃ……どうじゃ? 聞いたことくらいはあるじゃろ?」


「いつの話してんだが知らねぇが、俺は聞いたことねぇよ。それに、俺はこの大陸出身だ。『ウェイクラット』といやぁ、西の果てじゃねぇか。そんなとこの名声なんざ、ここまで届きゃしねぇよ」


アーシュはぶっきら棒に言う。

それを聞いたドゥンは、


「なんじゃ、つれない奴よのぅ。もっと年寄りの自慢話に興味を持たんか」


と禿げた頭を撫でる。


「まぁ確かに、あんたの武勇伝なら相当面白れぇもんが聞けそうだがよ。あいにく、俺は長話が嫌いなんだ」


「ほっほっほ。つれないというか、可愛げがないのぅ、お主は。では、わしの自己紹介はこのくらいで終わりとしようかの。次は、お主の番じゃ」


アーシュは少し躊躇ったが口を開く。


「……アーシュだ。ただのアーシュ。生まれは……『オスロ』だ」


アーシュがそう言い終わると、ドゥンは目を見開いた。


(『オスロ帝国』の……アーシュ……じゃと?)


ドゥンは僅かに残る顎のタテガミを手でしごく。

そして、まじまじとアーシュを観察した。


(年の頃は聞いた通りじゃ。それに、なにより先ほどから感じるこの精霊の気配……)


ドゥンの頭にあるひとつの考えが浮かんだ。


(もしや、このアーシュという少年……『オスロの脱走少年』か? 元少年盗賊団頭の……)


それは確信に近いものだった。

だとすれば、モリエールがこの少年を、森に置いている理由もわかる。


(例の『予言の少年』とはこの『最後の風の民』の少年のことだったのか?)


ドゥンは勘繰かんぐった。

だが、その結論を出すのは、まだ早過ぎる。

もう少々、見定めねばなるまい。


「アーシュか……よい名じゃ。よろしくのぅ」

「ああ。短い間だがな」

「ほっほっほ。なぜ、短いとわかる? 長い付き合いになるかもしれぬではないか?」

「……うるせぇな。あんまり、ここに長居されても困るからそう言ってんだよ。察しろ」


アーシュは言う。

そんな言葉遣いをされるのは久しぶりなドゥンは、思わず大声で笑ってしまった。


「ガッハッハッハッ。つれなくて、可愛げもないくせに、さらに礼儀知らずときた。いやぁ、若いのぅ。わしもお主くらいの時は、そうじゃったわい」


「……ケッ。また昔話か? なら、短めにしろよ?」


アーシュは前を見たまま言う。

そんなアーシュを、ドゥンは優しい目で見ていた。


(……やれやれ。ずっと気にかけておったが、この『風の民』の少年、思いのほか、肝がわっておるではないか。あれほどの体験をしながら……まだ、明るさを失わず、その目の灯は絶えていない)


この出会いをもたらした精霊の導きに感謝を。


ドゥンは密かに感謝の意を捧げた。

そして、


(何か土産のひとつでも置いてってやろうかの……)


とも思った。


「いや、昔話は嫌いなのじゃろう? なら、よすわい。もっとお主の興味を引くような話をしてみせるぞい?」


「興味ねぇ……」


アーシュは歩き続ける。


だが、ドゥンが立ち止まり、大地に脚を踏ん張った時、アーシュは思わず立ち止まって、振り返ってしまった。


そうせざるを得なかったのだ。

この感じ。

風の精霊がざわつく……それもそのはずだ。

このじじい……。


ドゥンは全身に薄く茶色い残像のようなものを纏っていた。


今度はアーシュが目を見開く番だった。


精霊術。

自分以外の精霊術は初めて見た。


「じいさん……あんた、精霊術士だったのか!?」


「ほっほっほ。そうじゃ。じゃが、わしらの故郷では『精霊術』などとは呼ばん。『大地の加護』と言ってのぅ、選ばれし『大地の子』のみがこの力を使えるのじゃ」


ドゥンは身構える。

そうすると、ただでさえ大きい体が、二倍にも三倍にもなって見えた。


「さて。ちと、試してみるか? アーシュよ」


「……へへっ」


アーシュは笑った。


今まで出会った中でも、とびきりの強者だ。


しかし、恐怖よりも、ワクワク感が先に出てしまった。


「なるほど……」


アーシュは姿勢を低くする。


「確かにこいつは……実に興味深ぇぜ!!」


アーシュは腰のナイフに手を掛けると、一気に精霊術を全開にした。


そうして、スピードを最大限まで上げ、突進し、6方向からほぼ同時に斬撃を与える。


疾風の6連撃。


並みの魔物なら、一瞬でバラバラにできる攻撃だ。


それをドゥンは全てまともに受けた。腕や脚、腹の甲冑の隙間から鮮血が飛び散る。実に正確無比な攻撃だった。


「どうした! まだまだ行くぜ!」


アーシュはさらに6撃、12撃、18撃と斬撃を加える。

すると、あっという間にドゥンの体は傷だらけになってしまった。


「ほら、来ねぇのか? このままだと、どんどん傷跡が増えちまうぜ!?」


だが、その言葉にドゥンは、にやりと笑った。


「いや……お主の攻撃では、わしに傷跡を残すことは叶わんのぅ」


ドゥンがそう言った時だった。

ドゥンの体により一層濃密な精霊の気配が漂い始めた。


「な、なんだ……?」


アーシュは足を止めて見つめる。


すると、アーシュがつけた傷口に濃く茶色い残像が纏わりつき、みるみるうちに元通りに治してしまったではないか。


「なっ……」


アーシュは絶句し、ドゥンは高笑いした。


「ほっほっほっ。じゃから言ったじゃろ? わしの体に傷跡を残したくば、もっとマシな攻撃をしてくるのじゃな」


「……クソッ、上等じゃねぇか!」


アーシュは吠え、突進した。


アーシュは出来得る限りの力を使い、攻撃を続ける。


だが、何度攻撃を繰り返しても、消耗するのはアーシュだけで、ドゥンは何ひとつ効いていないように思われた。


「……チッ……不死身かよ、てめぇは!」


「ほっほっほ。残念ながら、そんなことはない。お主の攻撃が軽過ぎるだけじゃ。さて、そろそろ、わしも攻撃をしてもいいかのぅ?」


言うと、ドゥンは瞑想を始めた。


すると、ドゥンの精霊術はますます濃くなり、密度を増す。

アーシュはこんなに精霊の気配を濃く感じたのは初めてだった。


ドゥンは構える。

すごい圧力だ。

アーシュは逃げ出さないだけで、精一杯だった。


「まだまだ本気じゃなかったってのか……クソじじい……」


「ああ。子供相手に本気は、大人げないからのぅ。じゃが、この一撃だけは本気でいかせてもらうぞ? 覚悟はよいか? アーシュ」


「へへっ……こりゃ……覚悟を決めねぇと、死にそうだ!」


アーシュも構えた。

防御なんてできそうもない。

真っ向から攻撃で勝負。


「ほっほっほ。正しい。お主は実にさとい」


ドゥンが動いた。

それを気配で感じたアーシュは先に動き出していた。

ほんの半歩だ。

だが、その半歩のおかげでアーシュは命拾いした。


アーシュのナイフとドゥンの拳。

風の力と大地の力。


「……うっ」


それらが反発し合い、アーシュは物凄いスピードで弾き飛ばされた。


「うわっ……!」


藪を突き抜け、枝を折り、遥か向こうの木に、どしんと激突してアーシュはようやく止まった。


森にまた静寂が戻ってきたようだった。


ドゥンはアーシュのもとへ歩み寄る。

気を失っているが、まだ息はある。


「大地の加護をお主に……」


ドゥンはアーシュの背中に手を当て、大地の力を分け与える。

これでアーシュの傷は治ったはずだ。


ドゥンはアーシュを肩に担ぐ。

そうして、モリエールの待つ小屋への歩みを再開した。


「まだ『大精霊』との契約も交わしていないというのに、あの加護の力……末恐ろしいが、楽しみな少年じゃ」


ドゥンは拳に深々とついた傷を見てつぶやく。


もしかすると、今回の訪問は少し長引くかもしれない。


そんな予感がした。


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