11、街に古書店に、蚤の市
ロランは初めて自分の防具を買い、すっかり満足してしまった。
なので、やはり行く当てもなく付近をぶらぶら見物する。
と、前方にカサンドラがいるのが見えた。
青い髪をポニーテールにし、青いローブに古風な杖。
この人混みでもかなり目立つから、すぐにわかった。
ロランは足早に近づき、
「カサンドラさん!」
と呼ぶ。
それでカサンドラの方もロランに気がついた。
「……リッケは?」
「あ、リッケはまだケーキ屋さんに並んでる。だから別行動になったんだ……カサンドラさんは何してるの?」
「私はここに、探し物」
ロランは指し示された方を見る。
そこには立派な門構えの古書店があった。頑丈で機能美溢れる革の装丁を施された古書たちが、今も華美な棚に並べられ静かに息づいている……そんな店。
見るからに高級店だ。
「それで……あったの? 探し物」
「ない。もともとその辺で簡単に見つかるようなものじゃないから」
「もしかして、市場にもそれを探しに……?」
「そう。でも、なかったわ。ま、私も期待はしていないし、念のため行ってみただけだけど」
「そ、そうなんだ……」
「ところで」
カサンドラは、ロランが先ほどから大事そうに抱いている紙袋を怪訝な顔で見つめ
「それはいったい何?」
と言った。
聞かれてロランは「ああ!」と思い、紙袋から手甲を取り出す。
そして、ニコニコ顔でカサンドラに見せた。
「さっき、防具屋で買ったんだ……初めての装備……中古らしいんだけど、軽くてぴったりで……すごく気に入ってるんだ」
差し出された手甲をカサンドラはそっと手に取る。
そうして相変わらず、嫌なものでも見るかのような目で手甲をじっと観察した。
「これ。どこでって?」
「えっ? えーっと……この先の小さな防具屋さんなんだけど……その……ごめん、これはひとつしかなくて……」
「別に欲しくはないわ。でも、そんな大金よくあったわね」
「えへへ。確かにね。でも、1万エリスにまけてもらったから……」
「1万エリス? ……そう。ま、そうかもしれないわね。これ、もう死んでいるみたいだし」
「えっ……? 死んでる……? 何が? 一応、手入れはしてもらったんだけど……」
(本当に知らないのね。ま、知らない方がいいかしら? この子なら蘇らせかねないし……)
カサンドラは思った。
「いいの。なんでもない。それより、これはかなり良いものよ。大事にした方がいいわ」
「ほ、ほんとにっ!? やった……!」
ロランはカサンドラに褒められてとても嬉しい。
そんな無邪気なロランを見て、カサンドラは一応
「でも、それを使うなら、今までよりもあなたの聖属性を強化した方が良さそうね。メニューに追加しておくわ」
と対策を講じておく。
ロランはこれ以上特訓メニューが増えるのは死活問題だと、冷や汗を掻いていたが、カサンドラはそこは譲る気はなかった。
用心はしておいた方がいいし……それに、もしうまくいけばおもしろいことになりそうだからだ。
カサンドラは手甲をロランに返した。
それを大事そうにロランが仕舞い終わると、
「じゃあ、私はもう少し探し物をするけど。あなたはどうする?」
と聞いた。
ロランはもちろんついて行くと返事をした。
ということで、二人は並んでアスラの街を歩くことになったのだった。
――「あの……ちなみにカサンドラさんは、どんな本を探してるの……?」
やはり気になるので、ロランは聞いてみる。
近頃、ロランのカサンドラに対する遠慮の度合いが減りつつある。
しかし、カサンドラも最初から気にしてなどいないから、変化に気づかない。
「……『封魔書』よ。と言ってもわからないだろうけど」
「はい……わかりません……良ければ教えてくれない……かな……?」
「……いいわ。封魔書とは。私が普段読んでいるような詠唱魔法を書いた魔書……それを普通の本のように擬態させ、封印を施してあるものの総称なの。だから、見る人が見ないと、それは普通の本のようにしか見えない」
「そ、それは、外見も中身も……?」
「そうよ」
「でも、詠唱魔法を書いた本は……もうほとんど残ってないんでしょ……? その……焼かれたりして……」
「ええ。でも、極稀に現在に至るまで伝わるものがある。そういうものは、だいたい封魔書なのよ。それが貴族たちの目を逃れ、本を生き永らえさせるための先人たちの知恵だったのね」
「そうなんだ……それでカサンドラさんは、古書店を見てまわってるんだね……?」
「そういうこと」
「昔から、ずっと?」
「そう。ある時期から」
「そうなんだ……それで、見つけたことはあるの?」
「あるわ。一度だけ。でも、手が出せなかった。その本はもう既に封魔書だとわかっていたらしくて、とても高い値がついていたから……」
「ち、ちなみに……いくら?」
「2500万エリス」
「に、にせん、ごひゃくまん……?」
(封魔書ってそんな感じなの……!?)
ロランは思わず唾を飲み込んだ。
「それじゃ手が出ないね……」
「ええ。でも、その本はほどなくして売れたらしいわ。おそらく魔法教国かどこかが買って、牢獄に入れたのね」
「牢獄……? 何? 牢獄って?」
「本の牢獄。人のための牢獄じゃない、本のための牢獄があるの。そこには多くの本が閉じ込められているの……」
(そう。私の求める本も……)
カサンドラは思わず杖をぎゅっと握りしめる。が、すぐにハッと気がつき、平静を装って力を抜いた。
「す、すごいね……そんなところがあるんだ……じゃあ、ますます貴重なものだね……その封魔書って」
「そう。だから期待しないで探してるの。それでもついて来るのね?」
「も、もちろんだよ! 一人で歩くのも寂しいし……あ、なら、いつも読んでるカサンドラさんの本。あれも封魔書なの?」
「……いえ。あれは違うわ……あれは……」
そう言いかけた。
けど、カサンドラはその後の言葉を飲み込むと、それっきり黙り込んでしまった。
ロランは言葉を待った。
けど、いくら待ってもその続きは始まらなかった。
だから、ロランも何も聞かずに、隣をただ歩く。
(聞かれたくないことってたくさんある……)
それをロランもよくわかっていたつもりだったけれど。
(……しまったな……カサンドラさん、気を悪くしてないといいけど……)
――それから何時間過ぎただろうか。
ロランの心配をよそに、その後はいつもの雰囲気で古書店を巡ることができた。
しかし、やはりこの広いアスラの街の古書店を端から端まで探し回っても、封魔書は見つからなかった。
「こんなものよ。がっかりすることないわ」
カサンドラは言う。
「今日は付き合ってくれて、ありがとう」
「そ、そんな! いいよ……僕がついて行きたくて来たんだから……」
「いえ、お陰で退屈しなかったわ……けど、そろそろ時間ね。集合場所に戻りましょ」
「う、うん……! そうだね」
二人は元来た道を戻る。
でも、どうせなら違う路地を通ろうと、ロランが言い、一本隣の道を戻ることにした。
「こっちは見てなかったけど……」
「ええ。古書店は見当たらないけれど、今日は蚤の市をやっているみたいね」
その狭い路地は、両端にところ狭しと露店が並び、多くの人で賑わっていた。
頭上には「蚤の市」と書かれた旗が渡されている。
が、もう夕方に近いので帰り支度をしている店主も多かった。
そろそろ終わりの時間のようだ。
「まだやってるお店もあるみたいだから……ちょっと見ていこうか?」
「そうね」
二人は人の間を縫って歩きながら、敷物の上に並べられた品物をひやかしていく。
品物は蚤の市らしく、とても雑多でまるで宝探しをしているようだった。
「あれは、なんだろうね?」
「さぁ? ただの古い壺でしょ?」
二人はゆっくり話しながら歩いた。
ロランはただただ、こうしていることが楽しいと思う。
そして今更ながら、今日という日がもうすぐ終わっていくことにロランは気がつき、ちょっと寂しくなった。
(今日は、楽しかったな……また……今度は4人で来たいな……)
そんなことを思っていた時だった。
ロランの目にひとつの露店が飛び込んで来たのは。
その店はいかにも主婦っぽいおばさんが、一人で店番をしている店だった。
おばさんは、地面に敷いた絨毯の上に座り、通りを眺めている。骨董店というより、家の中の余り物を処分しているような店で、その端っこに数冊の革で装丁された本が置いてあったのだ。
「あ、あそこのおばさんのいるお店。本も少し置いてあるよ。カサンドラさん。ちょっと見ていこうか?」
ロランが何気無く指差した方角を見たカサンドラは思わず、
「えっ……?」
と声を漏らした。
ロランが向かおうとする。
けど、カサンドラは急に立ち止まり、人混みの中に見えなくなってしまった。
「……あっ、カサンドラさんっ?」
そのことに気がついたロランはすぐに戻って、カサンドラを見つけると
「大丈夫……? ほら、こっち」
と、その手を取った。
「あ……ロラン?」
それは、はぐれないようにであり、道に迷わないためにだ。他意はない。
だから、ロランは自然にカサンドラの手を取ることができたのかもしれない……。
カサンドラはロランの手に引かれ、露店の前までやってきた。
ロランは自分がいつの間にか、カサンドラと手を繋いでいることに気がつくと、慌てて手を離す。
ちょっと失礼な態度だったかもしれないが、それよりも長い時間手を繋いでいることはロランにはできそうになかった。
カサンドラも、他のことで頭がいっぱいで、自分が失礼なことをされたなど頭の片隅にもない様子だ。
「あら、いらっしゃい。珍しいね、若いのに。ゆっくり見てってね」
「はい……じゃあ、ちょっと見させて……」
ください、とロランが言い終わるよりも前に、カサンドラはしゃがんで一冊の本を手に取っていた。
それは遠くから見かけたとおり、古いけれどしっかりと革で装丁された美しい本で、大事にされてきたのがひと目で分かるほど状態がよかった。
カサンドラは、ぱらっとページを捲る。
ロランも隣から覗くと、そこには見慣れた現代文字と、おそらく妖精であろう綺麗な銅版画が刷り込まれていた。
「あら、それがお気に入り? お嬢ちゃんたち、これはねぇ。私の家に昔から伝わる童話集なのよ。子供の頃はよくこれを読み聞かせてもらったもんだ。ものすごく古いもんなんだよ?」
おばさんは言う。
それを聞いてかどうか、カサンドラは
「これ。売っていただけますか?」
と聞いた。
「えっ……?」
驚いたのは店主のおばさんだった。
無理もない。
今では誰も見向きもしないような、古い童話集をこんな若者が、来てすぐに買うと言うのだから。
余程、気に入ったのか……それとも本当は、すごく稀少なものなのか……。
おばさんは二人を値踏みする。
身なりは普通で裕福そうには見えないが、それはわからない。
しかし、もう童話集自体には興味もないけれど、どうせ売るなら高く売りたい。
かといって、高くつけ過ぎていらないと言われたら、それはそれで癪だ。
お金が必要だから、お金になりそうなものを家の中を探しまわって、やっと見つけ出してきたのに……それなのに、今日は全然売れていない!
お金が欲しかった。
けど、高い物を安く売りたくはない。
損しても納得できる値段を言うのだ。
そう思う。
けど、おばさんは哀しいかな、素人だった。
「え、ええ。いいわよ。けど……ちょっとお嬢ちゃんには高いかもしれないよ?」
「どのくらい?」
「そうねぇ……10万エリス……これ以上は下げられないわね」
「10万エリス……」
カサンドラは財布を見る。
そこには1万エリスしか入っていなかった。
カサンドラは考えた。
でも、どう考えても10万を1万にできそうな理由は見つからなかった。
(なんで、今日なの……?)
カサンドラは愕然とした。
まさか今日出会うとは思ってもいなかった。
しかも、そんな中途半端な値段で。
出るならもっと低い値段で、捨てられる寸前のものか、以前のように極端に高いものだと思っていたのに。
それならいっそ諦めもつくが……。
(けど今日を逃したら……きっと、すぐにこの本も見つかってしまう。本当なら、今すぐにでも手に入れて、小屋に持ち帰りたいけど……)
カサンドラはせめて、取り置きをお願いしようと、
「すいません。今日は1万エリスしか手持ちがないので、これで取り置きをしていただくことはできませんか?」
財布から1万エリスを取り出した。
だが、それを見たおばさんは渋い顔をした。
やはり、そのくらいしか持っていなかったかと。
しかし、1万で売る気はない。それと、仮に取り置きしたとしても、すぐに残りの9万をこの子が用意できるとも思えない。
これは困ったことになった。どこで落としどころをつけようか……。
おばさんとカサンドラ、双方がどうすることもできず困っていた。
するとそこへ、ロランが割って入ってきた。
そして、自分のズボンのポケットから財布を取り出すと、お札を数え、それをカサンドラの手の上の1万エリスに足して言った。
「はい。たぶん、これでぴったり10万エリスあると思います……念のため、数えてください」
おばさんとカサンドラは驚いてロランの顔を見た。
ロランは照れ臭そうに笑っている。
おばさんは
「え、ええ……じゃあ……」
とお札を数え出す。
カサンドラはロランに「どうしたの? これ」と目線を送った。
「えへへ……リッケと防具屋さんのお陰……かな?」
「た、確かに……10万エリスぴったりあるよ……」
「よかった……なら、大丈夫ですよね? あの……この本、いただいても……?」
ロランが聞くと、おばさんは満面の笑みを浮かべ、
「も、もちろんよ……! いや、ありがとうね、坊ちゃん。なんか、かえって悪いみたいだわねぇ?」
と言う。
どうやら、商談成立のようだ。
「いえいえ、そんな……」
ロランが受け答えしていると、カサンドラがくいくいっとロランの袖を引っ張った。
胸には本をがっしりと抱えている。
長居は無用とのことだと、ロランは悟った。
「じゃ、じゃあ、僕たちは門限がありますので……これで……」
「いやぁ、お利口さんだねぇ。また来てね! お勉強も、しっかり頑張るんだよ!」
――蚤の市から離れ、集合場所についたところでカサンドラはやっと早歩きをやめた。
それを見計らって、ロランは尋ねる。
「それが……そうなの?」
と。
すると、カサンドラは信じられないという顔で
「ええ。間違いない。封魔書よ」
と答えた。
ロランは身震いするのを感じた。
けど、カサンドラはロラン以上に興奮しているようだ。
「まさか……こんなことってあるの……?」
「いいえ。あり得ない。少なくとも今では、そう思ってた。けど、あった。本当、恐ろしいわね……これもあなたのお陰かしら?」
「ぼ、僕の? いや……僕は何も……」
「いえ、その手甲を見つけたことといい……今度は封魔書よ? それもたった一日で。あなた……いったい、どんな星の下に生まれたのかしら……?」
「そんな……僕はただの商人と貴族の子だよ……」
ロランは頭をかく。
けど、なんにせよカサンドラに喜んでもらえてよかった。
「お金も、ありがとう。あとで必ず返すわ」
「い、いいよ! それは……本当に。あの……いつも特訓をつけてくれてる、お礼……プレゼントだと思って! だから、お金はいらないよ」
「プレゼント……? ふふっ。ははは。プレゼントか……だとしたら……」
カサンドラはロランの目を見た。
そして、
「この本は私の人生の中で……二番目に嬉しいプレゼントだわ」
と満面の笑みを浮かべたのだった。
ロランはカサンドラの笑顔に見惚れ、顔を真っ赤にする。
何か言わなきゃいけないのだろうけど、しどろもどろになって、ろくな返事が思い浮かばない。
「え……えっと……ちなみに一番目は……?」
「ないしょ」
「え。そ、そんなぁー……」
と、そこへ。
「あれ、なになにー? 二人ともすごく楽しそうじゃない?」
とリッケが合流した。
両手には抱えきれないほどの袋をぶら下げている。
「あ、リッケ。おかえりなさい」
「おかえりなさい」
二人は振り向く。
リッケはその様子を見て瞬時に異変に気づき、
「あっれー? なんか二人……雰囲気違くない? 何かいいことでもあったのー?」
と、ゲスい顔をする。
相変わらず、わざとらしい顔だ。
けど、するどい。
ロランはどう言っていいか戸惑っていたが、カサンドラは
「ま、ちょっとね」
と言う。
その反応にリッケはちょっと驚いたけれど、すぐに
「そっか! よかったね!」
と笑った。
リッケが近づくと、ロランはリッケの荷物を半分持った。
そして三人とも、もう十分に街を満喫したことを確認すると、路地に隠れ、リッケが帰りの魔法陣を発動する。
すると、三人の姿はあっという間にアスラの街から消え、あとには笑顔もその残像すら、何も残らなかった。




