10、朝市にケーキ屋に、防具店
――翌朝。
「じゃあ、気をつけて行ってくるんだよ。門限は5時だからね?」
「うん。ありがとう。おばあさま!」
「行ってくる」
「い、行ってきます……」
三人が魔法陣に乗ると、おばあさんはエイっと杖でひと突きした。
すると、魔法陣に光が溢れ、あっという間に三人は姿を消した。
――「うわぁ……本当に……」
来た。
ロランは目を開けて驚いた。
さっきまでは確かに小屋の前の広場にいたはずなのに、一瞬で目の前にひしめく商店と人混みが出現したのだから。
ここは世界でも有数の都市アスラ。
古い歴史と伝統を持つアスラ王国の首都で港町でもある。
地理的にはロランの出身地である魔法教国とは大陸の対岸に位置しているので、ロランは初めて足を踏み入れたのだった。
なので、もちろん通行手形等の申請書類は三人とも一切持っていない。もし発覚したら、衛兵に捕まる犯罪行為だが、
「バレなきゃ平気よ!」
とリッケは言う。
本当にみんな、度胸があるなとロランなんかは思う。
街は朝方にも関わらず、人でごった返していた。さすがは首都で港町。かなり栄えている印象だ。
「じゃあ、私は市場に行って、早速このパールエッグをさばいてくるね! 二人はどうする?」
「ぼ、僕はよく知らないから……カサンドラさんはどうするの?」
「私は朝の古書市場に行くわ。今の時間はまだ古書店も開いてないから。古書店が開く時間になったら目星をつけた店を巡るつもり」
「そっか……」
要するにリッケは換金、その後ケーキ屋で、カサンドラは古書店三昧か……。
ロランは迷った。
特に目的があって来たわけではないので、どちらかについて行くつもりだったからだ。
「……じゃあ、僕はリッケについて行ってもいいかな? 朝市も見て回りたいし……」
ロランはそう決めた。
「うん、いいよ! 一緒に行こ! じゃあ、カサンドラちゃん、私たちは朝市を見て、その後『熊の王冠』に行くつもりだから暇があったら来てね。帰りの集合は……ここに16時でどうかな?」
「わかった。それで構わない」
「ありがと! それじゃ、またねー」
リッケはカサンドラに手を振り、歩き出した。カサンドラもそれとは逆の方向に歩き出す。
(せっかく三人で来たのに……)
かなりロランの想像と違う出だしになってしまったが、みんな目的が違うのだから仕方がない。
ロランはひとまず朝市を楽しむことにした。
のだが……。
「えー! そんなぁ、もうちょっと高くつくでしょ? あっちの店ではもっと高く買うって言ってくれましたよ!? こんなに鮮度のいいパールエッグ、なかなか市場にも出ないでしょ?」
リッケの商談が思いの外ガチンコで、楽しんでる余裕などなかった。
大きな朝市のそこらじゅうの露店から、魚介やら肉やら麺やらピラフやらの美味しそうな匂いが漂って来ているというのに、リッケは目もくれない。
(そ、そこまでしてまでも例のケーキをお腹いっぱい食べたいのかな……?)
ウェイランのケーキ……どうやら余程の中毒性があるらしい。
「ダメね。次行こ、次」
「わかった。で、でも、そろそろキリをつけた方がいいんじゃない? ケーキ屋さん、並ぶんでしょ?」
「……うん。それもそうなのよね……けど、あと少し。もう少しだけ粘りたいの!」
リッケは拳を握りしめ言った。
その勢いに気圧され、ロランは頷く。
「そうだね。じゃあ……あと少し頑張ろうか」
別にロランは頑張ってなどいないのだが、そう言う他なかった。
こうして長い交渉の末、リッケはパールエッグ20個を見事に25万エリスに換金して見せたのだった。
(と、父さんの月収をたった二日で……)
ロランはなんとも形容しがたい哀愁の風が心を吹き抜けるのを感じたが、リッケはリッケ、父は父だ。そう揺るぎない尊敬の念を再確認し、ずれかけた価値観のポジションをあるべきところに落ち着かせることに成功すると、自然とリッケに
「すごいね、本当に!」
と言うことができた。
「そんなことないけど……えへへ、もっと褒めて褒めてー」
しかし、リッケの方は明らかに舞い上がっていた。
いよいよ、これから念願のケーキを買いに行くのだ。心踊るのも無理はない。
だが、これは明らかにお金を貯められない人の匂いがぷんぷんした。
「大金が入ったからって……あんまり調子にのって買いすぎちゃダメだよ? 食べきれるだけにしなよ?」
だからロランは釘を刺しておく。
するとリッケは心なしかしょぼんとした。
「う……ロランがそんなこと言うなんて……でもそうよね。今回は私だけで稼いだわけでもないし……あ、そうだ。じゃあ、忘れないうちに……いち、に、さん、しー…………はい、これ」
そう言うとリッケはお札を数えてロランに渡してきた。
山分けとは言っていたけれど、数えてみると本当に大金だった。ぴったり10万エリスもある。
「こ、こんなに!? う、受け取れないよ、さすがに……」
「いいの! 私が持ってても、ロランの言う通り、全部ケーキに変わるだけだし、今回はロランも頑張ってくれたから、いっぱい稼げたわけだしね。二人で10万ずつ分けて、残りの5万でみんなのための食材とか雑貨やらを買うことに決めたの」
「そっか……」
ロランはそう聞いても、なお躊躇った。
どう考えても自分が10万エリスに見合うだけの働きをしたとは思えなかったからだ。
でも、それはそれとして、リッケの申し出を断るのも悪い。
ここは色々な思いはまた別の機会に清算するとして、前借りのつもりで10万エリスを受け取っておくことにした。
「わかった。じゃあ、そういうことなら、ありがたく使わせてもらうよ」
「よし! 決まりね。じゃあ、いざ熊の王冠へ行こう! 走るよ、ロラン! もう行列が出来てるだろうからさ!」
「えっ? あっ、ちょっと待って!」
ロランはリッケの後を追いかけ、後ろ髪を引かれる思いで朝市をあとにした。
――ケーキ屋『熊の王冠』の前に着くと、予想以上に長い行列ができていた。
これは新作効果もあるが、ほぼ日常の風景とのことだ。
ロランとリッケは最後尾に並ぶ。
その位置に関してリッケは眉間に皺を寄せた。
「微妙な位置ね……新作が買えるか否か、神のみぞ知るって感じ」
「そ、そんなことまで、神様は予想してくれないと思うけど……」
ロランは特にすることもないので、行列を眺める。
列はロランたちの後ろにもどんどん増えていった。
(みんなお金に余裕があるんだなぁ……)
ロランがそんなことを考えていると
「ねぇねぇ、ロラン」
とリッケが言ってきた。
「ここにいても退屈でしょ? 行きたいところがあるなら行ってきて? 私はここで並んでるからさ」
確かに、ここに並んでいたら長くなりそうだ。リッケには悪いけど、せっかくだから街を見て回ることにする。
「わかった。じゃあ、ちょっとぐるっと見てくるね」
「集合場所、忘れてない?」
「大丈夫。そんなに遠くには行かないから」
こうしてロランは一人で歩くことになった。
――アスラの街並みは古い石造りでとても美しかった。
商店街の石畳も、街角の街灯も、店のポスターや看板も魔法教国よりおしゃれに見えた。
「さて……でも……どこに行こうかな……?」
あてもなく街をぶらぶらする。
(服を買うにしても森の中だと必要性を感じないし……アーシュくんの持ってるナイフみたいな武器を買おうか? いや、でも僕じゃ扱いきれないや……それならいっそ、防具の方がいいかも……よし、試しに防具屋を探そう)
ロランはそう決め、防具屋を探すことにした。
防具屋は探すまでもなく、すぐに見つかった。
さすがは大都市だ。通りの向かいにも二軒あるのが見える。この辺りは、いわゆる冒険者向けの商店街なのかもしれない。
「いらっしゃい」
防具屋の中は通りに比べて薄暗かった。とても小さなお店で、奥のカウンターではやる気の感じられない親父がひとり、新聞片手にタバコを吸っている。
(このお店……大丈夫かな……)
ロランは思う。
でも、いつもロランはリッケみたいに吟味して買い物をする方ではなく、適当に入った店で、それなりのものをそれなりの値段で買う方なのだ。
だから、そう思いつつも、棚を見て回る。
棚には主に盾がズラリと陳列されていた。
大きいもの、小さいもの、馬につけるもの……なんでもありそうだが、ロランには種類の判別などつかない。
どうやらここは盾に強い店らしい。
でも、ロランは盾を使う気はなかった。重そうだし、かさばりそうだ。もっと身につけられる軽いものがいい。
と、そんなことを思っていると棚の下の粗末な箱の中に、手甲が放り込まれているのを発見した。
ロランは恐る恐るしゃがんで手にとってみる。
長年の埃のせいか、かなり汚れている。それに表面は傷だらけ、裏地の布も擦り切れていた。が、とても軽い金属でできていた。
(う、売り物なのかな?)
値段は書いてない。
けど、売り場にあるのだから、売り物には違いないだろう。
試しに手にはめてみた。
驚くほどぴったりだ。見た目も悪くないし、それにこれがあれば、もうピケロに噛まれても手の甲に穴が空く心配はないだろう。
他の店も目の前にあるけれど……
(これでいいじゃん)
いつも通りロランはそう思った。
「あの……これ、ください」
「はいどうも、ありがとうございま………!」
入店してものの5分ほどで、それを持ってきたロランに、親父は驚いた様子で眉をあげた。
「おい……お前さん。これ、買うってのか?」
商売人にあるまじき態度だが、親父はそう言った。
だが、ロランはそこは気にしないで
「は、はい……で、おいくらなんでしょうか?」
と聞く。
親父はますます眉を上げ、そしてうなった。
「うーん……」
親父は考えていたのだ。
この子はいったい何なのだろうかと。
これがどんなものか知っていて即決したのか、それともただ知らないだけなのか……。
親父はロランの目を見つめた。
素直な目だ。
しかし、どこか怯えているようにも見える。
だから、余計に判断に困った。
知っていて怯えているのかもしれない。
でも、今は怯える必要はないはずだが……。
「こ、これは古いもんでよ……こう見えて値打ちもんなんだ。まぁ、5万エリスってとこだな」
親父は試しにふっかけてみた。
本来ならば数百万エリス出してでも欲しがる好事家がいる代物だが、この手甲だけは別だ。1000エリスでも買い手はいなかった。
それにただの子供が5万エリスで中古の手甲を買うとも思えない。
だからこれで買ったら……その時は、この子供は知っていて買ったことになるのではないか?
親父はそう思っていた。
ロランは
「うーん……」
と少し悩んだ。
けど、すぐに
「わかりました。では……お願いします」
と言い、5万エリスをカウンターの上に置いた。
親父は今度こそ、驚いた。
やっぱりこいつは……ただの子供じゃないのか!?
そうだ……
きっとそうだ。
ただの子供がこんな辺鄙な店の片隅から、いとも簡単にこいつを見つけ出し、5万エリスで買う訳がねぇ。
ついに現れたんだ。
こいつを蘇らせようってやつが。
「すいやせん! 5万エリスは間違いです。1万エリスでいいですやい」
親父は4万エリスをおもむろにロランに返した。
「えっ……? い、いいんですか……?」
ロランは戸惑った。
けど、親父は首を振り
「いいんでさぁ。俺が悪かったんだ」
と言う。
ロランは訳がわからなくて、ますます混乱した。
しかも、親父はロランに手甲を引き渡す前に、埃を落とし、布でピカピカに磨き、裏地も繕ってくれた。
「サービスでさ。そのかわり、こいつのこと、よろしく頼みますわ」
受け渡し際に親父は言う。
ロランは、はいと応えながら
(すごいなぁ。そんなに、この店の防具のことを愛しているんだなぁ……)
と思う。
「それと老婆心から言うんだが……あまり焦って手甲を着け過ぎんでな? あっと言う間に、体がおかしくなっちまうから」
「か、体が……なんです?」
「いやいや、まぁ、お前さんには言うまでもねぇことだったな。すまねぇ、忘れてくんな」
そう言って二人は最後に謎の握手を交わした。
ロランは手甲を入れて貰った紙袋を抱いて、ホクホクで店を出る。
それを見送った親父も、数十年ぶりに胸が熱くなるのを感じていた。




