1、貴族の少年、ロラン
馬車は田舎道を順調に進んでいた。
家を出てから、もう二週間になる。
馬車には二人の人物が乗っている。
一人は、ロラン・アトール。
常に何かに怯えているような目をした少年。
黒に白く縁取りされたブレザーの制服を着、短く切り揃えられた茶色の髪を風に靡かせながら、所在無さげに窓の外に顔を向けている。
もう一人は彼の母親、レナ・アトール。
レナはロランの斜向かいに座り、何かを決心したようにただじっと目を閉じていた。
車内には馬の足音と、車輪が地面を噛む音だけが響き渡っている。
二人の間の会話もここ数日で尽きてしまっていた。
――始まりはロランの通う、魔法学校の『実戦魔法テスト』の日。
それはロランの一番苦手なテストだった。
テスト自体はドーム型の演習場にその日に決められた相手と一対一で向き合い、互いに攻撃魔法を撃ち合って、その効果の大小で勝敗を決めるというお遊びみたいなものなのだが、ロランにはその肝心の「攻撃魔法」がなかったのだ。
魔法は大昔から、貴族の血筋が独占的に守っていた。よって、その家の代々の血筋により、子供の凡その魔法系統が決まるらしいのだが、ロランの父親は商人で、魔法はレナから受け継いだ「聖属性」の系統しか使えなかったのである。
「聖属性」の魔法は「癒し」「抗魔」「退魔」を司る。 そして、聖属性の攻撃手段である「退魔」の魔法はアンデッドには効果はあっても、人間には全く効果がないのだ。
つまり、ロランはこの対人実戦テストにおいて、回復と防御しかできなかった。
不安になるロランを横目に、対戦相手になったクラスメイトのマーキスは
「よっしゃ、俺の相手、サンドバックー!」
とガッツポーズをして、仲間とはしゃいでいる。
「やったな、マーキス!」
「これで実技の点数、丸稼ぎじゃんー!」
ロランは少し頭に来た。が、そこをぐっと堪えて、教員の前に進み出た。
「あの……先生……」
いつものことだ。
ロランはいつもこのテストを受けずに棄権している。ここで取れなかった分は他で取り戻せばいい。が、
「ダメだ。受けなさい」
この日、教員から帰ってきた言葉はいつもと違っていた。
「えっ……けど、僕は……」
「けどじゃない。アトール。お前、実戦テストをもう5回連続で棄権しているだろう。これ以上は認められない。お前の為にもならない」
その日の教員は、何を言っても許してはくれず、結局ロランは魔力が尽きるまで防御魔法に徹し、力尽きたところをマーキスに一撃でやられてしまった……。
魔力切れで癒しの魔法もかけられぬまま、ロランは家路に着いた。
腕や脚、風魔法によってあちこちにつけられた切り傷がチクチクと痛む。
「みんな……笑ってたな……」
悔しさと自分の情けなさに、なんとも言えない虚しさを抱えたまま家の前に着いた時、そこに母親が立っていることにロランは気が付いた。
「ロラン」
「あれ……母さん? どうしたの? なんで外にいるの?」
「ロラン、その傷……」
レナはロランの腕に手を伸ばそうとした。が、ロランは腕を引っ込めた。
「な、なんでも……ないよ」
と、そこでロランは初めて母親の横にある馬車の存在に気が付いた。
「これ、うち?」
簡素な質問にレナはちょっと目を細めた後、気を取り直したようにこくりとだけ頷いた。
「乗りなさい」
そう言うとレナは先に馬車に乗り込んでしまった。
「え? あ、う、うん……」
戸惑ったロランだったが、言われるがままに馬車に乗り込んだ。
よくわからないが、きっと父親を迎えに行くのだと、勝手に合点したつもりだった。
――しかし、それから二週間だ。
日毎に訪れる村や街で宿をとりながら、二人はひたすら馬車に揺られ続けた。
ロランは何度も質問したが、レナからは何の説明もなかった。
ロランはこんなふうになった時の母親の頑固さを知っている。だから、いつしか聞くのは諦めていた。
知らない畑に、知らない山、知らない村。
なんでもない田舎道だが、見るもの全てが新鮮だった。
ロランはこんなに遠出したのは初めてのことだった。
外の世界は危険だと、幼い頃から教えられていた。
ロランの生まれた魔法教国は、周辺の国々と長い間中立を保っているし、その領土は対魔物の結界でしっかりと囲まれている。
だから、この世界で一番安全かつ、治安の良い国なのだと。
しかし、十日前に関所を通過し、結界をくぐって以降、魔物どころか物盗り一人やって来ない。
「……外の方が平和かも」
ロランは代わり映えしない車窓に顔を写しながらそんなことを思った。
――変化が起きたのは、その日の夜である。
馬車はふいに道を外れた。
今日は宿もとらず走り続けるのかと思った矢先のことだった。
車内はガタガタと大きく揺れ、馬車は道なき草原を行った。
空は星空、一寸先は闇だ。
ロランは行き先について自分なりに色々と予想を立ててきた。が今、自分達がどこに向かっているのか、いよいよわからなくなった。
少なくとも街ではないのだ。
隣国でもないし、やっぱり観光旅行でもなかった。
ロランは窓枠をぎゅっと掴み、斜向かいの母親を見た。ランプの灯りに照らされたレナはまだじっと目を瞑っていた。
ロランはますます不安になった。
一時間ほど走った後、馬車は急に止まった。
「えっ……ここ? ……ここ、なの?」
そう思いながら、ロランは恐る恐る窓から顔を出す。が、やはり真っ暗で何も見えない。
「ロラン。ついて来なさい」
と、今まで黙っていたレナが急に立ち上がった。
「は、はい」
ロランにはもう、ついて行く以外の選択肢はないように思われた。
馬車を降りると、顔の高さ程ある雑草に一面囲まれていた。
草を掻き分けながら、母親を探す。草を掻き分けると時々、発光する虫が夜空へ飛び立った。
レナは馭者となにやら話をしていた。
「すぐに戻るから、あなたはここで待ちなさい」
馭者は無言だったが、心得たようだ。
レナはロランの方へ振り向く。
「さ、こっちよ」
「う、うん……」
ロランはさっさと歩き出すレナを見失わないように追った。
こんなところに何があるというのだろう。
母さんはなぜ、僕をわざわざこんなところまで連れて来たのだろう。
様々な疑問が浮かんだが、それを問いかける暇もないくらい、母親の足取りは早かった。
どのくらい歩いたろうか。気がつくと、前方には見渡す限り大きな森が出現していた。
それは突然暗闇から、ぬっと現れたようだった。
ロランはその接近に気づきもしなかったからだ。
「も、森……? ここに行くの?」
思わず、口から言葉が漏れた。
しかし、その返事はない。
見ると母親は、森の前でもう一人の人物と相対していた。
ロランはその相手の姿を見て、ピタッと金縛りにあったように動けなくなってしまった。
暗くて正確にはわからないが、あの人はおそらく魔法使いだ。
それも貴族でなく、どの国にも属さず、それでも在野での存在が国から黙認されているほど力のある、魔女。
そのくらいのことはロランでもわかった。それほどまでにその老婆の存在感は圧倒的だった。
ロランがゆっくり近づいて行くと、レナは改めて魔女に頭を下げた。
「お久しぶりでございます。先生」
「ええ。久しいねぇ、レナ。随分、立派になった」
「ありがとうございます」
「ふむ。でぇ、この子が……」
「はい。私の息子です」
レナがそう言うと、老婆はロランに近づいて来て、頬にそっと触れた。
手のひらの乾いた感触が頬に伝わる。
魔女は確かに老婆なのだが、近くで見ると、ずっと若々しい印象を与えた。瞳は緑色に澄み、すっきりとした輪郭が、その力強そうな表情にぴったりと合っている。ウェーブした髪は青いローブに覆われ、手には細く長い杖を携えていた。どれもこれも、ロランの想像していた魔女像とは少し違っている。
「名はなんという?」
「ロランです」
こういう時、緊張しがちのロランだったが、今日ははっきりと名前を言えた気がした。
「ロランや。今日から私のことは、おばあちゃんでいい。それが嫌ならおばあさんでもなぁ」
そう言うと魔女はロランの頭をゴシゴシと撫で、レナに向き直った。
「この子は預からせてもらう。いいね?」
それを聞いたレナは一瞬ピクッと肩を震わせたように見えた。が、すぐに深々とお辞儀をし、
「はい、よろしくお願いします」
と言った。
ロランは驚いた。
「預かる? どういうこと?」
レナは頭を上げると、ロランに言った。
「ロラン、絶対に迎えに来るから。それと学校にはしばらく休むって伝えてあるから、心配しないで。先生の言うことをちゃんと聞くのよ?」
「しばらくって……」
ロランは質問しようとした。だが、レナは既に元来た道を戻り始めていた。
「そんな……母さん……!」
「ロランや」
魔女は、ぽんとロランの肩に手を置いた。
ロランは魔女の目を見た。そして、レナの後姿を。
よくわからないが、もう後戻りはできないのはわかっていた。
母親は頑固なのだ。そして、いつも正しい。
ロランは渋々ながらも、もう一度魔女の目を見て頷いた。
それに満足した魔女はにっこりと微笑み、杖で地面に魔法陣を描く。
古典魔法の授業で読んだことはあるが、ロランは魔法陣など実際に見るのは初めてだった。
「ここに乗りな」
魔女は描き終わった魔法陣の中に乗るようロランに促すと、自身も中に入り、杖でひと突きした。
すると魔法陣が光り出したと思ったら、次の瞬間には二人は見知らぬ山小屋の前にいた。
「ええっ?」
ロランは何事かと辺りを見回す。
周りはぐるっと深い森に囲まれていた。
いつの間にこんなに奥に来たのか。
いや、これはきっと転移の魔法陣の作用なんだとロランは理解した。森の入口からここまで、僕らを飛ばしたのだ。
「はっはっはっ、さぁ。お入り」
ロランの驚いた顔に魔女は大口を開けて笑うと、光の漏れる丸太作りの小屋のドアを押し開けた。
あまりの眩しさに目をシパシパさせながらロランは中に入る。
入るとすぐに暖気が室内から押し寄せて来た。
ロランは暖かさに誘われて、一歩前に踏み出す。
床には赤い刺繍の絨毯が敷かれていた。その上には大きなダイニングテーブルと四脚の椅子。右手には大きな安楽椅子がひとつ。左には廊下に続いているであろう扉、それと大きな食器棚。奥のキッチンでは、赤い鉄製の鍋と、大きな銀色の鍋がぐつぐつと美味しそうな湯気を上げている。
上を見上げると天井は三角型で、そこから大小様々なランプが四つ吊り下げられていた。
他にも細々とした照明やら、雑貨やらが置かれていたり、野菜が吊り下げられていたり、とにかく色々なものがところ狭しと部屋に飾られていた。
そんな光景に惚けていると、魔女が大声で
「リッケや」
と、言った。
すると、すぐに左の扉から
「はい、おばあさま!」
と、女の子が元気に飛び出して来た。
びっくりしてそちらを見たロランと彼女の目が合う。
女の子は薄い桃色の髪をしていた。肩まで伸ばした髪の毛を片方だけ耳にかけているから、細い首すじが露わになっている。ロランとばっちり合った目は髪と同じ薄い桃色で、何かを考えているのかパチパチと瞬きしていた。服はクリーム色のワンピースの上に、オレンジ色のエプロンという格好だ。
「あー! 着いたんですね! 例の子ー!」
状況を理解したらしい女の子はそう言うと、ずいずいずいとロランとの距離を詰めて来た。
ロランは思わず後ろに引く。
「ええ。今日はもう疲れたろうから、部屋に案内しておやり」
「はぁい!」
元気よく返事をすると、女の子はロランの手を取って
「さ、こっちだよ、こっち!」
と、扉へと歩き出す。
「えっ……ちょ、ちょっと!?」
ロランはまたもや、わけのわからないまま連れていかれた。
「ねぇねぇ、君、名前は? 私は、リッケ」
リッケは俯くロランの顔を覗き込みながら聞いた。
距離が近い。
ロランは顔を真っ赤にした。
「ロ、ロラン……」
「ロロラン?」
「う、ううん。ロラン。ロラン・アトール」
「ロラン・アトール! すごい! 苗字付いてる! もしかして、ロランくんって貴族なの?」
「う、うん……」
「すごーい! 私、貴族の人とか、初めて話したよー」
「そ、そうなの……?」
ロランは貴族しかいない学校に通っているから不思議だった。貴族って、そんなに珍しいものなのだろうか。
「ねぇねぇ、それ制服だよね? どこの学校?」
まだリッケはずけずけと聞く。
「こ、これは魔法学校の……」
「えー!ロランくん、魔法学校なの!?」
「う、うん、まぁ……」
「うわぁ……すごいなぁ……はぁ、やっぱりいるんだねぇ、世の中。そんな人もー」
リッケは中空を見上げ言う。
ロランはだんだんむず痒くて堪らなくなってきた。人に褒められ慣れてないのだ。
ましてや、リッケみたいな可愛い女の子になんて。ここ数年、女の子とまともに会話すらしたことがないのに。
「そんな……すごくなんてないよ。たまたま親がそうで……それに、ここにはもっとすごい魔法使いがいるじゃない」
ロランは褒められるとつい否定しまう。
が、リッケはそんなロランの様子など気にしていないようだった。
「確かに、おばあさまはすごいよ? けど、それとロランくんがすごいのは関係ないの。どっちもすごいの。ねぇ、ロランくんは今いくつなの?」
「こ、今年で14才だけど……」
「やっぱり!?」
リッケは握っていた手を両手でぎゅーと握って顔を目の前までもってきた。
(ち、近い。)
ロランの心臓は大きくドキドキと脈打った。
「だと思ったよー。私も14才! よしよし……じゃあ、これで私達4人とも全員同い年だね!」
「う、うん……4人? 全員?」
ロランは話がよくわからなかった。
そして、いつの間にか2人は廊下の突き当たりまで来ていた。
「うんうん。そう、紹介するね? 私達のルームメイト」
そう言うリッケは扉を開けた。
部屋に入ってまず目に飛び込んできたのは、大きな2つの二段ベッドだった。入った真正面にひとつ、それと扉の左側に一つ。
真正面のベッドの上の段には一人の少年が寝転がっていた。
ラフな白い麻のシャツとベージュの七部丈のズボンを履いている。
顔は端正な顔をしているが、目つきが怖かった。学校のいじめっ子のそれではない、もっと遊びじゃない、何かのっぴきならない危険な香りをロランはその目から感じ取った。
白くツンツンな髪の毛と、手でクルクルといじっている大振りのナイフが余計にロランを萎縮させた。
「紹介するね。あいつはアーシュ。目つきは悪いけど、根は悪いやつじゃないから、怖がらないであげてね」
リッケに紹介されたアーシュは面白くなさそうにしているだけで特に何も言わなかった。
だからか、ロランは焦って、
「は、はじめまして、ロ、ロラン・アトールです。よ、よろしくお願いします」
と、おどおどしてしまった。
それを聞いたアーシュは
「チッ……」
と、小さく舌打ちだけして、後は目も合わせてくれなかった。
しょんぼりしたロランだったが、リッケの笑顔に励まされて、次に先ほどから部屋の入って右奥にある机で黙々と読書に耽る少女に目をやった。
少女はロラン達が部屋に入ってきても、一切反応することなく本に視線を落とし続けている。
青い髪を三つ編みにしていて、顔は伺えないがメガネを掛けている。体はリッケよりも小さく華奢そうに見えた。服装はここからでは、青いローブを羽織っていることくらいしかわからない。
「彼女はカサンドラ。見ての通り、読書が好きなの。それとなんと、ロランくんと同じ魔法使い! ちょっと無口だけど、可愛いし、話も合うと思うからよろしくね」
「うん。ロ、ロラン・アトールです。よろしくお願いします」
ロランが言うとカサンドラは微かに頷いたように見えた。が、頷いてなどいないのかもしれなかった。とりあえず、カサンドラはそのままの姿勢で、パラっと本のページを捲った。
自己紹介は終わったが、ロランはこの一連の挨拶に何の手応えも感じることができなかった。
が、リッケはやっぱり気にしない。
「と、言うわけでー! 今日からここがロランくんの部屋だから、4人で仲良くしようね! あ、ロランくんのベッドはアーシュの下の段ね。ちなみにこっちのベッドの上はカサンドラちゃんで、下が私だからー」
「あ、うん……」
「そうだ! ロランくん、荷物は? ないの?」
「うん、そう。急だったから何も……」
「そっか。じゃあ……とりあえず今日の寝巻きはアーシュのを貸すね。大体サイズ同じだと思うから。ロランくんのは明日縫ってあげる」
「はぁ?」
上からアーシュの抗議の声が聞こえてきたが、リッケは無視する。
それでアーシュは舌打ちして退散した。
「あの、その、ありがと……」
「あー、それから今着てるものは一度洗濯するからお風呂場で脱いだらそのまま置いといていいから。うーんと……そう! だ・か・ら! とりあえずお風呂に入っちゃって! 今日は特別に一番風呂だよ!」
「え、え、え、あっちょっと……!」
そう言うとリッケはロランの背中をぐいぐい押し、廊下途中の風呂場へと誘った。
「じゃあ、ゆっくりね」
「うん……あ、ありがとう」
リッケがばたばたと走り去ると、辺りが妙に静かになった気がした。
ロランは呆気にとられたまま言われた通り、素直に服を脱ぎ、脱衣所から風呂場へ入ると、体を洗い、ホカホカの湯船に肩まで浸かった。
疲れすぎて脳までとろけそうだった。
馬車に乗り過ぎておしりがヒリヒリするし、頭はグルグルする。
魔女に、森に、ルームメイト……?
ロランは目を閉じる。
アーシュに、カサンドラ。
名前は覚えたぞ。
ロランはそもそも初対面があまり得意な方ではない。
しかも、あの感じ……
僕はあの人達とうまくやっていけるかな……
あと……リッケさん。
賑やかな人だったな……
「…………」
あの子も一緒の部屋……なのか……
「…………」
ロランはハッと我に返った。
そして、自分の妄想の恥ずかしさを紛らわすべく、頭の先まで湯船に沈んだ。
とにかく。
こうして、しばらく5人で暮らすことになった。