五章
何年前の話だっただろうか。十年、百年、いや、二百年。
魔の王自身が、まだ若き肉体を持っていたときのこと。ひとの見た目を作りだし、ひとに触れたときのこと。
かつて、白服の僧侶が言った。
「〝彼女″は気が向いたときにしか感情を注がない。それは、彼女にとっての『愛』ではあるが、あなたにとっての『愛』ではない。いずれ貴方には、なにもかも物足りなくなる」
かつて、〝彼女″は、藍色の勇者は言った。
「君に、愛をあげよう」
――ああ、それでも足り得なかったのだ。
〈奇跡の剣〉が、笑う藍色の勇者の身体を貫いた。
ぽたり、血が滴り落ちていく様子を、ウグアガルは霞んだ視界で見ていた。
一歩、また一歩、止まろうとする足を無理やり動かす。力を入れるたびに痛みが走る両脚が憎い。右腕の手首から先は魔物に食われ存在しておらず、服を破いて布で腕を縛ったが流れる血は止まらない。そもそも、皮膚という皮膚が全てずたずたにされたせいで、全身から血が噴き出していた。左腕の、かろうじて形の残った中指と薬指で〈奇跡の剣〉をひっかけ、引きずりながらまた一歩、進んでいく。振り回せるほど軽く感じた大剣が、今は信じられないくらい重かった。
〈奇跡の剣〉は、勇者が〈奇跡の剣〉を扱うのにふさわしくないと判断すれば、その手から離れてしまうという。御伽噺だが、指二本で勇者扱いになることが変で、思わず笑ってしまった。
ウグアガルを襲った魔物たちは、こちらに致命傷を与える前に何故か来た道を戻って退散していった。ウグアガルが意識を失っていたのはわずか数分、だと思う。意識が次第に固まり始めたところで、剣を取りもう一度あそこへ立つことに決めた。
行き先は決まっている。魔王の元だ。瀕死の重傷であり、生死を彷徨いつつあることは、自覚している。それでも一発、一発はこの大剣、〈奇跡の剣〉でぶん殴る。
あのとき、魔王を前にして、一瞬でも躊躇ってしまった理由はわからない。だが、もうそれでいいのだ。わからないならわからないままでいい。理解する必要があるか?
心はいらない。想いもいらない。ただ、奴を殺せばいいのだ。
体勢を崩しながら歩き続け、ウグアガルはついに大部屋の中に躓きながら入った。朦朧とする頭が、先ほどと状況が違うことを数秒遅れで理解した。飛び散った魔物ならではの黒い血があちらこちらに付着している。
なにか得体のしれないものが大部屋から出て行った跡が、床にべっとりと残っていた。
なにかが、あった。
奥へ目を向ける。魔王が、先ほどと変わらず鎮座していた。
――ならばきっと、〝なにか″は、私には関係ないことだ。
魔王の数ある瞳が、一斉にウグアガルの方へ向く。それらの瞳が身震いした瞬間を、ウグアガルは見逃さなかった。
「また来たのか、愚かなる人間よ! あのまま逃げていれば、よかったものを!」
ウグアガルは答えない。
「〈語り部〉め! 全部、あいつのせいだ。いいだろう、お前を殺して、我は生きる、生きるのだ、まだ、」
「手を貸す、勇者!」
魔王の無様な声を断ち切った男は、ウグアガルより後から大部屋に入ってきた。剣と盾を構えた戦士。たしか、シェヘラとかいう王子の取り巻きの一人だ。
「なぜ、おまえがここにいる」
鬱陶しい。その感情を露わにして目を向けても、戦士は怯まなかった。
「シェヘラは、我らの勇者は、ここには来ない」
代わりに、感情を抑えきって無表情にそう言った。
「……そうか」
何があったかはわからない。逃げたか、死んだか。確かなのは、この戦士はウグアガルに味方すると言っていることだ。
魔王は戦士が登場した時から居場所を失くしたかのように喋らなくなった。ウグアガルと戦士を交互に見て、瞳を震わせる。敵が二人になったことが恐ろしいのだろう。怯えているのだ、この魔を総べる王は。
ウグアガルは剣を持つのもやっとで、ぼやけた視界を見据えながら、戦士に答えを返した。
「お前はいらない」
「なっ……」
「私一人で倒す。お前はいらない」
「そんな状態で、魔王を倒せるわけないだろ!」
戦士が、激昂した。顔を真っ赤にして、魔王をそっちのけでウグアガルに向き合う。先ほどまで無表情を装っていたのが嘘のように、怒りを顕わにしていた。
ウグアガルは戦士を見すらしない。
無視されたことに気づいた戦士が、ますます感情を剥き出しにする。
「――いい加減にしろ! お前たちだけで勝手に進めやがって!」
うるさい、黙れ、と居たかった。口の中に血が溜まったせいで喋れなかった。血の塊を吐き出す。
「なんなんだお前らは! どうして、お前らが勇者になんて選ばれたんだ!」
「知らんよ、そんなことは」
思ったより落ち着いた声だ、と思った。そのぐらいの余裕がウグアガルにはあった。
「今ここに立っている理由になることだけが、ありがたい」
戦士がまた何か喚く。邪魔だ、とウグアガルはぼんやりと感じた。
二本の指の筋肉だけで持ち上がった〈奇跡の剣〉を、勢いよく床に叩きつける。魔法陣らしきものが現われ、床はひび割れ形を失い下へ落ちていった。崩れたのはウグアガルと魔王の足もとの床だ。粉々になった破片と共に、勇者と魔王も落ちていく。
取り残された戦士の驚いた顔が一瞬目に映った。少し愉快な気分になった。
化物が振るった鎌を、シェヘラは横に跳んで躱した。着地した先を狙って数十の低級魔物の頭が両脚を喰いちぎろうとする。が、シェヘラの剣を振る速度の方が早い。低級魔物は全て打ち消され、落ち着く間もなく今度は化物の巨大な腕が襲う。
〈奇跡の剣〉で受け流し、距離をとる。相手には隙がない。
〈語り部〉は、否、化物は巨大な肉塊から自在に腕や武器を生み出し、シェヘラを攻撃する。合間に低級魔物たちが顔を出す。低級魔物は〈奇跡の剣〉で触れれば消える程度の存在だが、化物から直接生えている腕や武器はそうはいかない。〈奇跡の剣〉で受けることもできるが、受けたところを低級魔物に狙われかねない。シェヘラは防戦一方で、攻めあぐねていた。
だが、勝機はある。低級魔物を生み出す度に化物本体の大きさは小さくなっている。限界は必ず来る。それに〈奇跡の剣〉は、魔物に絶対的に強い。例え一撃で屠れなくとも〈奇跡の剣〉で斬ったダメージは蓄積されているはずだ。さらに、化物の動きはやや単調。このままできるだけ相手の攻撃を避けて、隙をみて〈奇跡の剣〉で斬っていけば、勝てる。
化物は巨大な腕を二本増やした。これで今は合計四本。四方から、一撃即死の攻撃が飛ぶだろう。
シェヘラは〈奇跡の剣〉を強く握る。今や頼みの綱はこれだけだ。他は、すべてシェヘラが断ち切った。シェヘラがそう望んだから。
化物が振るった右腕を、シェヘラの首がかすめた。わずかに態勢を低くして、次に来た横なぎの攻撃をかわす。
化物の、そこらの剣よりも切れ味の鋭い爪が、尾を引く彼の長い髪を斬った。
ふっと、体が軽くなった気がした。視界を青い髪が空中へ散らばっていく。絹糸のようだと褒め称えられた髪。母が私と同じ色だと笑った髪。父が母のようだと懐かしんだ髪。
遅れて、カラン、と何かが落ちた音。視界の隅で、銀の髪留めが遠くへ転がっていった。母の遺品。
ずいぶんと軽い音だな、とそんな暇もないのに思った。
そのとき、ふと、なにかから解き放たれた気がした。囚われたなにかから、手を引っ張られて、救われた気がした。
あるいは、欠けてはならないものが奪われてしまったのかもしれなかった。長年大切に抱え込んできたはずのものを、腕を取られ無理やり落としてしまったのかもしれなかった。
どちらかはわからない。どちらが大きいかもわからなかった。
ただ、それを振るったのが目の前の化物の右腕であったこと、〈語り部〉であったことに、心臓の奥から快感が染み入った。
――ああ、もう戻れないな。
剣を向けた先の相手は、地の底まで響くような絶叫をあげてシェヘラへと向かう。地に散らばった綺麗な髪が踏まれ飛ばされ無残になっていく。シェヘラは追撃に剣を構えて抑え込んだ。向かい合った化物の、小さな瞳がぎょろりと動く。一つだけの瞳が、蜂蜜色の瞳が見開いた瞬間、剣に圧し掛かる圧力がさらに増加する。
その蜂蜜色を、はじめて綺麗だと思った。
怪力で押し切られる前に、後退した。交差した剣と腕は、離れ離れになる。わずか、間が空いた。意識して作ったものではないその時間を、シェヘラはひどく焦れったく感じた。
化物にも勝るとも劣らない絶叫、間合いを詰め巨大な腕を斬る。さらに振りかぶる。化物の腕は間に合わない。絶好のチャンスだ。振り下ろした〈奇跡の剣〉は、間違いなく本体を、あの目玉を真っ二つにするはずだった。
ぱき、と場違いな音。
振りかぶった右腕が軽くなり、その先から、辺りをきらきらとした美しい破片が散らばった。
〈奇跡の剣〉が粉々になっていた。
「な、」
柄も刃も全て、ひび割れくすんで形を失くしていた。
「どうして……」
呆然と右手を見る。〈奇跡の剣〉を持っていた手のひらは、高温の物をむりやり持ったかのように火傷状態になっている。痛みが、遅れて脳に伝わった。
〈奇跡の剣〉を失くした勇者は、勇者じゃない。
現実を受け入れられないシェヘラに、化物の爪が振り下ろされる。
ユウの身体に生えた翼は、あっという間に目的地へと辿り着かせた。崖の上からは、魔の森の全体と、真中の古城が良く見えた。テトラザはここでユウに降ろされた。
「じゃあ、いくから」
ユウは、上空から城へと突入するつもりらしい。
「……無理を言って申し訳ありませんでした、ユウ」
「てつだってもらうから、いい」
ユウの腰にはくすんだ短剣状の〈奇跡の剣〉が括りつけてある。きっと、今の彼ならば魔王を打ち倒すことは簡単だろう。根拠もなくそう思った。彼には、迷いがない。
テトラザは己の〈奇跡の剣〉を、儀式用の杖のような形の剣を見下ろす。今、テトラザにはこの剣の使い方がわかる。例えば、あの城の中に〈奇跡の剣〉をもつ勇者が二人いることも、テトラザには把握できた。この剣は、傷つけることには向いていない。ただただ、傷つける勇者を支援するためのものだ。
少しだけ悩んだあげく、テトラザは正直に伝えた。
「城の中には勇者が二名います。どちらも重傷です。先を越されないよう、気を付けて」
「わかった」
どうしてそんなことを知っているのかなんて、ユウは尋ねない。
「援護はユウにだけ、だよね」
「もちろん」
嘘をついた。ユウはまた「わかった」とだけ言った。少年は嘘を見破るなんてことを知らないまま育った。
「ばいばい、テトラザ」
「待ってください、最後に一つだけ」
ユウが飛び立とうとした瞬間、テトラザは最後に呼び止めた。不思議そうにこちらを見るユウに、聞いておきたいことをぶつける。
「あなたは、魔王を殺すのですね」
「うん」
「魔王は、貴方の父ですね」
テトラザの〈奇跡の剣〉は、あらゆる事実をテトラザに伝えた。
「うん」
「貴方は魔王を、どう思っているのですか?」
ユウは、んー、と唸り、目を細めて頬を赤らめて笑った。背丈によく合う仕草だった。旅をしてきて一番の笑顔だと思った。
「あいしている。きっと」
そして少年は空へと飛び立ち、城へ急降下した。城に直撃する直前に変形したユウの姿は、まさに魔物。漆黒になり巨大となった両腕の片方が身体を庇い、片方が城へと到達する。その手には、〈奇跡の剣〉。目には見えない斬撃が幾つも飛び交う。破壊された屋根からユウは突入した。
テトラザはユウが見えなくなるまで見送った。
やがて、一つ息を吐く。手に持つ〈奇跡の剣〉から美しい幻視の弦が何本も生み出され、摩訶不思議な楽器を作った。指一本、触れる。柔らかな、身を飛び立たせるような、音。やり方はわかっている。あとは、剣と共に歌うだけ。
目を閉じた。混血の無垢なる勇者に、紅きがらんどうの勇者に、碧き解放された勇者に、どうか届きますようにと。
――これも、一つの物語だ。
ウグアガルが地面に無事に着地できたのは、恐らく〈奇跡の剣〉のおかげだろう。不思議なことに、〈奇跡の剣〉の能力が先ほどまでより強化されている。床を叩き割った魔法陣が一端だ。あんなこと、今までできなかった。
さらに、〈奇跡の剣〉の効果はウグアガルの生命力にまで及んでいるようだ。でなければ、とっくにウグアガルは死んでいる。
わずか二本の指で、大剣を手前に移動させる。向こう側、同じく地面に落とされた魔王が、肉塊の形状を変化させつつ這いつくばり悶えていた。上手く着地できなかったらしい。
「ぐあ……ああああっ! おのれ! おのれおのれ、勇者め!」
怒り狂った魔王が、肉塊から魔物を生み出しこちらへ攻撃する。それらすべてを〈奇跡の剣〉でぶん殴り、消し炭にした。魔王の足元に魔法陣が展開される。上空から降り注ぐ漆黒の槍の雨を、ウグアガルは冷静に躱すことができた。
魔王の攻撃は無頓着だ。避けやすい。だが、一発一発が重い。向かってきた魔物は壁にしていた瓦礫の山を打ち砕いたし、槍の雨は突き刺さった地面をことごとく陥没させた。
相手が怒り狂っている間に勝負をつける。憎悪に燃えていたはずのウグアガルは、何故か平静を保てている。
新たな魔方陣が展開され、今度は地面から数多の魔弾が発された。躱しきれなかったものを、〈奇跡の剣〉を盾にして受けきる。反動で、ウグアガルの身体が揺れる。眩暈が一つ。
いつもの肉体状態ならば、この魔王を相手取ったところで勝ちは確定だっただろう。だが、このままではこちらが力尽きる。〈奇跡の剣〉の加護があるとはいえ、大量の血を流した状態では長期戦は厳しい。なんとかしなければ、
剣を盾にしたまま吹っ飛ばされ、魔王と距離が空いた。〈奇跡の剣〉の間合い外だ。遠くから魔法で狙撃されつづけてしまう。ウグアガルは身体を起こそうとした、が、動かない。
視界がどんどん霞んでいく。声が出ない。あっけない、もはや、これまでか。
――いやだ。
――奴は、私が倒すんだ。
そのとき、歌が聞こえた。
霞んだ世界の中で、歌はやけに響いて聴こえた。近くに聞こえる、しかし遠くにも聞こえる。場違いな優しいメロディが、戦いの場を支配する。ウグアガルの知らない言語だ。
「なんだ、これは! どうして、それを知っている!」
狼狽えた魔王が、手当たり次第に魔法弾で攻撃した。しかし、歌は止まない。
「やめろ、我を、我を……。黙れええええ!」
ウグアガルの指二本が、ぴくりと動いた。瓦礫の山から身を起こす。力が、溢れている。血をあれだけ失い全身は痛みに襲われているはずなのに、今は何故か平気だった。
歌はなぜか、ウグアガルの心に染みた。
〈奇跡の剣〉を持ち直す。視線の先は、魔王。
こちらを見た魔王が、身を震わせ、怯え、叫んだ。
「おまえを、殺す! 殺してやる、勇者!!」
全方向から魔法弾と槍が飛んでくる。ウグアガルの身体は思うように動いた。
〈奇跡の剣〉を地面に突き刺す。足元に魔法陣が展開され、魔法陣の中に入った魔法弾も槍もほとんど消し去られた。かろうじて残ったものは、ウグアガルの身体を貫通する。が、気にも留めずにウグアガルは魔王の懐へと辿り着き、固まった魔王めがけて、
〈奇跡の剣〉で叩き殴る。
――心はいらない。想いもいらない。ならば身体だけでも持っていけ。
シェヘラの身体はもう動かない。化物の口から伸びた巨大な舌に絡まれ、その身を拘束されても、化物の口の中に放り込まれそうな状況でも、もはやぴくりとも動かなかった。
ここまでか。かろうじて握ったままの〈奇跡の剣〉の残骸が、目に入る。もう、打つ手はない。
――喰われるのか、僕は。
蜂蜜色の瞳がシェヘラを映した。
――もう、これでいいかもしれない。
そのとき、歌が聞こえた。
馬鹿みたいに優しいメロディだった。シェヘラと〈語り部〉だけの空間だったはずなのに、その声は、容易く侵入してきた。
シェヘラの身体は歌に包み込まれるように感じた。この声に身を任せていれば、全て楽になる。そう思えた。だが、
「うるさい」
邪魔だった。そんなものはいらなかった。頼りたくなかった。これ以上、なにものにも縛られたくなかった。
身体が動く。歌の力ではない。執念が、シェヘラを動かした。
言葉にできぬ、想いがあった。きっと、誰にもすくえなかった。
両腕に力を込めて、油断していた化物の巨大な舌から脱出した。拍子に、無様に床に転がる。けれども、満身創痍で立ち上がった。まだ、まだだ。諦めはしない。
――僕は、〈語り部〉を殺す。そう、決めたのだ。
化物が動くのも気にせず、シェヘラは間合いを詰めた。脇腹の片方をごっそりともって行かれた。構わない。終わるまで動いてくれるなら。
渾身の力で飛び上がり、化物の身体の上に着地する。振り落とそうとする動きに、片方の腕を肉塊の中に突っ込み踏ん張りながら耐える。もう片方の腕で、粉々になった〈奇跡の剣〉を握りしめ、
蜂蜜色の美しい〈語り部〉の名残を見せる綺麗なわずかな〈語り部〉の瞳へ、
勢いに任せて〈奇跡の剣〉ごと腕を突っ込んだ。
化物は悲鳴を上げ、大きく身体を逸らせる。その動きでシェヘラは地面に落とされた。脇腹の臓器も零れ落ちる。
化物は長い長い悲鳴を上げ、その身体は次第に形を失くし液体状になり、最後には大量の体液だけが残された。
シェヘラの身体にも、化物の体液が染みわたっていく。
歌が遠のいていく。
次第に朦朧となる意識の中で、体液の中で、蜂蜜色の陥没した目玉らしきものが見えた。ずる、と手を伸ばす。目玉に触れる。涙が、零れた。目玉をそっと握りしめる。温かい気がした。
歌が遠のいていく。
目玉を顔に近づける。眠たい。視界が閉じていく。何も考えられない。
歌が遠のいていく。
ただ、幸せだと思った。
ウグアガルの一閃は、確かに魔王の元へ届いた。魔王は、悲鳴を上げてのた打ち回る。醜い肉塊がびちゃびちゃと辺りへ体液を散らかしていった。
もう一撃。歌が響く中、こちらをもはや気にする暇もない魔王めがけて、〈奇跡の剣〉で殴ろうとした。
瞬間、眩い光が上空から満ちた。
ウグアガルは目を庇いながら状況を把握しようとする。魔王の上に、小柄な魔人が見えた。魔人は、翼を持ち異形の腕を持っていた。そしてその手には、一振りの〈奇跡の剣〉。
混乱している魔王に向かって、魔人が無感情に〈奇跡の剣〉を振り上げる。
ウグアガルが魔人に向かって静止を呼びかけようとしたとき、魔人の瞳がウグアガルを捉えた。〈奇跡の剣〉の矛先が、こちらへ向く。と同時に、ウグアガルの身体は後方へ吹っ飛ばされた。後頭部を打ち付け、急激に思考が微睡んでいく。
魔王の断末魔が聞こえた。
「それは、私の役目……だ」
心も想いも身体も捧げられなかった。
「返せ……返せ……!!」
断末魔は次第に弱まっていく。
歌はまだ響いていた。




