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魔の王へと捧ぐ  作者: 日隈一角
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三章

 メリーがまだ十歳だったころ、一人きりの家族であった父が死んだ。

「ああやっぱりな」と思った。思うだけだった。悲しみは、湧き上がってこなかった。なんとなく、そんなことになる予感はしていたのだ。

 物心ついたときから母親がおらず父親と二人暮らしだった。父は正直者で、お人よしで、騙されやすくて、どうしようもなくロマンチストな大人だった。商人に騙されて多額の借金を背負った。元々体が弱く、貧相な生活に耐え兼ねどんどん衰え、薬も買えずに寂しく死んでいった。

 父の死後、寄る辺もなかったメリーはすぐに町を出て行った。父に内緒で準備をしていたのだ。そんなことになるだろうと、思っていたから。

 以後、メリーは父を反面教師として利益を求めて行動してきた。己の身体能力がそこそこいいことを自覚した後は、新人冒険者の世話役や案内役を通して金を稼いだ。冒険者は身分を問われない。元犯罪者や村八分にされたものも混じっていた。メリーが身を隠すには十分だった。

 そうして堅実に生きてきたのだ。

 テトラザに会う前までは。

 テトラザに出会ってからは、自分らしくない行動をとっている。

 メリーはうっすらと瞼を開けた。テトラザがこちらを覗き込んでいた。表情は驚愕と混乱が入り混じっている。まだ状況が把握できていないのだろう。いや、信じられないのだろうか。メリーが死ぬことを。

 視界がぼんやりとしていく。テトラザの顔もぼやけていく。ああ、そんな顔するなよ。早く現実を理解しなよ。あたしはわかってる。あんたはあたしの死ぐらい、なんともないでしょう?

 夢を追いかけて弱弱しく衰えていった、ロマンチストの父は現実に負けて死んだ。

 だから、メリーも死ぬ。

 いつか、こうなるだろうとは思っていた。

 かつて、テトラザは自身のロマンチスト振りをメリーに指摘されて苦笑した。「まあ、自覚はしていますよ」彼はそう言って、否定しなかった。

 そんなテトラザの後に、ぼそりとメリーは呟いた。

 ――私が一番をロマンチストかもね。

 テトラザの行く末を見てみたかった。そのためだけに、旅に同行した。自身が捨てた夢を、持ち続けることのできるテトラザが羨ましかったのだ。もし、もし万が一、彼が彼の理想にたどり着くことができたのなら、それはどんなに喜ばしいことだろうかと思った。

 どうして最後に思い出したのだろう。きっと、心残りなのだろうか。テトラザが一人きりで夢を追いかけるかどうか、不安なのだろうか。

 大丈夫に決まっている。彼はメリーに出会うまで、一人だったのだから。そしてそれができないような人間なら、メリーは人生をこの男にかけていない。

 視界が滲む。なにもかも、遠のいていく。テトラザが何かを呼びかけている。ユウはどうなるのだろう? どうにかやり過ごしてほしいと思う。願望だが、テトラザの夢につながる何かになってくれれば大満足だ。

 メリーは目を閉じた。

 そのまま、意識を手放す。





 ユウの目の前に降り立った魔人は、やけにリラックスしていた。

 メリーは動かない。テトラザはメリーの隣で呆然としている。多分、頼りになるのは自分だけだろう。

 メリーは動かない。もう二度と動かないのではないだろうか。なぜか、そんな気がした。

「おいおい、そんな目で睨むなよ。俺がおまえをあの監獄から出してやったんだぜ? 忘れたのか?」

 にやにやと、大げさな身振り手振りで魔人は笑う。――そうだ。ユウはずっと暗い暗い、出口のない部屋の中にいた。突然、この魔人が現われて、ユウを外に連れ出した。<奇跡の剣>も持っていくように言われた。それから魔人から逃げ出したのだ。どうやって奴の手から逃れたのか覚えていない。とにかく、必死だった。こいつの傍にいちゃ殺されると思った。自由になるなら、今だと思った。きっと、魔人は何らかの方法で、ユウを利用しようとしていた。

 敵だ。目の前のあいつは敵だ。不快だ。できうることなら、あいつの前からまた逃げ出したかった。けれど、それでは駄目だとユウ自身が思う。 

「まさか、二本目の剣がおまえの目の前に現れるとはなあ。どんな手使ってんだよ、お前」

「……しらない」

「まあいいや。おら、そいつら持って来いよ。お前も腹に穴ぶち開けられたいか?」

 魔人はユウに武力がないと思っている。それは、当たりだ。攻撃なんてしたことがない。魔人の余裕な態度は、理にかなっていた。何も知らないユウは、魔人に太刀打ちできない。

「なんだよ、ぼんやりしやがって。相変わらず生気無い奴」

 魔人は明らかにこちらを下に見ていた。

「大体、おまえ〈奇跡の剣〉なんてどこで触ったんだよ。ずっと城の中ぶち込まれてたはずじゃ…」

 魔人はそこで口をすぼめ、

「ああ。そうか、〈語り部〉か」

「〈語り部〉?」

 思わず疑問が口から出た。その名前がここで出るとは思わなかった。

「あいつ、前から怪しいと思ってたんだよな。妙に死にかけの魔王に尽くすし。不信気味の魔王が、信用してるしな」

 魔人は確信得たりと言った顔で、

「油断していたところを、その剣でぶすーってな。あいつなら低級潰しながら剣を移動させることくらいはできるんじゃねーの。扱えるかはともかく」

「じゃあ、なんで。なんで〈語り部〉は……」

「そりゃ、魔王殺して魔王になるためだろ」

 答えは、簡単だった。

「あの女はおまえに剣を持つ資格があった事すら王に隠し続けていたんだぜ? お前を監禁して、洗脳でもしようとしてたんじゃねえの?」

「……そんな」

「ったく、とんだアバズレだよな」

 〈語り部〉はどこまでもユウに冷たかった。彼女の前ではユウは、生きものとして存在していなかった。利用しようとしていることは、わかっていた。だが、利用方法までは、考えたことがなかった。

「ま、いいや。人間に魔王を殺させるぐらいなら、魔物が魔王を殺せばいい。あんな出来損ないの女が魔王を継ぐなら俺が魔王になる。よこせ、その剣とお前自身をな」

 人間に殺される。父親が殺される。

 〈語り部〉に殺される。魔人に殺される。父親が殺される。

 ユウの知らないところで。

 それは、嫌だ。

「ほら、早く――」

 魔人は油断していた。だから、ユウが瞬間、踏み込んで〈奇跡の剣〉で魔人の胴体を横に斬ったことに、すぐには気づかなかった。

「は」

 魔人の上半身がずれ、下半身が崩れ落ちた。

 ユウの〈奇跡の剣〉は短い短剣だったが、不思議と刃は足りたらしい。どろりと、魔物特有の血が短剣から流れる。空中で振ってみると、あっけなく血は短剣から離れていった。

 己の足を見下ろす。手のひらを握って、開く。身体が動いた。ユウの思い通りに動いた。

「てめえ! 何しやが」

 魔人の頭が喚いていたので短剣で何度も思い切り刺してみた。十くらい刺したところで静かになった。頭はもはや形を失い、どろりとした塊が首からかろうじて繋がっていた。どうやら、これがユウの〈奇跡の剣〉の特徴らしい。

 〈奇跡の剣〉は持ち主によって効果を変える。テトラザから聞いていたことだ。

 後ろを振り返ると、動かないメリーの傍に座っていたテトラザが、こちらを見ていた。

「ユウ」

 ユウはそちらに近づいた。メリーの顔が見えた。ひどく、穏やかな顔つきだった。

「ユウ」

 テトラザが、再度呼びかけた。彼の顔も、穏やかだ。まるで、先ほどの騒ぎが無かったことのように、安らかな空気が流れていた。

「やることは、決まりましたか」

 静かに、問いかけてくる。

 ユウは考えてみた。メリーが動かなくなったのは、魔人のせいだ。魔人は魔王を倒そうとしていた。〈語り部〉も魔王を倒そうとしているらしい。悪いのはきっと魔王だ。

「ふくしゅう」

 そう。復讐だ。

 魔王を倒そう。

 それこそ、ユウがここにいる意味に違いない。

 理由さえあれば。理由さえあれば、今まで生きてきたすべてを許される気がした。

 許される。考えると、ひどく嬉しいもののように思えた。

 テトラザが嬉しそうに微笑んだ。





 〈語り部〉が持つ本から湧き出た魔物が、連なってこちらに迫ってくる。一匹一匹では苦にならなくとも、大量に迫られては数に押されてしまう。

「フレンハット!」

 シェヘラが言い終わる前にフレンハットは盾をかざして突撃する。一点集中した魔物たちを、マーヤが魔法の光の雨で撃ち倒す。攻撃範囲内にいた〈語り部〉はとっさに魔物たちを傘状にして光の雨から逃れ、そこにシェヘラが斬りかかった。

「ちっ」

 〈語り部〉は舌打ちを残し、身体を後退して避ける。〈奇跡の剣〉でかすかに、腕が切り裂かれた。

 シェヘラたちの息はぴったりだ。何年も共に過ごしてきただけのことはある。

 〈語り部〉が襲ってきたのは急なことだった。会話から始まった二回の相対とは異なり、相手の奇襲から始まった。言葉を交わしたことが嘘のようだった。敵なのだ、という意識があったからこそ、すぐに応対できた。

 フレンハットは再びテトラザの近くに移動する。次に魔物の群が押し寄せても三人なら対処できる。どちらが善戦しているかははっきりしないが、悪い状況ではない。

 ここで、〈語り部〉を殺せるなら、それは機に叶ったりだ。

 〈語り部〉はじいとこちらを舐めるように見ていたが、ふうと息を吐いた。何か仕掛けてくる。

「邪魔、ですね」

 ぱたんと〈語り部〉は手元の本を閉じた。

 すると、マーヤとフレンハットの影が疼き、その中から小さな魔物が数多く手を伸ばしてきたのだ。

「なっ――」「きゃ…!?」

「フレンハット! マーヤ!」

 二人はずるずると影に引き込まれていった。シェヘラが叫んだ時には、姿はもう無かった。

 後には〈語り部〉とシェヘラだけ。

 語り部の足もとから、先ほどよりもさらに数多い影の獣が何匹も一斉に襲い掛かってくる。シェヘラは咄嗟に剣でかまえて受けた。〈奇跡の剣〉に触れた魔物は、次々と消滅していった。

 向かってきた獣たちの何匹が、剣に触れる前に細い槍に変化した。剣を迂回して、シェヘラを串刺しにする。

 何十本もの槍がシェヘラの身体を木の幹に縫い付ける。シェヘラの身体は血を大量に撒き散らして、そこでようやく動かなくなった。



 


 ここでここまで痛めつけるつもりはなかった。

〈語り部〉の計画では、シェヘラ以外の二人の付き人を殺し、魔の王への憎悪を強めるはずであった。実際の行動の結果、付き人二人は囚われ、シェヘラが死にかけている。

 息も絶え絶えなシェヘラを見下す。彼は貴重な勇者だ。死を迎えるにはまだ早い。

 低級魔物たちが、シェヘラを食っていいかと尋ねてくる。〈語り部〉が殺した人間は、大抵低級魔物たちに食わせるのだ。

 ――いっそのこと、ここで喰らってしまおうか。

 ふと沸いた衝動に気づいたとき、〈語り部〉は身震いした。ここで喰らえば、計画が泡になってしまうかもしれぬ。そんなことはわかっているのに、葛藤に負けてしまいそうになる。いったい、何故?

 視界に入れば迷いがますます深まりそうで、シェヘラから背を向ける。低級魔物をなだめ、これはまだ喰ってはならぬと己自身にも言い聞かせた。

 付き人二人への魔法も、もうすぐ解かれてしまうだろう。あとはあの二人がシェヘラを介抱すればよい。死んだら、そこまでの人間だったというだけだ。

 あの魔法は魔力を盛大に使用する。こんなところで使うべきではなかった。やはり、己はどうかしているのだろうか。

 心を落ち着かせてから、〈語り部〉は歩み去ろうとし、その身体を、後ろから貫く何かがあった。

「が、はっ」

〈奇跡の剣〉が、右胸のあたりから突き出ていた。信じられない思いで首をうごかし背後を見れば、そこにはシェヘラがいた。先ほどまで、地に伏していたのに。

 端正な王子の顔が、血反吐を吐きながら顔全体を歪ませて、見たことのない似つかわしくない表情で、笑う。

「ざまあ、みろ」 

「こ。の……!」

 右腕で追い払う。シェヘラは簡単に倒れ、今度こそ微かな呼吸程度しか動かなくなった。

 刺された。〈奇跡の剣〉で。しかも、心臓近くを。重傷だ。〈語り部〉の身体は人間を模してできている。他の魔物と比べれば、耐久力は格段に低い。

 このままだと、まずい。即座に残りの魔力を使いきっての移動を試みた。落としている影の中に低級魔物が入り込み沼を形作る。その中にとぷんと〈語り部〉の身体が一瞬で沈んだ。

 移動にかかるまでの間も、移動している間も、〈語り部〉はただシェヘラを呪った。





 ウグアガルはただ淡々と、魔王を待つ城の中を進んだ。向かってくる敵は全て〈奇跡の剣〉で殴り殺してきた。

 思っていたより、城にいた魔物の数はずっと少なかった。城の内部もどこか古臭く、灯りは何処にもない。しんと静まり返った薄暗い世界は、まるで誰も住んでなどいないかのように感じてしまう。

 だが、魔王の隠しきれない気配は存在する。一歩一歩歩くたびに、確実に近づいている。

 魔王を見つけたら、すぐさま殴り殺す。言葉はいらない。想いもいらない。殺して、母の仇をとる。〈奇跡の剣〉である大剣を握りしめ、ウグアガルはずっと前に決着していた決心を再確認する。

 大きな部屋があった。あきらかに、異常な雰囲気をしていた。直感する。ここに、魔王が鎮座している。

 ウグアガルは一瞬足を止め、わずかに思案し、そんな時間などなかったかのように、乱暴に足を踏み入れた。

 そしておもむろに足を止める。足音すら消え、唯一の音は、目の前の人間何十人分もありそうな、巨大な生き物の呼吸音だけとなった。

 ただ汚濁そのものである化物が、息を吸って吐く音だけがこの場に響く。それはやけに大きく、彼女の耳へ届いた。自分が相手と同じように呼吸をしているということを忘れてしまう、そんな浅ましく無様な呼吸音。

 瀕死の人間が、それでも助けを求めて手を伸ばし喘ぐときの音と、よく似ていた。

 歪な濁った塊のなかに、うっすらと無数の瞳が開く。魔物の血と同じ色をしたそれは、どこまでも深く濁っている。

 目玉たちは本来の用途よりも、皮膚病の証と言われた方が納得するだろう。

「我は強い、我は王、我は魔の王、我は世界、我は不死……」

 言い聞かせるように、醜い化物は言葉を発する。明らかに恐れを含んだ瞳が、震えながら小さな人間を見つめている。

 膿を孕んでうずくまり、世迷いごとでしかない呪いを垂れ流しているだけの、ただただ低俗な存在。放置された死体と似た腐臭が部屋を蔓延している。

 嫌悪感は浮かべど、『王』と呼ばれるような偉大なものと対峙した時の畏れや恐怖は浮かばなかった。

「我は強い、我は王、我は魔の王、我は世界、我は不死……」

 それは、すれ切れきった老人に似ていた。

 あるいは泣き言しか口にできない赤ん坊に似ていた。

 薄く開かれた赤の瞳が、大きく痙攣する。

「人間よ、我に打ち勝つというのか。小癪な」

 腹に響くような声がした。目の前の生き物とは繋がらない、低い声。しかしその声は、先ほどから響く生を求める喘ぎ声よりも、はるかに小さかった。

「我が死ぬわけが、ない。我は、不死だ」

 言葉を一つ吐くたびに、生き物は一つ呼吸を置く。おそらくそうしないと、まともに喋ることもできないのだろ。

「後悔する前に、ここから、去れ。辿り着いた褒美だ、命は許してやろう。さあ」

 歪な塊は、弱者が自身を誇大に強調する者の調子で語る。


――あるいは、それは失くしてしまった恋慕の念かもしれなかった。

 

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