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決戦選挙  作者: いちろお
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3.磨宥真昼

三.磨宥真昼


 決選投票日まで残すところ二日と迫った水曜日の昼下がり、磨宥真昼まひろ・まひるは部室長屋の最奥にある女子陸上部の部室に居た。

 部屋の広さは他の部室の倍はある十二畳ほど。剥き出しのコンクリートの床の上に平等に部員ひとりに対してひとつ割り当てられたロッカーがずらりと並び、それらと並ぶように用具入れとなっている大きな棚がひとつ置かれている。また、中央にはベンチが向かい合わせに置かれており、その間には丸いテーブルが設置してある。部屋の隅にはじき出されるかのように置かれた段ボールの中には使われなくなった真っ赤なコーンやバーベル、スプレー缶などが乱雑に入れられていた。部室は女子陸上部であっても男子の運動部と変わらず、汗と消臭剤と芳香剤と、湿布と消炎鎮痛剤のスプレーの臭いが混ざった独特で部室特有の臭いがした。そして、女子陸上部らしいと言えるのは部室の隅に置かれた姿身くらいであった。

 磨宥真昼は一メートル五〇センチほどの高さのあるその姿見の前に立つと、眼を細め、制服についた埃を落とした。十月から衣替えも控えた制服はまだ真っ白な夏服で、先週、クリーニングに出したばかりで糊付けもされてある。彼女は制服を複数枚所持しており、日替わりで着用している。潔癖症なのだ。そして、小さな埃を手で払い落とすと、ずいと覗き込むようにして、にこりともせず無表情な自身の顔を姿見に映した。

 身長は一六〇センチ。髪は栗色。片目は碧眼。少々彫りが深い眉間、目鼻立ちと尖った顎、とても整った美人である一方、彼女の容姿は顔のパーツだけ見れば少女とも少年とも見える。磨宥真昼は日本人と外国人の混血ハーフである。だから、どうというわけではないのだが、さすがに片目の碧眼(へきがんは見る者に違和感だけを残す。そして、これも混血であるが故の弊害なのかこの碧い色をした片目の視力が極端に弱い。それは彼女にとって競技者としてのハンデであった。彼女はいつも左目に黒と茶色が混じった色をしたカラーコンタクトを入れ、そのコンプレックスであり、ハンデを文字通り覆い隠していた。

 最初に始めた部活は自然と欠落したもの、日本人らしさを求めた所為か、剣道だった。磨宥真昼の身体能力は日本人離れしていた。速筋と遅筋のバランスが他の日本人と違い、その瞬発力はケタ外れだった。一方で、遅筋すなわち持久力は極端に乏しく、準備運動ですら彼女は大きく疲弊を覚えるほどで、周囲の人間に遅れを取ってしまうのが常であった。そもそも彼女の身体的特徴と日本人特有の長く、遅筋へ負荷を掛ける準備運動が合わなかっただけで、そんなものは続けていくうちに克服出来た。

 しかし、次に彼女の前に立ちはだかったのは、その素質の対価とも言える碧眼の弱視だった。正面で相手を捉えているうちは全く問題はない。しかし、左へ回りこまれると彼女は死角からやってくる攻撃へ対処しなければならない。それは競技者としては致命的な欠陥であった。

 彼女の初めての大会はあまりに圧倒的であったものの、あっさりと準決勝で敗れた。

 そこから一年、彼女は剣道を続けたが、いつも左の死角を突いてくる選手に破れ、優勝には到らなかった。そして、ある大会で磨宥真昼は開き直った。碧眼を隠さずに度入りのコンタクトレンズを着用し、決勝へ望むと竹刀を合わせた後、左へ巻き込むようにして彼女の死角を突こうとした相手を完璧なまでに捉え、迎撃した。本当にあっけなかった。開始から3秒。「一本」の声と審判員の旗が上がる音、その後に訪れたのは歓声ではなく、沈黙であった。

 もう自身と次に戦う相手は居ないのだと思うと、不思議と心地良かった。嬉々として磨宥真昼が崩れ落ちていた相手へ手を伸ばすと、防具に身を包んだ対戦校の女子生徒はぽつりとつぶやいた。

「なんで―――?ちゃんと右手前から攻めたのに―――左から攻めれば、弱いって聞いたのに」

 磨宥真昼は敗者のその真っ黒な、呪詛じゅそのような言葉を聞いてしまった。優勝候補筆頭とされた彼女と対峙する相手からすれば当然の事だったかもしれないが、磨宥真昼にとってそれは理解し難い言葉だった。

 磨宥真昼は剣道の根底にある精神を信じていた。しかし、それは打ち崩した相手の言葉によって、脆くも打ち砕かれてしまった。常にフェアに戦い、その高みを目指す事、スポーツマンシップに則る、正々堂々というものは幻想に過ぎなかった、と。

 補足をするとすれば、そもそも磨宥真昼は相手に対応した事もする必要も無かったのだ。いつもその力で相手を正面からねじ伏せてきたのだから当然の事であったが、それが彼女の心の闇となってしまった。テニス、ソフトボール、バレーもやってみたが、結果的に磨宥真昼が求めている世界とは違った。最後にすがるようにしてたどり着いたのが陸上競技であった。視力や知謀に関係なく、ただただ相手より速く走りさえすれば勝てるのだから、彼女にとってそれはとても分かり易く、理想的な世界だった。

 磨宥真昼は純粋な世界に生きている。あまりにも純粋すぎて、彼女の望む世界というのはそれこそメルヘンな世界なのかもしれないが、彼女は誰よりも穢れ(けがれ)を知らぬ、高尚で、無垢な存在と言えた。

 姿見はそんな純粋で、真っ白で、日の光のような磨宥真昼を映していた。碧眼はカラーコンタクトで黒く覆われており、どうみてもそれは日本人そのものであった。栗色の髪に髪留めの跡が付いている事に気付くと、彼女はその栗色の髪をブラシで髪をといた。化粧はしていなかったが、外国人の母方の影響でメラニン色素が少ないらしく日に焼けても黒くこげる事は無かった。

 彼女は「よし」と一言、自身に言い聞かせるように声を上げると剣道部時代の癖そのままに顔の両頬を両手で叩いた。試合前にはそうしてよく気合いを入れていたのだ

 パン、と乾いた音が響いた後、再び沈黙が訪れ、その間を埋めた。



 決戦は金曜日だ。冗談ではなく図ったわけでもなく間違いなく決戦投票日(正しくは『決選』ではあるのだが、これは戦争なので決戦で合っている)は金曜日だった。

 そして、水曜日の昼下がり、高梨実の思惑によって、放送室の『スタジオ』には生徒会長選挙に立候補した3名の姿があった。

 四方は防音壁とガラス張りになっている仕切りを隔てて、その3人を囲うように集まった生徒たちが文字通りの肉の生け垣を作っていた。一番最初にやってきた文月夜がその場を占拠するかのように上手に陣取り、下手にはその隣を避けた磨宥真昼。その間に西示真人と3名がそれぞれパイプ椅子に座っていた。

 文月夜と磨宥真昼はまるで気圧と気圧がぶつかりあうかのように、その見えないバリヤーがせめぎあっているのはそれを取り巻く観衆の目でも明らか。気圧は可視出来るものではないのに、ふたりとも棘が突き出たそれぞれ違う色のバリヤーが互いに競り合い、一進一退を繰り返している様が『視える』ようだった。

 そして、そのふたりの中間に衝立ついたてのように座っている西示真人の様子は間男かふたりを裁定するレフリングのようであった。明らかにふたりから放たれているような好戦的な雰囲気は無く、場を取り繕おうという空気がにじみ出ていた。

「放送委員の高梨実ですっ!今日は集まってくれてありがとぉー!」

 高梨実はミキサーの正面に座っている男子生徒の『OK』サインを合図に、ひとつ扉を隔てたスタジオへ足を踏み入れた。まるで司会のアナウンサーかアイドルのように、高梨実は握りこぶしを天に突き上げ、放送室のミキサー側、ガラス越しにみっちりと集まった三〇人ほどの生徒を扇動していった。小さく可愛い、その小動物的な見た目はまさにマスコットとして見繕われたかのようだった。

「今日は金曜に控えた公聴会、決選投票を前に立候補者、三名に色々と話を聞かせてもらおうと思います!選挙管理委員会にも先生たちにも内緒ですので、思い切って話しちゃってくださいっ!」

 高梨実は道化を演じるかのようにその場で小さくジャンプした。その光景を見た文月夜はにやりと紙の薄さほどの笑みを浮かべていたが、眼は笑っていなかった。

「さーって、まずはあれですかね。お決まりの所信表明ってヤツをお願いしたいと思います!では、一番奥の磨宥真昼さんからっ!どうぞーっ!」

 高梨実の言葉を受けて、磨宥真昼はパイプ椅子から立ち上がり、丁寧に小さく生け垣へ向かって礼をした。高梨実が、「はいはい、これをどうぞっ」とマイクを手渡してくる。彼女はマイクを受け取ると、すぅと息を吸い込み、眼を一度瞑った後、声を発した。

「ご紹介頂きました。二年A組の磨宥真昼です。私、あまり人前に立って話したりとか―――あまり上手ではないのですが、あの、ご静聴、お願い致します」

 磨宥真昼の第一声に野次馬が声を上げた。高梨実が「ご静聴、お願いますっつってんだろー!?ぶちころがすぞ!」とぴよぴよ怒ると、「お前はご成長しろよー、ぴよちゃん!」との声が挙がった。我慢ならない高梨実は「マジ黙れっ!」と仕切りのガラスにパンチをお見舞いし、実力行使で野次馬を沈黙させた。文月夜はその様を涼しげに見守っており、磨宥真昼はその光景ににこりと笑みを浮かべた。西示真人は相変わらず空気だった。

「私は生徒会をより正しく機能させるために立候補しました。今の生徒会が機能していない、とまでは言いませんが私は生徒会を機能させ、生徒たちがより良く生活する場所としていく必要を感じています。私はこの立候補に先立って、生徒会の歴史を少しだけ勉強しました。知っての通り、生徒会長は文化部と運動部の有力者が交代で生徒会長へ就任していたようです。しかし、交代で変わっていたが故に後回しになり、時代錯誤、形骸化している学校規則、行事などが幾つもあります。例えば、外出時の制服の着用義務や髪型の問題―――。現在、我が学園の規則によれば染髪、パーマ、整髪料の使用について制限があります。女子生徒の化粧などについても禁止と明記されています。そして、制服についてですが、本来であればどんな用事であろうと外出時は誰もが制服を着用を義務付けられています。それらの規則はもはや形骸化し、無いも同然の状態となっています。そして、ここ数年の社会の変化による問題を挙げればスマートフォン、携帯電話の通信制限についての規制が無く、一般常識、マナーとしてしか授業中での使用を咎める事が出来ません。現生徒会長である帯籐拓也たいとう・たくやさんもこの問題に取り組み、規則の現代化を思案されておりましたが、一部生徒の抵抗もあり、それにはあまりにも時間が足りないとおっしゃっておりました。結局のところ、この学園の秩序、構造が改善されない原因はこの生徒会長選出の風習、伝統にあるのです。一年毎にまったく違う考えを持った人間が先代から受け継ぐべき問題を全て白紙から検討していたのでは、何もかも追いつかないのです。今、必要なのは悪しき伝統ではなく、歴史の連続性です。本来であれば次期生徒会長は私と同じ生徒会長立候補者の文月夜さんが就任すべき代ではあるのですが、私はそれをあえて覆そうと思っています。私が立候補した事で、決選投票が行われ、それによってどんな軋轢が生まれているかも理解しているつもりです。運動部出身の生徒会長が二代続けば、運動部の部室にはより良い器具や環境が整い、潤う一方で、今、廃校舎を使っている文化部の部室の荒廃は変わらず、環境の悪化も予測出来る事でしょう。

 ですから、まず、この所信表明にあたって―――私が当選したあかつきには、新たに文化部棟の建設を検討し、建設を推し進めて行く方針である事を宣言したいと思います」

 この言葉に観衆はざわついた。運動部のヤツが何を言い出すんだ?とでも言いたげな雰囲気で、文化部に所属している生徒は戸惑い、運動部の生徒は憤っているようだった。文月夜は姿勢こそ微動だにしていなかったが、途端に眉間にしわを寄せ、マイクを握る磨宥真昼の姿を射るように見つめていた。

「無理を通すにはこちらも無理を通さなくては筋が通りません。もし―――もしも私に文化部の方々が一票を投じてくれたならば、絶対にその一票、無駄にはしません!文化部も運動部と同等の待遇を約束します。私が生徒会長になれば、これまでの伝統、風習は破壊され、新たな秩序が生まれる事でしょう!私は正しく生徒会、学園が正しく機能する仕組みを作りたいのです!」

 磨宥真昼は緊張の糸が切れたのか、脱力し、俯くと「以上です」と言い切った。彼女の眼はこころなしか潤み、涙ぐんでいるようですらあった。生の感情がぶつけられた演説に、思わず西示真人は魅入ってしまった。まるで白鳥のようだ、と西示真人は思った。あまりに白く、悪意などひとかけらも無い純粋すぎる思いに心が打たれた。

 観衆は明らかに混乱していた。磨宥真昼にとって仇となるはずの文化部への厚遇ぶりに戸惑い、どう反応して良いやら分からなかった。磨宥真昼とて、これまでの選挙活動では一切口にしていなかった新たな文化部棟の建設発言をここでぶちまけたのは彼女なりの作戦だったのだろう。運動部側での離脱票など、後から取り繕えば良いと読んだのだろう。確かにそれだけの力は彼女は持っている。問題は『外』の票をいかに掴む事か、という事に掛けてきたのだ。文化部側から離脱票があれば、それは即、文月夜の敗北へと繋がる。不利な側こそ一枚岩でなければ勝てないのだから。

「は、はいっ。えっと―――以上、磨宥真昼さんの所信表明でした!では、続いて、文月夜さんの所信表明に移りたいと思います!」

 高梨実も明らかに動揺していた。内心、新しい文化部棟が出来るなら磨宥真昼に投票しちゃおっかなー、などと考えていたのかもしれない。とにかく、この場を仕組んだ張本人は意図して中央に座っていた西示真人の順番は飛ばし、文月夜の名前を読み上げた。所信表明を終えた磨宥真昼はマイクを高梨実へ返却すると、俯いたまま静かにパイプ椅子に座った。

 文月夜は苛立っていた。ここ一年で一番、腹が立ったかもしれない。きつい生理だったり、好き勝手ばかりやる部活の部長をシメたり、遊び相手が居なかった夏休みの孤独に比べれば、ストレスのはけ口など幾らもあっただけに磨宥真昼の所信表明はとても腹が立った。文月夜も文月夜とて、自身の城について好き勝手に新設を約束されたのでは面白くない。仇敵きゅうてきから明け渡された城に喜んで住まう事が出来るほど、文月夜のプライドは安くない。そんな城に住むくらいならば、いっそ自らの手で爆破解体しかねないだろう。

 音も立てずに文月夜は立ち上がった。彼女の身体はわずかに震えていた。怒りなのか緊張なのか、それとも恐れなのか―――。その震源が何かは西示真人には分からなかったが、確かに震えていたのだ。

「マイクをどうぞ」と手渡された文月夜は手でマイクを拒否した。

「別のを下さい」

 文月夜は静かに応えた。そんな事でしか自身のプライドを保てなかったのかもしれない。高梨実は少し躊躇いながらミキサー席へ向かい、別のマイクを受け取ると、改めて文月夜へとマイクを手渡した。マイクのスイッチは事前にONに入れられており、受け取った際の掌にマイクが触れた音すら拾われていた。文月夜は入念にマイクの状態を確認した。ケーブルは繋がっているか、音は出ているか、マイクカバーに緩みは無いか、向こうのマイクの電源は入っているか。お得意の「ありがとう」はこの時、文月夜は口にしなかった。

 もはや、そんな余裕も無いのか―――。そんな事を西示真人が思った途端の事だった。

 マイクの確認を終えた文月夜の所信表明が始まった。

「では、改めて。二年A組、文月夜です。包み隠さず、正直に所信を表明したいと思う―――」

 息を吸う音が聞こえた。何が起こるのか分からず、誰も『それ』に対処出来る人間など居なかった。


「私はッ!高梨実が好きだッ!お前が欲しいーーーッ!」


 文月夜は叫んだ。秘めた想いを高梨実から手渡されたマイクへぶつけるようにして、愛を叫んだ。そのマイクから放たれた音はスピーカーに増幅した形で出力され、その音をさらにマイクが拾う―――結果、その音を延々に拾い続けた結果、ハウリングが起きて、観衆にはその声は鼓膜を突き破りから意識を根こそぎ吹き飛ばすようなくそ甲高い音としか観測されなかった。

 『キィーーン!ピィーーッ!キューーン!』と鳴り響いたそれは爆破事故のように、放送室外に居た生徒に漏れ届き、多くの生徒がその異音に思わず振り向いた。何が起こったのか、と野次馬に発信源となった放送室へと駆け寄る生徒、その謎の怪音波の原因を探るべく向かう教師が何人か居た。放送室内に居る生徒は皆、耳を塞ぎ、文月夜の放った『告白』に顔を歪めている。この中の幾人かは鼓膜を破られたかもしれない。それだけの音圧があった。文月夜は意図してそんな事をしでかしたのだった。

 しかし、当の高梨実を始め、防音壁に囲まれ、守られたスタジオの中に居た人間にのみ、その生の声が聞こえていた。

「なっ、なっ―――何を―――!?」

 高梨実は顔を赤らめ、突然の告白に怯えているようだった。

 一方で、文月夜の表情は爽やかだった。鬱積していたものを全て吐き出し、ぶちまけた後の解脱げだつしたかような清々しさ、そして恍惚こうこつな笑みを浮かべていた。そして、満足気に高梨実へ野獣のような眼光を向けた後、一度だけウインクして見せた。高梨実は「ひぃ」と小さな悲鳴を上げた。

「以上だ!」

 文月夜は今度は叫ぶ事なく、真っ当にマイクへ向かって宣言した。そして、マイクを高梨実の懐に投げると、満足気にスタジオを去っていく。放送室では耳を塞いだまま、まるで空爆か大地震に遭った後のように伏せたままの生徒が何人も居る中を暴君のように蹴散らし、我がもの顔で歩いていった。生徒のひとりふたり、足で踏もうがお構いなしだった。

「待って!文月ッ!貴方は私との選挙を捨てる気なの!?」

 激昂した磨宥真昼が叫んだ。彼女にはもはや自棄の行為としか取れなかった。それは文化部特有の『悪』と捉えられていた。勝負を投げ、競技自体を貶め、破壊するような凶行としか思えなかったのだ。

「いいや。そんなことはない。ただ真正面から勝負しても勝てないのだから、こうするしかないのだよ」

 文月夜は背中越しに応えた。

「どうして―――皆、ちゃんと戦おうとしないの?!戦うならば―――正面からぶつかり合う事こそ戦い―――この決戦というものじゃあないの?!」

「磨宥真昼。真正面からぶつかり合うだけが勝負じゃあないんだよ。まつりごとなら尚の事」

 文月夜は語り合う気はないとばかりに足を進めた。そして、放送室のドアを開け放った後、何人かの生徒の鼓膜を破壊したかもしれないその馬鹿でかい声で、文月夜はパイプ椅子に座ったままの西示真人へ向かって叫んだ。

「これでわからなくなったな!!」

 文月夜は眼を細め、笑っていた。本当に楽しそうだった。まるで望んでいた展開どおりになったとでも言いたげな表情だったが、本当にそうなのかは当人以外、誰も知る由もない。

 西示真人は椅子に座ったまま放送室のありさまを、惨状を、傍観者の如く見届けるだけであった。

 西示真人にしてみれば、これはわからなくなったどころではなく、何もかもがわからなくなった瞬間だった。


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