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決戦選挙  作者: いちろお
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2.高梨実

二.高梨実


 物語は少しだけ一年と五ヵ月前に遡る。高梨実たかなし・みのりは高校デビューというものに失敗した。

 身長一四五センチ、体重三八キロ(これは西示真人氏提供による機密情報ではあるが開示する)、視力左右ともに二・五で、首元まで伸びた髪は校則違反のシュシュで留められている。西示真人の幼馴染は別に野球のドラフト一位の黄金ルーキーのような輝かしいデビューを目指していたわけではない。ただ、近くの席の人と挨拶を交わし、うっかり忘れた教科書や宿題をたまに見せ合い、助け合いながらも徐々に人となりを知り、自然と群れていくような、そんな穏やかな人間関係の形成を求めていたのだ。

 しかし、そんな慎ましやかな希望は、一年と五ヵ月前に行われる選挙にて当たり前のように文月夜に一票を投じる事になるであろう文化部員の勘違いによって、打ち砕かれた。

「ことりあそびさんは、どこ中の出身?」

 元々、この物語の主な登場人物は学園内の中等部からの進学組なのだが、彼はなぜ、そんな勘違いをしてしまったのか。言ってしまえば、正しくはわざと誤ったのだった。それは文化部特有のあまりにも身勝手な『悪』によるもの―――。一般社会ではほとんど存在しない、小鳥遊たかなしという苗字は昨今、乱暴に消費され続ける漫画、小説、ライトノベルの登場人物たちによって、今となっては懐かしいブラジリアン柔術のグレイシー一族のような一大勢力と化し、非常に事件や事故、災難に巻き込まれ易い短命で、悲劇を背負う一族となっていた。

 そんなわけで、いきなり『ことりあそびさん』と面と向かって呼ばれ、高梨=たかなし=小鳥遊という、サブカルチャーにそれなりに詳しくなければ付いていけないようなネタでメタな会話の意図へたどり着けるほど、残念ながら高梨実はコミニケーション・スキルに富んでいるわけではない。

「鳥?なんで?え、私?えっと、ことり?ぴよ?」

 これがウケた。とてもウケたのだ。当人もその他大勢も意味も分からないが、初対面の人々には首を傾げ、『ぴよ?』と反応したのがとても可愛らしく、そして似つかわしいものに思えたらしい。誰もがその応対を目当てに名前をもじった(といっても『り』しか合っていない)『ことりさん』『ことりちゃん』と呼ぶようになり、飽き飽きした高梨実の対応がおざなりになってくると、『ぴよさん』『ぴよちゃん』にランクアップした。とてもフレンドリーなあだ名であるが、もうその頃になると高梨実も「私はたかなしですっ!」とむくれっ顔で返すようになり、その応対がまた可愛らしく、またウケていた。結局のところ、小さくて可愛らしければどんな応対をしようと可愛いと持てはやされる。猫のように、犬のように、小鳥のように。

 気付けば高梨実のあだ名は『ぴよさん』『ぴよちゃん』で学年全体に行き渡り、ロールプレイングゲームの最終ダンジョンへ向かう際の『準備はいいか?』の問いに『はい』も『いいえ』も応えられないまま、あだ名という名前の改変事業は取り返しがつかない最終局面クライマックスまで来てしまっていた。おそらく卒業まで彼女はクラスでも部活でも委員会でも『ぴよさん』または『ぴよちゃん』と呼ばれ続けるだろう。



 さて、物語はあっという間に一年と五ヵ月後に戻る。高梨実は本当にあっさりと開放され、友達と別れるとごく当たり前のように西示真人と肩を並べて帰路に着いた。が、この高梨実ことぴよさんは怒っていた。むくむくと、ぴよぴよと怒っていた。

「まったく、どうして真人が生徒会長に立候補する事になってるのよ?!意味わかんないっ!」

「いや、おれにもさっぱりわからんのですけど」

 西示真人と幼馴染の高梨実の序列を説明すれば、明らかに高梨実が『姉』。西示真人が『弟』という上下関係があった。背は小さいが小ささに比例するが如く気が強く、どん欲で食欲すら旺盛な『ぴよさん』もとい高梨実はすぐむくれ、怒りを露にし、西示真人はそれに対応するというのがふたりの関係だった。西示真人は王様どころか、まるで下僕の如く、高梨実のストレスのはけ口、彼女の手足代わり、またはサンドバックとして生きてきた。西示真人に対してこの高梨実、どういう性格をしているかと問われればこう応えるだろう。『少女漫画の主人公みたいな性格』と。

 小鳥のように大人しいどころかアグレッシブに、喜怒哀楽の感情と食欲を糧に行動を起こす様は正に『ヒロイン』であり、物語の主役そのものであった。

「だーかーらっ、私に丁寧語はやめてっていつも言ってるじゃない!年上に見えるじゃない!同い年なのにっ!」

 そうは言われても困った事にそういった上下関係が染み付いてしまっている。匂いのように、感覚のように、身体の芯を貫いている『それ』は友情にも愛情にもその場の雰囲気ひとつで都合良く変えていく。

 その日、『ぴよさん』やら『ぴよちゃん』やらと呼ばれたストレスは手に持ったうぐいすパンへぶつけられ、あっという間に胃袋へと収められていく。その光景を見ていた西示真人は思わず喉元から出そうになった「共食い」という言葉を飲み込んだ。

 それにしても高梨実はよく食べる。バスケ部の身長一八〇センチ近くある男子生徒たちに負けないくらいに食物を喰らい、日に弁当はふたつ。昼休み前と放課後にそれを胃へと収める。昼休みはもっぱら文芸部室で親しい女子とおかしを食べながら、時間を潰しているようだった。齢は十六、女性はすでに二次成長期も末期、または終えていることを考えればもはや異常と考えてもよい程。まるでその腹に子でもはらんでいるか、迎える事のなかった2次成長期が遅咲きの桜のようにやってきたのではないかと思うほどに小さい身体に西示真人の食欲を奪うほどの大量の食物を納めていくのが常だった。

「わかってるよ。うん、敬語はやめる。気をつけるから。そして、生徒会長云々の話はどうしようもなかったんだよ。断れる状態じゃなかったっていうかハメられたっていうか」

「どうしようもないという理由が分からない!どう考えたって真人って生徒会長って柄じゃないと思わない?おかしくない?なんっか、あやしいんだけどっ!?」

 あぁ―――意外と鋭い、と西示真人は思った。それこそ今、自分の肌にまだ残っている文月夜の匂いでも嗅ぎつけられた日にはすぐさま真相までたどり着くだろう。女性の勘というのは男性のように鈍くはない。そもそも男性のように論理から結論にたどり着くのではなく、『女性は子宮でものを考える』という表現があるように、論理をすっとばして感覚で結論へと跳躍する。そして、その感覚はまるで天上から世界を俯瞰するかのようで、男性にとってはおぞましい能力と言える。幸い、高梨実の鼻はパンに入ったうぐいす餡の香りでいっぱいになっており、西示真人から漂うほのかな女性の匂いを嗅ぎ取るに到らなかった。

「あやしいも何も―――そもそもが何があやしいっていうの?」

「ぴっ!?」

 聞きなれない甲高いせきが聞こえ、高梨実の顔は途端に苦悶の表情を浮かべた。顔は赤いというよりも赤銅に近く、すぐさま西示真人は喉にパンが詰ったのだろうと推測した。ちなみに日本でもっとも人間を殺している食物はパンである。おぞましい事にこの西洋渡来の食物は密かに日本人を大量虐殺しているのだ。食べたパンの枚数を覚えてはいなくとも、パンに殺された人の数は警察や農林水産省辺りによって数えられるというのはなんとも皮肉な話である。

 げはっげはっ、と高梨実は何度か喉の奥から鋭い音を発し、詰ったパンを喉の奥から吐き出そうとしていた。西示真人は「ほら、背中叩くから、少し我慢して」と告げると、首の付け根から下5センチほどの位置を平手でばんばん叩いた。叩く度に高梨実の下着が手に当たっていたが、そんな事を気にしてはいられなかった。

「はーーーーーっ」

 まるで女性とは思えないような声と共に高梨実は『呼吸』した。直後にぜいぜいと息を切らし、少し声を掠らせながら「あ゛り゛か゛と゛っ」と彼女は続けた。

 西示真人は文月夜の「ありがとう」という言葉を思い出し、こりゃあえらい違いだと苦笑いを浮かべたのだった。

 その場で何度か深呼吸を繰り返した後、高梨実は本調子を取り戻したらしく、「たすかったーっ」と、のたまった。

「それは何よりで」

「あんたが変な事言い出すからでしょっ!まったく―――」

 高梨実はまたぴよぴよと怒りをくすぶらせていたが、そのまま手に余ったままだったパンと共に口へ放り込み、怒りは飲み込まれたらしかった。

「で、なんの話だったんだっけ?」

「あー、なんかもういいやっ」

 会話を放り投げ、高梨実は物陰に走っていった。

「どこいくの?」

「アンタが馬鹿みたいに叩くからっしょ!ホックがはずれたのよ!ちょっと見張ってて!」

 高梨実はそう言い残して、道沿いに光を放っていた自販機の裏へと駆け込んでいった。ぴよぴよと喚きつつ、高梨実は四〇秒も経たないうちに戻ってきた。これには空族も真っ青な準備の早さだろう。

「とりあえず―――全くもって理解不能ですが、受け入れることにしますっ!」

 高梨実がそう宣言した事で、その話題は打ち切りとなるようにも思えたのだが、彼女はさらに一段、生徒会長へ立候補してきた件を掘り下げてきた。

「でっ?明日から何するの?」


「はっ!?」


 この一言で、西示真人はとてつもない現実に晒され、その眼前に迫っていた双璧ではなく高き壁、その先に控えたたくさんのハードルの数々に気付いた。生徒会長になるという事は選挙に出る事―――すなわち選挙活動をしなければならない。

「人前に立ってさ、『清き一票をよろしくお願いします』、なんて言っちゃうんでしょ?それに会長になったら何やるのさ?」

「う、」

 そう、西示真人は出馬する事になったとはいえ、あまりにも唐突に担ぎ出されるように立候補という運びになった事もあり、そういったビジョンが自身に一切無かった事に気付いた。生徒会長を目指すのはタダでも出来るが、生徒会長として何か方針があるわけでもなければ、どういった主張をしていくのかも全く不明であり未定であった。

「アンタさぁ、何も考えなしに立候補するってわけじゃあないでしょ?どうすんのよ?そういえば、大勢の人前で話せる?音読とか得意だっけ?」

「あぁ―――」

 西示真人は唸り声を上げたまま、沈黙を貫くのみだった。あの王は、文月夜は何の考えもなしに自分を放逐しておけば勝てると思っているのだろうか。いや、それこそ、それで勝てるならば―――駒として役割を果たしているのならばまだ良しとしよう。だが、狂言だとばれれば文月夜の名前に傷が付くのは明白。それは避けなくてはならない。

「えっ、マジで考えとかないの?」

 高梨実は呆れ顔で言った。夕闇が自身の絶望の表情を覆い隠してくれた事だけが西示真人にとっては幸いだった。辛く、重々しい敗残兵のような足取りで高梨実と歩を進めながら、彼は一度だけ「はい」と応え、首を縦に振った。他者から力尽くで首を縦に振らされるのは本日二度目だった。

「わかった。全部分かったから。私に任せなさい!」

 高梨実は宣言した。

「何を?」

「全部よ全部!全部わかったから、アンタは黙ってなさい!もう、『理解った』からアンタは黙ってて結構!」

 いや、絶対わかってねーよ、と思いつつも西示真人は何も応える事が出来なかった。もしかしたら高梨実は全てを見抜いたのかもしれないという予感を拭いきれなかった。そして、こうなってしまえば後はこの高梨実が全てをどうにかしてしまうのだろうな、と思うと何も言うまいという気分になった。

 彼女は昔、戦隊モノごっこをする時はいつも『レッド』だった。小さな西示真人と彼女の弟を従えて、赤・青・黄色の戦隊モノごっこをするときは「あたし、レッドねレッド!」と我先にとその先鋒を切って歩いていたのはいつも高梨実であった。たぶん、彼女はそういった性質なのだろう。西示真人はいつも青で、高梨実の弟はいつも余った黄色だった。見た目からくるパブリックなイメージとは乖離かいりして、彼女はとても攻撃的な色を好むらしい。まるで獲物を狩る雌ライオンのように、彼女はいつもぎらぎらとその刃の先を探しているようにも思えた。

「私がアンタを生徒会長にしてみせるっ!」

 高梨実はなぜかとてもやる気になっていた。これは余計な票まであの王から削り取ってしまうのではないだろうか、と西示真人は不安になってきた。



 ―――というわけで、三〇分後、西示真人は高梨実の部屋に居た。

 部屋は6畳ほどの広さに窓はひとつ。部屋の奥、扉から見て左には勉強机と、ベッド。右側には本棚、オーディオ機器、粗大ゴミ置き場からかっぱらってきたテレビともはや使いどころが無く、廃品回収行きの決断を待たれるビデオデッキが置かれていた。そして、部屋に入るなり眼に留まったのは、相変わらずやる気の無さを絵に描いたそれが売りようなキャラクターのぬいぐるみやグッズで、彼女はこれが本当に可愛いと思っているのだろうか?と疑問が湧いた。例えば、このキャラクターを可愛いと思っている自分が可愛いとかそういう、女性特有の周囲を天上から俯瞰するような感覚があったりするのだろうか、と。

「適当に座ってっ!お茶持ってくるから!」

 鞄を床の上に転がすように置くと、高梨実はそのまま西示真人を部屋に置き去りにして階段を下っていった。

 自宅から2軒隣にある高梨実の家に来るのは一ヶ月ぶり。夏休みの終わりにふたりで涙目になりながら宿題を片付けて以来だった。これでも昔に比べれば、気を遣って家に行く事自体、負い目は少なからず感じていたが、そんなものはなぁなぁで何とでもなってしまっていた。もちろん、中学の頃には完全に、一週間ほど関係が破綻した事があったのだが、その間、ストレスのはけ口になっているらしかった高梨実の弟、高梨譲くん(当時小学5年生)から「姉貴に構ってやってください。僕を助けると思って!」という悲痛な言葉を受けて、意図してすれ違い、別の人間関係の中に生きようとしていた西示真人は踏みとどまったのだった。

 どたどたと階段を上がる音が聞こえた。その音だけで、高梨実が上ってきているものだと感知出来た。

「あけてーっ」と声がドア越しに聞こえると西示真人は「はいはい」と応え、ドアを開けた。高梨実は「どもども」と応えつつ、部屋に入ると部屋の中央に置かれた膝の高さほどのテーブルにコップの乗ったトレイを置くなり、ごく当たり前のように「ちょっと着替えるから後ろ向いてて」と言った。おそらく、男性として認識されていないから起こる現象イベントなのかもしれないが、西示真人が高梨家を学校帰りに訪れると大抵、そんな現象が起こるのだった。当然のように西示真人が後ろを向いた。本来であれば、ここで後ろを向いたり、窓ガラス越しに盗み見たりするのが作法であるような発想を西示真人は持ち合わせてはいたが、この『少女漫画のヒロイン』のような高梨実にそういった作法は通用しないような雰囲気があり、また冗談や作法では済まず、腹を突かれかねない為、遠慮した。良くも悪くもこういったデリケートでソフトな部分はあまり障らないのがお互いのルールのように感じられ、お互いに倣ったように一線を引いていた。

 服と服、下着が擦れる音が聞こえ、続いてしゅるしゅると袖に腕が通る音が聞こえた後、赤いジャージ姿に着替えた高梨実から「もういいよ」と合図があった。

 着替えた後、すぐさまベッドへ飛び込んだ高梨実は完全に気分が緩んでいるらしく、「んー!」と慣用しがたい声を上げて、その小さな背筋を伸ばした。

「いやぁ、疲れたー!学校ってしんどいー!」

 眼を細め、彼女が背を伸ばす様は猫を思わせた。

「まぁ、でも、さ、考えてみれば学校をしんどくない場所にするって、生徒会長の仕事じゃないかな?」

 西示真人は思わず言った。正直なところ[もう、『理解った』からアンタは黙ってて結構!]と宣言された割に自分がどう売られていくのか心配で、こうして探りを入れているのであった。豚も牛も、自分が食べられる運命と知れば、どう料理されるか気にはなるだろう。

「しんどくない、ってもう通学するだけでしんどくない?」

 高梨実はそう告げると身を乗り出して、コップを手に取り、茶を口に含んだ。

「じゃあ、なに?いっそ、学園の授業は全て通信制にします、みたいなのにするの?絶対無理だろうけど」

「いやぁ、それがね、今更ながら真人が会長ってのもありかな~って思えて来たんだよね」

「はっ!?なんで!?」

 真人は思わず声を上げた。何を素っ頓狂な事を言い出すのだ、と喰って掛かった。

「だってさ、なんていうか主張ってものが無いから。それこそ私たちみたいな生徒の意見とかって大事にしてくれそうだな、ってちょっと思った。いや、思っただけだからね?」

「そうは言ってもね、結局のところ、主張が無い人に票を入れるって相当怖い事じゃない?」

「真人ならまぁ、大丈夫だろうって感じかな。無難そうっていうか手堅そうだから」

「なにその犠打の神様みたいな感じ」

「手堅いって大事じゃない?未来を計算出来るって事は選挙にとって大事じゃない?国民はみんな計算できる未来を望んでるのよっ!?」

「いやいや、男子にとっては大事じゃない!わくわくしない!浪漫なくない?」

「真人ってわくわくしたいの?クラスでも空気な癖して」

 高梨実は去年の学園祭を思い出す。あの時は1年という事もあって、とても無難な選択をクラスはした。結果として、高梨実と西示真人のクラスは屋台を出した。やきそば、たこ焼き、クレープと安定した粉モノばかりだったが、それはそれで楽しかった。馬鹿で調子に乗った男子生徒がコスプレ喫茶やらお化け屋敷や漫画やアニメで見たから真似したかったみたいな出し物を思いつきで挙げては女子生徒が却下を繰り返し、出した決断だったが「まぁ、派手な事は来年にすればいいんじゃない?正直、勝手もわからないし」とぼんやり顔をした西示真人が放った一言でなんとなく収まった。西示真人の内心はあまり奇抜な出し物をやって上級生とかに絡まれると面倒だし、という意図があったのだが、なぜかそれが総意としてまとまったのだった。

「いや、こっちは空気読んでるつもりなんだけどなぁ―――読んだ結果が空気扱いなんだ―――」

 なんとなく察してはいたのだが、面と向かって自身の存在が空気だと言われると、西示真人は深く傷付いた。その場で脱力し、西示真人はそのまま床の上で大の字に寝転がった。

「そこを活かすべきではないでしょうか?生徒会長!」

 高梨実は挙手して言った。完全に弄ばれている、と西示真人は思った。

「ほんの少しだけだけど、勝算はあるのよね」と高梨実はにやりと笑みを浮かべ、「たっとえばさ」と呂律ろれつがまわっていない、舌ったらずに出た言葉を高梨実はすぐさま言い直した。

「例えばね、真人はそういうなんか手堅そうな雰囲気だし、空気みたいなもんなんだから漁夫の利を得られればいいってと思うのよ。これでも私は運動部にも味方多いから、根回ししたらそれなりに票取れるんじゃないかと思ってるの。いや、もちろん、私も文芸部の一員だし、文化部の王様にも入れなきゃっては思うけどさ、なーんかいけ好かないっていうかね、あの人の思うまま全部、事が運ぶってイライラすんのよ」

 コップを掴み、やけ酒でも煽るかのように高梨実は残っていた茶を喉の奥へと流し込んだ。ドン、とコップをトレイへ置くと、さらに語る。

「ぶっちゃけたところ、さ。さっき、あんな事言っといてあれだけど―――真人は生徒会長にはなれないかもしれないけど―――もしかしたら一泡吹かせるくらいの事は出来るんじゃないかと思ってる。さっき、私がさっき怒ってた理由は、真人が利用されてるって感じたから。自分の戦争くらい自分で戦えっての!人を駒にするなんて最低よっ!」

 高梨実の口調は胸の内を吐露とろするような、穏やかさと重さと混ざった複雑な色をしていた。思わず、西示真人は姿勢を正した。が、直後、そんな西示真人をあしらうかのように彼女は「くくく」と含み笑いを浮かべた。

「しっかしね、それにしても、あの王様の考えそうな事だわ、ほんと。でも、そういう手を使うって事は追い込まれてるって事みたいね。いい気味だわっ。さーて、どうしてやろうかしらねぇ」

 あっ―――と声が上がりそうになった。西示真人は確信した。どうやら高梨実は西示真人がどういった狙いで生徒会長選挙に出馬する運びになったのか、理解したらしかった。

 いや、それでもあの元生徒会室での出来事は知るはずもない。あれはまるで王との契約を交わす儀式のようだったな、と西示真人はまだ肌に残る感触と脳裏に焼き付いた声を反芻はんすうするかのように、思い返していた。不覚にもぐにゃりと表情が緩むと、西示真人は再び身体を床へ投げ出した。


 途端、高梨実が狂ったような声を上げた。


「ふっ、ふふっ、ふふふふ。ふひひひひひひひいいぃぃっ!良い事思いついちゃった!これなら勝てるッ!!覚悟しなさいよッ、ハハハハハハハッ!」


 高梨実はベッドの上でどたばたと飛び跳ね、ひとり空想上の勝利に酔っていた。ベッドがギシギシと嫌な音を立て、高梨実の笑い声だけが部屋の中に響いていた。まるで天井から光が射すが如く浮かんだその勝ち筋に高梨実は有頂天になっていた。彼女の脳裏には開票結果を聞くなり、虚ろな眼で視線を西示真人へ向ける文化部の王、文月夜の姿が浮かんでいた。

「あっ」

 はしゃぎすぎた高梨実の小さな身体が一際高く宙に浮いた。まるで胴上げでもされるかのようにそのままベッドの上に自由落下すると、勢い余ってかごろりと転がるようにして、西示真人の身体目掛けて高梨実は落ちてきた。テンションが上がり過ぎておかしくなったのだろう。結果的にベッドに敷かれたマットレスのスプリングに弾かれるようにして、彼女は転げ落ちたのだった。

「ねーちゃん、うっさい!」

 途端、部屋の扉が開け放たれ、扉の隙間から高梨譲君(中学2年生)が顔を覗かせた。

 彼は床に寝そべったままの西示真人の身体に、自身の姉がまるで彼へ覆いかぶさるかのようにしている姿を捉えた。

「くぁwせdrftgyふじk」

 彼は若きふたりに幸あれと願ったのか、よく分からない呪文を顔を真っ赤にして唱えると何もかも見なかったことにして扉を急いで閉めて消えた。


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