1.文月夜
一.文月夜
西示真人は激怒した。必ず、邪知暴虐の王を除かねばならぬと決意した。西示真人には政治がわからぬ。西示真人は、どこにでもいる『学園』へ通う高校生である。笛は吹かないし、羊も猫も飼ってはいないが、幼馴染の高梨実と穏やかな日々を過ごして来た。けれども、実の貞操に対しては、人一倍に敏感であった。
―――という『走れメロス』の書き出しのパロディもそこそこに、繰り返すが西示真人は激怒していた。そして、邪知暴虐の王はパロディでは済まない。西示真人の怒りは実在する邪知暴虐の王に対して向けられていた。繰り返すが、邪知暴虐の王は実在する――――!
時計の針はちょうど六時正時を指していた。学園内のスピーカーがノイズ混じりに『遠き山に日が落ちて』を流し、放送委員が気だるそうにマイクへ声を吹き込んだ。
『午後ぉ、6時ぉ、過ぎましたぁ―――校内のぉ、生徒はぁ、帰りの準備をしてぇ、速やかにぃ、下校してくださいぃ』
聞いただけでやる気が削がれ、速やかな下校を阻害するような音声が校内に流れた。『遠き山に日が落ちて』は出力しているスピーカーの劣化が原因なのか、音が割れ、『遠き山に日が落ちて』であるはずなのに『遠き山に日が落ちて』ない、どこか調子の外れた音を吐き出していた。
西示真人はそんな下校放送を聞きながら、文化部棟へと向かっていた。文化部棟は『学園』の東側最奥の建物で、旧校舎をそのまま利用している鬱屈とした文化部員たちの巣窟である。照明は疎らで、ちかちかと不規則な点滅を繰り返している電球が幾つもあるなど、決して管理は行き届いていない。昼間でもどこかひんやりとした空気のある文化部棟には幽霊が出るという噂すらあった。
そんな文化部棟の階段を上っていく西示真人の手には可愛らしいピンク色の下地に青や紫の鮮やかな花柄が入った封筒があり、彼は怒りに任せて、その封筒を握りつぶすかのように持っていた。
『君の大事な高梨実は預かった。返して欲しくば午後6時に文化部棟の空き部屋へ来い』
一見、ラブレターのようにも見える封筒の中にある便箋にはそう書いてあった。文字はボールペンで書かれており、水溶性なのか少しだけ字の淵はにじんでいた。筆跡から犯人へたどり着く事は出来ないが、文化部棟の空き部屋となれば大体の推測が出来た。
邪知暴虐の王。もとい、女王と呼ぶべきか。高梨実を拉致したと思われる人物には覚えがある。
文化部棟の王、文月夜。身長一六五センチ、体重は不明。驚くほどの美人で瞳は挑発的な釣り目をしており、視線はナイフのように鋭い。髪は濡れ烏。細く整えられた眉からすっと線を引いたように鼻がそびえ、その下には果実のように赤い唇がなっている。制服はいつも窮屈そうにその豊かで艶やかな肢体を収めており、その豊満な房は学園内でも九十五だとか、FだとかGだとか、シリコンだとか、そういった噂話は幾度となく聞く。繰り返すが、彼女は文化部棟の王としてこの2年間、君臨している。王制はそれまで存在せず、その王国は彼女自身が築き上げたものだ。
文化部棟にある全ての部活を力尽くで束ね、文化部棟の最上階にある王の間のソファーに鎮座していると噂されるかの王は高梨実を人質に取り、何を企んでいるのか―――その先にあるものは当人しか知りうる事は出来ないだろう。
西示真人はこれからそんな女性と会う事にというのに、心ときめくという気分はひとかけらもなかった。仮に「君を愛している」と告られたとしても、西示真人は「ごめんなさい!」と悲鳴にも似た声を上げ、その場から脱兎のごとく撤退を図るだろう。どんな美人でも、仮に夢で何度も抱いた女であろうと王が迫れば民草は引く。その後光に眼を瞑り、その毒にも似た権威を全て飲みこみ、喰いつくすだけごう欲でもない限り、民草は王の懐のうちにある所有物でしかない。ごう欲は王の器を計るひとつの基準とも言える。
階段を上り、文化部棟の最上階へ足を踏み入れた。東側にある文化部棟の中はとても暗く、すでに夜を迎えているようだった。廊下には去年の学園祭の出し物に使われた衣装が入ったなどがダンボールやポップ、看板、果てには調理後、洗浄が行われたのか不安なほど真っ黒なこげが付いた鉄板まで置かれている。まるで物置のような廊下であった。それなのにいくつも部室が連なり、通称、部室長屋と呼ばれている一帯の近くにある幾つもの真っ平らなグラウンドが広がる西側はとてもまぶしい。照明もロクに管理されていない文化部棟自体、文月夜の城なのだからいつも薄暗く、夜のようでもそれは不思議ではないのだが、辺りを包む闇は眼の前にあるはずの希望を覆い隠し、道を踏み誤らせようとする文化部特有の『悪』が感じ取れた。
果たして実は無事だろうか―――?無事に帰してもらえるのだろうか?
ここで西示真人は、胸の奥に抱いていた不安が何であったのかを理解した。
王は―――文月夜は―――もしや高梨実を愛してしまったのではないだろうか?そして、王は言うのだ。『彼女は私のものだから、君には今後、手出しはさせない!』と。男に喰われるどころか男を取って喰らいそうなあのごう欲な王は女にまで手を掛けているのか、いや、待て、そういえばあの女には不思議と男の影がない。横に男が並んで歩く姿など見た事がないのだ。むしろ、あの王は精液臭い雄の匂いどころか、花のような芳しさをいつもまとっている。ここで西示真人の頭の中に白く大きな花弁が開いた。
百合か!?王は―――百合!つまりそういう性癖を持っていたのか、いや、けれど実の危機と言えばとても大きな危機ではあるし―――将来的に!
そんな馬鹿な事を考えて、西示真人は文化部棟の3階廊下で立ち往生していた。眼の前には『生徒会室』と書かれたプレートが取り付けられたままの古めかしい扉が立ちはだかっている。正直なところ、夜の王と対峙するのが恐ろしかった。何を言われようとも、何が起こったとして、悪い事しか起こらないというのは想像に容易い。王とはいつも民草の胃袋に石を詰め込み、その様を笑い、悦に浸るものだ。
しかし、西示真人は覚悟を決めた。もはや、毒を喰らわば皿までと。実を喰らわば毒もろともと―――。
がらり、と文化部棟3階最奥にある生徒会室の扉が開け放たれた。
「来たか、西示真人」
文月夜の声は透き通っているのに、その先端が差し入ってくるような鋭さがあった。呼び出された空き部屋にはまだ人工的な照明が灯っていなかった。代わりに夕陽とそれによって照らされた西側グラウンドが輝き、それを一望出来るかのように存在する4つ並んだサッシとガラス窓がその代わりを果たしていた。西側の建物からグラウンド、部室長屋に至る全てを一望出来るその景色は王のみが望むこと許された特権のようだった。そして、王は月夜に照らされる神殿や彫刻のような趣きで、革張りのソファーにその絢爛たる肢体を浮かべていた。制服の赤いタイは外され、彼女はラフな格好をしていた。
ごくりと息を飲み、西示真人は様子を伺った。高梨実の姿は無い。どういうことだ?もしや、騙された?いやいや、文月夜ほどの人間がそんな戯れをしている暇があれば、実をその場に同席させる事くらいは容易なはずだ。
「高梨は―――実はどこに?」
「まぁ、待て。君の大事な高梨実は無事だ。隣の準備室で友達とゲームをして遊んでいるよ。もちろん、彼女に危害を加えるような事はしていない。私は彼女らにお菓子と茶を与え、快適な環境を用意してやっているだけだ。まぁ―――少し私の頼みを聞いてはくれまいか」
そう言って、文月夜はおもむろに腰を上げると腕を胸前で組み、まるでその存在を誇示するかの如く仁王のように立った。腕を組んだ事によりFだとかJだとかシリコンだとか言われのある大きな房がふたつ、布越しに強調されている。制服の胸の部分がぱんぱんに伸びており、窮屈そうだった。そして、その迫力を前にまるで眼の前を時速二〇〇キロ超で通り過ぎていく新幹線のようだと西示真人は思った。
「少し―――ですか?」
思わず、西示真人が安堵にも似たツッコミを入れると、文月夜は口端だけを釣り上げ、にやり笑った。
「少しじゃあないな。訂正しなければ―――大いに聞いて欲しい」
あ、地雷を踏んだ。その場で頭を抱えそうになってしまう。余計な事など言わなければ良かった。絶望の色を浮かべた西示真人の表情などさも気にかけない様子で、文月夜は語り続けた。
「この学園には秘密がある。政治的なものではあるが、この学園において『生徒会長』という存在は肩書きでは留まらないものがあるのだ。大人たちに管理され、与えられた権限を持って、大人と生徒との緩衝材になるような低俗な傀儡生徒会であったりする小手先の政治ではない。簡単に言ってしまえば年に一度の学園祭を年に二、三度開くだけの権力を有している。これもたとえ話ではあるのだが、明日から全校生徒の髪型を男子は丸坊主、女子はショートカット、首より長く伸びた者には全て髪留めまたは三つ編みを強制する事だって出来る。逆らう生徒は皆、即刻退学。そんな無茶も強硬に推し進める事が出来るのがこの学園の『生徒会』であり、その長たる者が『生徒会長』だ。経済的な額面の話をしてしまえば、億単位。予算という数字を元に各部活に配分し、どれだけの額を未来へ向けて金庫の奥で眠らせておくかもその代の生徒会長のさじ加減、裁量ひとつという事になる。
さて、この生徒会長という椅子ではあるが、つい昨日までは私のものになると『決まっていた』。まったくもって馬鹿げた話ではあるが、これは学内のバランスを取る為に行われてきた伝統でもある。代々生徒会長は運動部と文化部で権力を持った者が交互に、交代で、その玉座を回す事で学園は運動部による力による支配も、文化部の不健全さがもたらす腐敗も飲み込み、一定の秩序を保ってきたのだ。これも全くもって馬鹿らしく、くだらない人間の性による性質なのだが、二代、三代と同じ背景を持つ人間が王制を敷けば組織とは腐敗していくものなのだよ。だからこそ、学園はそうやって毒を交互に喰らい、互いの毒を薬として平和を保ってきたのだ。それなのに、あの馬鹿女―――部室長屋の長、磨宥真昼という女は立候補という形で私に戦争をふっ掛けてきたのだ。競争こそ真理という運動部特有の上辺だけの正義を矛にして、な」
文月夜の眼は輝いていた。野菜をもじった名前を連ねた某漫画の戦闘民族のような好戦的な眼をして彼女はその『戦争』に到った経緯を語った。簡潔に言えば、彼女は楽しそうだった。とても。当人がどうであれ、西示真人にはそう感じられた。眼の奥にある光が興奮によって涙腺から分泌された液体によって複雑に歪み、ぎらぎらと天上の星のように瞬いていた。
「長話をしてしまうのは私の悪い癖だな。生徒に貧血でも起こされて、倒れられてしまっては、生徒会長としての面目が立たない」
そう言うと、文月夜の視線が部屋の隅へと向けた。視線の先、パイプ椅子が扉の横に立てかけられている。言わずとも西示真人は理解した。やれやれと言いたげな様子で、王の視線の先にあったパイプ椅子を手に取り、折りたたまれていた格子を開き、腰掛けた。
「ありがとう」
とても自然に文月夜は感謝の言葉を口にした。身体は動かさないが口は動かす。王たる振る舞い、そして言葉の重さに思わず西示真人は頭を垂れそうになったが、思わず踏みとどまった。危うく、軍門に下るところだった―――。その存在自体が醸し出す圧力、プラス言葉と視線の魔力に、術中にはまりかけた。西示真人には仁王立ちしたままの文月夜の姿がとても大きく見えた。―――それは彼女を見上げるような視線となっており、胸で顔が随分隠れて見えているから、なのかもしれないが。
文月夜は「うん」と一度、頷いた後、溜め息をひとつ吐いて文化部だけに語り部を続けた。
「さて、前置きが少々長くなったが本題に入ろう。『戦争』をふっ掛けられたまでは良かったものの、問題はここからだ。運動部と文化部、拮抗を保っていたこの学園ではあるが部数、部員ともに運動部の方が数は多い。これは現生徒会長が運動部出である事にも起因はしているのだが、数が多ければもちろん得票数は多くなる。私にとってそれは不利に働く。彼等の中の一部は馬鹿ではなくとも、大多数は馬鹿だ。この学園のバランス、未来の事など気にもせず我が世の春を謳うべく、磨宥真昼へ票を投じる事だろう―――。そうなれば、私の生徒会長としての未来は閉ざされる。今、たった一度、彼らが誤れば今後数年、運動部の天下が続く事になる。同じ毒を喰らい続ければ、どうなるかは明白。未来は暗い」
ここで文月夜は足を一歩、前へと進めた。たった数十センチ近づいただけだというのに、西示真人はやわらかな匂いに全身を貫かれるかのようだった。「今ならまだ逃げられる」というタイミングに文月夜は自らの身体を武器にして西示真人をその場に釘付けにした。
股間が痛い。今は立ち上がれない。
フェロモンというものの影響なのかは分からないが、文月夜の発するその香に自身が雄である事を西示真人は痛感させられた。自ら彼女に襲い掛かることは絶対にない。が、逆は充分に考えられる。取って喰われる。西示真人は覚悟した。好き勝手に身を食われ、根こそぎ精を絞り獲られる様はさながら大きく開いた花弁から蝶が蜜を吸いだすかのように思えた。きっと、文月夜も蝶のように、花へ舞い降りては好き勝手にその蜜を味わうのだろう。男の影がない?雄の匂いがしない?そんなものは彼女の匂いに全て上書きされていたのだ、と西示真人は気付いた。
文月夜はゆっくりと、蝶が風にゆらりゆられ、舞うかのように西示真人へと近づいていった。
「そこで君が必要になった。この学園の生徒は中等部、高等部合わせて一二〇〇人強。磨宥真昼に勝つには最低六〇〇票以上、勝利を確信するには八〇〇票前後が確勝ラインになる。人の気は移ろい易い。馬鹿が票を投じるのだから馬鹿を信じるしかないのだが、現状を言えば運動部は八〇〇票前後の票を握っている。私は選挙が行われる今週の金曜日までに二〇〇票を相手から削り取り、我が元へ投じさせなければいけない―――。
これは私に与えられた試練だと考える事にし、私はそれを受け入れた。だが、そこから二〇〇人もこうして色香にかけて票を取れば歪みも生じる。時間も馬鹿にならない。では、どうしたら良いか?運動部、文化部の支配を離れた浮遊票を手に入れれば良い。それも、とびきり『アウトロー』な人材を使い、戦争を三つ巴にする事でここ十数年無かった決選投票から磨宥真昼の目新しさ、新鮮さを打ち消すのだ。もちろん、そんな浮遊票がどれほどあるかは正直、把握も検討も付かない。けれど、人間とは面白いもので、そういった目新しいものに飛びつく者も多い。好奇心が先立つ我々のような若人ならば尚より。ひとりが平等に同じ一票しか持たないのだから、それが一〇〇、二〇〇と多くなればなるほど、その鳥の羽にも似た軽さの馬鹿馬鹿しさに軽んじる者、むしろ大多数の中に埋もれる一票ではなく、少数の中の一票として価値のあるものに変えようとする者が出てくる。それを私はこの手に全てすくい取るのだ。全ては私の掌の内で踊るのだよ―――」
鼻先に大きな房がふたつ、立ちはだかっていた。西示真人が首を横に振れば、その双丘のいずれかにぶち当たり、縦に首を振らされる事だろう。果たしてそれはどんな感触がするのだろうか、それはまさに禁断の果実のようでその手でもぎ取りたいという衝動がじわりと果実が染み出すかの如く、彼の胸の内に出でた。
ずい、とさらにその双丘はさらにさし迫り、鼻先をほんのわずかに飲み込んだ。ぱんぱんに膨らんだその制服の胸部で視界が埋め尽くされ、それはさながら夜が眼の前を包んでいるかのようだった。ふたつの意味で。鼻腔をくすぐるかのように、文月夜の濃厚な匂いが鼻から脳へと突き抜けていく感覚はまるで洗脳そのものであった。一方で身体のありとあらゆる筋肉は緊張し、西示真人の身体を縛り付けていた。
「つまり、簡潔に言うとどういうこと?」
声は上擦っていた。緊張からロクに声が出ない。身体の震えが、鼻先を通して文月夜に伝わっているかもしれない。そう考えると、欲望の奥からまるで自制心を働かせるかのように恐怖が這い出てきた。実はこの状態、文月夜の触覚で探られ、自身の底を覗き見られているのではないか、と。
「簡潔に言うと?『狂言』に付き合え、と言っているのだ。君も私も生徒会長へと立候補する。君は私のほんの少しの離脱票と、あのくそ真面目で堅物な女の離脱票を受け入れる。そうする事で確勝ラインを六〇〇票前後まで引き下げるのだ。君が万に一、私に勝つ事があれば、私は将来の全てを君に捧げよう。こんな名誉な事はないだろう。君はその生涯を終えるまで、私の慈愛と献身を受けるのだ」
文月夜はとても偉そうに語った。もしかしたら少し顔を赤らめていたかもしれないが、そんな様子は微塵も見えなかった。西示真人の眼の前には大きく張り出した双丘だけがあり、彼は眼を閉じていた。
「何も難しい事はない。君は本気で、下心を全てさらけ出して、足掻いて、生徒会長をただ目指すだけで良い。ひとつ付け加えるならば、君は私の言う大多数の馬鹿ではない。これは保障しよう。私は君を欲しているのだ。そして、私は君という人間をよく知っている。随分、観察したのだよ。周囲に君を不良と言う者は居ないだろう。その一方、君ははじき出された不良たちとごく普通の、真面目な生徒たちの境界で、それぞれどちらにも居場所を作り出している。君ほどの人間ならば運動部でそれなりに活躍出来ただろうし、仮にそれだけの身体能力、技術が無かったとしても部にとって必要な、良き歯車として存在したのは想像に容易い―――。私は君の本質を見抜いている。言ってみせようか?」
さらに文月夜は足を進めた。鼻はもう自身の身体の一部ではなく、彼女の一部になり果てたかのようだった。硬い紙のようなざらざらとした感触の下着からはみ出した、熱を持ったふよふよとした肉感の物体が西示真人の鼻を弄んでいた。顔を赤らめ、困惑したままの西示真人の事などさも気に掛けず、王は彼をずばりと切り裂いた。
「君は結局、どちらにも存在する気がないのだろう。どちらもかりそめの居場所にしか過ぎず、どちらにも居座る気はないのだ。不良にも、一般的な生徒の中にも居らず、ただただその場その場で最適な場所に腰を下ろしているだけに過ぎない。そして、それを捨てる事も躊躇はないだろう。君はそういった類の人間だ。愛や友情など育む気はない―――それは私と同じ、王としての器だ」
「おれが―――王の器?」
何を馬鹿な事をこの王は言い出すのだ、と困惑した。だが、その言葉は的確であった。結局、自分はどこにも存在する気は無かった。高梨実さえ居れば―――西示真人には高梨実とそれに附随する周りの人間が居る世界しか存在しなかったのだから。肉欲だけならば文月夜でも満たすこと出来るが、高梨実という存在だけは欠かす事は考えられなかった。
「首を縦に振れ。そうでなければ、首を横に振り、私を押し倒せ。私も王とてか弱い女子生徒だ。君の力ならねじ伏せる事くらいわけがない。そして、どちらでもなければ、私は叫び声を上げ、君と高梨実という世界の繋ぎ目に大きな溝を作るぞ」
西示真人は呆然とした。首を縦に振るしかなかった。それ以外に選択肢は無かった。3つ見えていた選択肢の全てが『首を縦に振る』に書き換えられ、強制的に選択を迫られたのだ。
王と王は分かり合えたとて、並び立つ事はない。
王国に王はいつもひとりしか存在しえない。王は自身の国を作り、高い城壁を気付きあげ、自身とそれを取り巻く世界を護り、見守る事しか出来ない。王はいつも孤独なのだ。
西示真人は首を縦に振る。途端、熱湯が浴びせかけられたかのように熱く、豊かに実った双璧がぐにゃりと自身の顔を這うように歪み、押し付けられた。そして、それに冷や水を浴びせかけるように「ありがとう」という文月夜の言葉が響いた。目の前を覆っていた文月夜の胸部が離れていくと、続いて彼女は西示真人後頭部を、髪を、二度ほど弄ぶようにやさしく撫でると文月夜の冷たい手は満足気に彼の頭から離れていった。
眼の前はすでに夜だった。夜の王国だった。窓に映っていた夕陽はいつの間にか山端に沈み、ブラッドオレンジの色をした光が大地を照らし、地平を夜へと焼いていく。
その日の日没と共に西示真人が王を目指す物語は始まった。




