異世界への第一歩
――逃げ切れたと思ったのに、フィリピンから脱出できたと思ったのに、工房の彼らに手伝ってもらったのに――何故僕は、日本で銃の密造をしているのだろう。
どこか分からない山中の廃屋で毎日金属を削りだし、研磨し、組み立てる。
これではフィリピンの集落でやっていたことと何ら変わりがない。いや、ほぼ全てが手作業だったのが旋盤とか機械を使えるようになったし、建物の周りには僕が作ったショットガンを携える怖い人達が無数にいる。それくらいなら変わったか。
こんな状況になったのも適当なホストに孕まされ風俗に沈められた母親が悪い。
借金の肩代わりに売り飛ばされ、言葉も通じないようなところで働かされる。
母親から得たものといえば「橘高」といえば名字だけだ。名前は知らない、というより無いんじゃないかな。親に名前で呼ばれたことがない。
対して僕が自力で得たのはやや不自然な英語と日本語、あとは銃を一から作れる技能だ。自力で手に入れたモノの方が多いというのは何という皮肉か。
だがしかし、そのおかげで今現在こんな状況に陥っているわけだからタチが悪い。
それにしても、今時手作業で銃を作るというのはどうなのか。
密輸にかかるコストより格段に安いらしい。そりゃそうだろう、僕をタダ働きさせてるんだから材料費と電気代、それと少々の食費しかかからない。
アフリカかどこかの鍛冶屋ではAK-47が製作されているという話もあるが、僕も大体そんなことをやらされている。
鉄の塊から銃のパーツをヤスリを使って、ほぼ手作業で削り出していく、そんな地獄の作業を毎日見張られながら行っている。
僕だってこんな生活をいつまでも送るつもりはない。
工房からの脱出だ。
そのため作業の合間を縫ってはリボルバーを作っている。あれは簡単な仕組みだから割と早く完成するのだ。
実包も試射用のものをくすねてある。逃走経路も確保している。天井の上から廃屋の外に出られるルートがあることは確認済みだ。
見張りが居眠りをしている今、まさに絶好のチャンス。
撃鉄を起こし、見張り番のハゲ頭に銃口を突きつけ、そして――その時だった。
「敵襲じゃあああああああ!!!!」
外にいる見回りのそんな絶叫とともに連続した発砲音が聞こえてきたのだ。
ようやく目を覚ます見張り番、そしてそいつの目の前にあるのは、僕の持つ銃だ。
「お前、一体何を――」
それが見張り番の最期の言葉となった。
僕の起こした銃声は外で起きてる混乱に溶け込み外の人間には全く悟られていない。
予想外の出来事だったがそれが思わぬ効果をもたらしてくれたようだ。
あとはこの工房から天井伝いに脱出するだけ、見張りが所持していたイングラムとマガジン三つをさっさと回収して天井を外す。
と、そこで念のため部屋の機材を並べて入り口を封じ窓の外を確認して、そこで異変に気付く。
外であれだけ喧しく響いていた銃声がピタリと止んでいた。
敵とやらが死んだのか、それともこちらの人間が全滅したのか。
やけに静かなことを考えるとおそらくこちらの人間が全滅したのだろうか、どちらにせよあまり時間はない。
相変わらず真っ暗でカビ臭い天井裏に這い上がり、四つん這いで進んでいく。
灯りなど必要ない。朽ちた屋根から射し込む僅かな光が進むべき道を照らしてくれる――と、何か柔らかい物にポン、と顔から突っ込んだ。
僅かに漏れる呻き声、不思議に思って顔を上げてみれば、そこには膝立ちでカラシニコフを構えた血塗れの女性が立っていた。
そうかそうか、僕はこの人の腹に顔を突っ込んだのか――
「「うわあああああお化けだあああああああ!!!」」
二人の声が一斉に屋根裏にこだました。
そして唐突に響き始める発砲音、僕の持つイングラムのコピーではない、彼女の手にあるカラシニコフからマズルフラッシュが伺えた。
「おいバカ! こんなところで銃をぶっ放すな!」
僕の決死の叫びも虚しくパニック状態の彼女は見境なく弾丸を撒き散らす。
あちこちを跳ね返る弾丸は朽ちた屋根や天井をぶち抜き天井裏を明るくしていくが僕の人生はこのままいけば真っ暗だ。
虎穴に入らずんば云々、そんな言葉が唐突に思い浮かび敢えて彼女に飛びかかり動きを封じる。
「落ち着け! 僕はお化けじゃないし、そもそも何処がお化けなんだよ!」
「だって! 血が! 血塗れ!」
彼女にそう言われてやっと気付く。そういえば先のいざこざで僕も血塗れだ。
「オーケー落ち着こう。たしかに僕は血塗れだ、だが僕はお化けではない、橘高だ」
「わ、私は真壁だ………ん、橘高? 橘高って、もしかしてここで銃を密造している…」
「ああそうだよ。君はここに奇襲をかけた人だね。ありがとう、君のおかげで僕は自由の身だ」
そう言って呆然とする彼女からカラシニコフをとりあげる。
そのまま彼女を置いてさっさと逃走しようとした時だった。
「おい、ちょっと待ってくれ」
と、彼女は言った。
「なんだ、君も早く逃げないと刑務所行きだぞ」
「いや、そうじゃなくって、その…」
「なんだよ、言いたいことがあるなら早く言えよ」
「その、足に跳弾が当たって…」
見てみれば、彼女の右太腿に風穴が空いていた。
***
「痛い、痛いって、もう少し静かに歩いてくれ」
「良かったな。今まで君に撃たれた人の気持ちがようやく分かったんだから」
こんな感じで、僕は真壁を名乗る女を背負って森の中を歩いていた。
深い霧が立ち込めているが無問題、こちらにはコンパスがある。計画通りの方角に歩いている、はずだ。
「なあ、本当にこっちが南南東なんだろうな?」
「Sが南、Eが東だっけ? それなら合っているはずだけど」
なんというか、やっぱり人任せだと心配なのだ。
真壁が正しいというならそうなのだろう、だが本当にこちらが南南東なら川にぶつかるはずなのだ。
「おい橘高、川が見えてきたぞ」
「本当か? 僕には何も見えないんだけど」
「この状況で嘘言ってどうするんだ」
と、彼女からの正しい突っ込みに思わずたじろぐ。だが自分で見ないことには分からないだろう――と、川が見えてきた。
「うぐぅ、傷口に染みる…」
「うるさいな、あんなクソ汚い屋根裏で怪我したんだから念入りに洗わなきゃダメだろう」
「そりゃそうだけど…」
と、彼女はそこまで言って、眉間にシワを寄せる。
足音だ。
無防備だがしっかりとした足音が霧の向こうから聞こえてきている。
彼女は怪我をしている為使えない、咄嗟に判断した僕は真壁を川に突き落としカラシニコフを構える。
相手にも彼女が派手に落水した音が聞こえたことが足音を通して感じ取れた。だが足音は相変わらず大きいままだ。
もしかして相手は僕らを追うヤクザではないのか、そんなことを考えていた時だった。
「――そこに誰かいらっしゃるのですか?」
霧の向こうから聞こえてきたそれは品のいいお嬢様のような、そんな声だった。
その声にあたかもリラックス効果があるように、一気に緊張が解けていく。
「ああ、やはりそちらにいらっしゃったのです…ね?」
そんな言葉とともに霧のカーテンから出てきた女性を見て、僕は思わず目を疑う。
彼女の風貌が、まるで中世の平民のような、あんな感じだったのだ。
金髪碧眼に何処かの民族衣装だろうか、その着こなし具合からはコスプレ、という言葉は不思議と思い浮かばない。
「きゃあああああああああああああ人殺し!!!!」
と、中世の女性の悲鳴で我に返る。
いきなりなんだと思ったが僕を指差して人殺しだと喚いている。
いや確かに人殺しだけど、何故それがバレたのだ…ああそうか、僕は血塗れだったな。
通報されたら面倒だしとりあえずやんわりと否定するしかないな。
「まあまあ、落ち着いて下さい。僕は確かに血塗れですが、その、ここで人殺しはしていませんよ」
「嘘つき! そこに人が浮かんでいるじゃありませんか!」
人が浮かんでる…そういえば川に真壁を突き落としたな、そんなことを思い出しつつ振り返ると、彼女が川に浮かんでいた。