勘違いの産物
新しい生活が始まる4月の入学式。
不安げに、けれどもどこか期待に胸を膨らませ、厳しい受験を勝ち抜いた新1年生たちは桜並木の中をしっかりとした足取りで歩いている。
楽しそうな雰囲気の流れる列から一本脇道にそれたところでは、理由のわからないピリピリとした空気が流れている。
その中心に居るのはなぜか私、水無瀬結海。
そして両手を壁について私が逃げられないように挟み込んで睨みつけている、正体不明のイケメン男。
こいつこそがすべての元凶、発信源である。
私はごく普通の高校1年生。いわゆる『花の女子高生』『JK』というやつだ。
別に前世の記憶があるわけでも第3の目を持っているわけでもない平凡少女。
中学時代は定期テストでは平均プラス5点をコンスタントにとって風紀検査でも引っかかったことがないのが自慢で、これと言って絡まれるような要素のない影の薄い凡人だと自負している。
なのになんでかイケメンに絡まれている。
清潔感あふれるきれいな黒髪に少し赤みがかった瞳。
腰を曲げていながらも私を見下ろしていることから、身長は相当に高いことがうかがえる。
私の母校となる高校の制服を着ていることから同じ学校であることが知れて、こんな変人がいるのかと入学初日にして早くも高校生活の終わりを予感した。
「ねぇ、さっきから聞いてるでしょ」
ボーっとしていた意識がふと戻ってきた。
「この間の卒業式の日に『アレ』したの、君なんでしょって」
『アレ』ってなんだ『アレ』って。
まったくもって身に覚えがない、というよりも私はその当時中学生で関係なんかあるわけがない。
確かに、この男の言う『例の日』は姉の卒業式を見にこの高校に行ったけれど、こんな変人は見たことも聞いたこともない。
お門違いというか見当違いだ。
何度も説明しているのにこの男は納得することはなく、果てには私が嘘をついていると言い出した。
いくらイケメンだとしても中身が残念すぎる。
最初こそ丁寧に話を否定していたものの、懲りずに延々と同じ話をループしているとお互いにイライラは募っていき、ついに我慢の限界は訪れた。
「だから、さっきからなんですか! 初対面の相手をうそつき呼ばわりして何が楽しいんですか!? 」
「君がいつまでも認めないからだよ。それに名前は前に言ったでしょう、早くホントのこと話して」
「いい加減にしてください!! それに『アレ』じゃわかりませんよ、一体なんですか!?」
不機嫌な顔を隠すことなく聞きたかったことを聞いてみると、一瞬にしてバッと顔を背けた。
今までにない反応で不思議に思って顔を覗き込もうとすると両手で顔を隠して俯いてしまった。
こうしてみると何だか可愛げがあるように見えてくる。
これでは顔が見えないと何気なしに呟くと、体をびくりと震わせた。
「やっぱり、『あの人』だ……」
意味不明な言葉を呟いた男の耳はゆでだこのように真っ赤に染まっている。 手で隠しきれていない。
ここまで変人だと思い知らされると、ここで『アレ』とやらについて聞くよりもさっさと戦線離脱した方がいいと直感が囁き始めた。
何やらブツブツと独り言を呟いた後、ゆっくりと手を外した。
顔が赤いのは変わらないがゆっくりとこちらを見る目にはどこか決意の色が見て取れる。
おそらくイカレていた頭がとうとう完全に使い物にならなくなったというサインだろう。
「そんなに、俺に、言わせたいの?」
「はぁ? もう別にどうでもい゛っ!?」
完全に逃げ損ねたのが嫌というほどわかった。
この際『変人』から『変態』にクラスチェンジしてしまおう。
恐ろしいことにこの変態の左手が私の太ももに伸び、ゆっくりと触れるかどうかのギリギリのタッチで撫で回しはじめたのだ。
さわさわとうごめく手がむず痒いのと、誰にも触られたことのない場所を触られるという羞恥心から、今度は私の顔が赤くなった。
これ以上の横行を阻止しようとスカートの裾を必死に引き延ばすのに私は気を取られ過ぎていた。
「俺の口から言わせて、俺を辱めようって? そのやり口、やっぱりこの間と同じ、『あの人』なんでしょ」
唐突に耳元に吐息がかかる。 思わず「ひゃっ」と声が漏れてスカートから手を放してしまった。
前言撤回。 可愛げなんかない、こいつはただの変態だ。
しまったと思うのももう遅く、ここぞとばかりに手が付け根のあたりまで侵入してきた。
「もうその手は通じないから―――」
―――君がしたことと、同じことをしてあげる
耳と太ももの二重攻撃に意思に反して背筋がゾクゾクと痺れる。
高校生のくせに女に慣れているのかと場違いなことを考えていると、意識がここにないことを感じ取ったのか、み、耳に、舌を入れてきたのだ、舌を!
すると今度は空いていた右手が脇腹をつっと撫でる。
不覚にも変態男の制服をぎゅっとつかみ熱い吐息とともに背中をそらした。
「案外かわいい反応するんだね。この間は俺にそんな反応させてたんだって思い知った?」
この間も何も初対面だから、と反論することもままならない。
砕けそうになる腰をどうにかして耐えさせるけれど、もう限界を迎えそうだった。
自然と目尻に涙がたまってかすれていく景色の中で、右手がもっと上がって私のささやかな胸を捉えようとしたのが見えた。
何だかもうどうでもよくなり始めてた。
厳しい受験を乗り越えてようやく入学した憧れの高校。
その入学初日にして意味不明な言葉を呟いて人違いをしているであろう変態男のせいで貞操の危機に陥っている。
情けなさとどうしようもない諦めの感情から、目をぎゅっと閉じてもうどうとでもなれ、と心の中でむせび泣いていた。
しかし、いつまでたっても大きな激情は私を襲ってこない。
私の体を這いずり回っていた未知の快感もいつの間にかなくなっていた。
不思議に思ってそっと目を開けてみると、変態男が心配そうな顔をして私を覗き込んでいた。
本当に訳が分からなかった。
けれど、昨日まで想像もしていなかった異常な状況の渦中にいるからか、やけになって一方的に当たっていた。
「いきなり何よ、何なのよ!? 私が何をしたっていうの!? 今日から、必死こいて勉強してやっとのこと合格できた憧れの学校に入学できたのに…、なのに…なんで!?
何でこんなわけわかんない男に入学初日から、こんなッ、こんな酷いことを! お、お前みたいな変態男はすぐに滅びてしまえばいい、豆腐の角に頭ぶつけて―――」
「ま、待って待って!」
「何よ、この変態男!!?」
涙でぐしゃぐしゃの顔をさらにゆがめて睨みつけた。
イケメンだと思っていた顔は今となってはただただ憎らしい。 イケメン恐怖症になりそうだ。
変態男は私の罵りが耳に入っていない様子だった。
「新入生ってホント!?」
「こんなこと嘘ついてどうするんですか!!」
すると男は深く考え込み始めた。心なしか顔から血の気が引いている。
変態男はゆっくりと顔を上げるが、さっきのような決意の目ではなくこちらをうかがう怯えた目だ。
「その……、もしかして、というか認めたくないことなんだけど……」
やっぱりというか、今更のことに私は頭を抱えた。
それをどう解釈したのか、一息に状況の説明を始めた。
「つまり、その変態男は同じ高校の制服を着たあんたそっくりの女に、卒業式の日、エロい悪戯をされた腹いせに襲ってきたってこと?」
あの後、私と変態男は何とか和解しそのまま遅まきながらの自己紹介をしたので、変態男の菊水康太郎というたいそうご立派な名前を知ることとなった。
3年生の菊水先輩は、落ち着いて話せば案外マトモ人間だということが発覚した。
土下座までして謝ってくれたけれども、それまでの所業は忘れていないので嫌味を言って少し仕返しをしたのは秘密だ。 …なぜか少し嬉しそうな顔をされたのは謎だ。
「あのモテ男がそんな奇行に走るなんて……、ブフッ、1年は笑って暮らせるわ!」
帰宅した私の変化を敏感に察知した私の高校の先輩でもあり、今年大学一年生でもある姉の琴海に事の顛末を吐かされ、今に至る。
姉は腹を抱えてよじれているので、何だが蛇のように見えて少し不気味だったけれど、それでも愛する姉には変わりがないのでそっとしておく。
「顔から想像はしていたけどやっぱりモテるの?」
「そらもう、モテまくりよ、ハーレムよ。新入生代表のあいさつのときに無駄にいい顔で女どもの心を鷲掴みして以来、告白して撃沈していった女は星の数。しかも断る理由が『運命を感じられないから』だなんてバカの極みよ、ホント」
その後も菊水先輩の武勇伝というか、おバカな話を聞く羽目になった。
やれ誕生日に女どもの裏工作が激しかっただの、バレンタインのチョコレートに髪の毛の入った物が大量に届けられただの、本人はその意図に全く気が付いていないだの、とにかく悪口が多かった。
どうやら姉はあまり菊水先輩のことをよく思っていなかったということが言葉の端々から感じられる。
何もなければただの鈍いモテ男なのだろうが、あんなことが起こった後だ少し悪態もつきたくなる。
「やっぱりムカつく男ね、ヤリ逃げして正解だったわ」
「えっ?」
「何よ」
何だか今聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がした。
「『ヤリ逃げ』ってどういうこと?」
私が気になる発言について尋ねてみるとあきれ返った視線が返ってきた。
今更そんなことを聞くのかと馬鹿にされているようで訳が分からなくなって頭がこんがらがる。
「そんなのあいつが卒業式の時に受けたエロい悪戯のことに決まってるじゃない」
「じゃ、じゃあ、犯人ってもしかして……」
悪戯が成功した子供のような顔を見せると急に立ち上がり、胸を張って誇らしげに宣言した。
「この私に決まってるじゃない!!」
今度は私が事情聴取をする羽目になってしまった。
姉の話によると、卒業式の日2年生だった菊水先輩が3年女子にたくさんの貢物をされている姿に出くわしたことが、事の発端らしい。
奴が入学してからの2年間で精神が鍛えられていた自称『寛大な女』の姉は、どれにでも愛想を振りまく行為に2年間ずっとたいそう腹を立てつづけていたそうな。
このイライラをどう抑えようと思案をめぐらした時、今の自分の状況を思い出したらしい。
姉は今日卒業式を迎えて春には女子大に進学予定。菊水先輩とは面識が一切ないから自分の正体がばれることもないし、大学が一緒になることもない。
そこで悪知恵が働いたらしい。
『私は卒業していなくなる。だったら今日さえ逃げ切れば、何をしても勝ち逃げできる……?』
自分に被害が及ばないことを悟った姉はさっそく菊水先輩を急襲。
え、えっと…あの…そ、そういうことをして動かなくなったのを見届けると、内心ざまーみろと高笑いしながら帰宅したらしい。
「お、お姉ちゃん! まだ未成年なのにそ、そういうことするのは、ちょっと恥ずかしいというか…、あの、はしたないというか…」
「なに勘違いしてんの、あんた。あんな男にこの大事な体をくれてやるわけないじゃない。これはただの悪戯なんだから、イ・タ・ズ・ラ」
そんな理由でプライドをズタズタに引き裂かれたであろう先輩がなんだか憐れに思えてきた。
いろいろと文句を言ってみるものの、意地悪なこの姉は何を言ったところでどこ吹く風。 とりあってはくれない。
入学初日からこんなことになった元凶である姉のそんな態度に腹を立てたからだろうか、いろいろあって精神的に疲れていたからだろうか、つい口が滑ってしまった。
「お姉ちゃんなんか大嫌い!もう私知らない!!」
気づいた時にはもう手遅れだった。
なんだかんだ意地悪でも姉のことが大好きだったから、一度も喧嘩なんかしたことないし、ましてそんな言葉を言ったことはなかった。
頭がパニックになって思わず部屋を飛び出してしまった。
部屋を出る時に少し目を向けたけど、顔を伏せているみたいで陰になって見えない。
私はそのまま自分の部屋に駆け込んだ。
私はベットの上で後悔していた。
姉と初めて喧嘩した。
その事実が重くのしかかって、一寸先が真っ暗闇のような、足元が今にも崩れそうな、そんな不安に駆られる。
このまま姉と仲直りできなかったら。
それだけが頭の中を駆け巡って、行き場のない不安がグルグルと渦を巻いてわけがわからなくなる。
喧嘩がこんなに辛いものだとは思わなかった。
菊水先輩との出来事なんかどこかへ行ってしまい、姉を傷つけてしまったかもしれないという罪悪感だけが募っていく。
―――明日謝ろう。
そう心に決めてそっと目を閉じた。
次の日、謝ってきた姉の上機嫌さを不思議に思いながら和解した。
姉いわく、『不届きものに制裁を加えた』らしい。…よくわからないけど、まあいいや。
私があんなにひどいことを言ったのに許してくれた姉は、少し意地悪だけど優しい。
私が上手く謝罪できないだろうと思って、自分から頭を下げてくれた優しい姉が大好きだ。
学校まであと少し、昨日と変わらない桜小道を昨日と同じ新たな気持ちで歩く。
昨日のことは忘れよう。
心に決めて新たな一歩を踏み出した―――――が物事はそううまくいかない。
「水無瀬さん!」
聞き覚えのある嫌な声がした。
違ってほしいと思いながらゆっくり振り返ると、やっぱり、菊水先輩がこっちに向かって走って来ていた。
イケメンは何をしていてもイケメンのようで、凡人ならダサい前髪オールバックでも格好よさを損なわない。
なびく前髪とさわやかな顔が朝日に照らされてまぶしい。
というより、許したとはいえ昨日の今日で話しかけるのか、こいつは。
私の隣に来た先輩は、走ったせいではないくらいに頬が赤い。
何かをしゃべろうとしているみたいだけれど、息切れのせいでうまくしゃべれない。
しゃがみこんで息を整えている。
関わるとロクなことはないだろうことは昨日の姉との会話の中で学んだので、さっさと話を聞いてさっさと別れよう。
「どうしたんですか? 昨日のことはもういいですから、謝罪はいりませんよ」
「ち、ちがうんだ…」
バッと顔を上げると、興奮したかのような顔をしている。
昨日のことを思い出して少し引いてしまった。
「昨日、『あの人』と会えたんだ!」
……は?
いろいろと疑問はあるけれど、一番の疑問は先輩の脳味噌がイカレているのかだった。
どうして屈辱を味あわせた先輩と再会したことで興奮しているのかわからない。
「昨日もう一度会って、わかったんだ」
目が恋する乙女のようにきらきらしていた。何だか先が見えて聞きたくない。
「俺、あの人のことが好きみたい」
予想通りの言葉が出てきてさっき以上に引いた、ドン引いた。
口に出すのもはばかられる様ないたずらを仕掛けた相手が好き?
こいつがドMだということが判明してしまった。
「このことを知っているのは、君だけなんだ。だから―――」
聞きたくない、聞きたくない。 この言葉の先なんてわかりきってる。
―――だから、『あの人』を
「―――だから、『あの人』を一緒に探してほしいんだ」
私はものの見事に固まった。
ボー然となった私を不思議そうに見た先輩の中では、私の協力は既に決まっているようで、「それじゃ、よろしく」と一言残して走り去っていった。
「……冗談でしょう?」
事情を知る仲間として認識されて、これからも縁が切れなくなってしまった。
昨日のことはなかったことにして、憧れの高校で楽しい高校生ライフを楽しむ予定が、完全に崩壊してしまったのがわかる。
姉は優しいから昨日のことは水に流してくれたけど、嫌いな相手と引き合わせたら今度こそ怒って仲直りできなくなる。
大好きな姉との喧嘩は二度とは経験したくないので、絶対に紹介なんてしない。
したがって、協力に終わりは見えないから先輩の卒業まで縁を切ることができない。
無駄にモテるらしい先輩と一緒にいるところなんて見られたら、先輩のファンに殺される。
……絶望しかない。
波乱の幕開けとへたり込んだ私を桜だけが見ていた。
実は『あの人』が主人公姉でした、というオチ。
そして、主人公姉は主人公が思うほど、優しさで構成されていません。
2014/1/13/20:54 改訂




