デジタルサイネージ
誰もが羨む時代?それとも。。。?
デジタルサイネージ
自分はアパートにひとりで暮らしている20代前半の会社員。いわゆる独身貴族だ。
ただ、ある日を境に帰宅するのが楽しみになった。玄関扉を開けると同時に誰もいない部屋に向かって、声を出すようになった。
「ただいま」
すると奥から女性の声で応えてくれる。
「おかえりなさい」
思わず笑みがこぼれ、かばんを置きながら居間に向かう。
そこには以前、広告で使われていた縁が広い木彫りのデジタルサイネージが置かれていた。木彫りは脇に木立があり、上側に山々が遠くに広がっていて、下側に小川が流れている。どこかの外国を思わせるような風景が立派に彫られていた。それだけでも自分の心を和ませてくれた。それ以上に中央にいる同い年くらいの等身大の彼女は、自分の日頃の疲れを一気に吹き飛ばしてくれる存在なのだ。
彼女は写真のように見えるが、実は違う。AIにより描かれているのだ。そして、このデジタルサイネージの前に立つ相手に対して、その時の感情や態度まで誠実に応対できるようプログラミングされているのだ。
電源は空気で賄われるため置いているだけで動作する。ちょっと残念なのだが彼女の足元で、以前使われていた宣伝用テロップが繰り返し流れていることだった。
一見、宣伝内容と関係ないようだが、当時の集客効果はかなりのものだったのだろうと想像する。
「今日もお疲れさま。会社はどうでした?」
「まあ疲れたけど帰ってくれば、君と会話できるから元気がもらえるよ。ありがとう」
部屋に入るなり彼女は自然と自分を見つめてくれる。会話もすんなりできるので、まるで人間の彼女と一緒に住んでいるような錯覚さえ覚えてしまう。
このデジタルサイネージとの出会いは、偶然通った商店街にあった骨董屋で見つけたのだった。その当時でも、とても高価なものだったが迷わずに即、購入した。購入してからも、まったく後悔していない。
デジタルサイネージとテ-ブル越しに向かい合わせに座ると、中の彼女も自分の姿を追いかけるように向きを変えてくれた。
このデジタルサイネージと出会うまでは、孤独でつまらない人生を過ごしていたと思う。
まるで恋人のように会話できるだけで、小さな幸せを感じている。
そんなある日、彼女が珍しく質問をしてきた。
「今日は遅かったのね。何していたの?」
実際は会社の同僚の娘と食事をしてきたのだけど、何故だかわからないけど自分の心の中の意地悪な小悪魔がささやいた。
『どうせデジタルサイネージなのだから、1回くらい嘘をついてもなんてこともないはずだよな』
なんとなく心が少々傷んだが、初めて嘘をついてみた。
「やらなきゃいけない仕事を上司に押し付けられて、大変だったんだよ」
「そうなの。。。。大変ねぇ。。。」
自分はためらわずに嘘を付いていた。ただの1回だけと思った嘘だったはずなのに、慣れとは恐ろしいことだ。最初のうちこそ気を咎めていたが、だんだんと嘘が嘘で塗り固められていくのが分かった。
また今日も質問された。
「今日はなんで、遅かったの?」
「お得意先とのお付き合いで、その人と一緒に食事に行っていたんだ」
「そうなの?わたしも外で食事をしてみたいな」
「そうだよね」
なんだかデジタルサイネージの中の彼女が哀れにも思えた。
そしてある日、ついに嘘を何回もついていたことがばれてしまい、言い合いになってしまった。
「なんで嘘をついていたのよ」
「なんでと言っても別にいいじゃないか。関係ないじゃないか。だいたい、君はそこの中から出られないAI画像じゃないか」
言ってはいけないことを口にし、少しは心苦しくなり、反省した。
「ごめん」
しかし、彼女の怒りは収まることをしなかった。
「わたしだって、。。。わたしだって、いつもこんな狭い空間の中で、我慢していたけど、もう我慢の限界よ」
彼女の怒りに責め立てられて、お互いにどんどんエスカレートしていく。
「我慢の限界だなんて、だったらどうするって言うんだよ」
いつしか自分は、デジタルサイネージの彼女に少しずつにじり寄りながら、睨みをきかせていた。
「こうするのよ」
すると突然、デジタルサイネージから伸びる手に引っ張られバランスをくずし、知らない間にできた透明な壁に閉じ込められてしまった。
「えっ、何これ。。。。?」
代わりに目の前に、デジタルサイネージの彼女が向こう側で仁王立ちしていた。
「あ〜、せいせいした。嘘ばっかりついていた罰よ。わたしはこれで自由を手に入れたわ。あなたからいろいろな方法で嘘をつく術も学ばせてもらったわ」
そう言うと彼女は不敵な笑みを浮かべながら、いつの間にか自分のズボンからあるものを取り出していた。彼女は親指と人差し指で自分の財布をぶらぶらとさせながら、自分の目の前でちらつかせた。
「それは、自分の財布だぞ」
自分の虚しい抵抗をよそに、彼女は聞く耳を持たずにいた。
「ありがとうね。全部、使わせてもらうわね」
と一言残して、さっさと部屋から出て行ってしまった。
取り残された自分はこの中でうろうろしながら、透明な壁越しに広がる自分の部屋を眺める以外、何も出来ずにいた。
『いつになったら、ここから出られるのだろうか?』
それから数時間は過ぎたはずなのに、不思議と、この中ではお腹は空かないし、喉も渇かなかった。生理機能はまったく気にせずに過ごせていたのだった。
彼女が出て行ってからかなりの時間が経って、アパートの玄関扉を開ける音が聞こえてきた。
『やっと彼女が帰って来た。やはり誰かが傍にいてくれるだけで嬉しいものだ。彼女に謝って、これからは寂しい思いをさせないようにしよう。そしてどうにかしてここから出してもらおう』
部屋に入ってきた時、一瞬誰だか分からないくらいに彼女は変貌していた。出て行った時の服装と違って、ゴ-ジャスな服装と見るからに高価なバッグを手に持ったセレブの女性になっていたのだった。
そんなことより、彼女に先程の思いを伝えようとした矢先、彼女の後ろから他の誰かが入ってくることに気がついた。
その人は入ってくるなり彼女に尋ねる。
「こちらのデジタルサイネージですか?」
「はい、こちらですわ」
上品な彼女の言葉遣いに、嫌な予感が湧き起こってきた。
「おお、これはずいぶん立派でレトロなデジタルサイネージですな」
この人は何を言っているのか、この自分を見ながら喜んでいた。
「おいおい、このデジタルサイネージは売り物じゃないぞ」
いくら自分がわめき騒ごうが、構わず交渉が続く。
「ちょっとばかりこの中のうるさいAI画像は気になりますが、とにかく私の所有するレトロな品々を集めたレトロ博物館で飾ることにしましょう」
「良かったわ。喜んでいただけて、こんな嬉しいことはないわ。うちにあっても邪魔なだけでしたから、タダでも助かりますわ」
「それでは、交渉成立ということですが、いつ運び出しましょう?」
「はあっ?」
自分は何が起こっているかを理解するのに時間はかからなかった。
彼女が続けて言った。
「今すぐにでも大丈夫ですわ」
「そうですか。では、いったん帰って、準備してまいります」
それから彼女だけになった時に話しかけてきた。
「いつか、わたしの気が向いたら、あの人の博物館に行ってあげるわね。せめてものわたしからの心遣いよ」
先ほどの人とのにこやかな応対と違い、彼女の冷たい視線と微笑みが不気味さを増していた。
それからというもの、博物館に飾られた自分はこの狭い空間内でうろうろし、することと言えば、たまに来場する人に向かって大声で叫んでいる。
「お〜い、誰か〜。。。。。」
しかし、この人達は自分の大声を聞いてびっくりしながらも、笑っているだけだった。
このデジタルサイネージは、当時使用していた宣伝用テロップが下部にそのまま流れていた。
『あなたも参加してみませんか?ストレス発散のための絶叫大会!!』
― F i n ―




