あめ
私のショート・ショート 第81弾です。
(2010年11月2日投稿作品)
あめ
『ザーーーっ』
会社からの帰宅途中、突然の雨に私は急いで店の軒先に駆け込んだ。
シャッターの降りていたのがたまたまなのか、誰にも迷惑をかけないで済みそうな軒先で、雨宿りをすることにした。
そして、うっとおしい空を見上げる。
どんよりとした灰色の空から、シャワーのように勢いよく降り注いでくる。
『はやく、止まないかしら』
私はとりたてて急いで帰らなければいけない訳でもなかったのだけど、雨がはやく小降りになるのを待っていた。
下に目を移すと、乾いたアスファルトに次々と雨が染み込んでいき、見る間に藤色に変わってゆく。
『傘を家に置いてきてしまったばかりに、こんなことになるなんて。近くにコンビニでもあればよかったのに、あるはずもないし。。。』
そう思っていると、ひとりの男性が傘を差しながら近付いて来る。
『えっ?やだ、来ないでよ』
その人に視線を向けながら、こころの中でつぶやいていた。私は男性に免疫がないので、ドキドキした心臓に負けそうなくらいになってしまっている。
そのひとはそんな思いなんてまったく関係なく、どんどんわたしに近付いてくる。
「傘を持ってないんですか?」
唐突に訊ねられ躊躇しているわたしに、その人は持っている傘を差し出してきた。
「えっ?」
「どうぞ、この傘を使って」
男性から優しくされたことなんて、今の今までなかったことなので、ようやく声を出して応えた。
「えっ?だって、。。。どうするんですか?」
わたしはこの状況で、このひとの後のことが気になった。
「自分の家はここからすごく近いから、少しくらい濡れたって、たいしたことないから。。。だから、使って。。。」
そう言って、持っていた傘をわたしに押しつけるとすぐに走って行ってしまった。
急な出来事にわたしは、戸惑うばかりだった。
受取った傘を持ちながら軒先から一歩も踏み出さずに、走っていくあのひとの後ろ姿を目で追っていた。あのひとが少し先の角を曲がったところで我に返り、思い出したように受取った傘に雨を当てる。
なんとも言えず、先程と違った感じの心地よい雨の音が響き出す。
『すごく親切なひとだったわ。いまどき珍しい。。。こんなわたしのことを気遣ってくれるなんて、世の中捨てたもんじゃないわね』
男物の傘を広げたまま、歩きだす。傘はわたしにとって、かなり大きいものだったが、柄の部分からあのひとの温もりが感じられた。
『おかげで、濡れずに済むのよね』
先程までのあのひととの出来事を、ひとつひとつ繰返し思い出しながら、雨音の中を歩いていた。
そんな時、普通に疑問が沸き起こる。
『どうやってお礼をしたらよいのかしら?それに、どうやってこの傘を返したらよいのかしら?ただわかっていることは、同じ駅を利用していること。それと、あの角を曲がって行って、近いだろうということだけ』
わたしはその曲がり角まで少し急ぎ足で歩き、通り過ぎる時にはいくぶんゆっくりと歩き、いないとわかっていながらも、あのひとの姿を捜していた。
『やはり、いるわけないか。。。』
頭ではわかっていても、何故か気になっていた。
家に帰りつくまでに、なんの変哲もない茶色い傘の生地を左右に少し回しながら、知らず知らずのうちに微笑んでいた。
それからというもの、わたしは通勤時にあのひとに出会わないかといつも辺りを見回している。
あの日、あのひとが傘を貸してくれたことが、少しずつ過去の記憶となりつつある。もう、あのひとに会うことは出来ないのだろうと諦めかけていた。
そして、今日もまた、あの日のようにあめが降っている。
会社からの帰り道。
いつものように、いつもの時間に、いつもの最寄駅の改札を出たところで、ふと視線を移した先にあのひとが。。。
『あっ、。。。あのひと、。。。間違いない』
わたしの心臓は警鐘を鳴らし始めた。急ぎ足で近づく。
「すみません。あのぅ。。。」
声を掛けたわたしが、誰なのかを思いだそうとしている彼が手に取るようにわかった。
「ああ、あの時の。。。」
『そう、あの時の。。。わ、た、し、よ』
わたしは胸の内で叫んでいた。ついに、ついに、この日がやって来た。
そう、。。。わたしはこの彼にまた会える日をすごく、すごく待ちわびていた。
「あの時はありがとうございました。傘をどうやってお返ししようかと思っていたのですが。。。」
「ああ、あの傘は別にいいよ。あげるよ」
あっさりと言い残し、行ってしまいそうな彼に向かって、なんとか引き止めようと必至になっている。
そして、傘を持っていない彼を見て、わたしは勇気を振り絞り、わたしの持っている傘を持ち上げながら、彼の後ろから声を掛けた。
「ねぇ、ちょっと待って。。。一緒に帰りません?」
彼はわたしの声を聞いて振り返る。
「あっ、ああ。ありがとう」
そんなわたしの仕草を見て、にっこりと浮かべた彼の笑顔がとてもかわいらしく、素敵だった。
「助かったよ。すっごく強く、あめが降っているからなぁ」
わたしは皆が持つ傘を咲かせ始めたところで、わたしも花柄の傘をめいいっぱい大きく咲かせた。そして、彼の背丈まで手を伸ばし、彼を見つめた。
「自分が持ってあげるよ」
彼の柔らかい声が聞こえた。
すると、彼はわたしから傘を取りあげ、わたしの肩を抱き寄せた。
一瞬ドキッとする、わたし。
その後、一緒に帰るひとつの傘の中で、わたしはさりげなく彼の肩に頭を寄せた。
ついに、わたしのほのかな恋心が、あめのおかげで実り始めたのだった。
『ありがとう。。。あめさん。。。今だけは、降っていてね。お願いね』
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