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ねぇ、こっち

SFラブロマンス。短編ストーリー

【プロローグ】


自分の年齢は、気付かないうちに30歳を少し回った年齢になってしまった。


『人生を振り返るといろんなことが起こったな。』


まだ、そんな人生を振り返るような歳ではないのだが、自分の性格からだろうか、つくづくしんみりと考えてしまう。


それも、そのはず。ついこの間まで、楽しく過ごしていた6歳下の彼女と別れたのだ。


しかも、自分から別れ話を持ちかけてしまった。


『 後悔は先に立たず 』とは、よくできた諺だと思う。別れて気付く彼女の大切さ。まさに、今の自分の状況にぴったりの言葉として、当てはまっている。


あの時の彼女の辛そうな顔を思い出す度に、ぎゅっと胸が引き締められるような切ない思いになる。


別れ際、彼女は何も言わずに俯いたまま、走って行ってしまった。恐らく泣き顔を自分に見られたくなかったのだろう。自分はそんな彼女をそっと見送っていた。


それでも、自分にもそれなりの理由があって別れることに決めたことなのだ。そして、今も彼女はその理由を知らないでいる。。。


そんな自分が、あることをきっかけに、思いもしない不思議なことに巻き込まれてしまう。




『 ねぇ、こっち。 』。。。。。ストーリーの始まりです。。。。。










◎◎◎◎

〇〇〇〇〇〇〇〇

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

    〇〇〇〇〇〇〇〇

        〇〇〇〇










【出会い】



若いカップルが、楽しげにこの公園にある芝生の上で、ふざけあっている。


『自分にもあんな時があったんだよな。』


自分は彼らを横目で見ながらも、心なしか寂しさが込み上げてくる。


自分は彼女と別れてから毎日かかさずこの公園に来て、ひとりでいる寂しい気持を和らげるために、歩くことにしたのだった。


ここは、河沿いの公園。ここにいる人はまばらで、のんびり過ごすにはちょうどよい場所だ。


自分は遊歩道から少し奥まったところにちょうど木陰になっている、いつも座るベンチに深く腰を降ろして、両腕をベンチの背もたれに回した。


自分は公園を一巡した後このベンチに座わり、河の水を引き込んだ小川の上をのんびり行き交うカモの親子を眺め、木々の合間から聞こえる小鳥のさえずりや葉のささやき合う音を聞いてのどかに、ゆったりと過ごして帰宅することにしているのだ。


春の木漏れ日の差す陽射しの中で、いろとりどりの花が辺り一面に可憐に咲いている。春を思わせる菜の花の香りが心地よく漂ってきて、香りに誘われた1匹の紋白蝶がどこからともなく現われて、ひらひらと優雅に飛んでいる。やがて、自分の座っているベンチから少し離れた遊歩道に親子連れの仲良く笑いながら手を繋いで歩く姿が目に映る。


「○○ちゃん、ジャーンプ!」


そう言って、ちいさい子供の両側にいる両親が、その子と繋いだ手を持ち上げてジャンプをさせていた。


子供はそれにつられて、ケタケタと笑い声を上げて喜んでいる。


そして、子供はさらにねだる。


「もう1回、もう1回だけやって。」


子供のせがみに負けた両親は、また力を込めて子供を持ち上げる。子供は大喜びだ。


『なんとも微笑ましい光景ではないか。自分もあの時、。。。まただ。。。どうもいけない。』


よく耳にする言葉で『たら、れば』がある。この言葉も今の自分が考えてしまう1つである。


あの時、今も彼女とつきあっていたら、とか、彼女に別れ話を持ちかけていなければ。。。なんて頭の中のあちらこちらで浮かんでは消えてゆく。男なのだから、潔く決めたことではないか。自分で首を左右に振りつつ自分を戒める。しかし、出てくるのは、ため息ばかり。。。やはり、吹っ切れてはいないようだ。


暖かい太陽の陽射しと春の香りを楽しんで、いくぶん気持が和らいだところで帰宅した。


アパートの玄関の鍵を開け、全く音のしない部屋に向かってひとり静かに言う。


「ただいま。」


それから、靴を脱ぎ捨てダイニング・キッチンに上がる。自分の住むアパートは、入るとすぐにダイニング・キッチンがある。そこを通り抜けて、洋室に行く。


洋室の机の上には、8ケ月程前に撮った写真が写真立てに収めらて置いてある。


自分は、その写真に目を向けた。


にこやかに2人で寄添っていて、2人は幸せそうだ。紛れもなくその写真に写っているのは、自分と彼女だ。


自分はその写真立てを無造作に、机の引き出しに押し込んだ。


早く、彼女のことを忘れてしまわなくては。。。男は、女の人と違って随分引きずってしまうと聞いたことがある。確かに、その通りだと自分に当てはめて、そう思ってしまう。彼女と一緒に写っている写真さえも、片付けるのにここまで時間がかかってしまっていたのだから。。。


それでも、時間が少しずつ解決してくれたように思える。解決と言うより、自分の記憶から少しずつその思い出が消えていただけのことなのだろうが。。。ようやく彼女との思い出を自分の心の奥深い引き出しにしまうことが出来そうだ。とにかく以前と比べれば、だいぶ立ち直りかけてきたようだった。


それから、季節が変わり。。。


夏を迎えたこの公園は、あの時と比べると辺りの木々や花々の景観を変化させていた。木々は暑苦しくなる前のひとときを、ひっそりと黙って静観しているように見える。そして、夏を象徴する背の高いひまわりが春の花に変わり咲き乱れ始めている。それに、朝から元気よく夏に相応しいあの騒がしい虫の鳴き声が、あちらこちらから否応なしに響き渡ってきている。


『ミン・ミン・ミン・ミ〜〜。ミン・ミン・ミン・ミ〜〜〜。』


この鳴いているセミの泣き声を聞いているだけで、「ジト〜」っと汗がでてきてしまうようだ。そのセミ時雨の中を自分は歩いていた。


自分は、公園内の小川に架かった小さな橋を渡るところに差しかかった。


するとどこからともなく、まるで自分を呼ぶようにかわいらしい女性の声が聞こえてきた。しかもその声からすると、自分よりちょっと年下くらいで、どことなく恥ずかしそうに自分を呼んでいるような感じだった。


『ねぇ。こっち、こっち。』


突然の呼びかけに自分を呼んだのかと思い、その橋の欄干に手を掛けながら、立ち止まってその声のした方向に目を向けた。しかし、そこには、誰もいなかった。その声は少し遊歩道から離れたところにある木々の中でも、手前にある青々した葉を繁らせた大きなイチョウの木の方角から聞こえてきたのだった。


自分の錯覚だと思い、再び歩き出そうとした時に、また自分を呼んでいるように声が聞こえてきた。


『 ねぇ。こっち、こっち。こっちだってば。 』


今度はしっかりと聞こえた。自分を呼んだのは間違いない。そこで、自分は再び立ち止まり、その方向に目を向ける。しかし、そこにはやはり誰もいなかった。今度の声は間違いなく自分を呼んでいたと思われた。


いたずらにも程があると思った自分は、しばらく立ち止まってその方角を眺めていたが、意を決して大きなイチョウの木に歩み寄って行った。


しかし、やはり誰もいる気配がない。自分は木陰のひんやりとした中で、呼んだ本人を探し続けたが、見つからなかった。大きいイチョウの木を一周したがどこにもその当の本人が見当たらないのだ。


そそくさと木の上に逃げ込んだのかと考え、木漏れ日の差す木を見上げてみたものの、いるはずなどなかった。女性が意図も簡単に、こんな大木を登れるわけがない。


『やはり、自分の聞き違いだったのだろか?いやいや、絶対に自分を呼んでいたよ。』


自分は心の中で自問自答を繰り返しながら、呼んだ本人の見つけることを諦めて遊歩道に戻り始めた時、突然自分の体と足に何かがぶつかり、そのはずみで転んでしまった。


ただ、その何かにぶつかった時に、確実に『きゃっ!』って言う声が耳元で聞こえたのだった。


『えっ?何?女性の声?』


自分は転んだ状態で、両手両ひざを地面についたまま辺りを見渡してみたが、誰もいない。そして、恐いあまり早くこの場から逃げ出そうとした時、後ろからまたもや声がした。


『お願い!逃げないで!!』


一瞬、自分の体は硬直し、後ろを振り向くがやはり誰もいない。


『えっ、えっ。ボウレイ!?』


自分の血の気は完全に引いてしまっていた。


『だけど、今は真っ昼間だから、こんな時間にボウレイは出るはずがあるはずがない。』


体が思うように動かなくなってしまって、呆然と立ちすくむ自分であったが、自分自身を納得させるよう一生懸命に努めていた。


「驚かせてしまって、ごめんなさい。」


声は、いたって落ちついて話しかけてくる。


自分は顔だけ後ろを向けて、勇気を振り絞ってその声に向かって声を出した。


「誰?どこにいるの?」


しばらくの沈黙の後、声が返ってきた。


「わたしは、イチョウの木の妖精。あなたのすぐ後ろに立っているわ。」


「イチョウの木の妖精って、この木の?」


自分はすごく奇妙な気持になった。大人になった今、こんな馬鹿げたことは起こらないと思うのが普通だ。暫くして、少しずつ気持が落ちついてきたところで、声のする方向に向き直った。だが、相変わらず姿は見えないでいる。


そして、その声は続けて言った。


「わたしは長いこと話し相手がいなくて寂しかったの。前にね、わたし。。。大好きになった人がいたのだけど、その人はもうここに来てくれないの。遠いむかしの話しになっちゃうんだけどね。」


落ちついて聞いてみると、自分に話し掛けてきた声は以外とかわいい声だと気付いた。


『きっと、1人っきりで本当に寂しかったのだろう。自分も今はひとりっきりだから、なんとなくこの妖精の気持が分らないでもない。』


「あなたに声をかけたのは、ほかでもない。実は、ひとつだけお願いがあるの。別に、断ってもらってもいいのだけど、一応わたしのお願いを聞いてもらえないかなぁ?」


自分はさっきまでの恐怖感からいつの間にか開放され、甘いうっとりとするような声に、魅了させられてしまっていた。


「聞く事はできるけど、本当に断るかもしれないよ。」


念の為、自分は一応断りを入れておいた。


しかし、いつの間にか声のする方を向きながら普通に話をしている自分が、不思議に思えた。


「あなたの体を1日だけ、1日だけでいいから貸してくれない?」


「はっ?自分の体を貸すって、やはり君は。。。?」


「あなたが思っているようなことじゃないわよ。」


自分はそれを聞いてホットした。この声の存在に自分自身が、ずうっと憑依ひょういされてしまうのかと思ったのだった。


「だけど、自分はその間どうなっちゃうの?」


「あなたはそのままだし、声もあなたの声。何が違うかと言うと、あなたの意識は残っていて、あなたの声でわたしが喋るの。だから、あなたには一切、黙っていてもらいたいの。もしも、一言でもあなた自身で声を出してしまえば、わたしは永遠に声を失ってしまうことになるから、絶対に声を出さないでね。ただ、それだけ。」


「。。。、ただ、それだけって言っても、結構すごいことじゃない?それに、自分は、男だよ。」


「それは、知っていて頼んでいるのよ。わたしはあなたをずっとここのイチョウの木より見てきました。あなたほどこの公園に来て優しい目で木々や鳥達を眺めていた人はいないとわたしは確信しているの。そこで、お願いしているのよ。何年もの間、わたしはこのような優しい心を持った人を待ち続けていたのよ。」


「何年も?」


「そうよ。何年も。。。」


心なしか寂しそうな妖精の声に、自分は心を決めた。


「分ったよ。1日だけならいいよ。」


「ありがとう。」


そうは言ったものの、なんとも言い難い気持ちでいた。


「本当は、人間にお願いごとなんか頼むつもりはなかったわ。だけど、前にも言ったけど、あなたはほかの人達と違う。だから、お願いしようと決めたの。」


「そんなに他の人達と変わらないと思うけどなぁ?。。。それでいつ自分の体を貸せばよいの?」


「いつでもよろしくてよ。あなたの都合でいいの。」


「いつでもいいんだぁ?」


「ええ。」


「それじゃ、早いほうがいいと思うから、明日の日曜日にここの場所に来るよ。」

「ずいぶんと早くしてくれるのね。ありがとう。」


「時間は朝の7:00でよい?」


「うん。いいわよ。お願いします。」


なんだか照れてしまう。まるで自分に彼女ができて、デートの約束をしているようだったからだ。


「それじゃ、明日。」


「楽しみに待っているわね。」


自分は無意識の内に無性に喜びを押さえ切れないでいた。こんなに弾んだ気持になるのは、久し振りだ。


明日という日が、こんなに待遠しいとは、不思議なほどだった。










◎◎◎◎

〇〇〇〇◎◎◎◎

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    〇〇〇〇〇〇〇〇

        〇〇〇〇









【お出かけ】



風にたなびくレースのカーテンの隙間から、眩しく暑苦しいほどの太陽が、部屋で寝ている自分の顔を容赦なく照らしつけている。日曜日の朝だ。今日が妖精と約束した日だ。


自分はいつにもまして遅くならないように、早く起きてしまった。と言うよりも、恥ずかしながら興奮状態で良く寝られなかったと言ったほうが正しいのだろう。


急いで支度を済ませ、家を飛び出る。あの公園まで早歩きで10分程度の場所だ。


公園に入ると早朝にもかかわらず、すでに数人が汗をびっしょりかいてジョギングをしていたり、清清しい朝を楽しんで歩いていたりした。ただ、辺り一面では、相変わらず騒がしいほどの虫の声が響き渡っている。


『ミン・ミン・ミン・ミ〜〜。ミン・ミン・ミン・ミ〜〜。』


さらに急ぎ足であのイチョウの木を目指した。


到着するや、自分は大きなイチョウの木に向かって小さい声で声をかけた。


「おはよう。」


「おはよう。早いわね。」


すぐさま生き生きとした声のトーンで、イチョウの木の前から返事が返ってきた。


「元気よいね。」


「当たり前よ。挨拶ぐらいしっかりしなくちゃ。」


「まあね。だけど、そんなに早くはないさ。7時ちょっと前だよ。ところで、どんな感じで君に接すればいいのかなぁ?」


自分はそれとなく、どうしたらよいのか妖精に訊ねた。


「あなた自身は何も変わらずにいてくれれば、いいんだよ。ただ、わたしがあなたの体に入った後の状況を説明すると。。。わたしが、あなたに対して伝えたいことは、あなたの声を出して伝えることになるからね。そして、もしあなたがわたしに伝えたいこととか、話して欲しいことがあるならば、あなたの頭の中でわたしに伝えてね。くれぐれもあなた自身で声を出さないように。それだけは、お願いね。じゃないと、わたしは体だけでなく、本当に声までなくしてしまうことになるから、それは守ってね。」


「うん。わかったよ。」


「それじゃ、もう入っていい?」


「ああ、いいよ。」


妖精は自分の体の中に入り込んで来た。その感覚は『ふっ』と何かに触れられて、ぞくっぞくっと一瞬体が反応したに過ぎなかった。


そして、早々、自分の体を動かしてみる。なんともない。妖精が言っていたように、自分の意思で体を動かすことができる。


次に、自分は頭の中で自分の言いたいことを妖精に伝える練習を試みた。


『で、どこに行けばいいの?』


「実は、それが問題なの。とにかくここの公園を出ましょう。」


とりあえず、会話が成り立つようだ。遊歩道を歩きながら会話をする。傍目はためから見れば、うわの空で歩いているのだから、きっと自分のことを変わった人だと思うことだろう。


自分は、頭の中で聞き返す。


『問題?問題って、どう言う事?』


「それが、わたしの行きたいところが、よくわからないのよ。」


『なんだ、そりゃ?』


危うく自分で声を出しそうだった。


「だって、わたしはここから出たのがかなり前のことでしょ?だから、どこに行ったらよいのか、わからないの。」


話しを聞いて、頷けてしまうのは当たり前のことだろう。


『まあ、いいよ。自分が適当に歩くから、行きたいところが見つかったら言ってね。』


「わかったわ。」


そうこうしている内に公園の外に出た。ここから自分はどこに行こうか、それこそ迷ってしまった。とにかく、自分は思いつきのまま適当に歩いて行く。


「わたしね。あの公園から何年もの間、1歩も外に出ていなかったから、少し興奮してしまっているみたい。だけど、ずいぶんと景観の移り変わりを見える範囲で眺めていたわ。」


『ずいぶんとこの辺りも変わったんだろうね。』


「そうね、だいぶ昔になるけど、残念でならないのがこの近くにあった木が切り倒されてしまって、わたしの友達の妖精もそれ以来。。。」


『それは、ひどい。。。かわいそう。。。』


「でもそれは、人間の生活のために仕方のなかったことなんでしょ?」


そう聞かれて、自分は答えに窮してしまった。本当にそうだったのだろうか?

疑問は残る。


『。。。。。、ごめん、はっきりと答えられない。』


「あれは、悲しすぎる出来事だったけど。。。とにかく、わたしは助かった。」


『こんな時になんだけど。聞きたいことがあるのだけど、1本のイチョウの木にひとりの妖精がいるの?』


「そうよ。だから、わたしはこのイチョウの木とともに成長してきたわ。この木の大きな愛情によってわたし自身が育まれてきたのよ。ただ、今のわたしのように姿を現わせられるようになるには、100年以上経たないとダメなのよ。姿と言っても声だけになってしまったのだけど。。。」


『声だけになった?じゃあ、妖精の体は見えていたの?』


「そうよ、ある事情から声だけになってしまったの。」


『そうなんだ。』


自分はこの時、妖精の言うその事情を敢えて聞かずにいた。聞けば話してくれたかもしれないが、妖精の気持を尊重していたつもりだった。


『木は愛情を持っているのかい?』


「あらやだ、持っているわよ。知らなかったの?」


『うん。知らなかった。』


「まあ、仕方のないことなのよね。人間って、自分自身で理解できないことは、信じようとしないものね。」


妖精は、自分自身で納得しているような口調だった。


『そうかぁ、確かにそうかもしれない。自分も昨日まで、君の存在さえ信じていなかったもんな。寂しいことだよね。』


そして、妖精と頭の中での会話に夢中になるあまり、ちょっとした不注意で道行く人にぶつかってしまった。慌てて妖精に伝える。


『あっ、どうもすみません。』


少し間が空いて、謝りの言葉を妖精が言った。


「どうもすみません。」


ぶつかってある程度すぐに謝ったのだが、その相手が悪かった。


「おいおい、にいさんよ。すみませんだぁ?どこに目ん玉を付けて歩いているんだよ?」


自分は言われた方に振り返り、いかつい顔をしながら相手に対して伝えたいことを言ってもらうために妖精に伝えた。


『どこにって、決まっているだろ。ここだよ。ここ。』


「どこって、決まっているよ。ここだよ。」


自分は一生懸命に気持を押さえつつも、いちいち妖精に頭の中で伝えて怒鳴ってもらい?ながら、自分の右手の人差し指で自分の目を指差した。


ただその声は、自分の作っている顔と対照的な、ものすごくテンポののろい迫力のかけた言い方だった。そのため、相手はいささか考えてしまっていた。自分は怒鳴り声を出せずにいる自分に対していらいらしていたが、ここで大声を出してしまえば妖精の声が永遠に失われてしまうので、ぐっと耐えていた。それだけは絶対に避けなければならないことなのだ。


それでも、相手はその言葉にカチンときたようで、さらに突っ込んで言ってくる。


「おい、おい、やる気なのかぁ?」


自分は、すかさず妖精に頭の中で言いたいことを伝える。


『上等じゃねぇか。』


しかし、その言葉は妖精にみごと打ち消されてしまい、妖精の自らの判断で言葉を言い放った。


「ごめんなさい。わたし。。。わたし、悪気があったわけではないの。」


妖精がこの場のこの状態を焦っていたせいか、女性言葉のように男の声で対応してしまった。


突然の女性言葉のような対応に、相手は急に拍子抜けしてしまって、きょとんとしていた。自分の顔は、それなりの顔を作っていたつもりなのだが。。。


「おい、今度は気を付けるんだぞ。」


そうひとこと言い残し、相手は急ぎ足で去って行ってしまった。


取り残された自分は、なんと間抜けな表情を作っていたことだろう。


自分は辺りの通行人にチラチラと見られ気恥かしくなり、すぐさまいつもの表情に戻り、なにくわぬ顔で歩き出した。


「ごめんなさいね。あなたの考えている言葉を話さなくて。。。」


妖精は小声でつぶやく。


『気にしなくていいよ。』


「わたし、喧嘩が嫌いなの。だから、喧嘩したくなかったのよ。」


『まあ、いいさ。妖精の言う通りだよ。喧嘩はよくない。』


自分は高ぶる気持を押さえつつ、頭の中で妖精に伝えた。


『さて、喉も乾いたし、コンビニで何か飲み物を買っていいかなぁ?』


「コンビニ?」


『そう、コンビニ。そこでは、いろいろなものを売っているんだ。だから英語のコンビニエンス ストア(便利なお店)の略でコンビニって呼んでるんだよ。』


「いいわよ。そこに行きましょう。」


近くのコンビニに立ち寄る。入り口を入ってすぐに通路を左に進む。


すると、さすがに妖精といえ、女の子。ファッション雑誌を見るや、すぐさま声を出す。


「あれ、見てみたい。」


近くでファッション雑誌を立ち読みしていた女性客から、何なのこの人と言う感じに睨まれてしまった。


そりゃそうだ。『あれ、見てみたい。』なんて女性客の後ろを通り過ぎる際にわざわざ言っている男なんかいるはずないもんね。


『そうは言っても、自分は男だから。。。ええいっ、わかったよ。』


外の世界に出ていない妖精の気持を汲んで行動することにした。


そこで自分は少し引き返して、頭の中で聞きながら右手を伸ばして、いろいろあるファッション雑誌の表紙の前を少しずつ、ずらしていく。


『どの本?これでいい?』


「うわっ、いいね。隣がいい。」


妖精はちょっとばかりファッション雑誌に興奮してしまっているようだが、隣の女性客にはまたしても、チラ見されてしまった。


恥かしさで湯気が出る思いと、自分のプライドが崩壊していくのがわかった。


ペラペラと女性雑誌のページを繰る。


『ふうん。女性雑誌って初めて見るけど、こんな感じなんだ。』


写真が豊富で見ているだけで楽しめる。


『おお、結構奇麗な娘がいっぱい載っているじゃないか。』


「ねえ、お願い。ゆっくりと、なかを見たい。」


またもや、妖精は声をだす。それも、自分の男の声で。。。


すると、隣にいる女性客は何を勘違いしたのか、この変態といわんばかりな目で睨んで手にしていた雑誌を置くと、その場から離れて行ってしまった。


『あ〜ぁ、そうだよ。『ねえ、お願い。ゆっくりと、なかを見たい。』なんて、どこだよ。隣にいた女性客はきっと。。。それに、あまり男性客は女性雑誌をまじまじと見ないもんだからな。仕方ないことだよ。それも声をいちいち出しているなんて。。。』


自分は一生懸命、頭の中でぶつぶつと言っていた。


「ごめんなさいね。」


『ああ、ごめん、ごめん。自分の思い込みだけだから。いいって、気にしないで。』


そうは言ったものの恥かしい気持でいっぱいだった。


「結構、これも楽しめるのね。」


『確かに、。。。男の自分でもなんだか写真を見ているだけで楽しめるのだから、それは間違いないことだろう。』


「ありがとうね。もういいわ。次に行きましょう。。。」


7、8分経った頃、妖精からそう言われ、開放された嬉しさを感じたほどだった。ほどなくして自分がジュースを買い、店を出て喉を潤した後、再び適当に目的もなく歩き出した。


『それじゃ、ちょっとごみごみしたところに行って見るかい?』


「いいわよ。任せるわ。」


しばらく、なんの変哲も無い通りを歩いて行く。ここは、まだ住宅街。ところどころの塀から、背の高いヒマワリが顔を覗かせている。なんだか微笑んでこっちを見ているようだ。


そうこうしている内に、ようやく、ちょっとばかりごみごみした通りに近づいた。









◎◎◎◎

〇〇〇〇◎◎◎◎

〇〇〇〇〇〇〇〇◎◎◎◎〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

    〇〇〇〇〇〇〇〇

        〇〇〇〇








【 迷子 】



しばらく車道脇の歩道を歩いて行くと、辺りは先程までの静かな住宅街と違い、ビル街になった。もちろん、人通りも先程とは比べられないくらい多くなっている。


「すごい違いだね。わたしの住んでいる場所は、やはりいいな。こんな場所に住みたくない。」


『そりゃ、そうだよね。あんなに自然に近い場所は、ここの辺りにないよ。』


車道に目を向けると、排ガスをおもう存分撒き散らしている車の渋滞が、続いていた。


『また来た道を戻ろうか?』


そう妖精に問いかけた時だった。いきなり妖精が声を出した。


「あっ、彼。。。」


そう言って、いきなり妖精は自分の体からすうっと抜け出てしまったようだった。


『どうしたの?妖精さん、自分のからだの中にいる?』


そう頭の中で問いかけても返事がない。暫く経って、もう一度頭の中で聞いてみたが同じことだった。


妖精の行動は咄嗟のことで、自分にはどうしようもなかった。どうして、抜け出てしまったのか、この時は考えも及ばずにいた。


『迷子にならなければいいのだけど。。。』


ただ、そのことだけが自分の心配だった。しかし、その心配が、あらぬ方向に進むことになってしまう。


『こんな街中で、妖精は大勢いる中で自分を捜し出せるのだろうか?辺りを見渡したところでどこにいるかなんて全くわかるはずがない。』


こう言う場合は、相手が自分を見つけてくれるまで動かないのが理想的なのだ。


そう自分は、思っていた。


『まったく。どうしたらいいんだよ。。。』


自分は、妖精を捜せない状況に苛立ちを覚えていた。まるで、子供とはぐれた親のようだ。どこを捜してよいかわからない状態がそっくりだった。それでも、まだ子供の場合は姿が見えるからいいが、妖精の姿は見えない。だから、どう考えたところで、捜しようがないのだ。そして、しばらく待っていても自分の体に妖精は、戻って来なかった。


自分は、途方にくれてしまった。恐らく、気が短い人だったら、そのまま帰ってしまっているだろう。そうしたら、間違いなく妖精は迷子になってしまうだろう。だから妖精は、このお願いを自分に頼んだのかもしれないと思った。



一方、妖精は、必至になってその彼を追いかけていた。


その彼は、細身の体型でブラウンのスーツを着こなし、髪型はカジュアル的ショートヘアーをした若者だった。


ある場所まで来ると、その彼は誰かと待ち合わせをしているようだ。


「待ち合わせの場所からして、恐らく女性なんだわ。」


妖精は、研ぎ澄まされた感を働かせていた。



一方自分は、。。。。。


ところかまわず、この近くを右往左往していた。



妖精が自分をどこかで見つけてくれるのではないかと言う淡い期待を込めての行動だった。


しかし、12分以上も行動していたのに、見つけてくれはしなかった。


『どうすれば、いいんだろう?落ち着け、落ち着け。絶対に何か方法があるはずだ。。。』


もう一度、頭の中に問いただす。もしかしたら、いつの間にか妖精が戻っているかもしれないと思ったからだった。


『妖精さん、自分のからだの中にいる?』


そう頭の中で問いかけてみたが、やはり返事はなかった。


『あぁ、どうしよう?』


自分の思考だけが空回りしてしまう。


『あっ、そうだ。自分の体から妖精が抜け出ていると言う事は。。。』


妖精を見つける方法を、ふと1つだけ思いついたのだった。


そうなのだ。妖精が自分の体の中にいないと分れば声を出せることに気が付いたのだった。早速、自分はその方法を試みる。


そしていちかばちかで、自分の出来る限りの大声を出して叫んだ。


「妖精さん、ここだよ。ここにいるよ。」


もちろん、辺りにいる人達の足は急に止まり、視線は自分に集中した。


ものすごい恥かしさが、自分の体全体を覆った。まるで、自分がお芝居かなにかの練習をしているのだろうと、街行く人達は思ったに違いなかった。


『やはり、ダメか。。。』


しばらくすると、辺りの人達はなにごともなかったかのように動き始めた。


諦めかけて次の方法を考えている最中に、自分は自分の体に戻った妖精を感じとった。


『妖精さん、戻った?』


「うん、戻ったよ。ごめんなさいね。」


『あ。良かった。安心したよ。どうなるかと思ったよ。』


自分はものすごい安堵を覚えたとともに、脱力感に襲われた。


「ごめんなさい。以前、好きだった彼にそっくりな人を見かけたものだから。」


『こんどの時は、先に自分に言ってね。そうすれば、そっちに行くから。』


「分ったわ。ありがとう。それじゃ、早速、お願い。そこを右の方に曲がって。」


『お願いも早いね。』


自分は妖精の言うビルの合間を右に曲がった。


曲がるとすぐに、そこはちょっとした広場になっていて、真中に小さな噴水があった。そして、その周りに可愛い花々の入ったプランターが均等に置かれていて、その間にベンチが4つほど置いてあった。


「言っていなかったのだけど、実はわたし、わたしの好きだった彼を捜したかったの。」


『好きだった彼を捜したかったなんて。。。なんで最初から言わないんだよ。』


しかし、自分の心の中では、そのことを聞いてその彼を少し妬ましく思った。そんな思いを悟られないようにすぐさま妖精に向かって話しを続けた。


『なんだ、君も恋をしたんだね。妖精も恋をするんだぁ?』


「恥かしいことだけど、そうよ。」


『別にいいんじゃない?誰だって恋をする権利は持っているよ。』


無理やりでもないが、自分の気持を押さえつつ妖精に対して強気な発言をしていた。


「あっ、この続きはあとで。。。彼がこっちに来る。」


しかし、正面から見た彼は、妖精の思っていたその『 彼 』とは違っていたようで、急にがっかりした声に変わった。


「やはり、違ったわ。彼じゃなかった。」


『そうかぁ、がっかりしないでよ。また、会えるかもしれないよ。』


「ありがとう。」


「きっと、会えるさ。」


自分は、ほとんど無理だと思っていたが、少しでも妖精を元気付けるためにそう言っていた。


「本当に会いたいわ。それじゃ、さっきの続きの話しをするね。」


『それじゃ、噴水のすぐ側のベンチに座ろう。』


そう言って、自分は1つのベンチに向った。幸いなことに、そこの近くに人はいない。


そして妖精は、話しの続きを自分に話し始めた。


「昔、その彼にもあなたと同じようにお願いをしたことがあったの。」


『えっ、その彼にもお願いしたの?』


「ええ、そうよ。だけど、そのお願いの内容はあなたとは違うものだったのよ。それはね、その人の体。」


『えっ、体??』


自分は、一瞬立ち止まってしまったが、思い出したかのように再び歩き出した。


「そう、彼の体。あの時は本当に体を借りたの。それが、間違いだったのよね。妖精の体で世間を歩く訳にもいかないでしょ?だから、体を借りたの。最初はわたし、すごく嬉しかったわ。だって、わたしの体と好きな彼が一緒になっているのだもの。ただそれだけで、ものすごく幸せを感じていたわ。そして、嬉しいあまり、はしゃいでいたと思う。大きく手を振って、歩いて、何でも出来るようにさえ思えていた。だけど、彼は、。。。彼自身で動いてしまったのよ。」


妖精は、急に声のトーンを落としてしまった。自分の声ではあるのだが。。。

元気がなくなった様子が伺える。自分はベンチに座って、落ち着いて話を聞き始めた。


自分の目の前で、小さな噴水が心地よい水の跳ねる音を響かせている。


「彼は、今朝のあなたと同じように喧嘩をしてしまったの。彼が動いてしまったと気付いた時、時すでに遅し。。。」


「。。。。。」


「それがもとで、わたしの体は消えてしまったのよ。そして、わたしの声だけが偶然に残ったの。」


『だから、喧嘩が嫌いなんだね。まあ、喧嘩なんてそもそもいいもんじゃないもんね。。。』


「そうよ。喧嘩は良くない。でも、相手の気持を知るような喧嘩なら良いのかもしれない。。。」


『相手の気持を知るような喧嘩かぁ。。。まあね。だけど、体を動かさないって言うのは、確かに難しいことだったよね。だって、その人の意識があって自分の体じゃないんでしょ?』


「そうよ。確かに、難しいことを平気で彼にお願いしてしまったわ。」


『だけど、妖精さんの体が見えなくなった理由が、理解できたよ。』


「彼はそのことに対して、相当悔やんでいたわ。何度も何度も彼から謝られた。」


『そりゃ、謝るのは、当たり前のことでしょう。』


「わたしの勝手でお願いしたことだから、気にしないで欲しいと伝えたのだけど。それ以来、彼はわたしの前から姿を消してしまったの。だから、彼にもう1度だけ会って、話しがしたいの。」


自分は絶対になんとかして、その彼を捜してあげたい衝動にかられていた。


『だけど君は、あの公園から長い間、出たことがなかったから彼のいる場所を知らないんじゃないの?』


「うん。正直、どこにいるのか分らない。」


『何か手掛かりはあるの?』



「特にこれといってないのだけど、あるとすればマッチ。」


『マッチ?』


いまどきマッチとは珍しい。自分は、とりあえず、そのマッチがあるのなら、見せてもらうことにした。


『そのマッチはどこにあるの?』


すると、どこから出したのかわからないが、空中に浮かんだマッチ箱が現れた。妖精がそれをいつのまにかどこかに忍ばせて持って来ていたようだ。自分は空中に突然現れたマッチ箱を親指と人差し指で摘まんで眺めた。せめて住所が書かれていないかと思ったからだ。


残念ながら住所は載っていなかった。ただ、マッチの箱には『 喫茶 木陰 』と印字されていた。


「『 喫茶 木陰 』かぁ?」


「あなたは、その場所を知っているの?」


「ごめん、知らない。でも、この辺りかも知れないから、まず電話帳で調べてみよう。だけど、君も無茶だよな。なんでもっと早く言わないんだよ。何も事情を教えてくれないんだもん。。。しかもこれから残された半日だけで彼を見つけようとしているなんて、殆ど不可能に近いんじゃない?」


「そうかも知れないわね。でも、不可能でも行動すれば可能に近づくでしょ?」


「まあ、その通りだけどね。」


そこで立ちあがり、もと来た通りに戻ろうとした、その時だった。


反対側の通りから、にこやかに歩いてくるカップルがいた。


『仲良さそうなカップルだね。』


自然に自分の目は、そのカップルに注がれていた。


「ほんとうにそうね。」


妖精も、そのことに対して、同意見だった。









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【 追跡 】



そのカップルは腕を組んで、楽しげに会話を弾ませながら近づいてきた。


『仲が良さそうで、うらやましいな。』


自分はなんの気なしに、そのカップルの彼女の顔を見ていた。


なぜか自分の心臓の鼓動が、頭に響き始めている。


そして、そのカップルが自分の脇を歩いて通り過ぎて行く時に、彼女はスローモーションのように風になびいた長い髪を指で払った。その彼女の顔が、一瞬にして自分の目に焼き付いた。


間違いなくその彼女は、自分から別れ話を持ちかけた綾子だったのだ。


『そっかぁ。出会えたんだね。』


「気付いた?今すれ違った彼がわたしの好きだった彼。。。」


『えっ。そうなの?』


自分の思いもよそに妖精は言う。


「こんどこそ、間違いないわ。」


『。。。。。』


「あのカップルに、ついて行ってくれない?」


『えっ、いや、ん、よそうよ。』


「お願い。」


そう、きっぱり言われてしまっても、自分のこの思いは変えたくはなかった。


「お願い。」


もう1度、妖精からせがまれる。


自分は仕方なく、距離を置いてついて行くことにした。


『ストーカーみたいなことは、したくないんだよな。。。』


妖精は、彼の隣にいる彼女が自分の彼女だったことをまだ気付いていなかった。


自分はそれこそ、探偵かなにかになったつもりで、追跡を開始した。


彼らは、駅の方向に行くでも無く、またバスにも乗ることも無く徒歩で住宅街を抜け、商店街に入って行った。


彼らについて行くと、彼らはある喫茶店に入って行った。


『こんなところに、こんな喫茶店があるとは知らなかった。』


自分は思わずつぶやいていた。ここの場所まで、自分の住むアパートから徒歩で、20分もあれば着く距離だったのだった。


自分は、その喫茶店の名前を確認した。


そこは、紛れも無く、あのマッチと同じ名前の、『 喫茶 木陰 』だった。


「ここよ。ここ。ここに来たの。わたし。」


妖精も声を出して喜んでいた。


『ここはそんな遠い昔からあったのかなぁ?妖精さんがかなり遠い昔に出会った好きな人なんだからなぁ。。。?』


自分は、ちょっと意地悪く妖精に聞いてみた。


「そうね。わたしにとっては、かなり昔の出来事だったのよ。。。。」


妖精は、なかば照れ隠しをしているような返事を返してきた。


これで、彼が間違いなく妖精の捜している人物だと確信したのだった。









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【 決心 】



自分は少し間を置いてその喫茶店に入っていく。さほど大きくはないが、建物の構造状からかL字型のような間取りになっている喫茶店だった。


「いらっしゃいませ。おひとりさまですか?」


「はい。」


「おタバコは吸いますか?」


「すいません。」


「それでは、こちらのお席にどうぞ。」


ウェイトレスに導かれるように席に着こうとした。


「あっ、いや。あっちに座ってもいいですか?」


あやうく、彼らのすぐ側に座ってしまうところだったのだ。


自分は、彼らから少し離れた席に座って、チラチラと様子を伺っていた。


ところが、またしても妖精は自分の体から抜け出してしまったようだった。


しばらくすると、妖精は自分の彼女だった綾子に入り込んだようだった。


「ねぇ、わたしのことを覚えている?」


急に変な事を言い出す彼女に驚く彼。しばらく目をしばたたいて見つめていると、何かに気付いたような表情に変わった。


「もしかして、君はあの時の妖精?」


「そうよ。わたしはあの時の妖精よ。」


自分は気が気でなくて、つい立って綾子達いる席の側に歩み寄ってしまっていた。


「どうして、ここにいるんだい?まあ、そんなことより、元気そうで良かった。」


そう言って、彼はうつむき加減になる。


「わたしね、今だからはっきり言う。あなたのこと好きだったの。」


「。。。。。」


「最後にあなたに伝えたかったのよ。」


「ごめん。もう、昔のように戻れない。」


「知っているわ。わたしはあなたに感謝しているの。あなたから、人を愛する気持を教えてもらったわ。あなたは、わたしにとって大事な人。だから、これだけをあなたに伝えたかったの。。。『ありがとう』。。。」


そう言って、綾子から妖精は出たようだ。しかし、何故か綾子は泣いていた。


しばらくすると、自分の体に妖精が戻ったのがわかった。


『君も無茶をするね?下手をすれば声を無くしていたところじゃないか。』


「それは、わかっていたわ。だけど、どうしても最後に伝えたかったのよ。」


『。。。。。』


「彼に伝える事が出来て、もう悔いはないわ。ありがとう。」


『良かったね。想いを伝えられて。。。』


「もう、帰りましょう。」


妖精に言われ、自分は2人で向い会って席に座っている綾子を横目で見つめつつ、すぐ脇を通り過ぎて、この喫茶店を出た。


夕暮れ時、公園の大きなイチョウの木の近くまで戻ってきた。


輝いていた太陽がこの日の終りを告げるべく、空の色を少しずつ赤く染め、イチョウの木の下から徐々に暗くさせ始めた。


ただ、自分の心には、ぽっかりと虚しさだけが残っているように思えた。


「もう、日が暮れてしまうのね。1日なんてあっという間ね。でも、何てあなたに感謝したらよいのかわからない。彼に想いを伝えられてとても嬉しかった。どうもありがとう。それに、ほかにもいろんな出来事があったけど、こんなに楽しい思いをしたのは随分昔のことよ。」


そう言って妖精は、自分の体からすうーっと抜け出たのだった。


「いやいや、たいしたことはしていないよ。ただ、自分の体を貸してあげただけなのだから。とにかく、彼に想いを伝えることが出来て良かったよ。」


「そうね。。。それだけでじゅうぶん。。。もう、悔いはないわ。今日、1日黙っていることの辛さは、大変だったでしょう?」


「まあね。。。確かに。。。」


「だからわたし、あなたに何かお返しがしたいのだけど、何もできないのよね。」


心なしか妖精は寂しそうに応えていた。


「気にしないでよ。自分だっていつかは、誰かの役に立ちたいと思っていたんだから、君の喜んでいる姿は。。。見えないけど、喜んでいる気持が痛いほどわかるのだから、すごく嬉しいよ。」


「それじゃあ、あなたがわたしを必要としている時に呼び出してね。いつでもあなたに協力するわ。」


「ありがとう。その時はどうぞよろしくね。あの、もしよかったらまた貸してあげるよ。いつでも言ってね。」


「本当?嬉しい。ありがとう。」


簡単な言葉を交わして、ここで妖精と別れを告げた。


『妖精の存在っていいもんだな。何回だって自分の体を貸してあげたっていいよ。』


そう思いつつ、妖精と別れた後でじんわりと虚しい気持が胸いっぱいに広がっていた。


実は、今日の綾子の顔を思い浮かべていたからかもしれない。。。。。


『綾子は何故、あの時、泣いていたんだろう?』


自分の頭の中は、その想いで次第にいっぱいになっていた。


ぼんやりする中、アパートに辿り着いていた。









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【 思い出 】



「きゃっ、なにするのよ。」


自分は、綾子に向かって体で軽く体当たりをした。綾子はバランスを崩して波打ち際でびしょびしょになった。もちろん、普段着であるから、スニーカーからジーンズの裾までぐっしょりになった。


夏のカンカンと照らす太陽のもと、2人で湘南海岸に来たのだった。


「ははは、ざまあみろ。」


「ふん、仕返ししてやるぅ。」


綾子は仕返しをするために、そう言いながら自分に近づいてきた。そして、今度は綾子の両手でぐいぐい押され、自分が海水に浸かった。


「うわっ、やられたあ。ぐっしょりになっちゃったよ。」


「へへんだ。ざまあみろ。」


両腕を腰に当て、小生意気そうな顔をした綾子が自分を見ていた。



自分は懐かしく綾子との思い出を、思い出していたのだった。


再び映像が甦る。


『バシャ、バシャ、バシャ。』


海の家で水着に着替えた2人は、海水に浸かった。


「湘南の海はあまり奇麗じゃないよな。」


「まあ、確かにそう思う。けど、それなりに浜辺で楽しめるからいいんじゃない?」


そう言いつつ、綾子は持っていたビーチボールを投げつけてきた。


「いてっ。」


不意をつかれ、綾子にビーチボールを当てられてしまった。


「キャハハ。当てちゃったもんねぇ。」


ケラケラ笑っている綾子に向かって、自分はそのビーチボールを取って投げ返したが、ぜんぜん違う方向に行ってしまった。


すると、また綾子から、ちゃちゃが入った。


「やぃ、やぃ、へたくそ。ざまあみろ。アッカンベだぁ。」


綾子のかわいらしい仕草で、自分の気持は口惜しい思いと、楽しい思いとごちゃまぜになっていた。


だいぶ時間が過ぎた頃。


「そろそろ、上がろうか?」


こんがりと焼けた肌が、いくぶんヒリヒリしていた。


夕暮れ近くになったため、人々が集り始めてきたのだった。

この日は、ここの海岸でちょうど1年に1度の花火大会だった。2人は海の家で、それぞれ甚平と浴衣に着替えた。


出て来た綾子を見ると見違えるほど可愛く見えた。


「なかなか可愛いじゃん。」


自分は綾子に向かって、思わず口にしていた。


「それはそうよ。もとが良いもん。あなたの場合は、ん?」


「考え込む事はないんじゃない?かっこいいだろう?」


「うん。かっこいい。そう言うことにしといてあげるよ。」


綾子に笑われながらそう言われ、自分はいくぶん機嫌を持ち直した。


「あっ、そうだ。せっかくだから、写真を撮ってもらおうよ。」


「えぇ、やっだぁあ。」


綾子は、子供の駄々をこねるような言い方をしていた。


「えっ、なんで、いいじゃん。こんなこと滅多にある訳じゃないんだからさ。」


自分はなかば強引に綾子を引っ張った。


「すみません。写真を撮っていただけないでしょうか?」


自分は、側にいた人に頼んだ。


「どこをバックにしますか?」


「あの小さく見える江ノ島でお願いします。」


自分は綾子の肩を引寄せ、綾子の方に頭を傾けた。綾子も最初、もじもじした感じではあったが、自分の肩に頭を寄せ自分の腰に手を回してくれた。


「それでは、撮りますよ。はい、チーズ。」


そして、その撮ってもらった写真が、今ここにある写真立てに収められたものだった。


にこやかに2人で寄添っていて、2人は幸せそうだ。


自分は写真に写っている2人の顔の上を、右手の親指でなぞっていた。


再び、あの日の出来事を思い出す。。。


自分の手に入れた花火の観覧場所のチケットを手に、綾子とともに柵で囲われたござの敷かれた場所に向った。そして、そこで花火の始まるのを待ちわびていた。


「ここは、特等席なんだよ。なんとか綾子のためにチケットを手に入れたんだから。」


自分は、綾子にこの席のことを自慢した。


「だけど、近過ぎるんじゃない?」


思わぬ言葉に、自分は少し考え込んでしまった。


「たぶん、大丈夫だよ。」


辺りは混雑してきていた。柵の向こう側を見るとものすごい人の波が出来ている。


「ほら、チケットを手にしといて、良かっただろ?」


「うん。本当だ。ありがとう。」


ある程度、辺りも暗くなり、開始時刻になる。


『ぴゅ。ドゥオン。』


ついに、花火が始まった。


すごい近くで、ほぼ真上に爆音を響かせ、花火が大きく広がった。すると、見ている人達から大きな歓声が上がる。その後、パラパラパラと自分達に何かが降り注がれた。


「ひぃえ。近すぎぃい。こんなに大きいと思わなかった。」


綾子は興奮とともに笑顔で自分に言う。


「何が落ちてきたんだろうね?」


自分は、パラパラと落ちてきた物体が気になっていた。


「恐らく花火の灰じゃないかしら?」


「すっげ。そっかぁ。そんなに近いんだ!!」


自分も思わず興奮してしまった。


「花火の爆発した時の振動がものすごく伝わってくるね。」


綾子の興奮も、まんざらではない。


「なんだかうまく言えないけど、『ぐわっ』とくる感じだよね。」


最初の内こそ、体育館座りをして肩を寄せ合い、首から上を真上の空に向けて眺めていたものの、自分は綾子の肩をそっと抱き寄せた。


「どうしたの?急に。」


「折角だから。。。」


ぜんぜん説明になっていない応え方だったが、自分がそうして花火を見たかっただけだった。


その後、いつしか2人で寝そべって、お互いに体を抱き寄せながら、夜空を見上げるような格好になっていた。


「奇麗だね。」


自分が綾子の顔を見ながらささやいた。


「うん。きれい。」


綾子も自分が見つめていることに気付き、見つめ返してきて、静かにささやき返してきたのだった。


やがて、夜空の大スクリーンに広がるたくさんの素敵な輝きを、いつしか2人だけの世界で楽しんでいたのだった。




再び自分は、現実に引き戻された。


『思い出って良いもんだよな。その思い出を共有できる相手がいれば、もっと、もっと、楽しいんだろうな。』


自分は写真立てを持ちながら、ひとり静かに机に向かって座っていた。









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【入院】


ある日、自分の携帯が鳴り響いた。それは、友達からの電話だった。


「おまえ、知っているかぁ?綾子が2週間前から入院しているんだよ。」


「いや、知らない。」


「なんでも、綾子、喉の病気らしいぜ。」


「うっそぉ?」


「嘘ついてどうするんだよ。」


「そりゃ、そうだよな。で、どこの病院か知っている?」


「ああ、それは○○病院だ。お前のことだから知っていると思ったんだけど、念の為に電話をしたんだよ。」


「わりぃ。ありがとう。」


自分の友人を通して、綾子が入院していると知らされた。さすがに自分は驚きを隠せずにいた。


居ても立ってもいられず、自分は急いで知らされた病院に向かったのだった。


それでも途中、何度となく綾子の彼のことが気になっていた。


『もし、病院に綾子の彼がいたらどうしよう?いや、間違いなくいるのだろう。。。その時は、そっと綾子の顔だけ見て帰ってくればいいんだ。』


そう自分に言い聞かせているうちに、綾子に会えることだけが頭の中いっぱいに広がっていた。


そして、病室の手前で綾子のご両親とすれ違った。


「あら、お見舞いに来てくれたの?」


「ええ。お見舞いに来ました。」


「ありがとう。きっと、綾子も喜ぶわ。」


その後、ご両親は急に辛い面持ちになり、綾子は喉の病気で、二度と声を出すことは出来なくなるだろうと話してくれた。そして、明日、手術をすることも。自分はやはり綾子が好きだったことが痛いほどわかった。いまさらわかったところで、遅いのかもしれないが。。。


この時も、あの日、自分から別れ話を持ちかけたことを深く後悔した。

そして自分は、今、綾子に会うべきかどうか迷ってしまった。しかし、明日の手術を考えると会うことを諦めた。


こんな時に会って、綾子の感情を乱したくなかったのだ。


自分にはどうする事も出来ない。ただ、自分は病室の扉の前で、明日の綾子の手術が成功することを祈るだけしか出来ないでいた。




そして、私達の願いを込めた綾子の手術は、開始された。


待合室で待つ私達は鎮痛な面持ちで、長い時間の過ぎ去るのをひたすら待っていた。


1秒、1秒がものすごく長く感じられるほどで、午後から開始された手術は夜中近くになって終った。ついに、綾子はベッドに横たわったままで手術室より出て来た。


いたたまれない気持だけが先走りしている。ご両親は出てくるなりベッドに横たわっている綾子を取り囲み、そして口々に声を掛けていた。


「綾子、大丈夫かい?」


まさか、こんな形で綾子と再び会うことになるとは、思ってもいなかった。


自分は身動きひとつ見せない綾子を見て不安に陥ってしまっていた。


『結果はどうだったのだろうか?』


医者はそんな様子を見て落ちつくように促した。


「手術は成功しましたから、お父さんもお母さんもご心配なさらないでください。今は麻酔が効いていますので、しばらくの間は起きません。起きた後はかなり痛がると思いますが、その時はすぐに麻酔を打つなどして対処致します。まあ、2〜3週間の入院にはなりますが、まったく心配ありませんよ。」


安心したご両親は先生に向かって、涙を流しながら口々にお礼を述べていた。


「どうも、ありがとうございました。」


自分は綾子の無事に寝ている姿を見つめながら、良かった、良かったと繰り返しつぶやいていた。


それから、自分は毎日かかさず綾子のお見舞いに来ることにした。


その間、綾子の彼と会うことは無かった。


『彼と別れたのだろうか?』


自分は、心なしか気になってしまっていた。


病室に一歩入ると、綾子の以前の明るい笑顔は完全に消えてしまっていた。


綾子は首に真白な包帯を巻いて、何もせずにベッドの上に上半身を起こして、座っていることが殆どだった。


綾子の声は、2度と聞くことができない。そう思うと悲しまずにはいられなかった。自分が悲しむと綾子は、なお更悲しそうな顔をしていた。


自分の綾子に対する気持はこんな状況になって、初めてしっかりと固まった。


そして、何日か過ぎた頃。


こんな時ではあるが、自分は綾子に伝えたい思いでいっぱいになり、ついにあの時に綾子と別れた本当の理由を話し出した。


「綾子、聞いて欲しいことがある。以前、君に別れ話を持ちかけたことをずっと後悔している。」


「。。。。。」


「じつは、自分はあの時、仕事を失ってしまったんだ。だから、自分は自分自身に自信を持てず、綾子のことを幸せに出来ないような気持ちになってしまっていたんだよ。だから自分と一緒にいるより、綾子はほかにもっといい人と、出会えるだろうと思ったんだ。」


「。。。。。」


「虫がいい話しだとは思うのだけど。。。もしも、。。。。もしも、君が自分を許してくれるなら、どうかこんな自分であるけれど、もう一度、付き合ってもらえないか?」


綾子は黙って聞きながら、涙を浮かべていた。やがて彼女の瞳からは、キラキラ光る涙がこぼれ落ち、何度も何度も頷いてくれた。


自分はすぐさまベッドの上に座っていた綾子を抱き寄せ、力強く抱きしめた。


「早く退院しような。」


自分は綾子を元気付けるつもりでささやいた。


綾子は頷いて、幾らか元気を取り戻したように見えた。


その後、綾子がゼスチャーで書くような真似をしたので、自分は近くにあった紙と鉛筆を渡した。綾子の震える手で、紙の上を鉛筆がゆっくりと動く。


綾子は、書き終えた文字を自分に見せてくれた。


『わたしは、そのままのあなたが好き。』


「なにを言っているんだよ。」


綾子が書いたその文字を見て、自分は自然に微笑み、嬉しい気持でいっぱいになった。


「ありがとう。だけど、なんだかあべこべだね。普通、『そのままの君が好き』って男が言うセリフのような気がする。」


そう言って、自分はベッドの上で笑顔を取り戻した綾子を優しく見つめ、さらに力強く抱きしめた。









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【無理なお願い】



それから瞬く間に、2週間が過ぎた。自分はその間、まったく公園に行かずにいた。


綾子のことが気になって仕方がなかったのだ。だから、公園に行く気分にもなれずにいた。そして、妖精の存在のこともすっかり忘れていた。


そんな時、綾子の病室にいた自分の頭の中で、あることがよぎった。


なんで早くそのことに気付かなかったのか。


『もしかしたら、うまく行くかもしれない。』



「そんなに切羽詰まったような顔をしてどうしたの?」


ようやくイチョウの木の妖精から返事があった。あの時とはまるで逆の立場だ。


「今度は自分のお願いを聞いて欲しいのだけど?」



自分は綾子に『出掛けてくる。』とひと言だけ残し、病室を飛び出した。


自分は期待と希望を胸に、道を急いでいた。その行き先は、あの妖精のいる公園だ。


そう、今回はあのイチョウの木の妖精にお願いをするために向かっていたのだった。


木に辿り着くや否やすぐさま自分は声を出した。


「妖精さん、実はお願いしに来ました。」


最初の内は、大きなイチョウの木の近くに寄り、小声で話し掛けているようにして声を出していた。しかし、返事がないので右手でイチョウの木に触れて、少し大きな声を出した。


「妖精さん、お願い。出てきて、自分のお願いを聞いて欲しいんだ。」

「どんなお願い?わたしは声しか出せないことをあなたも知っているでしょ?」


妖精は戸惑いながらも訊ねてきた。


「自分はあなたを知っているからこそ、お願いに来たのです。もし、あなたが許してくれるならば、あなたの声を恋人の綾子にずうっと、貸していただけないでしょうか?」


妖精は考え込んでいる様子で、一瞬にして、辺り一面が沈黙の世界に変わった。聞こえてくるのは、微かに風でうごめくまだ青い葉の触れ合う音だけだった。


その中を静かに声が聞こえ出した。


「わたしもこんなチャンスは、すごく嬉しい。ただ、1つだけ条件として約束してもらいたいの。」


「どんな条件なの?」


自分は、すぐさま訊き返した。


「それはね。。。あなたが生きている間、あなたにこの公園を守り続けてもらいたいの。そして、2人で必ず1日に1度、この公園に訪れてこの公園を楽しんでいただければ、わたしの声を貸しましょう。」


「ありがとう。ありがとうございます。」


自分は嬉しくて嬉しくて涙を流しながらイチョウの木の妖精に向かってお辞儀をしていた。


自分は、一目散に走って病院に向かった。そして病室に着くなり、自分は無我夢中で綾子にイチョウの木の妖精について話した。綾子は最初、何気なく聞いていたが、何かを思い出したように顔の表情が変わった。


そして、綾子の退院後、2人でこの公園を訪れたのだった。


わくわくしている自分の気持。だが、その反対に隣を歩いている綾子は、不安そうな顔をしていた。綾子の首には、まだ真っ白い包帯が巻かれていた。


「綾子、話していた場所は、ここだよ。あの大きなイチョウの木だよ。」


自分は立ち止まり、1本の大きなイチョウの木を指差した。それから、2人で手を取り合い、その木に近づいた。


「妖精さん、こんにちは。」


自分は静かに声を出して、妖精に挨拶をする。


「こんにちは。」


妖精からの挨拶が聞こえた。


ただ綾子はその現実に少々戸惑いの色を隠せずにいた。自分は綾子に向かって安心させるようにささやいた。


「大丈夫だよ。心配なんていらないからね。」


そして、自分は妖精に向かって彼女を紹介する。


「この娘が自分の彼女の綾子です。」


「よろしくね。」


妖精はすぐに彼女に向かって挨拶をした。綾子はひとつ頷いた。


「あの時の娘ね。あの時はごめんなさい。急にあなたの体を借りてしまって。」


この時、綾子は思い当たる節があるようで、だいぶ落ち着きを見せていた。


「それじゃ、約束を守ってね。お願いよ。」


「妖精さん、任せて下さい。必ず約束は、守ります。」


綾子の方を向くと、彼女も頭を下げてお辞儀をしていた。


「わたしね、ここの公園が大好き。そして、なによりも、あなた達に会えてとても良い思い出がいっぱい出来たわ。ありがとうございました。」


自分は嬉しさのあまり大声をだして、綾子と両手を繋いで大きな笑顔を作ってはしゃいでいた。


「ありがとうございます。」


綾子と自分は妖精に感謝の気持を表していた。




ただ、この時の2人は嬉しさのあまり、妖精の隠している秘密にまったく気付けずにいたのだった。




そして、後でその妖精が隠していた秘密に気付くことになるのだった。









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【事実】



いつしか公園の雰囲気も変化していた。この公園に吹く冷たい風で、奇麗な赤や黄色の木の葉がハラハラと散り始めている。地面には色を無くした葉が乾いた音を立て、あのにぎやかだった虫の声がいまでは夕暮れ時から聞こえてくる虫の声に変わった。


『リン・リン・リン。。。リン・リン・リン。。。』


もうひとつ大きく変わったことがある。それは、。。。この公園で再び妖精の声、いや、すっかり元気になった綾子のかわいい声を隣で聞けていることだ。


これは、妖精のおかげだ。あの時、妖精が彼を捜していなければ、きっと彼女とまた出会うことがなかったことだろう。自分と綾子はいつも座るベンチに越しかけて話しをしている。


「ところで、あの喫茶店で何故泣いていたの?」


「そんなことを聞いてどうするのよ。」


「だって、気になるんだもん。」


自分は綾子に甘えるような感じで聞いてみた。すると、綾子はゆっくりと話し始めてくれた。


「あの時ね、最初、わたしに何が起きたか理解できずにいたの。だって、耳もとで突然ささやかれたのよ。『ごめんなさい、ちょっとだけあなたの声をお借りさせてください。』って、優しそうな女性の声で。」


「それは、驚くだろうね。」


「わたしは『何を言われたんだろう?』って不思議に思っていたわ。すると、突然わたしの声で勝手にしゃべりだした。あとは、あなたも知っている通りよ。」


「だけど、あの時、よく声を出さずにいたよ。もし、あの時、綾子が綾子自身で声を出してしまっていたら、妖精の声は永遠に失われていたんだよ。」


「えっ、そうなの?それは、全く知らなかったわ。」


綾子は、そのことを知らずにいた。自分はあの時、綾子が声を出さなかったというその事実に驚きを隠せずにいた。


「だけど、声を出さなかったのは偶然じゃないの。わたしは、あの妖精さんの気持をそのまま彼に伝えさせてあげたかったのよ。訳もわからずに。。。それが、声を出さなかった理由。そして、泣いてしまったのは、わたしとあなたのことがこの妖精さんと彼とダブってしまったのよ。」


「。。。。。、そうか、。。。。。ごめん。変な事を思い出させちゃったね。」


「ううん。。。いいよ。。。そして、気付かされたの。わたしは、まだ、あなたのことを忘れられていなかったことを。。。だから、あの時、あの後で彼にわたしのあなたに対する想いを正直に話した。すると、彼は理解してくれたのよ。こんなわたしを許してくれた。」


「。。。。。」


「そして、あなたを追いかけようと店の外に出たのだけど、もうすでにあなたはいなかったの。それから、あなたのアパートに行こうと何度も、何度も思ったわ。けど、出来ずにいた。だって、あなたから別れ話しをされたから。。。」


綾子は少し悲しげな顔になってしまった。とんだことを綾子に思い出させてしまったことをつくづく後悔してしまった。そこで、話題を変えることにした。


「ところで、綾子の中の妖精さんは、元気かな?」


妖精のことをふと思い出して、綾子に向かって話し掛けた。そう言ったとたんに、綾子は俯き加減になり、さらに暗い顔になった。


「やはり、もう無理。無理だわ。こんなこと、耐えられない。」


綾子はどこか1点を見つめるようにして、しばらく黙り込んでしまった。


「えっ、もう無理ってどういうこと?」


一瞬にして、自分はそのことばを聞いて、崖から突き落とされたような気持にならざるを得なかった。自分は、綾子の顔を食い入るように見つめ続けていた。


「実は、わたし。。。」


そう言って、綾子は大粒の涙を溢れさせている。

今度は、綾子から別れ話しを聞くことになってしまうのだろうか?。。。


「なんだよ。はっきり言ってくれよ。」


綾子はもしかしたら、あの彼とよりを戻したのだろうか?。。。


「ちょっと待って。。。少し、落ちついてから話すから。。。」


綾子の震える声に、自分は気がきではなかった。綾子は何を言うのだろうか?綾子の顔を覗き込みながら嫌な時間の過ぎるのを待ちわびていた。


どれほど経った頃だろうか。。。


やがて綾子は涙を流しながら、重たい口を開き始めた。


「あの妖精さん。。。、自分を犠牲にして、わたしに声をくれたの。」


「えっ、どういうこと?」


綾子からの言葉は、自分の思っていたものと全く違っていた。


「あなたもわたしも知らなかったことなんだけど、妖精がずっと人間の体にとどまることは、死を意味していたことなのよ。」


「えっ?まさか。。。」


「あの日の夕暮れ時、あなたと別れた後に急に妖精さんが、わたしに伝えてきたことばだったの。そして、わたしはそれをもちろん断ったわ。そんなことまでして、声が欲しかったわけではなかったから。だけど、わたしのことばを拒んで、妖精さんはわたしの体に居続けた。そして、最期にわたしにね、妖精さんから伝えられた。


『わたしの分まで幸せになってね。』って。

そして、そのことは、あなたには内緒にしておいてと言われたのだけど、無理だった。話さずにいられなかった。もう耐えられなかった。無理だったの。。。黙っていてごめんね。」


綾子は俯き、涙をポタポタと地面に染み込ませていた。


「綾子、ごめん。。。ひとりで辛い想いをさせてしまったね。。。話してくれてありがとう。」


自分は初めて聞かされた事実で、胸がいっぱいになってしまった。自分も綾子と一緒に、自然にいく筋にもなる涙をこぼれ落としていた。


「妖精さん。本当にありがとう。」



「妖精さん。本当にありがとう。」


自分はそんなこととは露知らず、妖精さんに無理なお願いをしていたのだ。妖精さんは、自分の無理なお願いを、気持良く引き受けてくれた。自分は、妖精さんにすごく感謝をした。


『必ず、妖精さんとの約束を守るからね。』


自分の心の中で力強く思いながら、涙で霞ませながら離れたところにあるイチョウの木を見つめた。


すると、そのイチョウの木の前で、あの妖精が姿を現して、笑顔で手を振りながらこちらを向いているように見えた。









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【エピローグ】



季節は巡り、また春がきた。自分はこの公園に来て、いつもと変わらずベンチに佇む。春の陽射しに、花々も奇麗に咲き誇っている。昨年と変わらずカルガモの親子が一列になって小川を泳いで行く。


『綾子、遅いなぁ。』


自分は、腕時計を覗き込む。その時、綾子が走ってきた。


「ごめん。ごめん。遅くなっちゃった。」


「そうだよ。遅刻。遅刻。はい、これがバースデープレゼント。27歳のお誕生日おめでとう。」


そう言いながらも、照れながら綾子に向かってバースデープレゼントを差し出す。


「ありがとう。でも、年齢はいちいち言わなくてもいいんじゃない?」


綾子は、ちょっとおちゃめに、膨れっ面になった。


「ごめん、ごめん。」


「でも、私の誕生日を覚えていてくれたんだ。あなたのこと大好き。」


綾子はそう言うと、にこにこした笑顔になり、両腕を自分の首に廻して抱きついてきた。


「自分もだよ。」


いつしか自分は、ぐっと力強く綾子を抱きしめていた。


それから、いつものように2人で遊歩道を歩き始めた。


あれからと言うもの、妖精との約束を果たすべく、2人は毎日この公園を訪れている。


そう、。。。自分の隣には可愛い綾子がいて、お互いの腰に手を回してロマンチックに寄り添って、ゆっくりと遊歩道を歩いている。


すると、色鮮やかな花々があちらこちらから自分達の視界に映り込んでくる。


辺り一面が、朗らかな陽気の中、春一色になっている。


「奇麗な花だね。もちろん綾子とは比較にならないけど。。。」


「良く言うよ。。。そんなことを言われると、照れるじゃない。。。」


それから、この公園の大きなイチョウの木の周りで、じゃれ合って過ごしている。


そして今も、綾子がここで自分から少し離れてから、自分の方を向きながら、いたずらっぽく言い放った。


「ねぇ。こっち、こっち。こっちだってば。」


眩い陽射しの中、綾子のはずんだ声と嬉しそうな笑顔に包まれ、自分も思わず、はしゃがずにいられないでいる。


「さあ、綾子、捕まえちゃうぞ。」


「捕まえられるんだったら、捕まえてみなさいよ。」


「ようし。」


そして今も、綾子がここで自分から少し離れてから、自分の方を向きながら、いたずらっぽく言い放った。


「ねぇ。こっち、こっち。こっちだってば。」


眩い陽射しの中、綾子のはずんだ声と嬉しそうな笑顔に包まれ、自分も思わず、はしゃがずにいられないでいる。


「さあ、綾子、捕まえちゃうぞ。」


「捕まえられるんだったら、捕まえてみなさいよ。」


「ようし。」


自分が綾子を追いかけ追いついて、両腕を回して捕まえたその後で、そっと綾子の耳元でささやいた。


「もう絶対に絶対に離さないぞ、綾子。大好きだよ。自分と結婚してくれ。」


突然の言葉に綾子は驚いた表情になった。


それからお互いしばらくの間、無言のまま見つめ合い、そっとキスを交わした。


「しょうがない。あなたと結婚してあげるよ。ただし、条件があるわよ。」


「条件?」


「そう、。。。それはね、。。。わたしを幸せにすること。。。。。だよ。」


綾子は瞳に涙を潤ませながら、にこやかに返事をしてくれた。


すると、まるでこの大きなイチョウの木が2人を祝福しているかのように優しい香りで包み込み、軽やかな青い葉から零れ落ちるメロディを奏でてくれていた。




『ねぇ、こっち。』



それは、幸せに導いてくれた可愛いことば。。。




「綾子、君を絶対に幸せにするよ。」




― F i n ―





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