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聖霊となったアルカディア姫の魂の探索は難航した。
まず、聖霊という存在がどこにいて、どのようにすれば接触できるのか、ということからしてわからないのだ。
そもそも、そういうことは神官たちの役割なのだが、姫の蘇生失敗の件で多くの上位神官たちが処刑され、皇城どころか、帝都とその付近からも神官は逃げ出して表舞台から姿を消し、皇帝の招聘に対して応じる者は一人もいなかった。
なので、魔術士たちがその任に当たるわけだが、やはり不得手分野のことであるからして、探索は容易に進まなかった。
さまざまな探査魔法や神域への接触の試みがなされたが、芳しい結果は出ない。
魔術士たちは皇帝の怒りを恐れた。だが逆に、儀式によって生贄の命をアルカディア姫の身体に移せるのも魔術士たちだけであるので、皇帝もおいそれと彼らを処刑することはできなかった。
こうして、アルカディア姫蘇生の方策は見いだせないまま、五年の歳月が過ぎた。
ソリエード伯は、いつものように、地下室の寝台に寝かされたアルカディア姫に治癒魔法をかけていた。
いったい幾度同じことを繰り返してきたのだろう。
そのたびに十人の命が姫の命を維持するために奪われていく。
周囲では魔術師たちが、搾りカスのような肉塊を片づけていた。
伯も、もはやこの程度のことでは動じなくなっている。いや、幾度もの儀式を経てまっとうな精神はすり減り、もはや自分たちが行っているのがいかに異様なことであるのか、それを考えるだけの心すら残っていないというべきか。
寝台の上のアルカディア姫の姿は、五年前から全く変わっていない。魂がなく、他者から奪った命でかろうじて生存している状態の彼女は、十一歳を目前に控えた姿から成長できない。
この五年間、姫の命を維持するために、皇帝は人狩りを続けてきた。
もはや、人狩り部隊の存在を隠そうともせず、のちには憲兵がそのまま人狩りを行うようになった。憲兵たちは忌み嫌われ、彼らの中にもこのような行為を嫌がる者もいたが、必要なだけの生贄を確保できない場合は、彼ら自身がアルカディア姫に命を捧げる羽目になるので、手を抜くことはできなかった。
帝都を含む近隣の諸都市は荒廃し、わずかに残っていた人々も人狩りを恐れて遠方の都市へと逃げていった。
それにより、さらに遠くの地方でも人狩りが行われるようになり、皇帝の悪行は帝国の隅々にまで知れ渡るようになった。
またそれに乗じた盗賊集団などが各地ではびこるようになり、人々の生活は荒廃した。
北方や南方の地では、人狩りに対して身を守ろうとの名目で武装集団が力を持つようになり、それはやがて帝国からの独立運動へと変化していった。
その運動は帝国全土へと飛び火し、かつては強固な支配体制を誇っていたダヴィオン帝国は、ついには瓦解の危機に瀕することとなったのだ。
それでも、皇帝ネロはただアルカディアの蘇生だけを望み、反乱に対策をとることもなく、ただ人狩りの成果がはかばかしくないことに叱責の声を上げるのみであった。
帝国を支えてきた有能な臣下たちは、ある者は皇帝に諫言して処刑され、ある者は主を見限って出奔した。
残った者たちは、皇帝に話を合わせては傾きつつある権勢のおこぼれをかすめ取ろうとする者や、帝国が倒れた後の権力を見据える者ばかりであった。
――この国に未来はない。
そのことはもはや自明となりつつある。
あるいはアルカディア姫が蘇ればこの状況も好転するのでは、とソリエード伯は夢想したりもする。だが、これまで命を長らえるのに数千人の命を喰らってきたのだ、たとえ生き返ったとしても民の支持は得られないだろう。
それでも伯は彼女に治癒魔法をかけ続ける。
彼の望みはただ一つ。もう一度アルカディア姫の目が開くところが見たいということ。アルカディア姫の声が聞きたいということ。
ただそれだけのために、彼は皇城にとどまっていたのだ。
魔神を召喚する。
それは本当に最後の手段として提案されたものだった。
まったく進展のない聖霊アルカディア捕獲計画に、皇帝ネロの苛立ちは頂点に達しようとしていた。
これ以上待たせるようなら、延命の儀式に必要な人員だけ残し、他をすべて処刑する。そう告げられた魔術士たちは、魔神の力を借りることを決意したのだった。
それは魔術士にとっては禁じ手とされている。
聖霊は天上の風と呼ばれる精神物質だけで成り立った存在といわれ、一方、魔神は地底の泥と呼ばれる、やはり通常の物質とは違った性質を持つもので構成され、それぞれ対となるものと考えられていた。
なぜ魔神のような存在が生まれたのか、という疑問に対しては諸説あるが、この世界に神々が誕生した際、世界の釣り合いをとるための反作用として発生したという説がよく知られている。
魔神たちは聖霊と同じく普段は人の世界に関わることはあまりないが、まれに気まぐれで、あるいは人の要請に応じて姿を見せることがある。
彼らは総じて狡猾で、人の望みを叶えるときには多大な代償を要求する。しかも、代償を払ったとしても、その望みが正しく叶うとは限らない。魔神は気まぐれで狡賢いのだ。
魔術士たちは魔神召喚のために百人の生贄を要求したが、ネロ皇帝はあっさりそれを承諾した。
新たに集められた百人の生贄は、地下の一室に押し込まれて監禁された。その中には、皇帝からも忘れ去られ、六年間を地下牢で過ごした侍女のクレアの姿もあった。
長年の牢暮らしのため、彼女の面差しにはかつての愛嬌も、姫付き侍女の誇りも何も残っていなかった。囚人用の粗末な長衣一枚のみを身にまとい、心もすりきれ果てたような虚ろな表情で、他の大勢の生贄とともに彼女は膝を抱えてうずくまるように座っていた。
――これが自分が受けるべき罰なのだろうか。
彼女の心の中では、この六年間ただひたすらにあの一日が繰り返し再生されていた。
もしあの日、もっと何度も姫様のお部屋を確認していれば……姫様が外にでる前に止めることができていたら……姫様に外に出ないようもっと強くお願いしていたら……。
いくつもの「もし」が何度も何度も頭の中を駆け巡った。そのたびに、牢の中にいる自分に気づいて絶望に押し潰された。
これが罰なのだ。だが、なぜ自分が罰を受けなければならないのだろう……。
姫様が人の忠告も聞かないで、勝手に外に出ただけなのに、なぜ私がそのとばっちりを受けなければならないのだ……。
いつしか彼女の思考はそこを着地点とするようになった。すべては姫様が悪いのだ。
そして、彼女はそのせいで死ぬことになるという。魔神とやらの生贄とされて死ぬのだ……。
だけど……死んでしまえば、ようやくこのみじめな人生から逃れられる。この苦しみから――かつてあんなに大好きだった姫様を憎まなくてはならない苦しみから逃れられる。
それだけを心の拠り所としてクレアはその時を待った。
そして、生贄の一人として地下室に閉じこめられてから五日後に、召喚された魔神の前に引き出された彼女は、魔神に全身を引き裂かれて死んだ。
だが、クレアの存在自体は消えなかった。彼女は魂となってその場にとどまっていた。
魔神が彼女を惨殺したのは、楽しみのためだけではなく、人の魂こそが魔神にとって必要なものだからなのだ。
殺された百人の魂は、魔神の手元に留め置かれてその手先として利用され、また玩弄物として永劫にわたってなぶられ、苛まれ続けることになるという。
そのことを知らされたクレアは、すでに発する声もなき状態でひたすらに絶叫した。
魔神グリディアスは見目麗しい美青年の姿をしていた。
だが、ひとたび口を開けば、そこから発せられるのは聞く者を不快にさせるための言葉のみで、彼にとっては神も人も聖霊も魔神も、そして自分自身ですら嘲笑の対象であるように思われた。
そんな魔神相手にすんなり交渉ができるとは思わないまま、魔術士たちがグリディアスに要望――聖霊アルカディアを捕獲し、人の身に戻すこと――を告げると、しかし意外や魔神は非常な乗り気を見せた。
その理由として、第一に、聖霊に対して攻撃を仕掛ける口実となること、第二に、聖霊の高みにいる者を卑しき人の身に引きずり下ろすのが気味良いこと。彼はその二つを挙げた。
魔神は、代償として百人の生贄の魂を受け取り、ここに聖霊アルカディア捕獲作戦が開始されることとなった。ただし、生け捕りするのは聖霊アルカディアただ一人で、それ以外の聖霊どもは手あたりしだいに殺す。
どうやらグリディアスはそれなりに位の高い魔神のようで、配下の魔神を幾体も引き連れ聖霊に攻撃を仕掛け始めた。
それは、魔神側から一方的に仕掛けられた襲撃行為だった。
魔神たちは幾体もの聖霊をその手にした武器で、剣で、槍で、槌で、あるいはその爪で引き裂き潰し切り刻み、多くの聖霊を消滅させた。
だが、聖霊の側も襲撃を受ければ反撃する。始まりは一方的であるように見えた魔神たちの優勢も長くは続かなかった。
幾多の魔神が聖霊の持つ武器で、剣で、槍で、槌で、あるいは神の力で引き裂かれ潰され浄化され、多くの魔神が消滅させられた。
話を聞いて聖霊との戦いに参じてくる魔神の数もどんどん増加していった。魔神との戦いに駆り出される聖霊の数もどんどん増えていった。
こうして、作戦の開始からさほどの時を置かずして、事態は魔神と聖霊の大規模な戦争へと発展していったのだ。
しかし、これらの出来事は人の預かり知らぬところで起きていること。
魔術士たちが把握している事態も、全ては魔神グリディアスから聞かされたことでしかない。彼らは天上の、あるいは地の底の出来事に関わるすべを持たないのだ。
果たしてアルカディア姫の魂を捕まえることはできるのか。魔神たちは本当に約束を守ってくれるのか。もしも、激闘のさなか、間違って聖霊アルカディアを殺してしまうようなことがあれば、姫の復活は二度とあり得ない。
それでも、魔術士たちにできることといえば、せいぜい魔神グリディアスのご機嫌を取ろうと追従の一つも口にするくらいで、だがそれすらも魔神の冷笑と皮肉な返答を買うことにしかならなかった。
※次回アップ予定は8/29です。




