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Crimson Tear  作者: シャルル=コクトー
7/12

「神官長に、アルカディアの蘇生儀式の準備をするよう伝えよ。早急にだ」

 すすり泣く人々の声を割るように、皇帝の指示が飛ぶ。

 その一声で、人々は弾かれたようにあわただしく動き始めた。

 伝達を携えて神殿に走る者、姫の体を運ぶための木製担架を取りに行く者、担架に敷く綿詰布団と姫の体を覆う飾り布を用意する者、街に出て事態の調査をすべく準備する者たち。

 そんな動きの中、侍女のクレアも、血に汚れてあちこち破れた姫の服を取り換えようと思い、衣装室へと向かおうとしたのだが、

「クレア」

 呼び止められて立ち止まる。いや、その場に硬直した、といったほうが正しい。

 なぜなら、彼女に声をかけてきたのは――

「へ、陛下っ!」

 クレアはその場にうずくまるように平伏する。

 なぜなら、声をかけてきたのは、ダヴィオン皇帝ネロ四世その人であったからだ。

「クレアよ……あれほど、アルカディアを外に出してはならぬと命じておったのに、何故このようなことになった」

「申し訳ございませんっ!」

 抑えてはいるものの、明らかに怒気をはらんだ皇帝の問責に、クレアはひたすら身を縮めて震えることしかできなかった。

「アルカディアから目を離してはならぬと――もしものことがあればお前自身がどのようなことになるか、忘れたわけではあるまい」

「で、ですがっ! 姫様のお部屋の中までは――」

 恐怖心から必死の抗弁を試みようとするクレアだったが、皇帝はこれ以上時間を割くつもりもないらしく、ちら、と一瞥だけを残すと、

「処罰はアルカディアの蘇生ののちに決める。それまでは牢に入っておれ」

 足早に部屋を出て行った。

「――そんな…………」

 這いつくばったまま震えるクレアの両腕を衛兵がつかみ、強引に立たせる。そしてそのまま、引きずるように部屋の外へと連れていった。



 皇城の奥側、皇帝やアルカディア姫、あるいは皇族たちが暮らす奥院の一角に、皇族たちの私的な祈りに使われる神殿がある。

 木製担架に乗せられたアルカディア姫の身体からだは、この城内神殿に運び込まれた。 城内神殿とはいえど、その広さ、壮麗さはそこらの街神殿などよりはるかに勝る。金銀螺鈿で飾り立てられた内部に、神々の長とされる竜皇神をはじめとした神々の姿をかたどった金色の神像がその神格に従って配置され、五百本の蝋燭に照らされた内部は、あたかも神々の集う天界の趣さえあった。

 ろうそくを燃やすために部屋の下部に多目にとられた空気穴から風が入り、炎を揺らめかせ、その都度、神々の姿は黄金の体に光をきらめかせる。

 その神々に囲まれた中央に寝台を持ち込み、アルカディア姫の身体をそこに横たえる。

 侍女たちによって身を清められ、服を着せかえさせられた姫の身体は、ただ眠っているだけだと言われれば誰もがそう信じてしまうほど、穏やかで綺麗なままだった。

 皇帝はその枕元に立ち、愛娘の髪をそっと指で梳いた。

 すでに、街でアルカディアを襲った事件については、いくらかの報告を受けていた。そして、彼女をこのような目に合わせたものを全員見つけ出し捕らえるよう指示は出してある。

 アルカディアの受けた苦しみは、痛みは、絶望は、いかほどのものであったろうかと。そのことを思うと、賊どもにはその報いを何倍にもして返してやらねばならぬ。

 髪を梳く手がいつしか逆に髪を乱していたことにネロ帝は気付き、再び娘の髪を整えてやる。

「――へ、陛下、大変お待たせいたしました……」

 そこに、神殿の入口から声がかかる。

 皇帝は首だけをめぐらし、そちらに視線を投げる。銀で縁取された濃紺の長衣に身を包み、頭髪も頭巾のような濃紺の帽子で隠した中年の男性――竜皇神神殿の神官長マヌルスである。

「遅い。準備にどれだけ時間をかけておるのだ」

「申し訳ございません……ですが、蘇生の奇跡となりますと通常、その用意だけで数日かかるものでして――」

「言い訳は聞かぬ。城にかくまってやっておるのだから、その役割くらいは果たすがよかろう」 マヌルスは帝都最大の神殿である竜皇神神殿の神官長であるのだが、現在、帝都の混乱のため、彼と神殿の高位神官たちは、そろって皇城へと避難してきている。

 言ってしまえば、帝都の民を見捨てて自分たちだけ安全なところへと逃げてきているわけだ。だが彼らの理屈では、神を祭り讃える者がいなくなればさらに地上は荒廃し、人間はことごとく死に絶え、帝国が滅びてしまう、なので神官たちは他の物に優先して生き延びなければならないということらしい。

 その理屈が他の人々から積極的支持を得ているかといえば、もちろんそんなことはないのだが、万が一、神の怒りが我が身に降りかかってきてはかなわないという恐れから、表立って神官たちの身勝手を非難する者はいなかった。

「は、ははっ。偉大なる御身の仰せのままに」

 神官長マヌルスは部下である高位神官たちに次々と指示を出し、アルカディア姫の亡骸を中心に祭具を配置していく。また、同時進行で別の神官たちが、この場を神々の坐す(います)天界に近づけるための祝詞の詠唱を開始する。

 しかし、いかにせかされようとも、実際の準備に時間がかかることに変わりはない。皇帝自身もそのことは承知しているので、神官たちが懸命の形相で準備に取り掛かったのを確認すると、神殿を一度離れた。

 準備が整うまでにネロ帝が行ったのは、帝都に調査に行っていた憲兵からの報告に指示を返し、アルカディア姫に乱暴を働き、無理に回復魔法を使わせた者どもを一人残らず牢に入れることだった。

 本来であれば、その者どもは一人残らず最大の苦痛を与える方法で処刑すべきなのだが、いまそうしないのは、アルカディア姫が蘇ったときにそのことを聞けば、おそらくは悲しむであろうと想像ができるためだ。

 処罰はアルカディアが蘇ってからで構わない。しばらく牢に閉じ込めておいて、時間をおいてから、彼女の目の届かぬ遠隔の地で拷問の末に処刑すればよい。

 このときはまだ、ネロ帝は愛娘が蘇ることを疑いもしていなかった。



 神官たちから蘇生儀式の用意が整ったと知らせが来たのは、すでに日は落ち、空で星々がささやかな光を放ち始めた頃であった。

 蝋燭の光に輝く城内神殿に足を踏み入れたネロ帝は、聖布に覆われて頭部だけをあらわにしているアルカディア姫と対面した。聖布には神々を表す文様が刺繍されていて、また神官たちによって聖別されている。

「陛下、儀式の準備、完了いたしております」

 神官長マヌルスが近寄ってきてそう告げた。

「姫殿下ほどの、慈愛に満ち徳のあるお方でしたら、神々も間違いなく、不当に奪われた人生の続きをお返しくださることでしょう」

 マヌルスの言葉に皇帝は無言でうなずいただけだった。彼にとってはそのようなことは言わずともわかっていることだからだ。

「それでは、儀式を始めます。陛下はこちらでご覧になっていてください」

 アルカディア姫の安置されている位置から離れた壁際に座を用意され、ネロ帝は黙って腰を下ろす。

 こうして、彼にとっては退屈極まりない儀式が始まった。

 神官たちが声をそろえ、ときに和するように神への祝詞を唱え続ける。また一方では、並べたてられた祭具を取り上げ、高く掲げ、また元に戻す。そんなことの繰り返しで時ばかりが過ぎていく。

 彼自身、こうして蘇生の儀式に立ち会うのは初めてであった。

 彼の近しい人々は、幸いなことにその多くが天寿を全うしたといえる亡くなり方をしていた。ただ一人、皇妃ラヴェンドラを除いては。

 だが、産褥において新たな命と引き換えに亡くなった命は呼び戻せない、と神官たちに言われ、当時はまだ皇帝位についてそれほど時も経っていなかった彼には、それを覆して強く命じることもできなかったのだ。

 いまでも後悔することがある。もしあの時、神官たちに対して強い態度に出ていたらどうなっていただろうか。ラヴェンドラは蘇っただろうか。それとも、神官たちの反感を買うだけだっただろうか。

 どちらにしろ、もう皇妃のことは過去のこととなってしまった。

 だからこそ、ここで彼女に託された娘まで失ってしまうわけにはいかない。そのようなことはあってはならないのだ。

 ネロ帝の見守る中、儀式の進行はすべて終了したらしく、神官たちの動きが止まった。

 ……だが、聖布のつつまれたアルカディア姫の身体には何ら変化は見られない。

 不審を抱きつつ様子を見ていると、祭具の一つである水盆を見ていた神官が短く声をあげて、マヌルスを呼ぶのが見えた。

 マヌルスも水盆をのぞきこみ、やはり、明らかに驚愕のものとわかる声を上げる。

「――何事だ」

 ネロ帝は立ち上がり、その水盆の置かれた台へと大股で近寄った。

 神官長マヌルスは、最初、戸惑ったような表情を向けてきたが、すぐにそれは喜色に変わり、

「陛下、お喜びください! 姫殿下の魂はまさしく神々の御許に召されたのです。姫殿下の御徳、御力、御見識は人にして人の域を超え、それがゆえに、その魂は神々の御許に留まり、聖霊となられることと相成りました。

 これは素晴らしいことです。わたくしも長いこと神にお仕え致しておりますが、このような素晴らしい奇跡は初めてのことでございます。

 アルカディア殿下に――いや、聖霊アルカディア様に栄光あれ!」

「――だからどうした」

 皇帝のその一言に、興奮気味にまくし立てていたマヌルスの表情が凍りつく。

「聖霊? そのようなものはどうでもよい。アルカディアは生き返るのか生き返らぬのか!」

「そ、それは……」

 この場をどうにかしのげぬかと言葉を濁すマヌルスだったが、やがて諦めたように、

「……姫殿下の御魂は聖霊として生まれ変わりました。すなわち、もう二度と人として蘇ることはございませぬ」

 そのように断言した。

「――マヌルスよ」

「は、ははっ!」

 皇帝の冷ややかな声にこうべを下げるマヌルス。ネロ帝はその頭上に向け、まるで断罪するように告げる。

「そなたに命じたのはアルカディアを蘇らせることだ。それを成し遂げ得ぬ限り、そなたに先はないと思え」

「ははっ!」

 平伏せんばかりの神官長マヌルスを残し、皇帝は神殿をあとにした。



 だが、日を変えて何度蘇生の儀式を繰り返そうが結果は同じであった。

 水盆に浮かぶ神々よりの言の葉は「アルカディアは聖霊と成れり」とそればかりで、彼女の魂が身体に戻ってくることはなかった。

 幾度かの失敗ののちに、神官長マヌルスはその地位を奪われ投獄された。

 彼の下にいた高位神官の一人が神官長を継いだが、彼もやはり姫の蘇生を成功させることはできず牢に入れられた。

 神官たちの間に、皇帝の強権と横暴に対する不満が広がっていったが、それを表だって口にする者はいなかった。

 そして、五人の神官が儀式に失敗したところで、業を煮やした皇帝は、投獄していた神官たちを全て処刑した。

 見せしめとしての処刑であったが、これは残った神官たちに恐怖を植え付けることにしかならなかったようだ。この日を境に、皇城内に残っていた神官たちは城から逃げ出すか、あるいは逃げようとしたところを捕らえられて処刑された。




※次回アップ予定は8/11です。

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