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「ところでクレア、お父様はまだ私を外へは出してくださらないのかしら?」
ふとアルカディアがこぼした問いかけに、侍女の表情が凍った。
「そ、それは……」
あからさまに動揺してクレアは視線をそらした。
それを見てアルカディアは内心でため息をつく。もちろん外からは分からないよう表情とかは一切変えない。
まだ父帝から外出の許可はもらえないらしい。しかもクレアのあの怯えようからすると、
――おそらく、クレアにまで私の監視を言いつけているのでしょうね。
下手をすると父帝自ら命じつけた可能性すらある。皇帝直々の命となると、姫付きとはいえクレアのような一介の侍女からすれば、天からの命令にも等しいだろう。
「……姫様、お外は、その……いまは危ないのです」
すでに幾度も耳にした言葉を、いままたクレアは繰り返す。これまではアルカディア自身も漠然とした情報しかつかんでいなかったので、表立って反論はしてこなかったが、今回はそういうわけにはいかない。
先ほど、自分で“見てきた”ばかりなのだから。
「とうとう、この帝都にも流行り病が広がり始めたのでしょう?」
「――――――!」
一瞬でクレアの顔に驚愕が広がる。
そのことはアルカディアの耳に入らないように厳重に秘されてきたのだろう。実際、誰か他の者からそのことを聞いたことがない。
「……どうして……そのことをご存知なのですか?」
探るようなクレアの声。
「いまさらでしょう、クレア。もちろん“見てきた”から知っているの」
誰もアルカディアに真実を教えてくれない。神子だ至宝だと持ち上げて、壊れ物を扱うように城の奥に隠しておくだけ。
だからこそアルカディアは城の外を、広大な世界を“見て”回るのだ。
その能力がいつから自分に備わっていたのかは、記憶が定かでない。
物心つくころにはそれは当り前のことだった。
アルカディアは、自分の側にいる生き物に心を乗り移らせることができるのである。
例えばよくこの辺りを飛んでいるリト鳥など、中庭の上空を飛んでいるところに心を移して、ある程度意のままに動かすこともできる。また、生き物から生き物へと乗り換えることもできる。彼女はそうやって、その身は城の中にいながら、城の外の広い世界を“見て”回っているのだった。
他の生き物に心を移している間は、アルカディア自身の身体はまさしく“心が抜けた”状態になる。そのままの状態でいるのは危険なので、できるだけ一日以内には体に戻るようにはしている。
だが、帝国領土だけでも広大にすぎる。辺境の地まで足を(心を)伸ばしたりすると、数日間無防備の状態になったりもする。そういう遠征から戻った後はずいぶん衰弱した状態になり、神官たちから回復の魔法を受けなくてはいけなくなってしまう。そこは申し訳なく思ってしまうが、城の奥に半ば閉じ込められている彼女にとって、外の世界を広く知るための手段はこれだけなのである。
そして先ほども、彼女は城下の街の様子を見てきたばかりだ。すでに流行り病が蔓延し、人気もなく、道端に病の死者が転がっているような街の様子を。
「…………姫様」
クレアの声にかすかに怯えの色が混じる。
しかしこの反応にもすでに慣れてしまった。
この能力については誰かに語ったことはない。父である皇帝にすら。
それがゆえに、アルカディアが行ったことのないはずの場所で“見て”きたことについて口にすると、人々は半ば驚嘆し、半ば恐怖する。
そのことが、彼女に対する神秘的な印象を作り上げていることはアルカディア自身十分承知している。他人から情報や知識を得るためにその印象を利用しているところもある以上、彼女に向けられる奇異や怯えの視線も甘んじて受けなくてはならないだろう。
その覚悟をもって、アルカディアはクレアに対して微笑んでみせる。何事もなかったかのように。
「帝都の様子はひどいものだったわ。あちこちに病で亡くなった人の亡骸が転がって、外を出歩く人といえばその亡骸を集めて燃やす役人だけ。その役人もおそらくは病に冒されている。今のところ、まだ病にかかってない人々は家に閉じこもっているのでしょうけれど、このままだと、帝都から人が消えるのはそう遠い先のことじゃないはず」
「……それは」
アルカディアが口にした街の様子にクレアは言葉を失う。もしかしたらクレア自身もそこまでは聞かされてなかったのかもしれない。
「で、ですが、それは姫様がなさるべきことではございません。病への対処は神官や薬師たちにお任せになってください。姫様は帝国にとってなくてはならないお方です。病のはびこる外へ出かけたりされて、万が一のことがあっては……」
「だから、お城の中に閉じこもって、民が死んでいくのを黙って見ていればいいと?」
「ただいま神官たちが病魔退散の祈祷を続けております。祈祷が神様の元へと届けば、流行り病もたちどころに収まるはずです」
「それは……どうかしら」
神様の元へ届けば、などとクレアは気楽に言うけれど、果たしてそううまくいくだろうか。
かつて、体を離れた彼女の心が何のはずみか“それ”に触れたことがある。まだ心を移した生き物をうまく操ることもできなかった頃、ただ運ばれるままに様々な生き物を乗り継いで、気がつけばそこにいた。
“それ”はあまりにも広大無辺な、世界そのものであるかのような意識であった。あらゆるものを余すところなく見つめる、どこまでも届く透徹な視線そのもののような存在だった。
あの時アルカディアは“それ”の意識と触れ合うことで、まさしく世界のすべてとなり、同時に世界のすべてを見ていた。あまりのことに、自らを取り戻すまでに十日かかった。いや、アルカディアの体のほうが危機に陥らなかったら、そのままいつまでもそこに囚われていたのではなかろうか。
おそらくあれが“神様”というものなのだろう。幼心にそう思ったものだ。
だが、あれはあまりに広すぎた。その端っこに少し触れただけでも人の世界を忘れてしまいそうになるほどに。
“それ”の視線は人だけに向けられているものではない。世界に存在するあらゆるものに、生きとし生けるものに向けられた視線だ。
人のうちのいくらかが病で死んだからといって、どうにかしてくれるとは思えない。
高位の神官のなす奇跡に、死者の蘇生というものがある。
神の力を借り、一度死んだものを蘇らせる奇跡の名にふさわしい業だ。だがあれとて、若くして亡くなった者のうち、徳の高いとみなされる者の蘇生しか成功しないという。
おそらく、この病で亡くなっていく者たちのうち、大半は蘇ることはない。そして、神官たちも庶民の蘇生など行おうとはしないだろう。
結局、今のままにしていては、ただ人が死んでいくのを手をこまねいて見ていることしかできないのだ。
「クレア、私にもできることがあるわ。人が自らの力を尽くさないで、ただ助けを願って、それで神様は助けてくださるかしら? ううん、きっと私たちが為すべきことを為さないうちは、神様も助けてはくれないと思うの」
そう、おそらく神様が直接救いを差し伸べることがあるとしたら、それは病によって人の大半が――帝国に住まう人だけでなく、この世界にいる人の大半が――死に絶えた時であろう。
かつて神の意識の一端に触れた時の印象から、彼女はそう確信していた。
「ですが、病によって蝕まれている者は相当の数に上ると聞きます。それだけの者を癒していては、姫様の御命が危のうございます! それでは意味がありません。どうかここはご自愛くださいませ!」
「わかっているわ、クレア」
え? と肩すかしを食らったような侍女の顔を見ながら、アルカディアは言葉を続ける。
「私が外に行きたいというのは、すべての病人をこの手で治したい、なんて無謀な目的のためではないのよ?」
「では……どうなさるおつもりなのですか?」
「私はね、クレア――この病のことを知りたいの。そうすれば、治癒の手立てが見つかるかもしれない。だから私は街に出たいの。わかってくれるかしら?」
「で、ですが…………」
クレアは困ったように言葉を探している。アルカディアの言いたいことは理解してくれたのだろう。さりとて命令に背くわけにもいかない、といったところだろうか。
彼女の立場からすれば仕方のないことだ。こちらの言い分を聞いてくれただけでも良しとするべきだろう。
むしろ、直接話をしなければならないのは――
「――アルカディア、あまり侍女を困らせてはいけない」
「……お父様」
二人の背後から聞こえてきた低い男性の声に、アルカディアは振り向き、クレアはあわててその場に平伏した。
そこにいたのは、色鮮やかな紫の長衣に身を包んだ、壮年の男性だった。
ダヴィオン帝国現皇帝・ネロ四世。
長身痩躯の引き締まった肉体に加え、やや細面の厳めしい顔つきはどこか軍人を思わせる。口元は整えられた豊かな黒色の口髭によって覆い隠されており、彼の表情を表すものは常ににらみつけるような威圧感を持つ両の眼だけ。
彼の一言がこの大帝国を左右する。
彼の一言で大勢の人の生死が決定される。
彼の前では全ての者が身を縮める――ただ一人を除いて。
「お父様――城の外で起こっていることについてお話をしたいのですが」
そのただ一人。皇帝ネロに対して対等に物を言うことができる者こそ、一人娘であるアルカディア姫であった。
「……それはお前が知らなくともよいことだ」
「ですが、私もこの国を担う者の一人として――」
「アルカディア。お前はまだ幼い。国のことなど考えなくともよいのだ」
――いつもこうだ。
アルカディアは父の顔を見上げてその目をじっと見つめる。こうするとたいていの人間は目をそらすのだが、この父だけは決して目をそらすことがない。全てを見通すなどと噂されている彼女の視線を正面から受け止め、むしろ威圧するよう押し返してくる。
父が、こちらのことを案じているのはわかっている。
それがゆえに厳しく接してきているのだということも理解している。だが――
「お父様――私にも成せることがあるのに、この身を惜しんで、民が死んでゆくのをただ眺めていることはできません。外に――お城の外に行かせてください!」
父に挑むようにそう返した。
「――ならぬ」
それでも父帝ネロはかたくなに拒み続ける。
「アルカディア。お前は帝国の次代を担うべき存在なのだ。このような些事でその身に万が一のことがあっては帝国にとって取り返しのつかぬこととなってしまう。ならばアルカディアよ、お前がここで身を惜しむのはすべて帝国のためであるのだ」
わかるな、と諭すように父は声を抑えて語りかけてくる。
「……ですが」
アルカディアは顔をあげて、再び父の目をとらえようとする。しかし、今度は視線が合わさることはなく、
「よいなアルカディア、決して外に出ることはまかりならんぞ」
目をそらした父は、それだけを言い残して、皇城奥院へと戻って行った。
「……………………」
アルカディアは、黙ってその後ろ姿を見送り、うつむいて唇をかんだ。
※次回アップ予定は7/21です。




