表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Crimson Tear  作者: シャルル=コクトー
3/12

 ダヴィオンの神子みこ。癒しの御手。帝国の至宝。

 ダヴィオン帝国皇帝ネロの第一皇女アルカディア姫を称する言葉は数あるが、代表的なところを挙げればそのようなものになるだろうか。

 皇帝ネロにはアルカディアのほかに子はいない。

 皇妃ラヴェンドラが産褥において身罷みまかって以後、皇帝は新たな妃を迎えず、まためかけの類も側に近づけなかったからである。

 この子のことをよろしくお頼み申し上げます。と皇帝に言い残して息を引き取ったラヴェンドラの意志を受け、彼女の残した一粒種をまさしく掌中の珠として大切に育ててきた。

 そして十年の時が過ぎ、その甲斐あって、アルカディア姫は美しく聡明な娘として成長したのだった。



 皇城の奥院にある中庭に整えられた、一面に白いアリシネアの花が咲く花畑。かすかなそよ風が小さな花の群れの上にさざ波を広げていく。

 花畑の外れに腰をおろして、静かな面立ちの少女が一人その白い波を見つめていた。

 いや、その瞳は花を見ているようで、しかしどこかもっと遠い所――いまここではないどこかに向けられているように茫洋としている。

 少女はまるで静かに眠っているかのように、座った姿勢のまま身動きをしない。白い上着の胸元を彩る宝玉飾りも、短く刈られた草の上にふわりと広げられた長いスカートも、ときおり風に撫でられる以外に動くこともない。

「姫様、アルカディア姫様――?」

 と、そこに、一人の女性が中庭へと姿を見せた。身につけているものは、飾りもない粗布の上着と長スカート。どちらも黒く染め抜かれていて一目で侍女とわかる。

 彼女は花畑の脇に座り込んでいる少女のそばまで近寄ると、その正面をそっと覗きこむ。普段であれば不敬をとがめられそうなその行為も、この状態の姫君には不問とされることがわかっているのだ。

「やっぱり……どこかにお出かけになっていらっしゃるのね」

 焦点の結ばれていない姫の瞳を見て、クレアはひとりつぶやいた。

 彼女の主は、幼いころからこうしてまったく違う場所を見ているような目をして長い時間を過ごすことがあった。短ければ数刻、長い時は数日にわたってこの状態が続く。

 かつて、まだ姫が六歳のころ、十日にわたってこの状態が続き城内が大騒ぎになったこともある。十日目にようやく目を覚ました姫は、夢うつつの表情で「かみさまとおはなししてきたの」と語ったという。

 真偽のほどはさておき、それ以後、姫は「ダヴィオンの神子」と呼ばれるようになった。

 ただ、この状態の姫が、いつも「神様」と会っているのかといえば、どうもそうではないらしい。

 一度クレアが話を聞いた時には「この世界を見てきたの」と答えが返ってきたのだが、それ以上具体的なことについては聞かせてもらえなかった。

 だからクレアとしては想像をたくましくするしかないのだが、そこで彼女の頭に浮かぶのは、幼いころにいつも聞かされていた聖霊の姿だ。

 聖霊とは、天の御使い。神の手足となり世界中を飛び回り、神意をあまねく届かせる聖なる存在である。人の目にはその姿は見えないが、神の御言葉を受けるべき人物の元にはその姿を顕わ(あらわ)にするといわれている。

 皇城に居ながらに世界を見て回るというアルカディア姫は、まるで生きながらにして聖霊になってしまったようではないか。

 馬鹿げた想像だということは十分承知している。だけれども彼女の主たる人物は、そのような想像すら似合ってしまう、ある種の、人を超えてしまったようなところがあるのだった。

「……いまごろ、どちらの空にいらっしゃるのでしょうか」

 つぶやいて帝都の空を見上げたクレアの視界に、すぃ、と一羽の白い鳥が空を切り取るような勢いで飛び込んできた。

「リト鳥? こんな街中までやってくるなんて――」

 めずらしいな。と続けようとした言葉は途中で途切れた。

 なぜなら、その白い鳥は、大きな翼を目いっぱい広げたまま、勢いゆるめず一直線にこの皇城の中庭めがけて飛び込んできたからだ。

「――え?! ええっ?!」

 驚愕による刹那の混乱の中、クレアが思ったのは、とにかく姫様を守らなければっ、ということだった。

 彼女は、手近にあった、土いじりのための手鋤をひっつかむと、それを振りかざすようにしてアルカディア姫の前に立ちはだかり――

「ああああっちいけっ! こっちくるなっ! くるなっ!」

 やみくもに手鋤をぶんぶか振り回した。

 と、はたしてその勢いに押されたのか、リト鳥はちょっと速度を落とすと、クレアの手前に着地。そこから、ひょっこひょっこという感じのちょっと不自然な歩き方で、こっちに近寄ってくる――いや、その道筋からすると目指しているのは座ったままのアルカディア姫のようだ。

「これは……どうしたらいいのかしら」

 手鋤を構えた姿勢のままで固まるクレア。そんなクレアの足元をひょっこひょっことリト鳥が通り過ぎようとして、ふとクレアのことを見上げ、「ここ通っていい?」と問うかのように首をかしげて見せた。

 へっ? とあっけにとられて反応できないクレアのことを、白い鳥はちょっとの間、見つめていたが、クレアが動かないと知ると、そのまま彼女の足元を通り過ぎて、アルカディア姫の膝元へとたどり着いてしまった。

「あっ、こら、姫様に――」

 触っちゃダメです。と言いかけて、またその言葉が止まった。

 リト鳥がアルカディア姫の膝の上に乗ったその瞬間、いままで別の世界をのぞいていたようだった姫の瞳がすっと焦点を結び、はっきりとクレアのほうを向いたのだ。

「ごめんなさい。驚かせてしまったようね」

 やわらかく耳に心地よい声が、クレアに向ってそう告げた。

「い、いえ……姫様。その……お帰りなさいまし」

 クレアは手にしていた手鋤を背後に隠しながら答えた。おそらくはいまさら隠しても無駄なのだろうけど。

 そんなクレアの様子にアルカディア姫はちょっとだけ笑って、

「この子にも怪我をさせてしまいました。ごめんなさいね」

 姫の膝に乗っているリト鳥をよく見ると、確かに足の付け根のあたりから赤いものがにじんでいる。先ほどクレアの目の前を通った時の不自然な歩き方はそのためだったようだ。

 アルカディア姫は、そのリト鳥の怪我にそっと右の手のひらを当て、口の中で転がすように呪文を唱える。そのかすかな声はふわりと溶けるように辺りに漂いだす。溶けた呪文はすでに意味を判ずることもできず、ただ純粋な音となってクレアの耳にまで届いた。

 周囲を満たす心地よい音色に思わず目を閉じて聞き惚れる。

 だがすぐに――

「はい。もう大丈夫よ」

 と、アルカディア姫の声がして、辺りを満たしていた音色はそのまま空気に溶けて消え去った。

 そのことを少し残念に思いながら改めて姫のほうを見ると、ちょうどその膝元から白い鳥がひょいと降り、先ほどとはうって変わったちょこちょこと機敏な歩みで数歩進み、姫のほうを一度振り返ってから羽音を立てて空へと飛び去っていった。

「ひ、姫様……鳥にまで治癒魔法を使っていては、お体のほうが……」

 クレアがそう言うと、彼女の主はこちらの心配を打ち消すような笑顔で、

「平気よ、クレア。そんな大きな怪我ではなかったから、私への影響はほとんどないわ。それに、私のせいで怪我してしまったんですもの、ちゃんと治してあげなければかわいそうでしょう?」

 治癒魔法。

 アルカディア姫がその手に宿す大いなる力がそれだ。

 この時代、まだ治癒魔法は奇跡の領域にあり、学べば誰でも使えるというものではなかった。一部の高位神官は神の力を借りることによって治癒の力を行使することができたが、アルカディア姫の場合はまた少し違っていた。

 彼女は、自らの生命を分け与えることによって他者を癒すのである。それゆえに、アルカディア姫の治癒魔法に不可能はなく、まだ生命を保っているものであるならば、いかなる瀕死の重傷であろうが、不治の病であろうが、たちどころに快癒させてしまうのだ。

 しかし、命を削る魔法はあまりに消耗が大きい。まだ幼い彼女にとってはなおさらに。

 かつて、戦いにおいて死に瀕するほどのけがを負ったある貴族に治癒魔法を用いた時、アルカディア姫はその後ひと月のあいだ、床に伏せることになったのだった。

 以後、これを憂いた父帝ネロにより、姫に治癒魔法を使わせてはならないとの命が出されることとなったのである。


 ダヴィオンの神子・癒しの御手・帝国の至宝と呼ばれるアルカディア・クル・ファノ・ダヴィオノ。十一歳の誕生日を数日後に控えたまだ幼き少女をめぐる出来事が、大陸全土にまたがる大帝国ダヴィオンの運命を狂わせていくことになるのだった。




※次回アップ予定は7/14です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ