Prologue
スノーフィールドは雪におおわれた街だ。
大陸北部に位置するヴェルスム王国のさらに最北端。ここはルピア大陸における人類居住可能区最北端でもある。そのさらに北側には峻険たる雪山ユゾーク山脈が人の北進を阻んでいる。
ヴェルスム王国自体、よその国からは雪国と思われているが、その中でもスノーフィールドは一年の大半を雪と共に過ごす。城壁に囲まれた街の中から雪が姿を消すのは、ごく短い夏の間だけだ。
朝起きて、熱いコーヒーで体を目覚めさせた人々がまず行うのは、夜のうちに積もった雪を掻くことである。屋根を圧迫する雪を、道をふさぐ雪を掻き除け、火の呪文を使える魔術師がそれを溶かす。
この作業によって、ようやくスノーフィールドの街は目を覚ます。人が道を行き交い、一日の仕事が始まるのだ。
そんなスノーフィールド市民は一日の終わりには暖炉のある部屋に家族で集まって、火酒やホットワイン、ココアやコーヒーなどめいめい好みの温かい飲み物を手にゆっくりと会話に興じる。寒い外に出かけるよりは、暖かくした我が家で家族や親しい人とともに過ごすことを好むのだ。
「ねーねー、おばあちゃん。今日もお話してー?」
ある一軒家から幼い少女の声が聞こえてくる。
パチパチと暖炉で薪のはぜる温かい音が静かな部屋の中に響く。そのそばの安楽椅子には一人の老婦人が腰かけて編み物をしていたが、その膝の上に乗りかかるようにして見上げてくる少女のしぐさに、編み棒を動かす手をとめた。
「そうだねぇ、今日は何のお話をしようか」
彼女は、自分のことを期待のまなざしで見つめてくる孫娘の姿を穏やかな瞳でとらえながら、レパートリーの中でまだ話してないものをいくつか思い浮かべて――
「ああ、そういえばメグにはこの話をまだしてなかったねぇ」
「え? なになに? どんなお話?」
新しい楽しみのしっぽをちらつかされて、それを逃がすまいとあわてて身を乗り出す少女。その様子に彼女はちょっとだけ人の悪い楽しみを覚える。
その物語は、スノーフィールドだけでなく、ヴェルスム王国に暮らす娘なら必ず一度は耳にする話だ。そして、それを聞いて以後、十八歳の誕生日を迎えるまで、ずっと心のどこかにトゲのように刺さり続けるような、そんな話。
彼女自身も、子供のころに祖母からこの話を聞かされて、しばらくは怖くて夜眠れなくなったものだ。
だから、一度は誰かにこの話をしてみたかったのだか、あいにく彼女に娘は生まれなかった。その代わり、いまこうして孫に向って話すことができる。
かつてと逆の立場になったことに、彼女は時の流れの不思議を思い、心地よいめまいを感じる。けれどすぐに、袖を引っ張ってくる手の感触に我に返る。
早く早く、と急かすような表情の孫を見て、ひとつ小さくほほ笑むと、彼女はかつて祖母から聞いた通りの言葉を自らの口から紡ぎだす。母から子へ、祖母から孫へと代々受け継がれてきた、そしてこれからも受け継がれていくであろう物語の発端を。
「むかしむかし、ずっとむかし。この大陸にスノーフィールドもヴェルスム王国もまだなかったくらいの遥かなむかし。大陸じゅうに広がる大きな大きな国がありました」
どんなお話が始まるのだろう、と孫娘――メグは瞳を輝かせて聞き入ってくる。その瞳の輝きを心地よく感じながら、彼女は物語の紬車をゆっくりと回していく。
「その国には、それはそれは美しい一人のお姫様がいました――」