表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Crimson Tear  作者: シャルル=コクトー
10/12

 すぃ、と、その身は空を滑るように飛ぶ。眼下に小さく人の村と、そこで動く豆粒のような人々の姿が見えては、後ろへと過ぎ去っていく。

 アルカディアは大陸の南部を高速で飛びながら北上していた。だが、その姿は決して地上にいる人々の目に映ることはない。

 聖霊アルカディア。

 六年前、自身の命を削る治癒魔法を使いすぎて、その生命の火を消すこととなった彼女の魂は、神々の決定により聖霊となった。

 聖霊とは神々の手足となって、世界の秩序のために働く存在である。それは世界の管理者にして修理者。世界のほころびを修繕し、流れが淀んでいるところを掃除する。簡単に言ってしまえばそういうことだ。

 その立場から見れば、人も世界を構成する要素の一つにすぎなくなる。

 かつて人であった時の彼女は、たとえ心が他の生き物に乗り移っていたとしても、最終的に人の視点から抜け出すことはなかった。

 だが仲間の聖霊たちと世界を巡り、その秩序と流転の理に触れ続けているうちに、いつしかアルカディアは世界を見る視点を――以前は冷酷で恐ろしいと感じていた神々の目に近い視点を得るに至った。

 そうして彼女は、聖霊アルカディアとしての自分を受け入れたのだった。

「アルカディア、そろそろ目的地点が近づいているけど、準備はいい?」

 アルカディアのわずか前方、彼女を先導するように飛ぶもう一人の聖霊がそう呼びかけてきた。

 聖霊ルフィーリア。アルカディアの先輩となる聖霊で、聖霊となったアルカディアにつきっきりで聖霊としての仕事を指導してくれた師でもある。

「もちろん。ルフィーリア」

 短くそう答え、アルカディアは手にした杖をぎゅっと握りしめた。

 いま二人が向かっているのは戦場だ。魔神と聖霊が互いの存在を否定し、消滅させあう闘争の場。

 聖霊と魔神が互いに出会えば必ずどちらかが消え去るまで戦うこととなるが、これまで魔神が聖霊の前に姿を現すことなどほとんどなかった。それが、ある日を境に、魔神どもが聖霊に対して無差別に攻撃をしかけてくるようになったのだ。

 アルカディアは、それが父帝ネロ四世が魔神に依頼したことだと知っている。

 だが、聖霊には一つの不文律がある。それは、聖霊となる前――生前その人がどんな人であったのか、どんな境遇に生きていたのか、それを問うてはならない、というものだ。

 その不文律のおかげで、アルカディアの死がこの戦いの原因であるとはあまり知られていない。だが、やはりその事実は彼女の上に重くのしかかっている。

 知らず、表情を曇らせていたのだろうか、

「……アルカディア」

 声に顔を上げると、ルフィーリアが心配そうにこちらを振り返っていた。

「あ……ごめんなさい心配かけて……」

 幾度このやり取りを繰り返しただろう。ルフィーリアにはアルカディアが直接話したため、例外的に彼女だけはアルカディアの生前の境遇について知っている。

 たとえ、世界を見る視点を得たとしても、残してきた人々のことをそう簡単に忘れられるわけではない。

 アルカディアの死をきっかけに、世界は大岩が崖を転がり落ちるかのように荒廃への道をひた走っていった。国も、国土も、民の生活も、人々の心も、千々に乱れて、かつては一つにまとまっていたものがばらばらに散らばってしまった。

 この状況をどうにかできないかと、聖霊となって以降、アルカディアは幾度となく皇城へと足を運び(もちろん空を飛んでゆくのであるが)、どうにか父帝に彼女の蘇生を思いとどまるよう伝えたかった。けれど人には聖霊の姿が見えない。その声も聞こえない。

 神官たちの中には聖霊の声を受け取ることのできる者も存在するのだが、皇城や帝都の神官は全て処刑されるか逃げ出すかしていた。かといって、地方の神官に彼女の声を伝えれば、それが帝国各地で起こっている反帝国運動の旗頭に利用されるおそれもあった。

 結局アルカディアにできたのは、任務の合間に皇城の様子をうかがい、父帝にむかって届くことのない呼びかけを行うか、地下牢に閉じこめられていたクレアにわずかばかりの安らぎを与えることくらいでしかなかった。

 聖霊となっても、神ならぬ身ではできることには限りがある。そんな自分の無力を痛感しながらも、アルカディアは残してきた人々のことを案じ続けていた。



「アルカディア、気持ちを切り替えて」

 ルフィーリアの声に、はっと内に籠っていた思考を外に向ける。そう、いまはこれから向かう戦いの場に意識を集中すべき時だ。

 聖霊にとっては戦闘行動――敵対する魔神や害獣に対して身を守り、彼らを折伏するための手段を身につけることも師より学ぶべき必須事項の一つである。聖霊としての活動を行いつつ、この七年でアルカディアは聖霊たちの中でも指折りの力を持つと言われるまでに成長していた。

「うん、わかってる」

 二人の行く手に人の目には決して映らぬ戦場が見えてくる。多くの聖霊と魔神が入り乱れて激しい戦いを演じている場が。

 もとはもっと小さな競り合いだったのだろうが、アルカディアたちのように他所から呼び寄せられた者たちが次々参戦して、ここまで規模が拡大していったのだろう。

 聖霊たちは自らの身体を成す“天上の風”を用いて作り上げた武器をそれぞれ手にして魔神と相対し、魔神たちは同じくその体を構成する“地底の泥”を変形させて各々の武器とし聖霊と対峙する。

 作り成す武具はそれぞれの個性や好みにより千差万別である。

 アルカディアは手に持つ武具としては杖を好んでいる。もっともただの杖ではない、それ単体でも敵の持つ剣や槍と互角に打ち合えるだけの強度を持ち、杖頭には五つの“爪”を装填していて、それぞれ杖より分離し、アルカディアの意思によって自在に動かすことができる。人であった頃から広い視野とさまざまな視点に慣れていた彼女だからこそ使える武器であった。

「行くよ! アルカディア」

「うん!」

 ルフィーリアが先に立ち、その後をアルカディアが続く。接近してくる二人に気付いた魔神たちが群がるように押し寄せてくる。

 その魔神どもの先頭の一人をルフィーリアの槍が正面から貫き、一瞬で消滅させた。その後ろから振り下ろされた別の魔神の大鎌を、割って入ったアルカディアの杖が受ける。ぎぃん、と濁った金属音。同時に杖より弾き出た三つの爪が魔神の身体に三方からえぐり込み、そのまま反対側まで突き抜けた。

 落ちていく魔神。だがその身体はすぐに塵のごとき粒子にほどけ、風に飛ばされ存在を消す。

 アルカディアの後ろから再びルフィーリアが前に出て、次の魔神を槍の穂先で二つに裂いた。アルカディアの杖よりさらに二つの爪が撃ち出され、計五つの爪が自在に舞い、近寄る魔神を貫き、弾き、牽制する。爪がそれぞれ周回し球を描く領域の内側に踏み込める魔神は一人としていなかった。

 あらたに参戦したこの二人組に一瞬で数体の魔神が消され、それを見た魔神たちがさらに群を成すように押し寄せてくる。

 しかし、アルカディアとルフィーリアのコンビはこれっぽっちも揺るがない。周囲を舞う五つの爪で防御と攻撃を同時に成すアルカディアと、それでたじろいだ敵を的確に殲滅していくルフィーリア。

 魔神たちはどうにかこの二人を倒そうと押し寄せ、勢いづく聖霊たちもまた二人の元へと集まっていく。

 いつしか、二人を中心に戦場が動くようになっていた。そして、聖霊たちの優位は一刻ごとに増し、そのままこの場の魔神を撤退させるに至ったのであった。



 アルカディアが魔神との戦いに身を投じ、各地で奮戦していた一方、人の世界、帝都の皇城では皇帝ネロ四世が一向に進まぬ事態に苛立ちを隠そうともしなくなっていた。

 ことあるごとに魔術士たちに進展を問い、決まって返ってくる「……まだでございます」という答えに怒り、魔術士たちの無能をののしり、魔神の不実さをなじった。

 魔術士たちに処刑をちらつかせ、実際に数人を処分してみたが、魔神任せの彼らにできることはなど何ひとつなかった。

 そうしている間にも、地上に現れた魔神たちの影響で、家畜や野の生き物は死に、木々も花も作物も枯れ、荒れ果てた大地に人々は飢え、病んで、そして死んでいった。

 いまや帝都付近だけでなく旧帝国領全土で、かつての流行り病以上の災厄がはびこっていた。

 だが、皇帝ネロは相変わらずそのような世事には無関心で、ただアルカディアの復活だけを望んでいるように見えた。地下室の寝台に眠る愛娘のもとを訪れては、十一歳の誕生日を前に成長を止めた幼き姿を見つめて時を過ごしているようだった。

 そのようなとき皇帝は、誰もそばに近寄らせなかったが、ただ例外としてソリエード伯だけはその後ろに侍ることを許されることがあった。

 この日も、アルカディアの虚ろな身体に命を移す儀式ののち、娘を見つめるネロ帝の後ろには伯が控えていた。

「そういえば……」

 と、ネロは独り言のようにつぶやく、

「アルカディアの誕生日がもうそろそだったな」

 ふいにネロはそのことを思い出した。

「……さようでございますね」

 背後のソリエード伯が沈んだ声でそう返した。

 生きていたなら、もう十八になる。つまり、アルカディアがその命を散らせてから、もうじき七年の歳月が経とうとしているということだ。

 あの日以来、ひたすらに彼女の蘇生を願い、そのためだけに生きてきたといってもいい。だというのに、いまだに彼女はこうして物言わぬまま横たわっている。

 ――もうこれ以上待つことはできない。

 その思いを強く感じた皇帝ネロは、魔術士たちが呼び出した魔神グリディアスと直接合うことを決意し、魔術士たちにそのように取り計らうよう告げた。



 ほどなくして、謁見の間に戻った皇帝のもとに、魔術師に連れられた一人の男が連れられてきた。

 魔神グリディアスである。

 その姿をこうして間近で見るのはネロ自身は初めてのことであった。一目見た感じでは、人の青年と言われて疑問を抱かないだろう。むろん、人には稀にすら見ることが難しいほどの美青年である、との注釈を忘れるわけにはいかないが。

 玉座の前で、魔術士は膝をつき頭を下げた。

 だが、魔神は立ったままで、礼をとろうとはしない。

 こうして玉座から見ると、彼の異様な長身が目立った。他の者を見下ろすときよりも、視線がかなり高い位置に止まるのだ。それは例えば、体格の良い武人を謁見する時と似ていたが、いま目の前にいる魔神はすらりとした体つきで、武人の迫力のようなものは微塵も感じられなかった。

 そのように、ネロが魔神を観察しているうちに、

「――あなたが、あの聖霊アルカディアの人としての親ですか」

 あろうことか、許しも得ていないというのに、グリディアスが勝手に口を開いた。

「魔神殿っ、陛下よりお声がかかるまでは口を開いてはなりませぬと申し上げたではないですかっ」

 平伏したままの魔術士が、ちらりと片顔を上げて魔神にささやく。が、言われた魔神はそれを気に留めた風もなく、にやにや薄気味悪い笑みを浮かべたまま、こちらを見つめている。

 まるで、こちらが観察をされているような居心地の悪さを覚えたが、ネロは「まあよい」と魔術士を制して、

「魔神グリディアスよ」

 と、直接呼びかけた。

 魔神はやはりにやにや笑いを浮かべたままであったが、とりあえずこちらがなにを言い出すのか聞く気になったようだ。

「――魔術士どもがお主を呼び出してからもうずいぶんと時が経った。だがいまだに我が娘が蘇ることはない。いったい、いつになったら我が願いは叶うのだ」

 ふうむ、と魔神はつまらなそうに一つ声を発し、思案するようにあごの辺りを撫でた。

「それが、私にとっても誤算でして――」

 と、グリディアスはひょいと肩をすくめる。

「たかが成り立ての聖霊を一体捕らえるだけ、と簡単に考えていたのですがね、この成り立てが恐ろしく手強い相手ときたもので」

「それは――アルカディアことか?」

「ええ、かつてはあなたの娘であった聖霊アルカディアのことですよ」

 ことさらに過去であることを強調するような魔神の物言いに、ネロは頭に血を昇らせ、

「アルカディアはいまでもわしの娘じゃ!」

 目の前の相手を怒鳴りつける。

 帝国の人間であれば、この一喝に震え上がらない者はいないというのに、グリディアスは犬の遠吠えを聞いたほどにも気にした風を見せないでいた。

「これはうっかりと失礼なことを申し上げたようですね」

 やれやれと首を振ってそんなことを言う。

 先ほどから薄々感じていたが、彼のそんな仕草の一つ一つがどうにも作りもののように思えてしかたがない。その造形されたような美貌とあわさって、ネロ帝は自分が向き合っているものが果たして何であるのかわからなくなるような感覚に襲われていた。

「で、そのあなたの娘に、これまで二百十二体の魔神が消滅させられました。その師匠である聖霊ルフィーリアに消された者も合わせると四百五十三体になります。

 まったく驚いたことに、たかだか二体の聖霊に四百五十もの魔神が消されてしまったのですよ」

 語られる内容は彼にとっては悲憤してしかるべきものであるだろうに、魔神グリディアスはただ淡々と、むしろ面白そうな様子でそれを語る。口の端に浮かんだ笑みがなんだか空恐ろしいもののように思えてくる。

「そのようなわけで、いまだに私が召喚された目的は達せられずにいるのです」

 ネロ帝は悲喜交わった心境で魔神の言葉を聞いていた。聖霊となったアルカディアが魔神も舌を巻くほどの活躍を見せているのは誇らしくもあったが、それがために愛娘の蘇生が成らないのでは話にならない。

 それに、気になることもあった。

「話によると、アルカディアを捕らえるために、大勢の魔神が出ているということだが、よもや、アルカディアに乱暴な真似をするわけではないだろうな」

 ネロがそう言うと、魔神は声に出して小さく笑った。そのわざとらしい笑い声が、皇帝の怒りを誘っているかのように、ちくちくと刺激してくる。

「もちろん私としても、できれば穏便に捕らえたいものですが、相手が抵抗をするというのであれば、多少荒事になるのも仕方ないことです。ああ、ご心配なさらなくとも、間違えて消滅させてしまうようなことはないよう、強く言い聞かせていますのでね」

 ネロ帝は、ギリリ、と椅子の肘掛けを強く握りしめた。まるでこちらを小馬鹿にしたような魔神の態度に怒りが爆発しそうになっていたが、かといって、この魔神以外にアルカディア蘇生の頼りはない。

「ただ、そうは言いましても――」

 そんなネロ帝の心持ちを知ってか知らずか、魔神は困ったように首を横に振り、

「こちらも打つ手がないというのは事実ですがね。このまま数による力押しを続けて、いたずらに消耗を増やすのも芸がない。

 あなたは聖霊アルカディアの人の親なのでしょう? なにか彼女の弱点など教えてもらえませんか」

「弱点か……」

 そう言われても、ネロ帝は愛娘の弱点などというものをとっさに思い浮かべることができなかった。

 物心が付く頃から聞き分けの良い子供だった。母親を知らず、寂しい思いもしただろうに、そのような素振りも見せなかった。次期帝位継承者としての期待を一身に受け、常にそれに応えるべくふるまっていた。

 唯一のわがままといえば、外の世界を見たいと言い出すことくらいだった。こっそりと城を抜け出して、何度か一人で街へと出かけていたと聞いたときは驚いたものだが。

 つい、追想にふけってしまっていた皇帝は、そばに控えていたソリエード伯が発言するのを聞いて我に返った。

「姫様に……乱暴をしないと約束してもらえるなら、一つ手があるかもしれません」

 ネロ帝だけでなく、魔神グリディアスも伯がなにを言い出すのか興味を持って耳を傾けた。

「いささか気が引ける方法ではあるのですが……」

 そうして、その方法はグリディアスによって実行されることとなった。



※次回アップ予定は8/30です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ