香奈と俺
ドイツ、ミュンヘン国際空港。
入国手続きを終わらせロビーへ向かうと、そこには満面の笑みのニーナが待っていた。
「マチダ!」
ニーナが俺に気づいて手を振りながら駆け寄ってくる。そして相変わらずの熱い包容。
「ちょっ……」
ニーナに抱きつかれ俺は後ろへヨロヨロ後ずさってしまった。ニーナの積極的なスキンシップに香奈は笑っていた。
「ママ、もう『マチダ』じゃないよ、紘平よ。あたしだって町田なんだから。パパただいま。この人が紘平よ」
香奈は俺を父親に紹介してくれた。初めてあう香奈の父親は、ロマンスグレーで背が高くスーツが非常に似合っている紳士だった。
「はじめまして、町田紘平です」
「紘平くん、よく来てくれたね」
香奈の父親は笑顔で右手を握り堅い握手をしたあと、肩を叩きバグをした。
「コーヘイ」
ニーナがにっこりと笑い、俺達も一緒に笑った。
「これからもよろしくお願いします」
香奈から教わったドイツ語で挨拶をした俺を、ニーナは目を涙をためながらもう一度ハグをした。
「コーヘイ、カナヲタノンダ……ゼヨ」
ニーナの言葉に吹き出しそうになりながら「ヤー」と返事をした。
ささやかながら簡単な結婚式を行い、遠くから香奈の祖母も駆けつけてくれた。
おばあさんは香奈の結婚をとても喜んで、指にはまっていた指輪を香奈に渡して「いい人見つけたね。今度は幸せになるんだよ」と抱きしめた。
「この人は運命の人だよ、会うべきして会ったんだね。絶対に離れちゃいけないよ」
「うん、わかってるおばあちゃん。離れたくても彼が離してくれないよ、あたしも離したくないしね」
二人の会話の内容は全く分からなかったが、俺に向かって微笑む二人の様子からなんとなくいい話なんだと思った。
そしておばあさんは涙ぐんだきれいな緑色の瞳で俺を見て「香奈を幸せにしてあげて」と言った。
香奈が通訳してくれ俺が「ヤー」と返事をすると優しい顔で微笑み、目元の涙を拭った。
それから一週間ほど、新婚旅行を兼ねいろいろな場所を香奈のガイドで観光し見て回り、本場の味を堪能した。あっという間に帰国を明日に控えた日、賑やかな観光地を離れて、電車に揺られ静かな郊外の街へ足を伸ばした。
なにもない片田舎の道を手を繋ぎ歩いていると、見渡す限り建物がない広い場所へと出た。
地平線まで続いている広大な大地に気持ち良い風が吹き、木々の葉を揺らす。
「俺、ここに来たことある……」
無意識に口から出た言葉に俺自身が驚いた。ドイツには今回初めて来たはずなのに、そんなことある訳ない……。
「え?なに?」
俺の言葉を聞いていなかった香奈は、風に吹かれた髪を耳に掛けながらもう一度聞き返してきた。
「いや、なんでもない」
不思議そうな顔をした香奈は「へんなの」と言いながら微笑んだ。
日差しを避けた木陰に二人で腰を下ろしどこまでも続いているその先を眺めた。香奈が肩に頭を乗せて寄り添って笑った。俺はその笑顔を見て唇を重ねた。
すると香奈の瞳が深い緑色になった。
『うれしい』
『待たせたね。これからはずっと一緒だ』
俺たちが視線をあわせると心の二人が言葉を交わした。
すると何かが身体から抜けるような感覚に襲われた。つぎの瞬間、何かが身体から一気に抜け出した。
見上げると2つの煙のようなモノが空に吸い込まれていった。
二人で空を見上げ、目があうと俺らは一緒に笑い出した。
「香奈愛してるよ」
「あたしも紘平を愛してる、ずっとずっと……」
心の中にあったわだかまりが綺麗に消えた感じの中、晴れやかな気持ちで二人は唇を重ねた。
帰国後、あの絵を部屋へ運んだ。
日に日に増していく前夫の暴力に、大切な絵が傷つけられる危機を感じた香奈が絵に被害が及ぶ前にニーナの所へ送っていたのだ。
何気なく絵の裏側を見ると額縁と絵の間に何かが挟まっていた。
絵を傷つけないよう慎重に額縁を外しその紙を見ると、相当古い紙が出てきて何やら書いてある。
「香奈、これなんて書いてあるの?」
香奈がその紙を手に取り書いてある文字を読み上げた。
「『愛しいあなたへ愛を込めて』だって。恋人にあてた絵なのかもしれないね」
絵の中の草原がそよぎあの香りがしたような気がした。もう一度絵をよく見ると、絵の中に寄り添っている小さな二つの影があった。
「あれ?こんなのあったっけ?」
香奈も目を凝らして絵をじっと見た。
「あったかもよ」と笑顔で俺を見た。
絵の前で寄り添い「そうかもな」と俺は言った。
あの日以来、香奈の目を深緑にしていた彼女は出てこなくなった。同時に俺の中の彼も消えた。
寝室に飾ったあの絵の前で、俺たちは何度も愛を交わした。
そして今、香奈のお腹の中には新しい生命が二つ宿っている。
新緑が萌え深い緑になる頃、新しい二つの命が生まれる予定だ。




