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雨想水神  作者: 桐谷瑞香
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前篇

 この作品は、伊那様主催の和風小説企画参加作品です。

 初めての和っぽい作品でありますので、上手く書ききれていない部分もありますが、よろしければ読んで頂ければ幸いです。


挿絵(By みてみん)

絵師:黒雛桜さま





 ――(なんじ)、望みの代わりに何を与える?






 真っ黒い雲が空を覆う中、腰に刀を差している十代半ばの少年は比較的馴らされている地面を、草鞋(わらじ)で踏みながら黙々と進んでいた。左肩で竹刀が入った袋を、その先端には道着や防具が入った大きな袋が下がっている。重そうに見えるが、彼は疲れた様子も見せずに歩いていた。

 時折、道を通り過ぎる男どもから挨拶を向けられると、はきはきした口調で返す。ほんの少しのすれ違いではあるが、挨拶は重要であると(しつ)けられていた。そんな道中で、昔から知り合いの男性にもあった。少年の父親くらいの年齢の男だ。

「おお、時彦(ときひこ)、その格好は出稽古の帰りか?」

「そうです。隣町の道場の師範から頼みがあり、門下生たちの相手をして欲しいと。どちらかというと、結局は師範から稽古をされたという感じですが」

「それはいい経験になっただろう。早く親父さんに報告するといい」

 そう言うと男性は、彼よりも頭半分くらい背の小さい、くせっ毛の時彦の頭を撫で付けた。それを嫌そうに手で振り払う。

「いつまでも子供扱いしないでください!」

「いや、子供だろう。こういう風に触れられても、咄嗟(とっさ)に避けないあたりが」

 その言葉に対して、時彦は言い返せなかった。口を(つぐ)み、そっぽを向けて歩き始める。そんな時彦の様子をやれやれと肩を竦めながら、男性は眺めていた。

 道場で師範を務めている父親を持つ時彦は、上から下まで幅広い年齢層と竹刀を混じりあわすことが多いため、必然的に知り合いが多い。その一人が彼であり、道場の中では指折りの門下生だ。日を置いて彼が道場に訪れた際には、相手をしろと言われるのは、想像に難くなかった。

 一本道を歩き続けると、途中で二手に道が広がる分岐点に辿り着く。右に進めば、時彦の住まいがある宿場町、左に進めば、古びれた神社へと続く道である。また左の道に少し進んだところには赤い鳥居が立っていた。

 時彦は何の躊躇いもなく右へ進もうとしたが、分岐点にある小さな祠に、大人びた少女が屈み、目を閉じて手を合わせていた。質素な着物を着ているが、顔立ちは非常に整っており、思わず見惚れてしまう。それなりの着物を着れば、誰もが振り向くだろう美麗な少女になるかもしれない。

 そんな風に勝手に妄想を沸き立たせていると、合掌が終わったのか、彼女は裾を土に付けないようにゆっくりと立ち上がった。その一つ一つの動作も引き付けるものがある。よく見ると祠には菖蒲(あやめ)が供えられていた。

 時彦は呆けながら真後ろを突っ立っていたので、彼女が祠の前から去り、振り返ると視線が合った。時彦の存在に彼女は一瞬驚き、目を丸くしていたが、不意に微笑んだ。爽やかで、こちらの心がくすぐられるような素敵な笑顔を。

 何かが地面に落ちる音がした。時彦が背負っていた胴着や防具が入った荷物が落ちたのだ。

 そのことに気づきもせず、ただ彼女を見つめていた。

 そう――時彦にとってはそれで充分であったのだ。恋に落ちるには。

 頬を赤らめている時彦の横を彼女が通り過ぎようとしたとき、勢い余って話しかけていた。

「あの、お嬢さん!」

「はい、何でしょうか?」

 笑みを絶やさずに時彦の声に応える。立ち止まらせたとはいえ、話す内容がないのに気づいた。自分の浅はかさが露呈した瞬間である。

「お、お嬢さんは、大成村(おおなりむら)の者ですか? ずっとそこに住んでいますが、あなたのようなお方を見たことがないのですが」

 意外に自然な質問を話せているのではないかと、心の中では満面の笑みである。

「まあ、大成村の者と言えばそうですね。そこから少し離れたところに住んでいますので、買い物程度しか村自体には訪れません。ですから、お会いにならなかったのではないかと思われます」

 途中まで満面の笑みであったが、話を聞いているうちにその笑みは消えていく。

「村の者ではない……、つまりあまりお会いになれないということですか?」

「はい? 少しよくわかりませんが、その通りかと。では私はここで」

 軽く会釈をされて、今度こそ通り過ぎようとする。だが再び呼び止めてしまった。

「あの、すみません!」

「何でしょうか?」

「お名前を伺ってもいいですか? 僕は伊勢谷(いせや)道場の師範の息子、時彦です!」

「私は千代(ちよ)と申します。また機会でもありましたら、お話をしましょう、時彦さん。――ああ、もしお洗濯をなさるのなら、明後日以降にする事をお勧めします。では、失礼します」

 そして今度こそ彼女は長い黒髪を揺らしながら、村から離れるように去っていった。

 時彦の脳内に反響する“時彦さん”という声。一方でまるでこれからの天気をわかっているような口振りが多少気になった。

 だが数歩進めば、その疑問もなくなってしまう。呼びかけられた言葉を思い浮かばせながら、上々の気分で荷物を拾い、村へと帰っていった。



 それから少しして、千代が再び先ほどの分岐点へと戻ってきていた。そして村へ続く道を見ながら、言葉を漏らす。

「道場主の息子。とても真っ直ぐな信念を持っている方ね」

 そこには先ほど時彦に向けられた笑顔など微塵もなく、無表情のまま少女が立っていた。



 * * *



 次第に雨の日が多くなる季節となっていた。

 雨が降れば、外に出るのも億劫であり、必然的に室内に籠もりがちになる。時彦が部屋で暇を持て余していると、父親――伊勢谷定彦(いせやさだひこ)に、稽古の相手にと無理矢理に道場へと引っ張り出されていた。剣術や体を動かすことは好きであるが、こんな雨の日まではやる気にはなれない。気分も上がらないまま毎回さんざん叩かれ、稽古が身についていないと言われ、その日は終わってしまうのだった。

 そんな休憩中に時彦は竹刀を脇に置いて外を見ると、依然として覆っている真っ黒い雲が目につく。時折、叩きつけるような雨や激しい雷に思わず身を竦んでしまうこともある。

「これから良い季節だって言うのに、雨が降りすぎたら、農作物にまで影響が出るかもしれない。ある程度日照りがないと、美味しいものが育たない可能性が……」

「――水神様の身に何かあったのかもしれんな」

 時彦は定彦から出された、久しく聞いていなかった言葉に目を丸くした。

「水神様とは、あの古びた神社の奥にある湖にいると言われている?」

「ああ、その通りだ。古代から雨が降るのは水神様のご機嫌が悪く、地団駄(じたんだ)をしたため、天変地異を起こしていると言われている。それが果たして真かどうかは定かではないが」

「では、こんなに雨が長引いているのは、水神様の影響だと?」

「あくまで仮定の話だ。だが神主がいなくなってしまった今となっては、仮定のまま誰も知らずに終えそうだが」

 苦虫を潰したような顔で肩を竦める。おそらく昔のことを思い出しているのだろう。神主とその妻である巫女は殺されており、今、そこの神社を守る者はいないのだ。同じ季節を三度ほど戻った頃だろう。今回のように伝達があった際に、定彦が血相を変えて、神社へ急行したのは記憶に残っている。

 結局犯人を判明することはできず、狼藉(ろうぜき)(やから)というくらいしか検討は付かなかった。そのため、しばらく定彦を始めとする、腕に自信がある大人たちは治安維持のために巡回していたものだ。その後、神社を納める者がいなくなってしまったため、今となっては荒れ果てた様子へと変貌してしまったのである。

 確か、あの日もこんな風にずっと雨が続いている時で、定彦の知り合いが慌てて飛び込んできた。

 そう、雨が鬱陶しいと思ったときに――。

「伊勢谷先生!」

 門の方から門下生の一人である青年が駆け寄ってきた。雨で全身びしょ濡れなのにも気にも留めず、二人がいる道場の入口へと全速力で走ってくる。一瞬で定彦と時彦の顔が引き締まった。

「どうした、こんな昼間から」

「南東にある呉服屋を経営している夫妻が何者かに斬られて、亡くなりました……」

「白昼堂々とか?」

「いえ、今朝です。朝一番に水撒きをしている姿を見られており、その後補整を頼んでいた客が来て発見する間らしいです」

 定彦は眉間にしわを寄せた。

「ちょうど雨が土砂降りだった時間帯だろ。外に出ている人はいないだろうし、返り血が付いたとしても、雨で流れて消えてしまう可能性がある。……似ているな、あの事件と。過去の二件と同じ犯人か。俺も現場に行きがてら、警備の支持をする。案内をしてくれ」

「わかりました。では、私の後を付いてきてください」

 定彦が自身の刀を差し、降り続く雨の中に飛び出した。だが数歩進んだところで、時彦の方に振り向く。

「しばらくは帰らないかもしれない。道場は頼んだぞ」

「父上!」

 止める間もなく、定彦は門から出て行ってしまった。

 村の治安部隊の重役の一人でもある定彦はこのような事件があった場合、数日は帰ってこないのが常である。時彦も飛び出ていきたい気持ちもあったが、何とか堪えて、座りなおした。

 昨晩から雨が降り続いており、それがいつ止むかは検討がつかなかった。もし定彦が言っていたことが本当だとすれば、水神に対して何かをしなければならないのだろか。

 しかし、雨が降ること自体はおかしいことではないし、もしかしたら明日にでも止むかもしれない。そう考えると、考えること自体が馬鹿馬鹿しくなってきていた。

 今日は素振りをしてから、適当に過ごそうと思い、腰を上げて、外に背を向ける。だが急に背中に視線を感じた。

 反射的に竹刀の柄を右手で握りしめて、振り返った。

 だがそこには誰もいなく、ただ雨が降り続けているだけの光景。視線や気配も消えた。

 今の視線は、いったい何だったのであろうか――。

 警戒をしたまま考えつつ、身動き一つしなかったが、しばらくしてようやく竹刀の先端を床に下ろした。

「しばらくは真剣の必要性も出てくるのか」

 言葉を零しながら、今度こそ時彦は道場の中へと戻っていった。


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